#09

「オレはなあ、エド。彼女に『私と仕事どっちを選ぶの?』って言われて、答えらんなかった」
「そりゃ……答えられねえ問いだな。嘘でもいいからお前だって言わなかったのか?」
「嘘はダメだ。本気の付き合いなんだから」
「そういうものか?」
「もし仕事で彼女と離れなきゃならなくなって……彼女に軍を辞めてくれと泣かれても、オレは軍人を辞めらんねえ。これは一生の仕事だと思っている」
 静かな、だが揺るがない声。
「あの人の夢に乗っかってこの国を良くするって決めたんだ。マスタング少将が大総統になって戦争を無くすという夢は、ずっと続いている」
 ああ。可哀想なハボック中尉の彼女。
 男が男に惚れちまったら女の居場所はない。ヒューズ中佐のように見守る位置にいないかぎり無理だ。
 ハボックは自らロイの手足でいようとを決めてしまった。
「ハボック中尉のそういう所を受け止められる女なんて滅多にいないと思うぞ」
 女が自分を一番に見ない男を選ぶわけがない。誰だって幸せになりたくて誰かと付き合うのだ。
 ハボック中尉は普通に恋をして普通に付き合いを深めたら、ロイという障害が出てくるのか。ロイが意図的に邪魔しなくても、自然にロイが邪魔になる図式か。
 自ら蟻地獄作ってどうするハボック中尉。
「ハボック中尉。……だったら一生独身でいたら? 遊ぶのはいいけど、本気になったら辛くなるだけだぜ。相手にも悪い」
「エドぉ。そんな事言うなよ。オレは普通の可愛い子ちゃんと幸せな家庭を築くって決めてるんだから」
 ハボックが情けない声を出してオレの肩に縋る。重い。
「当分ムリだと思うぜ。その調子じゃあ」
「ンな事言うなよ。オレ結構マジなんだから」
「マジならもっと真面目に女と付き合えよ。別れるって言われてあっさり承諾すんなよ。土下座してでも引き止めろよ」
「だってなあ。嫌われてんのに引き止められないっしょ」
「バカじゃねえか。嫌いな男に、仕事か私かなんて聞く女はいねえよ。何聞いてんだよ。バカバカ。そんなんだから振られるんだよ。女が可哀想だ。こんなバカな男に引っ掛かって」
 怒るとハボックが驚きの表情。
「……えっと。もしかしてオレ、怒られてる?」
「怒ってるさ。ハボック中尉が不誠実でバカだから。不安になった女に後押ししてどうすんだ」
「後押し……したか?」
「ハボック中尉の失恋だけど、今回ばかりは自業自得じゃね?」
 なんか女の気持ち、分ってきたぞ。
「そんな事は……ないと、思いたい」
「そうだよ。さほど執着してくれない男だと分って、彼女は悲しかったと思うぞ。誰だって自分と同じ温度で付き合って欲しい。そんな冷めた態度取られたら愛されてないと勘違いするぜ」
 ハボックの口からタバコが落ちる。こら、ちゃんと吸い殻拾え。
「なんか大将と話してると目からウロコが落ちるなあ。なんでそんなにオレの見えないとこ簡単に見えるんだ? エドみたいに気付けたらオレは失恋しなかったのか?」
 オレは足元の小石を蹴っとばした。
「さあね。……当事者じゃないから見える事もあると思うぜ。所詮他人事だからな」
 ハボックが情けない顔になる。
「彼女に謝りに言ったらまたヨリ戻せるかな」
「やめとけ。彼女は分かっちゃったから無理だろ」
「分ったって何が?」
 オレは右手と左手を合わせる。機械鎧と生身の腕。
 これがハボック中尉と恋人だった女の温度差。熱が違いすぎる。
「自分と相手の気持ちの温度差を。ハボック中尉は彼女との時間よりロイの命令に重きを置く。それは軍人としては正しい事だけれど、一人の男としてはどうだろうな。どちらが正しいなんてオレには言えないけど、彼女とのヨリが戻らない事だけは分かる。心を入れ替えなければ無理だ」
 恋愛ってままならないよな。
