#07
背もオレを追い越してぐんぐんと伸びたし、兄としてこれ以上を求めるのは贅沢だと分っているのに、オレはアルフォンスに今よりもっと幸せになって欲しい。苦労した三年分、アルは幸福にならなきゃいけない。
アルフォンスがオレに固執するのは家族を失うのが恐いからだろう。
気がついたら三年経っていて、兄は生死不明の行方不明だったのだから、その時のアルフォンスの心境は如何にだ。ウィンリィが側にいたから事情は理解できただろうが、感情では納得できるわけない。
ミュンヘンに飛ばされたオレには親父もハイデリヒもいた。
オレは自業自得だと分っていたが、記憶のないアルフォンスにはあまりに現実は理不尽だった。
オレがあちらの世界から戻ってきて、やっと兄弟二人きりの暮らしに戻れるとアルは安堵した。それなのにオレはアルフォンスが止めるのも聞かずに軍に入ってしまい、セントラルに家を構えて自分勝手に暮らしている。
アルはオレと同居しながらセントラルの大学に入り、のんびりとした学生生活を送っているが、それでもまだ不満たらたらだ。
もっと一緒にいたいのにと言われてもアルを軍に入れるわけにはいかないし、オレも仕事で忙しい。
いかん、これでは家を顧みないダメ親父と同じ言い訳だ。
しかしマジで忙しいんです。全部あの阿呆上司のせいだ。
「あのなあアル。お前だって友達だのガーフルレンドだの沢山いるだろ。そういう人達ともっと青春を謳歌しろよ。折角大学入って楽しくやっているのに、どうしてオレに固執するんだ。オレはもう何処にも行かないでここにいるんだし、お前ももっと他所に目を向けなさい」
お兄ちゃんはお前が心配だよ。
実際アルがオレを見なくなって『ボクもう大人だから一人で暮らすね』なんて言った日には涙で枕がぐっしょり濡れちゃうけど。でもオレはお前の為なら我慢するって決めているんだ。
「兄さんはボクが離れた方がいいの?」
振り向いたアルの顔は凶悪だった。[危険な情事]の不倫相手のストーカー並だ。
静かな微笑みにありったけの激情を込めるんじゃありません。そんな芸当いつから身につけた。
「んなわけねえだろ。お前会いたさに必死にあっちの世界から帰ってきたんだぞ。一緒にいたいに決まってる」
「じゃあなんでそんな事言うんだよ」
「オレがお前を好きすぎるからだ」
「……好きならいいんじゃないの? ボクも兄さんが好きだよ」
キョトンとアルがオレを見る。
好き、の台詞に途端に機嫌が直った。
「兄弟は一生一緒にいられないだろ。アルにはアルの人生がある。オレに関わる事で色々な事が遠回りになりそうで恐い。オレはお前の邪魔をしたくないのに」
「邪魔なわけないだろ。ボクはやりたくない事をした事はないよ。全部自分で選んで生きてきた。母さんを生き返らせようとしたのだって、ボクが選んだ事だ。その結果に起きた事だってボクの責任だよ。どうして兄さんは全部自分のせいだって思うんだよ。人一倍自信家のくせに人一倍ネガティブなんだから」
困った兄だ、やれやれと、溜息吐かないで欲しいんだけど。兄さん傷つくよ。
「余計な事言ってないで、兄さん卵はいくつ食べる? 一つ、二つ?」
「……二個。……オレは真面目な話をしているんだけどアルフォンス」
「ボクも真面目だよ。ボクは兄さんと離れて暮らすつもりはない。もし兄さんが転勤になってもついてくから、いつでも言って」
「おい、大学はどうすんだ?」
「休学か、もしくは辞めるよ。もともと大学に入ったのだって兄さんがそう望んだからだ。ボクは兄さんと一緒にいられればそれでいいんだ」
