#08
翌日の月曜日に軍まで歩いていく途中の道端で「大将」と声を掛けられた。
振り向いてニヤリと笑う。
「大将じゃなくて少佐だろ。…おはよ、ハボック中尉」
「いいじゃんか、まだ仕事前なんだし。おはよう大将。今日は調子はどうだ?」
「ぼちぼち。大丈夫」
天気はあいにく曇りで、午後からは雨になりそうだ。雨が降ると機械鎧の結合部が痛む事をハボック中尉は知っている。
口からタバコが滅多に消えないハボックの横顔を見る。ハボック中尉がオレを見下ろす。昔より身長差はなくなったと思いたい。
「なんだ大将?」
「いやあ、変わらないと思って」
「何が?」
「出会ってもう八年も経つのに、顔、変わらないと思って」
「そりゃあ十代の八年と二十代の八年じゃ全然違うさ。エドはかなり変わった。子供から大人の顔付きになった」
「そりゃあそうさ。オレももう二十歳だ」
「昔はチビだの豆だの言われるたびに切れてたのにな。懐かしい」
「昔は機械鎧のせいで背が伸びなかったんだよ。人の身体的特徴をあげつらうんじゃねえよ。おとなげねえ」
元々背が高い方じゃなかったが、重たい機械鎧のせいで身体の成長が著しく遅れていた。今でも身長は高い方ではないが、チビと言われる事もない。
オレが正式に軍人になってハボックの上官になっても、お互いの立ち位置はあまり変わらない。
「エドは三年見ない間に背が伸びてんだものな。……なあ、本当に三年間、何処に行ってたんだよ」
「……覚えてない」
「オレ達にも内緒だなんて冷たいぞ」
「だから本当に覚えてないんだって」
「言いたくない事を無理に聞き出す事はできねえけどさ。ちょっとくらい教えてくれてもいいのに。マジで心配してたんだぞ。……オレもそうだが、大佐…じゃなくて少将もだ。あの人、お前がいなくなってからすっかり萎れちまって世捨て人みたいになってたんだぞ。マスタング将軍の復活とエドの帰宅が重なったからお前は知らねえだろうが。錬金術が使えなくて湿気ったマッチみたいになってた少将、エドにも見せてやりたかったぜ」
「ぶっ……湿気ったマッチ」
ツボにハマってゲラゲラ笑う。雨の日は無能に並ぶ名言だぜ。
「笑いごとじゃねえって。エドが消えた後は大変だったんだぞ。大総統がいなくなって軍は混乱してんのにマスタング大佐はひとり黄昏れて世捨て人になるし、エドは生死不明だし、アルは記憶がなくてオレ達の事もなんにも覚えてねえし。あの時何があったのか、少将もエドも喋んねえから、オレ達は未だ何も知らないままだ」
ハボック中尉の声がわりとマジなので、オレは笑いを引っ込める。
オレが行方不明になっていた件だが、オレは記憶喪失という事になっている。まさかバカ正直に異世界にいましたとは告白できない。
あちらの世界の事は絶対に知られてはならない。
この世界の他に人間が生きる世界があるなど、知られてしまえばエッカルトがそうしたように、戦争をしかけたり利用しようとしたりする者が出てくるだろう。
ホムンクルスを使って国を掌握していた者がいたくらいだ。異世界征服を企む者が出てこないとは限らない。
その為にオレ達がまた利用されてはたまらないし、だからロイとアルと相談した結果、オレは知らぬ存ぜぬを通す事にした。
二年前の謎のセントラル襲撃事件が、オレの帰還がきっかけだったなんてバレた日には、オレは一生セントラルの地を踏めなくなる。
オレの話を聞いたロイは深い溜息を吐いた。
「人体錬成や賢者の石、ホムンクルスの存在だって夢物語なのに、この上異世界だと? 君は本当にビックリ人間だな。君の正体がこの世を滅ぼしにきた大天使だって言われても、今なら驚かないぞ」とか言われてしまったし。
ロイはいくぶん羨ましそうだった。未知なる世界に研究心が疼くのは錬金術師の性だ。
ううむ。あらためて言われてみると、オレの人生ってピーターパンなみにありえない事の連続だな。マジでネバーランド行ってきましたって感じ。
どうしてかな。オレはちっとばかし優秀な錬金術師なだけなのに。
「アルが三年間の記憶が消えてしまったように、オレも消えていた間の記憶がない。……という事にしといてくれ。突っ込まれると色々痛い」
苦笑いするしかない。錬金術師でもないハボックには扉の事は理解できない。
「大将はいつでも秘密主義だな。以前、大総統がホムンクルスだって知った時もオレ達の前から逃げ出したし」
「あの時は大変申し訳ない……」