 ハボック中尉は偉いよ。ちゃんと好きな人に好きって言えるんだから。オレは無理だ。告白して拒絶されたらと思うと、何も言えなくなる。恐い。
「……ハボック中尉もいつか自分を理解してくれる人と出会えるだろうね。………本気になった相手がいたらオレも協力すっから」
「マジで? そんときや頼むぜ。少将に邪魔されねえよに、大将が防波堤になってくれ」
「ハボック中尉がマジだったらな。中途半端な感情じゃ協力してやんねえよ」
 ロイに辛い思いさせんのは本意じゃない。
 だけどハボック中尉ならヒューズ中佐みたいな家庭を築けるだろう。それはとても幸せな事だ。
 逆にハボックがロイにそういう感情を持つ事はありえない。
「ううっ。少将も女とばっか遊んでないで、いいかげん身を固めればいいのに。見合いの相手も自由恋愛も引く手数多なんだから、そろそろそん中からいいの選べよな。多くの独身男性がそう思ってるぞ」
 オレは思ってないけど。ロイの妻になる女が気の毒だ。
「引く手数多だからまだ色々遊べると思ってんだろ。結婚しちゃったらもう遊べないし。独身なら何人ハシゴしても怒られねえからな」
「オレ達独身男性は怒っとるわ」
 ハボックが吠える。
 オレは独身だが怒ってないぞ。
「ロイだって未婚者なんだからどう遊ぼうと勝手だろ。逆に本命になれる相手が欲しくて手当たり次第試してるって言ったら、どうする?」
「本命? 少将に?」
「ロイはいっぱい遊んでるけど、それって誰にも本気になれないからだろ。そろそろ結婚したいけど、結婚するほど好きな相手がいない。結婚するって事は自分のテリトリーに入れて弱味を見せるって事だ。そんな事ができる相手にめぐり会いたいと思って、次々相手を変えてるとしたら。もしそうなら女遊びもあんまり非難できないだろ」
「本当にそうなのか?」
 ハボックがビックリした顔でタバコを口から落とす。
 マジにとんなよ。例えだよ、例え話。
「……そういう可能性だってあるだろ。ロイだってそろそろいい年だし、ヒューズ中佐を亡くして本音を漏らせる相手もいない。隣に誰か置きたいと思っても不思議じゃない」
「……大将には少将がそんな風に見えるのか?」
「ハボック中尉には見えない? ロイはバリバリ仕事してるけど、手が空いた時とか、プライベートでふっと気を抜いた時に何かが足りないって顔してる。何か大事なものを落としてきてしまったというような顔。声を掛けるのが憚られるような。……オレはまだガキだけど、ロイが寂しいのは分かるぞ」
「少将が寂しい?」
 ハボック中尉は信じられないという顔だが、オレにはなんとなくロイの寂しさが見える。ロイはまだヒューズ中佐が人生の中から欠けた穴を埋められないのだ。
 ヒューズ中佐はロイにとって無くせないロイを構成するパーツの一つだった。それが欠けてしまってロイは戸惑っている。
 おまけにようやっと本命ができたと思ったら男で部下。望みは薄いどころか、ほとんどない。ハボックを亜諦めない限り、ロイは新しい恋もできない。
 沢山のものに恵まれているロイだが、100%満ち足りているわけではない。
 オレにはアルがいるが、ロイの隣には誰もいない。ホークアイ大尉はいるが、ヒューズ中佐の位置には置けない。それだけヒューズ中佐の抜けた穴は大きい。
「ハボック中尉だって分かるだろ。いくら沢山の女といても、満ち足りるのとは違う。ハートがなければ何も心には残らない。ハボック中尉はロイを羨ましがるけど、オレはちっとも羨ましいとは思わない。一時期楽しくても、心に残らないものはただの絵と同じだ。紙に書いた食い物みたいに」
「大将は大人だなあ」
 しみじみ言われて恥ずかしくなる。喋りすぎた。
「本当はハボック中尉だって分ってるんだろ。オレよりハボック中尉の方がロイと付き合い長いんだから」
