#16
「じゃあアル。気を付けて帰れ」
「うん。……じゃあまた。お休みなさい兄さん」
「おやすみアル。……ハボック中尉。アルをよろしく」
「おう、任せろ」
アルフォンスを見送ってオレはドアを閉めた。
アルには護衛がついているが、心配なのでハボック中尉に送ってもう事にした。ロイは過保護だって言うけれど、記憶のないアルはオレより戦闘経験が少ない。三年のブランクはやっぱり大きいと思う。
「鋼の……。ちょっとこっちへ」
呼ばれてロイの書斎に入る。
「何? 何か用?」
ドアを閉めると、ロイが突然床に崩れた。
「どうしたっ?」
「は、鋼の。私はもう限界だ!」
ロイが突然顔を両手で覆って言ったので何事かと思った。
「何が限界だって?」
「ハボックといる事だ! わ、私の家にハボックがいる。その事が耐えられん!」
「ええと。具体的には? どう耐えらえないの?」
「な、何を話していいか分からない」
「…………はい?」
聞き間違い?
「軍服を着てる時はいいんだ。仕事モードだから。しかし一旦私服に着替えると、どう会話していいか分からないのだ」
「え? …ふつーに会話してんじゃん」
今まで特に変わった様子はなかったよな。
「段々ハボックと居る事がきつくなってきたんだ。何を話していいか分からないから、発言は自然嫌味と嫌がらせのオンパレードになる」
「それって逆効果なんじゃ。……なんで会話が嫌味になるんだよ。おかしいって」
いや、おかしいのは今のロイだ。完全にパニクっている。
「わ、分っているんだが、二人きりになると段々気詰まりになってきて、混乱するんだ。それでつい、慣れた嫌味たっぷりの会話を……」
「だからなんでそうなんの? ってか、ハボック中尉といると緊張すんの? いつから?」
「割と最近から。……好きだと自覚したらもうダメで。……今までどうやって会話していたのか思い出せん」
「アンタ中学生かよ。……なんかすっげえ似合わなくてありえないんだけど」
「鋼のが悪いんだ。私をハボックと二人きりになんかするから。一緒の家にいるんだから、私とハボックが二人きりになりそうだったらさりげなく邪魔をしに来なさい」
「普通、好きな人と一緒にいるから邪魔すんなって言うもんだろ。逆かよ」
ロイがバンバンと壁を叩く。
「仕方がないだろ。わ、私はこの年までろくに恋なんかしてこなかったんだから、好きな相手にどう接していいか分からんのだ」
怒鳴られても。ロイの勢いに負ける。
「そんなピュアピュアな発言されても。今まで散々女と付き合ったテクニック活かせないの?」
「ハボック相手に『君の青い瞳にまさる宝石はない』とでも言えと?」
口説く文句というよりバツゲームに近いなそれ。
「そりゃ……言えねえな。そうか。ロイの口説きストックは女専用か。男相手なら上官におべんちゃら言った時の文句があるだろ。応用できねえの?」
「上官ヨイショと口説き文句は違うだろう。……ううっ。とにかく私をハボックと二人きりにするな。心臓が持たん」
「そんな事言われてもなあ……」
散々女性と付き合ってきたくせに、マジ惚れした相手に対する対応が分からないらしい。今までの付き合いが恋愛を真似た恋愛遊戯だって事がこれでバレたな。
そうだよな。本気の恋ってみっともなくて格好悪いもんだよな。
「君はよくアルフォンス君と二人で暮らして平気だな。なんともないのか?」
「生まれた時から一緒に暮らしてんだぜ。当たり前だろ。隠すのにも慣れた。オレたちはほら、色々ありすぎるくらいあったから、態度が多少おかしくても変に思わないっていうか」
「君はいいよな。アルフォンス君にあんなに愛されて」
ロイがジト目でオレを見る。
「アルのは家族愛だ。兄が自分に恋愛感情を抱いていると知れば、アルはきっと失望するか、怒る。家族愛を穢したオレを許さないだろうな」
「そんな事はないと思うが……」
「純粋だからこそ、それを汚された時の反発はでかいんだよ。オレはもう純粋な意味で兄として愛せないから」
「鋼の……」
いかん。マジモードで話すと落ち込む。
しかしロイが今中学生のような恋をしているとは。ヒューズ中佐が生きてたら大笑いするんだろうな。オレはそこまで達観できないけど。
つか、痛いよロイ・マスタング。三十四歳の中学生日記は。
しかしロイの恋愛は対人間視点で見ると悪くないチョイスだ。
「……オレもハボック中尉を好きになればよかったな」
「鋼の? 何を突然?」
「良い人だし、同性という以外の障害はないし、もしかしたら玉砕覚悟で告白できたかもしれねえ。万が一ダメだったら逃げちまえばいいし」
