#15

「まだバルドは見付からないのか?」
「はい。現在捜索中であり、未だ成果はまだあがっていないとの報告です」
 ロイは不機嫌だったし、珍しくホークアイ大尉も同じだった。
 現在ロイ・マスタング少将の部屋は低気圧の厚い雲に覆われていた。ところによっては一時雷雨になるかもしれない。
 オレ以下他のメンバーは上官二人が不機嫌真っ最中なので、首を亀のように竦めてとばっちりがこないように祈っていた。
「東部の連中は何をしてるんだ一体。もう一週間だぞ。確たる成果もあげられず、何を遊んでいる!」
 ロイが机を叩いて怒鳴ると、ホークアイ大尉も「まったくです。……ですが少将。机は叩かないで下さい」と同意する。
 二人が不機嫌なのは、逃亡中の脱獄犯バルドが未だ捕えられていないからだ。
 バルドは自分を捕えた鋼の錬金術師と焔の錬金術師を酷く恨んでいて、復讐する可能性大という事で、オレ達にはずっと護衛がついている。
 ロイはデートができないという理由で、ホークアイ大尉はロイがしばらくセントラルから動けなくなったせいでスケジュール調整がメチャメチャになったいう理由で、それぞれ苛立っている。
 椅子に縛りつけられたロイはたまった書類を強制処理させられて疲労困憊の体だ。
 書類が片付いてホークアイ大尉も良かったと思うのだが、重要な視察のスケジュールを変更させられ、面倒な根回しがまたやり直しになったと二度手間に怒っている。
 縁の下の力持ちは何かと大変なのだ。
 ロイが動けないせいで仕事に支障が出るなら代わりの人間を動かせばいいのだが、ハボック以下信頼できる部下はロイの護衛とバルドの捜索に回しているのでそれもままならない。
「……面倒だ。いっそ私が囮になる。作戦を立てよう」
 ロイが元気よく主張する。
「却下です」
 ロイが短気をおこせばホークアイ大尉がすげなく止める。この辺のやりとりは絶妙だ。
「燻っているのは趣味に合わん。私にやらせろ」
「いけません」
「しかし」
「ダメです」
「ホークアイ大尉」
「少将自らが餌になる必要はございません」
「じゃあオレが囮になるよ」
 ホークアイ大尉があまりにすげないので、ロイがめげかけている。オレだっていつまでうざったい護衛つきではたまらない。家に帰れないし、アルフォンスにもなかなか会えない。
「……賛成できないわエドワード少佐。相手の動向がまったく掴めていないのよ。ある程度の目星がつかないと危険だわ」
「危険は承知だ。この程度の危険ならいつだってこなしてきたんだし、オレを信用してよ」
「その油断が恐いのよ。バルドという男は直情型の性格なのに、今だ身を潜めているという事は、念入りに下準備しているか、それとも誰かと手を組んでいるかのどちらかよ。油断は禁物よ」
「だって、全然情報が集まらないんだろ? ここいらで何か打開策のきっかけを作らなきゃ、いつまでたっても解決しないと思うけど」
「それはそうなのよね……」
 ホークアイ大尉は思案顔だ。
 危険な事はさせたくない、けれどいつまでもこの状態だと仕事に支障が出て困る、という訳だ。
「……なんでホークアイ大尉は鋼のの言う事は素直に聞くんだ」
 ロイがムッと膨れる。
「人徳だろ」
「エドワード君は可愛いですから」
 オレ達の言葉にロイは「まったく君達は……」とイジイジする。なんだかカビが生えそうだぞ。本当に湿気ったマッチになりそうだ。
「グラマン中将は有能な方なのに、どうして何も成果が出てこないんだ?」
