#05



 正気を取り戻したオレは弟を探した。
 だがアルフォンスは現実の時間にはいなくなってしまった。オレの命を助けようと存在全てを対価として差し出したからだ。勿論器だった鎧ももうない。
 壊れた鎧と魂を錬成し直せない。絶望するより、コンマ一秒で自分にできる事を考えた。できるかどうか判らなかったが、考えた瞬間に身体が動いた。
『時間の錬成』
 時の波の中で『その前の時間』に戻ろうとして……溺れた。
 時間の流れは均一じゃない。大河の水に僅かな色水を流してもすぐに全部色が消えてしまうように、個人の歴史など海の中の砂のひと粒に等しくて。
 それでもオレは必死に歴史の一枝に手を伸ばして掴まった。
 そして気が付いたら『ここ』にいた。
「アル……フォンス………そんな……」
 けれどアルフォンスは何所にもいない。
 消えてしまった。今度こそ本当に。
 オレも……死んだんだ。たぶん六年後のオレは絶命しているだろう。
 アルは自分の命と引き替えにオレを助けようとした。
 でも結局オレ自身に邪魔されて……消えてしまった。
 オレはアルフォンスを失うまいと、また魂の錬成を行おうとしたが、魂を錬成できても入れる器がない事に気がついて……錬成の暴走の中、咄嗟に時間を逆上って全てを『なかった事』にしようとした。
 たった1時間……いや、三十分でいい。時間が逆巻きになってくれたらと命を振り絞って最大の禁忌----時空錬成を行った。
 これは失敗したのか。それとも成功したのか。
 時空錬成----錬金術師しか知らない影の最大禁忌錬成。
 時の錬成は成功例のない机上の理論でありながら、錬金術師達の中では人体錬成と並ぶ禁忌とされている。
 だが錬金術師でない一般の人間はその事を知らない。知っているのはほんの一握りの一流の錬金術師だけだ。知っていると言っても噂の域を出ず理論の欠片も残されてはいない。
 あまりに危険だという事と荒唐無稽という理由と、失敗の末に起こる結果故に、錬金術師達の間では理論は暗号化さえされず口伝でしか伝えられていない。ので存在そのものを知っている人間は少ない。
 人体錬成の失敗は術者自らのリバウンドでツケを支払うが、時間錬成の失敗は世界を変えてしまう。時空が捩じれて世界が崩壊するかもしれないし、未来が変わってしまうかもしれない。世界に刻まれたアカシックレコードと違う歴史を歩めば世界は不調和をきたし、結果として何が起こるか誰も判らない。危なすぎるという理由で誰も行わない錬金術。
 その存在が知られれば誰かがいずれ試行するだろうと危ぶまれ、記述に残せない錬金術。口伝にしたのはせめてもの夢か抵抗か。錬金術師は科学者だ。知と謎を完全消滅させることは錬金術師の性としてできない。
 オレがその存在を知っていたのは、賢者の石を探す途中だった。
 人体錬成というバカな真似をしたのはオレだけじゃなくて、師匠やジュドウといった一流の錬金術師達もいたから、他のそういった人達を探して人体錬成の鍵を見つけようとしていた。自分達に欠けている知識の穴が埋まるのを期待してだが、探し出したある高齢の錬金術師は人体錬成の他にとんでもない事を教えてくれた。その錬金術師はとても高齢で、自分の寿命が尽きるのを心配して禁忌の錬金術を存在だけでも残したかったのだ。錬金術師は自分の知識を捨てられない。だが危険なのでそのまま残す事もできない。高齢の錬金術師はオレという受け皿に毒を渡し、安心して肩の荷を下ろした。
 それが『時間錬成』だ。
 オレは聞いた時に荒唐無稽だと呆れたが同時に誘惑も感じた。リスクも大きいが得られるものは大きい。危険が伴うがチャレンジしてみたい分野ではある。
 だがオレには賢者の石を探し出しアルフォンスを元の姿に戻すという至上の使命があったから、知識の一つとして封印した。試すには危険すぎる錬金術だったから意図的に忘れたのだ。
 時間の捩じ曲げは人体錬成と並ぶ禁じ手だ。一は全、全は一、というのは全ての流れを指す。過去があって今がある。一つのモノが積み重なって全てになる。
 今が過去の積み重ねなら、現在を山の頂上と思えばいい。過去は山の土全てだ。土台の一つを掘り下げて下の地層に触れる。それが過去に行くという事。
 例えだけなら簡単なようだが、山だって土台を崩せば土砂崩れを起こす。『時間』なら尚更デンジャーだ。
 土砂崩れが起こらないように周りの土をセメントで固めて土台を掘り起こしても、雨が振って台風が来て年月が土台を削れば、いつかはやっぱり土砂崩れだ。
 過去を逆行なんて空想に近い科学だと思っていたのに、土壇場で行った錬金術がコレで、しかも成功してしまったとは……オレってやっぱり天才?
 しかし…………誰もなしえなかった大錬成を喜ぶ気には到底なれない。
 だって……アルフォンスがいない。オレの弟が。
 気がついて気が狂いそうになった。オレ一人が過去の世界に戻ってきてしまった。
 アルの魂は…………扉の向こう側だ。持っていかれてしまった。オレの命を救った事でアルフォンスは対価を支払った。だからアルの魂はもう何所にも無い。
 オレは冷たい床の上で震えた。
 アルが……。消えてしまった。魂と精神を真理に差し出して……母さんの元に帰ってしまった。四年前に行くはずだった場所に……行ってしまったんだ。
 もう戻ってはこれない。だって……オレはもう……『未来』には戻れない。過去に来たのだってどうやったのかよく覚えていないのだ。
 無意識下で行った大錬成。過去には来られた。
 だが……未来には行けないのだ。元の時間に戻る術はない。
 人間は過去には戻れても未来には戻れない。それが原則だ。錬成を行ってみて、時間の流れに身を浸して分かった結果だ。
 時の流れというのは法則があって、常に過去から未来へと続いているが、その道筋は一本ではない。沢山の支流が集まって大河になるが、その大河だって一本ではない。支流のままの細い流れもあるし大河がまた枝分かれして河の数を増やしている。
 だからその河を逆流して過去に戻り、また元の地点(未来の時間)に戻ろうとしても、支流事体が消えてしまったり他の支流と合流してしまったりと、未来は変動して元の世界に帰れる確率はゼロに等しい。そういうわけでオレは元の世界(六年後)には帰れないのだ。
 自分が元いた世界に帰れない……なんて事はどうでもいい。アルフォンスだ。弟がいないなら、アルに再び会えないなら、オレには帰る意味なんてない。
 ショック……というより、身体の中に致命傷に近い穴が空いた気がして……オレは床の上で凍りついた。

