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それでも……。
無くした筈のアルフォンスの身体が隣にいると思うだけで心が慰められる。
規則正しいアルの寝息。高い声。アルはこんなにも温かかったんだ。触れるだけで涙が溢れそうになる。それなのに今はオレのせいであんな姿になってしまった。可哀想に。一刻も早く戻ってやらねば。アルがオレの帰りを待っている。
考えろ、と自分に言い聞かせ、オレは自分の足元から追っていくことにした。
六年後、つまりオレがいるべき時代の『オレ(エドワード)』は一日前、いつ何所で何をしていたんだ?
覚えているのは……確か……東のアルムの町に行くようにと大佐から要請(命令)があって……。
段々記憶が戻ってきた。
時は三月二十五日……前後だったか。
オレはブツブツ文句言いながらアルと二人でアルムの町に入った。
錬金術師が金の密造をしているという情報の真偽を確かめろと、オレ達は大佐に派遣された。斯くたる証拠がないと軍は踏み込めないから、オレ達はその証拠探しという訳だ。何事もなければそう報告すればいい。けど……やっぱり大佐がオレ達に調査を命じるだけあって、情報は確かだった。
ただ金の製造と売買をしている人間は別で、その繋がりを調べるのに手間取って……。
そう、確か現役の軍人が関わっていて、オレ達は正体がバレて窮地に追い込まれてしまって……。
それ以後の記憶がはっきりしない。
ズキッと頭が痛んだ。
何故思い出せないんだ?
オレはいつまでの記憶なら覚えているんだ?
アルムの町から出たのか? 大佐には報告したのか?
いや……覚えているかぎりオレはアルムからも出ていないし大佐にも報告していない。という事はアルムで隠密行動続行中というわけか。そんな時にオレがいなくなればアルは心配するに決まっている。オレがアルに断りもなく姿を消すわけないから、オレがヤツらに掴まったかとでも思うかもしれない。……大変だ。
窮地に追い込まれたオレ達はどうしたんだ? ヤツらを撃退したのか?
畜生。記憶が曖昧だ。靄の向こうにあるように霞みがかっている。
個人行動をしているオレ達に味方はいない。
大佐には慎重に調べるように言われていたのに、オレはいつもの調子で事を簡単に考えていた。アルにも忠告されていたのに、証拠探しに軍の支部に忍び込んで…。
そうだ、それは罠だったんだ。
国家錬金術師とはいえ軍の中に正規の手順を踏まずに入ればすなわちそれは侵入者だ。うっかり射殺しても賊と間違えたと言い切れば済む。オレの後見人は出世頭のロイ・マスタング大佐だが、侵入者への誤射で軍法会議の方が現役軍人の犯罪発覚現行犯逮捕より罪は軽い。言い訳次第では減棒、降格で済む可能性だってある。
オレの国家錬金術師の証しの銀時計を隠して身元不明の死体という事で書類を誤魔化すという手だってある。
ヤツらも国家錬金術師のオレが町に来て焦ったんだろう。アルフォンスは目立つし、オレ達の正体はあちら側に露見していた。
待ち構えていた軍と銃撃戦になって……。
その後は……? 戦闘の結果は?
視界が揺れた。
グンニャリと飴が捩じれるように目の前が歪んだ。
天井が廻る。身体も揺れる。膝から力が抜けた。
(その後……オレ達はどうなったんだ?)
呼吸がうまくできなくて喘ぎながら肺に空気を入れる。
アル……。
オレはアルフォンスの名前を呼んだ。
どうして呼んだんだっけ……。
天井が見えた。今見てるのは違う景色だ。
割れた蛍光灯がチカチカ光って。
声が聞こえた。
何処か遠くでアルフォンスの声が聞こえて。
オレを必死に呼ぶアルフォンス。
「兄さん、兄さん、兄さん!」
この声を聞いた事がある。
四年前……アルフォンスが『あちら側』に消える時。
必死にオレを呼んでいた。オレに助けを求めていた。なのにオレの伸ばした手は届かなくて。
何故またアルは同じ声でオレを呼んだんだろう。
何故あんな魂を引き千切られるような恐怖の声でオレを……。
ギクリ、とした。
何かが心の内側に触った。
アルの声がオレを呼んで。オレは天井を見て。アルが視界にいて。……何故天井を見ていたんだ? オレは何故上を見上げていた?
『兄さん! ……こんなの許さない!』
アルフォンスが叫んでいる。
何を許さないんだ?
『駄目だよ、行っちゃ駄目だ!』
オレが何処かに行くのか? 何所に行くんだって、オレがアルを置いて行くわけないじゃないか。オレは何所までもアルと共にあるんだぞ。
『行かないで!』
そんな泣きそうな声を出さないでくれ。涙を流せないオマエは声でしかオレに心を伝えられないんだから、全部判っちまうだろ。何がそんなに痛いんだ?