オレの言う事なんて聞く耳持たないアルは、雨が降ってきたから洗濯物をとりこみましょうというような当たり前の口調だ。自分の言葉が世界の常識だと信じる当然さに、オレは反論の言葉を失う。
「お前、全然大学生活に未練はないのか? 毎日それなりに楽しくやっているように見えてたんだけど」
「楽しいよ。けど兄さんと比べられるものなんかない。というか、考えてみてよ。ボクが大学の一般教養を受けて何を得られるっていうの? 有益な学問を学びたいのならどこかの研究室に入るしかないけど、一年生のボクはまだ研究生にはなれないんだよ」
「うっ……」
アルの頭脳はオレと並ぶ。十二歳で国家錬金術師に合格できる頭脳があるって事だ。一般の講議を聞いたって学べる事は殆どないだろう。
「アルはやりたい事ないのか?」
「兄さんと一緒にいたい」
笑顔で即答すんな。オレの質問の意味が分っているくせに。
「もう一緒に暮らしてるだろ」
「もっとだよ。全然足りない。ボクは一日中兄さんの側にいたい。昔みたいに朝から晩まで一緒がいい。一緒にご飯食べて一緒にお風呂入って一緒に寝たい。兄さんの温もりが感じられない距離は嫌だ」
一緒の大バーゲンだな。
そりゃあ昔はそうしてたけどさ。十歳の時と二十歳じゃ違うんだって。お前だって分ってるだろ。もう十九歳なんだから。
「分っているけど。会えなかった三年間の分を取り戻したいんだ」
それを言われると辛い。オレが異世界にいた時間、アルはオレの生死も分からず不安の中にいた。アルがオレに執着するのも分かるのだ。
だがオレも辛いんだって。
だってオレはお前が大好きで、誰にも渡したくなくて抱き締めて何処にもやりたくないのだ。
だけどそんなの間違っている。アルにはアルの人生がある。オレが縛りつけてはいけない。アルは望めばいくらでも幸せな人生を歩めるのだ。
お前の兄ちゃんはヘンタイで、弟のお前に恋しちゃってどうしていいか分からないんです。
人体錬成だけではなく近親相姦の罪まで抱えちゃうなんて、オレってどこまで罪深いんだろう。
恋心は心の片隅に深く埋めて表に出さないから、許してくれよな。兄はお前の幸せの為ならなんでもしてやるから。
料理をしながらアルが言う。
「そうだ兄さん。新しいパンツ買っといたから、古いのは処分するね。今履いてるのもゴムが伸びてきたでしょ。もう捨てるから洗面所に置いといて」
どうしてお前がオレのパンツのゴムの状態まで知ってんだ。お前はオレの奥さんか? 所帯じみた台詞が悲しいぜ。
「何言ってんの。兄さんの身の回りの世話をしてるのはボクだよ。そうだ。洗濯物全部出しといてね。天気良いし、洗っちゃうね」
「そんな事しなくていい。自分でやる」
「いいよ。一人分も二人分も変わらないから。兄さん忙しいんだからやっとくよ」
「いやだから……」
「返事はハイだよ」
「…………ハイ」
最近立場がありません。
二人で旅をしていた時は洗濯とかは全部自分でやっていた。あの時は自分の事だけやっていれば良かったし、旅続きで最低限持ち歩ける物しか持たなかった。
仕事をしている現在、洗濯とか掃除とか、週一でやれればいい方だ。だから自然と時間のある学生のアルフォンスの分担になってしまう。
やらなくていいと言ってもアルはやる。良い弟だと自慢に思えばいいのだろうが、パンツの洗濯までやらせるのはどうかと躊躇う。
アルフォンス。兄のパンツを楽しそうに洗うのはどうかと思うぞ。外に知られたらドン引きだ。
というか、鋼の錬金術師は弟にパンツを洗わせていると噂されたらどうしてくれる。恥ずかしいじゃねえか。
「大丈夫。もし兄さんが老人ボケになってもちゃんとシモの世話をしてあげるから。安心してね」
今の笑う所だよな。
|