#17
一方その頃セントラルでは。
何が起こったか分からず放心していたハボックも、護衛中のロイとエドワードがいなくなった事実に我に返り、慌てて二人を追い掛け探し求めたが姿を見失い、仕方なくホークアイに連絡を入れた。
二人は状況を把握するべく軍部で落ち合った。
ハボックはホークアイの厳しい視線に晒されて、ひどく緊張した。
「……何故少将とエドワード君がハボック中尉の前から逃げたのですか?」
ホークアイの声は鋭い。
お前事情知ってんだろうオラオラとっとと吐け貴様! ……というような眼差しにハボックの胃はキリキリ締め上げられる。
こんな焦った事は過去二股がバレた時以来だと思った。
「いや、その……」
「答えなさい」
「アイ、マム。…………実は…………そのぉ………」
正直に「マスタング少将がオレに惚れてるってうっかり立ち聞きしてしまって、それでマスタング少将はパニクってエドワードを連れて逃げ出しました」とは、とても言えなかった。
だって未だに信じられないのだから。ハボックは何かの間違いじゃないのかと思っている。
ロイ・マスタングがジャン・ハボックに? 惚れてる? あの少将が?
そんな事誰が信じられるって? 天地がひっくり返ってもありえないだろそれっ!
……とハボックは内心で思いっきり叫んだ。
しかし普段は冷静な上官が部下を連れて脱兎のごとく逃げ出したのはまごう事なき事実だ。
ハボックは状況が信じられず、これって夢とかサプライズじゃねえよなあと思っていた。
「ホークアイ大尉。イーストシティへ向う列車の中に少将とエドワード少佐が乗っているようです」
通信を調べたフュリーが報告した。
「さすがに仕事が早いわね。……それにしても何故イーストシティに向っているのかしらあの二人?」
軽率な上官の行動にホークアイは怒りの色を隠せない。
ハボックは『たぶんマスタング少将は何も考えずに適当に列車に駆け込んだんだろうな』と殆ど正解を思ったが、口には出さなかった。
何か言えば藪蛇になると分っていた。
ロイがエドワードを連れていってしまったせいで、ハボックは状況を把握しきれず混乱したままだ。エドワードがいればロイが何を考えているのか聞けたのにと思う。
いや、聞いたところでハボックに理解できるか分からないが。
……つか、マジでロイ・マスタングがオレを好き?
ありえねーっ。と、ハボックは現在混乱中だ。
ホークアイはフュリーの報告を聞いて眉間の皺を増やしている。
「ホークアイ大尉、その……」
フュリーは顔色悪く、上官を窺うように恐る恐る言った。
「マスタング少将とエドワード少佐ですが……」
「はっきり言いなさい。報告は適格に」
「……二人は駆落ちしたそうです」
「……かけおち? 何処かに駆けて落ちたの? 怪我をしたの?」
フュリーはホークアイから視線を逸らして言った。
「いえ……。だから、恋愛に反対されて逃げる方の駆落ちです」
言った方も聞いた方もしばらく無言だった。
ハボックはタバコをポトリと床に落とした。
「その誤情報はどこから?」
「列車の車掌からです。……愛の逃避行だとマスタング少将がおっしゃっていたそうです」
ホークアイはハボックの方を向いた。
ハボックはその眼差しに背中がビシッと凍り付いた。
(恐い、恐い、逃げていいですか、大尉の後ろに大蛇が見えます! 助けて少将!)
ホークアイの視線を受けて、ハボックの心臓は限界まで波打っている。
フュリーは『かけおち』とは何かの暗号かもしれないとひっそり思った。ロイとエドワードの間に恋愛感情は皆無だから、その二人ではどうやっても駆落ちにはならない。
「ハボック中尉」
「は、はい」
「フュリー准尉の言っている事は本当なの?」
「いやその……それはないかと……」
「じゃあデマなのね?」
相手が違いますマスタング少将の惚れてる相手はこのオレなんです、とは言えないハボックはひたすら冷たい汗を流すしかない。
言葉にし難い空気が流れる。
ロイ・マスタングは逃げ出したが、ハボックこそ逃げたかった。
と、そこに。
「ホークアイ大尉! 聞いたぞ、ロイ・マスタングとエドワード・エルリックが駆落ちしたそうだな!」
「ハクロ大総統」
いきなり現れたハクロ大総統に皆が直立不動の姿勢をとる。
部下を引き連れ、ハクロ大総統が部屋に入ってくる。
ホークアイはホゾを噛んだ。どうしてこの人はこういう時だけ耳聡いのかと。
どうせロクな仕事をしていないのだからさっさと帰って家族サービスしろ、とホークアイは内心愚痴った。
「本当なのか?」と問いつめるハクロに、ホークアイは敬礼しつつ答えた。
「本当であります」
ハボックとフュリーがギョッとする。
複雑な顔をするハクロ大総統だ。
「…………まさか本当だったとは。なんて事だ。マスタングめ」
ロイの事は嫌いだが、まさか仕事を放棄して年下の部下と逃げるような男だとは思っていなかった。
キング・ブラッドレイ亡き後の大総統はハクロだ。