『死んじゃイヤだよっ!』
誰が死ぬって?
オレがオマエを置いていくわけないだろ。アルの身体が元に戻ってもいないのに。
『兄さん! お願い、死なないで』
アルの声が泣いている。
ドクン。
心臓が鳴った。
『兄さんは死なないよ!』
そうだ、オレが死ぬ訳ないじゃないか。
『絶対に死なせるものか!』
声が……変わった。
(アル?)
アル……何をするんだ? その決意した声はなんなんだ? ヤメロ……。
『兄さんは死んじゃ駄目なんだ』
血が……流れていた。紅い……アルの手が紅く染まって……オレの流した血だ。
……致命傷なのは……打たれた瞬間に分かった。
弾丸が心臓を掠めて……肺にも当って……うまく呼吸ができなくて……力が抜けて身体が動かなかった。
油断した。壁を錬成する暇がなかった。アルは鎧だから弾を跳ね返したがオレは……。
出ない声で必死にアルフォンスに逃げろと言った。取り囲まれて……ああ、アルが撃たれたら……血印に傷でも付いたら……アルが死んでしまうじゃないか。
オレは平気だから頼むから逃げてくれと願ったのに……アルはオレを抱えて……絶叫していた。
目が……もうアルの姿を捉えられなくなっていた。
力を振り絞ってアルフォンスの姿を探して……アルは…………両手を合わせていた。
ドクン。
アルフォンスは……手を合わせて何を錬成したんだ?
『死なせない。兄さんは絶対に死なせない』
アルの呪いのような声がオレを縛った。
アルフォンス。あの錬成は盾や剣を作るものじゃなかった。アルはオレを置いて逃げられない。投降しても殺されるかもしれないし、オレは実際死にかけていた。
アルは……両手を合わせて『何か』を錬成した。
……なにか? ってなんだ?
ドクン。
両手を合わせたアルフォンス。魂を裂く声。
オレはあの時……叫んだんだ。
『返せよ! たった一人の弟なんだよ! 足だろうが両腕だろうが心臓だろうがくれてやる!』
もしアルがオレと同じ事をしようとしても……アルフォンスには差し出せる足も腕もない。
あるのはたった一つ。……魂だけ。
オレは両手で頭を抱え込んだ。ゼイゼイと肺で呼吸をした。床に膝をつき、ダンゴ虫のように小さく固く丸まる。
「……ぁ……あぁ…………あ……る……」
目が……見ていた。全てを。覚えていた。……思い出した。
視界の隅から……黒い手が……現れた。
持っていかれる。
扉が開いたのだ。走る光。黒い手に連れていかれる軍人達。そして。
アルフォンスの鎧を何本もの数えきれない手が掴んで扉の向こうに引き摺っていった。
過去の再現だ。オレは絶叫してそれに手を伸ばし……。届かず反射的にオレも手を合わせて……真理の扉をこじ開け、アルを引き戻そうとして……。
ああ。分かった。
暴走したんだ。力が。
アルは自分の魂と引き換えにオレの命を救おうとし、オレはアルを『あちら側』に持っていかれまいと、つきかけた命と身体でアルを取り戻そうとした。
反する力の錬金術がぶつかりあって滅茶苦茶な暴発を起こし、扉に影響が出た。
扉はたわんで歪んだ。そうして……。崩壊した。
オレもアルフォンスも真理と現世の間の隙間、記憶と時間の渦の中に放り出されたんだ。
そこには何もなかった。
現実でも真理の世界でもない四次元空間に心は耐えきれなかった。人が存在できない空間だった。オレは線であり点であり平面であり多面でありゼロだった。
『真理』を見た時以上の狂気に晒された。身体の感覚が全く無く、生きているのか死んでいるのか判らないまま精神が過去と現在をたゆたってそれが1秒にも数カ月にも感じ、どこまでも現実なのに実感に乏しかった。
心が時間の往復で漂泊されつつあり、もう何も考えられずに精神も個をなくし次元の渦の一滴になり同化していくばかりの時に、最後の希望であり願望であり欲望であり全てだった弟の名前を思い出し、オレは最後の精神の欠片を潰されずに済んだのだ。
アルフォンス。その名前だけがエドワードが持っているもののなかで真実だった。
それが何か思い出せないまま弟の名をただ一つの記憶と呼び続け……オレは自分を取り戻した。
亜空間に漂いながら自分を取り戻したオレは、何かが頭の中に流れ込んでくるのを感じた。
それは過去から現在への流れみたいなものだった。
真理の扉に吸い込まれた瞬間に似ていた。気が狂いそうな大量の情報が脳の中に濁流のように注ぎ込まれ…。
瞬間閃いて、オレはとっさに水の中を流れる糸みたいな時間の流れを一つ掴んだ。
そして……。
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