「ちょうどグラマン中将が遠方に視察に出られた時に脱走事件が起こったものですから、初動捜査がわずかに遅れたようです」
「……そうか」
 グラマン中将というのは東方司令部の最高責任者だ。
 動きが制限されているので、オレやロイの仕事は自然とデスクワークが多くなる。書類が片付いていいのだが、出張とか捜査とかに出られなくて困っている。
 スカーに狙われていた時とは違って、相手の出方が分からない。一般人を巻き込む可能性がある以上、人の多い場所にはいけない。つまり駅とか。
 戦闘になるのはかまわないのだが、人の多い場所で銃なんか乱射されたら、いかなオレでも防ぎきれん。
 稟議書に目を通しながら、こんな高価なもんわざわざ買うより、錬金術で作った方が安上がりだ。とか思っていた。面倒だから口には出さないけど。言ったら絶対やらされて、次々と要求し続けられるだろう。経費節減だとロイを喜ばせるのは癪だし、オレにメリットはない。
「鋼のー」
「なんだよ?」
「今日の夕飯は何を食べたい?」
「何でもいい」
「何でもいいというのが一番困るのだが…」
 夕飯は毎日外食だ。そろそろ家でアルの作ったシチューが食べたい。レストランのメシも旨いのだが、こう毎日では金がかかる。ロイの行くような店はオレが普段いく所よりずっとお高いのだ。
 オレ達は互いにおごりあったりしている。ロイに借りを作りたくないからな。
「いい加減、限界のようですね。……囮作戦、そろそろ本気で考えましょうか」
 ホークアイ大尉が煮詰まったオレ達を見て、提案してくる。
「そうか、それなら早速……」
 オレとロイが喜ぶと、ホークアイが恐い顔で言った。
「ちゃんと作戦を立ててから動いて下さい。いきあたりばったりは絶対ダメです」
 ホークアイ大尉に睨まれて、オレ達は仕方なく「ハイ」と頷く。
「エドワード君。くれぐれも無茶しないでね。無茶したら……」
 チャキッとホークアイ大尉の手が銃に伸びる。
 あの、何故銃を?
「も、もちろん無茶なんかしないよ、うん。作戦は大事だもんな」
「分ってくれればいいのよ。……少将も分かりましたね?」
 圧力のある笑みを向けられて否と言える男がいるだろうか?
 知らない人間が見たら、ホークアイ大尉がここで一番偉い人だと思うよなあ。…………間違ってないけど。






 夜、夕食を終えて帰宅すると、ロイの家にアルフォンスが来ていた。
「アル」
「兄さん!」
 アルがオレに飛びついてくる。ううっ。だから腕力強くて苦しいって。鎧の時と違って装甲が当たるわけじゃないからいいけど。
「危険だから来るなって言ったのに……」
 叱ろうとすると「兄さんは危険な場所で暮らしているの?」と恐い顔になる。
 なぜオレが怒られねばならん。
「やあ、アルフォンス君。今晩は。寂しくて鋼のに会いにきたのか」
「少将今晩は。……早く兄さんをボクに返していただきたいんですけれど」
「脱獄犯が捕まるまで我慢しなさい」
「分っています。……けれど優秀なマスタング少将が捜査しても見つけられないなんて、相手はよっぽど優秀なテロリストなんでしょうね」
「いやいや。そのテロリストには君も会った事があるのだよアルフォンス君。もっともその時は鎧姿で覚えていないだろうが」
「はい。未だ記憶は戻りませんので」
 なんだこの会話。
 おいおいアルフォンス。出会い頭に喧嘩売るなよ。
 アルはロイに対抗意識があるようで、会話はいつもこんな感じだ。
 以前の『マスタング大佐ぁ』という友好的ボーイソプラノはどこに消えた?