小さくなるしかない。オレ達は大佐達を信じず兄弟二人だけでホムンクルス達に対抗しようとした。結局沢山の人に助けてもらったけど。
「悪いと思ってるなら、もう隠し事すんなよ。寂しいじゃねえか。仲間なのに」
ニヤリと笑われて乱暴に頭を撫でられる。
だからいつまでガキ扱いすんなっつうの。オレはハボック中尉の上官なんだから見咎められたら困るんだよ。セントラルには上下関係にうるさい人間もいるんだから。
「オレもうガキじゃねえんだけど」
「いいじゃんか。オレより年下だって事には変わりねえよ」
「中尉…」
ハボックの大らかさ優しさに和むが、こういう所にロイが惹き付けられたのだと思うと、複雑な気分になる。
ロイが女だったら何の問題もないと思うが、男のロイではどう逆立ちしても恋愛成就の望みはない。巨乳とか美人とかいう前に性別ではじかれる。
ずっと主従関係を続けるには、ロイは異性愛好者のいけすかない上司でいなければならないのだ。
「ハボック中尉。……もう大丈夫なの?」
「なにが?」
「失恋パーティーはもういらないか? それとも今晩も飲みにいく?」
ウッ…とハボックが胸を押さえる。
「大将。折角気分を仕事モードにして忘れてたっていうのに。思い出させんなよ」
叱られた犬みたいにしょぼんとなるハボック中尉に、しまったと思う。そうだよな。失恋してまだ数日なのに傷が癒えるわけない。丸まった背中に哀愁が見える。うっかり地雷を踏んでしまった。
「こ、今夜はオレが奢るよ。何が食べたい? 高いとこでもいいぞ。ロイほどじゃないけど結構給料貰ってるし、好きなもの言ってくれ。遠慮すんなって」
「嫌味か……」
ハボックがさらに暗くなる。
階級社会ではクラスがそのまま給料に反映される。若造で経験も乏しいオレだが、少佐という地位が生活を約束している。つまりハボックより高給取りなのだ。
ウィンリィへの借金も機械鎧の代金を軍が多くを負担してくれるので助かっている。
まあそうでなければ多くの軍人が機械鎧をつける事はできない。何百万センズもするものだし。
オレの扶養家族は一人だけだし、生活は楽なものだ。
でもそれは中尉からすれば腹立たしい事だろうな。
「あのさあ中尉。……マジな話だけど。……失恋て辛い?」
恐る恐る聞くと。
「あのなあ。……いくらガキとはいえ、恋の一つや二つ経験あるだろ。フラれるのが辛くない男はいない」
ハボックが盛大にしょげた顔をしたので、オレは首を傾げた。
「だって…」
もしオレがアルに失恋したとしたら?
嗚呼。マジ死にたくなる。ハボック中尉のように失恋したと大声で叫ぶ事なんかできない。辛くて辛くて、きっと一人で涙を流すだろう。
「オレは失恋したらハボック中尉みたいに嘆かないだろうと思って」
「随分ドライな意見だな」
「そうじゃなくて。……とてもじゃないけど、失恋なんかしたら言葉になんかできない。口に出すのも嫌だ」
「エド?」
「そうやって分りやすい形で失恋をアピールできるって事は、その程度の好意しかなかったって事じゃないのか? ハボック中尉は本当に彼女の事が好きだったの?」
怒られるのを承知で聞いた。失恋したばかりの人間に酷い台詞だ。
だがハボック中尉は怒らなかった。
オレの顔を見て、何か言いたげな顔になる。
「エドは誰か好きな相手がいるのか?」
「……いないよ、そんな人」
「本当か? 好きな人がいるんじゃないのか?」
「……いないったら」
恋をするなら母さんみたいな人と決めていた。ウィンリィに淡い恋心を抱いていた時もある。
だが真剣な恋は一度きりだ。そしてそれはまだ続いている。
こんなに好きなのに口に出す事も許されないなんて、オレは前世で何か悪い事をしたのだろうか。
「エドはそんな事言うけどさ。……あの子を好きだった気持ちは嘘じゃないんだぜ」
ハボック中尉がしみじみと言う。
「笑った顔は可愛かったし、抱き締めるとすげえドキドキしたし、マジ一生側にいてもいいかなって思ってた」
無防備な張り付けの笑顔でない顔に、ああハボックはその人の事が本当に好きだったんだなと分かる。
なら何故追い掛けなかったのだろう。彼女だって本当は追い掛けて欲しかったと思う。ハボックの気持ちを試したのではないのだろうか? なぜハボックはあっさり引いたのだろう。
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