そう言うと、ロイも落ち込む。
「私は上官だから逃げるわけにもいかんのだぞ」
ロイが拗ねたように言う。
もしも、の話だから気軽にできる。
「ロイは上官だし年上だし、口に出せないよなあ。…………なんでロイはハボック中尉を好きになっちゃったのかなあ。……障害でかすぎて告白どころか、バレたらやばすぎる」
ただ恋をしただけなのに。それだって自分からしようと思ってした恋じゃなく、自然に好きになってしまった恋だから、感情をコントロールできない。やめようと思ってもやめられない。
それは誰の責任なのだろうか。
「なあロイ。ハボック中尉の何処が一番好き? 顔、それとも性格? 身体って言ったらドン引くぞ」
「…………笑顔、かな。私はアイツの笑顔に弱いんだ」
ポツリと。言葉が空気に落ちるような静かな響きだ。
「……ふうん。笑顔か。ハボック中尉、よく笑ってるもんな」
「ヒューズもそうだったが。……私は笑顔の綺麗な人間に弱いらしい」
懐かしい過去を悼むような、今の切ない気持ちを愛おしむような響きに、ああいつもこんな顔をしていればいいのにと思った。ロイは優しい顔をしていた。
軍人でないロイはこういう顔を隠し持っていたのだ。
「なあロイ。……いつかちゃんと諦められるといいな」
アルフォンスへの愛が家族愛の中に溶けてなくなればいいのに。誰だって辛い恋は長引かせたくない。
ロイは疲れたように言った。
「鋼の。………まあそういうわけだから、私とハボックを二人きりにするなよ。ボロを出したくない」
「オッケー。なるべく気をつけるよ」
ハボック中尉と二人きりになってパニクるロイを見てみたい気もするが、からかうのは気の毒なので止める。
「あ、そうだ!」
「どうした鋼の?」
「昨日持ち帰ったレポート、ロイに見てもらうの忘れてた。持ってくるからちょっと待ってて」
書斎を出ようとドアを開けた瞬間。
バスンと壁に当たって視界がなくなる。
「……痛い?」
一歩引くとそれは壁ではなく、誰かの胸板だった。…………誰の?
「あ……ハボック中尉?」
「…………あ、……エド………そのぉ…………」
何故書斎の入口にハボックがいる?
「……中尉、アルを送ってったんじゃないのか?」
「いや……だから………アルが忘れ物をしたとかで、引き返してきたというか………」
借りてきた猫のような居たたまれなさ一杯のハボックの様子に、オレは、ああ聞かれたのかと思った。
振り返ると、ロイの顔は白くなっていた。
誰もが言葉を失った。
痛いほどの沈黙が漂う。
オレはゆっくりと深呼吸した。
ハボックのトレードマークの銜えタバコが下に落ちている。相当動揺しているらしい。
タバコを拾って聞く。
「ハボック中尉。……いつから聞いてたオレ達の会話」
「あの、エド……」
「聞いてたんだろ?」
ここで誤魔化す事もできたかもしれない。だけれど後々まで疑惑としこりは残るだろう。
ハボックは途方に暮れたような顔でボソボソと言った。
「エドが……オレを好きになれば良かったって……」
「ふうん。そこから聞いてたんだ。じゃあ……ロイの気持ち、聞いちゃったのか」
ハボックは本当に困った顔だ。そしてロイの顔は見なくても分かる。
良かった。オレがアルを好きだという会話は聞かれていないらしい。
「……そういうわけだから」
「エド?」
「ロイはハボック中尉が好きなんだよ」
「鋼の!」
ロイが怒鳴って止めたけど、聞かれてしまったんだから仕方がないじゃないか。誰もいないと思って油断したロイの責任だろ。
「聞いちゃったものはなかった事にできないよな。……考えて返事してやれよ」
「エド。……だからそれはその………そういう、こと、なのか?……あの、オレの聞き間違いとか、自意識過剰じゃ、なく?」
ハボックがオレを見ながら、間違って異世界にきちゃいました、というような心細さを浮かべながら聞く。
ちゃんと聞きやがれ。
「まっすぐストレートにそのままの意味しかねえよ。……信じられないなら、時間を掛けて信じろよ。……つか、断るにしてもちゃんと考えてからにしてやれよ。少なくともロイはこれ以上ないくらいにアンタに本気なんだから」
もうロイは言葉も出ないようだった。
そしてハボック中尉も。
いきなりの展開に、誰も彼もが薄氷を踏むような気持ちでいる。オレは当事者でない分だけ冷静だが。
途方に暮れていたようなハボックが、意を決しました、というようにキッと顔を引き締める。
何を考えた?