「アル、家の方がどうだ? 何か変わった事はないか?」
「あんまりないよ。……大家のおばあちゃんがギックリ腰をわずらったくらいかな」
 アルフォンスの手を握る。
「帰れなくて寂しい思いをさせてすまない。でも我慢してくれ。オレはお前を巻き込みたくないんだ」
「兄さん。ボクは巻き込まれたいよ。ボクが強いのは知ってるのに、そんなに囲いこまないでよ。我侭言わないから、こうして会いにくるだけで我慢するから。だから笑顔を向けて。ね、兄さん」
「アルゥ……」
 日溜まりのような笑顔で抱き締められると、他はもうどうでもよくなってくる。ううっ。オレだってアルに会えなくて寂しいんだぞ。アルの作ったシチューが食べたい。
「なるべく早めに戻れるようにするから」
「早く戻ってきてね。絶対だよ」
「ああ分ってる。バルドを捕まえたらすぐに戻るから、お前も大人しくしてるんだぞ」
「うん」
 アルフォンス。やっぱり愛おしい。人目がなかったらドサマギでチューくらいするのだが。
「お前ら本当に仲いいなあ」
 ハボック中尉が感心したようにオレ達を見下ろす。
「今晩は。ハボック中尉。兄さんを守って下さってありがとうございます」
 アルはハボック中尉には友好的なんだよな。
「おう。…アルは背ぇ伸びたな。兄よりでかいんじゃないのか?」
「あはは、嫌だなあ。以前にも同じ会話しましたよ。ええ、ボク兄さんの背を追い越しました。ボクらの父さん結構高身長だから、ボクももっと伸びると思いますよ」
「の、割にエドの背は伸びねえな」
「兄さんはそこだけ母さん似なんです。可愛いでしょ」
「ははは。全くそうだな」
「兄さんあんまり大きくならないから、抱き締めると腕にすっぽり入って丁度良いんです。それがまた可愛くて」
「エドは綺麗系だけど、性格は可愛い系だもんな。優しい兄ちゃんで羨ましいぜ」
「はい。ボクにとっては最上の兄です。兄さんが減るのであんまり見ないで下さい」
「あははは。アルは本当にエドが好きだなあ」
「当然です。頭のてっぺんから足の爪先まで愛してます」
「お、情熱的だねえ。ヒューヒュー」
「その調子で少将と兄さんの邪魔をして下さいね」
 ハボックがオレとロイを指差す。
「別にこの二人は清らかな関係だぜ?」
「今はそうでも、マスタング少将がいきなり開眼して兄さんの天使のような清らかさに気付いちゃうかもしれないじゃないですか。ボク心配なんです」
「うわ、アルの視点て本当にピュアだなあ。鎧ん時はもっと男の子してたのに」
「覚えてない時の事はどうでもいいです。それよりボクは兄さんに会えなくて、とっても兄さん不足です」
「だから会いにきちゃいました、ってか? エドもアルに会いたくて仕方ないって言ってたんだぜ。可愛い兄弟愛だな」
「いやあ、それほどでも」
 なんだこの会話?
「誰が可愛い豆粒だ!」
 ほのぼのした会話に耐えられなくて怒鳴る。小さいと言われた事より、アルフォンスの、兄さんは可愛くて天使のようですみたいな発言が痒くて居たたまれない。
 ほら、ロイとか周りの皆さんが笑ってるから、そういう発言を外でするのは止めましょうね。
 兄ちゃんキレちゃうよ。
「アルフォンス君は記憶がなくなってから、ブラコン度がパワーアップしたな。まるで生まれたてのヒヨコが親を追い掛けるようだ」
「そんな可愛いもんじゃないって知ってるだろロイ。あれは独占欲だ。自分は散々嫌味言われてるくせに」
「まあな。アルフォンス君は私が嫌いだから」
 ロイが苦笑しながら言う。
「記憶が戻れば元に戻るさ。今のアルは視界が狭くなってるだけだ」
「可愛い嫉妬心か。……嬉しいか鋼の?」
「ノーコメント」
 嬉しいに決まっている。
 今アルの独占欲はオレに向いているが、そのうちそれもなくなる。アルが安定したらオレ達は普通の兄弟に戻るだろう。寂しい事だけれど仕方がない。
「悪いなロイ。アルの態度が悪くって」
 と言ったらロイがプッと吹き出した。
「なんだよ?」
「き、君にそんな事を言われるとはね。ぶはははは。だって五年前の君は人をクソ大佐よばわりしてたじゃないか。壊れたチャッカマンだの散々言っていた君が、今さらそんな事を言うなんておかしくて……」
 ロイは腹を押さえてゲラゲラ笑い出した。
「人が折角殊勝な気持ちで謝ったのに!」
 憤慨してもロイのバカ笑いは止まらない。
「……なんで少将、笑ってるんスか? 何か楽しい事ありました?」
「い、いや、ハボック。ぶぶぶっ。……は、鋼のが………突然……なあ…」
 ロイが酸欠になりながらも必死に説明しようとするので、オレはごく自然な動作でロイの尻を蹴っとばした。
 下士官達が目を剥いてたけど、今君達が見たのは幻覚だから忘れなさい。






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