 何でオレ……生きてるんだ?

 一人で生きたって仕方ないのに。
 身体の奥の一番大事な部分が切り取られて霧散したような気がした。芯が……折れた。
 もう、駄目だ。
 泣く資格もないと分かっているのに……何かが中からせり上がった。
 涙が床に落ちた。一滴一滴。止まらなくて滂沱になる。
「……ヒゥ……クッ……」
 アル……アル……。オレはオマエのいない世界なんてイヤだよ。独りは寂しいよ。オレの生身の右手よりオマエの鉄の指の方が温かいよ。
 何でオレを助けたんだ。あのまま死んでいた方がマシだった。
 隣で寝ているアルフォンスを起こさないように声を殺して泣いた。
 物音一つ立てなかったのに。
「……兄ちゃん?」
 アルフォンスがオレを見下ろしていた。
「ど……どうしたの、兄ちゃん?……泣いてるの?」
 いつのまにかアルフォンスが起きてオレを見ていた。
「え……。恐い夢でも見たの? また気分が悪いの?」
 オロオロと狼狽えながらアルフォンスは床に降りてうずくまった。
 温かい気配。小さなアルフォンス。
 けれどこれはオレの欲しいアルじゃない。
 オレが欲しいのは……。オレを遠慮がちに抱き締めるアルだ。自分の鉄の手がオレを傷付けるんじゃないかと危惧する、オレに触りたいと呟いたアルフォンスだ。独りでいたくないと泣くアルだ。
 それでも……コレもアルフォンスだ。
「アル……」
 オレは泣きながらアルフォンスの手を握った。
「兄ちゃん、大丈夫? どっか痛いの? おかあさん、呼んで来ようか?」
「へ……いきだ。……ちょっと…恐い夢、見ただけだ」
「そうなの? 本当に平気? 床は冷たいよ? ベッドに入ろ?」
「アル……手を握っててくれ」
「うん。ボクが守ってあげるから、一緒に寝よ」
 誘われてオレはアルのベッドに入った。
 ああ、アルフォンスの匂いだ。久しく忘れていた弟の生の気配だ。かあさんが死んでからいつもこうして二人で抱き合って眠った。
 アルフォンスがオレを暖めるように寄り添う。
 顔に触れるアルの髪の毛。
 たまらなくなってしがみつく。
「アル……」
「なに?」
「アルは……あったかいな」
「兄ちゃんは冷たいね。もっとくっつきなよ。ボクがあっためてあげるから」
「……うん」
 身体は温まっても心は裂けてすきま風がビュービュー吹いている。
 痛い。心なんてなければいいのに。
 アル、アル、アル、アル、アル、アル、アル…………アルフォンス。
 オレが殺した。殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した。
 ------死なせてしまった。
 拳を噛んで叫び出すのを必死に堪えた。