「んな事ないぜ。付き合い長くても、オレは少将の中身までは見えなかった。同じ錬金術師のエドの方が見えてる物が多いと思うぜ。オレは少将があの胡散臭い笑顔の下で何を考えているかなんて、ちっとも分からない」
「オレだって全部分かってるわけじゃない。だけど、オレとロイは似てる所があるし、なんとなくな……」
 ポンポンと頭を軽く叩かれる。
 オレは犬じゃねえっての。……いや軍の狗だけどさ。
「エドは成長したなあ。いつのまにこんなに大人になったんだ? ガキだガキだと思ってたのに、月日が経つのは早い」
「だから、人を子供扱いすんのは止めろってぇの」
「いや、本当に大人になったと思って。昔のお前なら、マスタング少将と似てるなんて自分から認める事なんてなかったぞ。からかいがいがなくてつまらないが、弟の成長を見てるみたいで頼もしい」
 笑いながら肩を抱かれる。
 オレがロイだったらきっと嬉しいんだろうな。オレはただ重いだけだが。
「オレだっていつまでガキじゃいられねえ。モラトリアム気取るのも十代までだよ」
 モラトリアムならミュンヘンで散々やってきた。あん時は暗かった。周りを気にする余裕がなかった。
 ハイデリヒには本当に悪い事した。異世界に帰りたいとか、お前は弟そっくりだとかそんな事ばっかり言ってた気がする。同居人がそんな風では楽しくなかっただろう。オレはあまりに未熟でアイツを気遣ってやれなかった。……病気だったのに。
「早く大人になりたかったからな。オレのせいでこれ以上誰かが傷つくのが嫌なんだ。ガキってだけで甘やかされるのはもう沢山だ」
「しょうがねえだろ。ガキは甘えるのが特権だし、オレ達は大人なんだから」
 甘やかしが子供の為になるとは限らない。オレは周りの大人達に大事にしてもらったが、オレがオレでいられたのはオレを甘やかさなかった男がいたからだ。
「ロイはオレをぶん殴って責めたがな」
 苦笑する。思い出すと苦笑いしか出てこない。
「マスタング少将が? エドを殴った? いつ?」
 ハボックが目を丸くする。
「オレが手足無くして弟を鎧の身体にしちまって廃人同然だった時」
「……マジ?」
「マジ」
「なんでそんな……」
 ロイ・マスタングの怒りは本物だった。だからオレの深く沈んだ心にも届いた。
「出合い頭にそれだぜ。オレは罪を犯した。だからロイはオレを罵倒した。ガキだからって許さなかった。……だからオレはロイの下で働いている」
 あの男はただ甘いだけではない。間違った事を間違った事だと指摘して責めた。それは一人の責任ある人間と認めているからだ。
「ロイってムカつく奴だけど、まあ一人の人間として認めてもいいかなって。あいつのお陰で色々助かった事もあったし。……本人目の前にしては死んでも言いたかないがな」
「エドと少将ってやっぱなんか違うよなあ」
 ハボックの感心したような声。
「どの辺が? 何が違うって?」
「オレ達はくだらない噂なんか信じちゃいないけど、今みたいな話聞くと、少将とエドがデキてても全然不思議じゃないような気になってくるぜ」
 あははは。今ここでそういう事言うかキサマ。
 オレは笑顔でハボック中尉の足を蹴った。もちろん左足でだ。思い知れっ。
 ハボックの向こう脛に爪先が入る。
「…ってええええっ。大将、左足は反則だっつうの!」
 ハボックが足を押さえて飛び上がった。
「上官侮辱罪で訴えられなかっただけマシと思えっ。二度とそんな気色悪い噂話をオレに聞かせんなっ!」
「うううっ……。だってよう……」
 向こう脛を蹴られたハボック中尉は涙目だ。オレで良かったな。もしロイに言ってたら、ハボック中尉は今ごろ消し炭だ。
「ふざけた事言いやがって。んな穢らわしい噂、まともに受け止めてんじゃねえよ。マジありえねえっ」



10→

NOVEL TOP