「あ、あの、マスタング少将。オレっ……」
ハボックはロイに向って何かを言いかけた。……が。
ハボック中尉が何を言いたかったか分からないまま、突然終った。
ロイが突然「わーーーっ」と叫びながらオレの手を引いて駆け出したからだ。
……はあっ?
「えええーーーっ?」
「ちょっと、少将? エド? 何処行くんだ?」
「オレが知るかーーーっ! なんだよロイッー」
わけの分からないまま引き摺られ、何故か一緒に走り出す。玄関を飛び出し、止めてあった車に飛び乗り、猛スピードで走る車の中でオレは怒鳴った。
「なんだ! 何処行くんだよ! 何でオレが!」
「鋼の!」
「おう!」
「私と逃げよう!」
「はあっ?」
「私は逃げる!」
そんな明確に断言しなくても。逃げたいのなら一人で逃げろよ。
「冷たいじゃないか! 我々は一蓮托生だ!」
「そんな気持ちが悪いものになった覚えはない」
ロイはハンドルを握り前を見ながら言った。
「ついて来ないのなら、君がアルフォンス君を愛している事をバラすぞ」
「うわ、汚ねえぞっ」
「ははは、バラされたくなければ私と逃げろっ」
ロイに拉致され、オレは何故かセントラルから逃げる事になってしまった。何故に? 誰か説明してくれっ。
ロイは車を駅に止め、構内を走り、まさに今走り出そうとしている汽車に飛び乗った。
「やったぞ、私達は自由だ!」
「………その台詞、状況と掠ってもないんだけど……」
オレはゼーハー息を整えながら、列車の床に座り込んで、なんだこのありえない展開はとバカバカしい逃避行に自棄になりかける。展開が阿呆すぎて突っ込めない。
この後どうすんだよ。逃げれば逃げるほど帰りづらくなるって分かんねえのか? まあロイの混乱も分かるので、冷静になるまで付き合うしかないか。
さすがのオレも同情をする。こんな形で気持ちを知られるなんてあんまりだ。
「あの、すいません。切符を拝見します」
車掌さんに言われてオレはどうしようかと思った。
「財布、持ってこなかった。……ロイは持ってるか?」
「ああ。ポケットにある」
良かった。これで無賃乗車にはならない。
「ところでこの列車は何処へ行く向っているんだ?」
ロイの質問に年輩の車掌さんは変な顔をした。そりゃそうだろう。
「イーストシティ行きですよお客さん」
「イーストシティか。……足がつきやすいな」
ロイの台詞に車掌がギョッとなる。
ロイ、そりゃ犯罪者の台詞だって。
「あの………乗客名簿を作らなければならないので、お二人の名前をお願いします」
車掌さんが恐る恐る聞く。こいつら大丈夫だろうか?という顔だ。
今のオレ達はラフな部屋着という格好で、手荷物もない。旅行には見えないし、こいつら何者だという疑惑の眼差しを向けられている。
「私はロイ・マスタング。こちらの小さいのはエドワード・エルリックだ」
一言多い!
「ロイ……マスタングさん? と……エドワード・エルリックさん? ……え?」
再びギョッとなる車掌。セントラル初の列車だから、セントラルの情報には詳しいのかもしれない。有名な焔の錬金術師と鋼の錬金術師の名を知っていてもおかしくない。
ロイの顔を見て本物だと確認して、驚いている。
ロイ、顔売れてんなあ。まあ隻眼なので特徴的ではあるが。
ロイは唇の前で人指し指を立てて悪戯っぽく言った。オジサン相手に何格好つけてんのお前。
「私達は逃げている途中なので、あまり名を口にしないように」
「え、逃げてる?」
「うむ。恋の逃避行だ」
「……はあ?」
人の良さそうな車掌は、それはそれは複雑そうな顔でオレたちを見て、ペコリと頭を下げて仕事に戻った。
あの、車掌さん。恋の逃避行は逃避行でもロイの相手はオレじゃありませんよ。そこんとこ間違えちゃヤですよ。
心の中で思った事が聞こえるはずもなく。
オレ達を乗せた列車は一路東方を目指して走るのだった。
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