なぜ少将だったハクロが大総統にのし上がれたかというと、絶対の権力を握っていたブラッドレイの後継者として必要だったのは毒にも薬にもならない人間だったからだ。
議会は、実力は劣るが逆に突出したところのないハクロを大総統に指名した。
ハクロがエドワード・エルリックは確かに美少年だが、それにしてもあの女好きのロイ・マスタングが……と思っていると。
「作戦ですから」
ホークアイが淡々と言った。
「作戦?」
大総統を前にしてもホークアイの表情は変わらない。
「はい。逃亡中のテロリストを捕らえる為の、マスタング少将とエルリック少佐による『愛の駆落ち、囮大作戦』です」
やけっぱちになったホークアイはそれが真実のごとき力強さで、でまかせを言い切った。
「あんな事言っちゃっていいんスか?」
ハボックはハクロ大総統を見送って、ホークアイにこっそりと聞いた。
ジロリと下から発する眼光に、ハボックはおののく。
「ホ、ホークアイ大尉……」
「フュリー准尉、しばらくここを任せます。……ハボック中尉。こちらへいらっしゃい」
「……イエス、マム」
人気のない部屋に連れ込まれたハボックは、売り払われかっ捌かれる子牛の気分を味わっていた。もうドナドナは気軽に歌えない気がした。それくらいホークアイは恐かった。
シンとした部屋に緊張が走る。
「さて、ハボック中尉。……吐きなさい」
ホークアイが突然言った。
「……は」
「アナタはなにか知っているのでしょう?」
反論を許さない鉄の声音。
「……いえ、その……」
「何故少将とエドワード君がいきなりセントラルを出たの?」
ハボックが知っていると決めつけている。
「それは……」
「二人共自分が狙われている事を知っている。なのに護衛を振り切って列車に乗ったのは何故? 目的は?」
「……ホークアイ大尉………オレは何も…………」
「知らないと言ったら私の右腕が動くわよ」
すでにホークアイの手は腰に掛かっている。
(勘弁して下さいよ〜)
ハボックは心の中で半泣きだ。
「知っている事を全部言いなさい」
ハボックは追い詰められていたが、ホークアイの命令は当然だ。
ロイとエドワードはテロリストに狙われている。なのに護衛を振り切って誰にも何も告げずイーストシティに向った。
副官であるホークアイが状況を正しく把握しようと務めるのはごく当り前の事だ。
「あの……これは少将のプライベートに関する事なので……」
しどろもどろのハボックの言葉をぴしゃりとホークアイが叩く。
「吐きなさい」
「いや、その前に人を配備して少将達を守らなくていいんスか?」
いつテロリストが狙ってくるか分からないのに。
「守る? 誰が誰を?」
「誰をって……。だって二人は狙われて……」
「テロリストの三人や四人、あの二人なら簡単に撃退するでしょう。心配するだけ無駄です」
「え、じゃあなんで今まで護衛を付けてたんスか?」
ハボックはホークアイが何を言っているのか分からなかった。
ホークアイは「フッ」と笑った。
「脱獄したテロリストは丁度良かったのよ」
「……はい?」
腕を組んだホークアイはハボックを見上げた。できの悪い生徒を前にした女教師のように。
「少将に処理していただかなければならない書類が山になっていたのに、強盗篭城とかテロのせいでとても処理できなくて困っていたの。……軍部は縮小されつつあるのに、仕事量は減っていないのだから。その皺寄せがどこに来ると思っているのかしら。全く困ったものよね。少将を椅子に縛りつけておけて助かったわ。仕事の調整は大変だったけれど、書類は殆ど片付いたし。そろそろ日常の業務に戻ろうと思っていたの」
「あの…………もしかして?」
「バルドという脱獄囚が二人を狙っているのは本当よ。けれどさほど心配していないわ。だってそうでしょう。あの二人を誰がどうやって殺せるのかしら。長距離からの狙撃でもない限り、簡単には殺害できないわ」
優秀なスナイパーが淡々と告げる。
「あのお……それじゃあ護衛の必要って……」
「どちらかと言えば、少将を逃がさない為かしら。……もちろん逃亡犯の捕獲も兼ねていますけれど。テロリストは警戒できるし少将は大人しく仕事をして下さるし、一石二鳥だったわね」
この人だけは敵に回すまい。ハボックは心から思った。
「それなのに少将が逃げるなんて。……私が考えていた事がバレてサボりたくなったのかしら」
首を傾げるホークアイに、ハボックは真実が知れたらどうしようと真剣に悩んだ。
「さあ、ハボック中尉。さっさと吐きなさい」
ハボックにどんな選択肢があるというのだろう。諾、以外の選択をしたらホークアイは右手の引き金をサクッと引くだろう。
オレ、何も悪い事していないのに……と世を儚むハボックだ。
「あの………………その…………これは例え話なんですけど…………というか人から聞いた話なんスけど…」
「前置きが長い。簡潔に要点を押さえて話しなさい」
ビシッとホークアイの注意が入る。
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