#06

「……そうじゃない。オレが軍人になったのは成り行きだ。ただ、オレには他にやりたい事がないし、世話になった人間に借りを返すのもいいだろうと思ってる」
「そう……」
 ヒューズ中佐。アンタが生きてたらロイの愚痴の聞き役はアンタだったろうに。
 オレ達に関わったばかりにヒューズ中佐は死んだ。詫びても謝りきれない。謝っても過去は戻らないから、頭を垂れる前に顔を上げて前に進まなければならない。
「ヒューズ中佐か。…生きてりゃロイと同じ三十四歳だ。……思い出すなあ。お節介で強引で惚気が酷くて。一番長生きしそうだった人なのに。……なんでいい人間ばかり早く死ぬんだろうな」
 ヒューズ中佐。ハイデリヒ。母さん。
 優しい人ばかりが早く死ぬ。世の中間違っている。
 オレ達に関わったばかりにヒューズ中佐は殺された。周りはそうじゃないと言ってくれるが、責任がないわけない。
 軍人になった事を知ったら、ヒューズ中佐はどう思うだろう。怒るか、それとも呆れるか。ロイに力を貸して国を良くすればちゃんと生きてる事になるだろうか。
「ボクの記憶、戻らないかな。三年間の記憶には沢山の思い出が詰まってるのに、ボクは何も思い出せない」
 アルが寂しげに言う。人体錬成後三年の記憶の回復をアルは求めている。オレもアルに記憶を取り戻して欲しい。
「まあな。……アルはヒューズ中佐の事もロイの事も大好きだったんだぜ」
「ボクがマスタング将軍を? 嘘でしょ?」
 ありえないよとすげなく言うアル。
 毎回繰り返しているのにアルはオレの言う事を信じない。
 ロイ・マスタングという人間は近付いてみないとそのひととなりが分りにくい。ロイの弱さ強さを三年掛けて知ったオレと忘れてしまったアルとでは、認識が食い違うのは仕方がない。……とはいえやっぱり記憶を共有できないのは寂しい。
「記憶が戻ればいいのにな。オレ達が過ごした三年間は辛い事も多かったが楽しい事もあった。アルは軍部の皆と話をするのが好きで…」
「過去のボクの事を言われても分からない」
 自分の記憶が欠けているアルは、繰り返し語られる過去の話にすっかり嫌気がさしている。皆が思い出す事を希望し、アルもまたそれを求めているのに適わない。
 思い出したくても思い出せない苛立ちが、反発心となって拒絶するのだ。
 肉体を無くして鎧の姿をしていたと言われても、覚えていないアルはただ困るだけだ。
 アルの気持ちも分かるが、言わずにはいられない。オレ達は過去の過ちを忘れてはいけない。罪を忘れる事もまた最大の罪だ。
 しかしそれをアルフォンスに言うのも酷だ。アルは肉体を無くすという最大の罰を受けて償ったのだ。
「ボク悔しい」
 ボツリとアルが言う。
「何が?」
「ボクがまだ十六歳だから、兄さんはボクを頼ってくれないんでしょ。兄さんがマスタング将軍を頼るのは、ボクが頼りにならないからだ」
「それは違う。オレはロイを頼ってなんかいないし、お前が頼りにならないなんて思ってない」
「じゃあなんで兄さんはボクと距離を置こうとするの。兄さんとの距離が遠く感じる。なんかボク達の間に壁があるみたいだ。それがすごくもどかしい」
 それは兄ちゃんがお前に持ってはならない感情を芽生えさせてしまったから、わざと距離を置こうとしているんだよ。とは言えないのでそんな事はないと繰り返すしかない。
 再会した二年前、オレは十八歳になっていたのに、アルの精神は十四歳だった。戸籍上では十七歳。
 今、アルフォンスは十九歳で大学に通っている。精神年齢が十七歳でもその頭脳は他より突出しているから、幼さは問題にならない。アルが甘えるのはオレにだけだ。ちゃんと十九歳に見える。
「折角兄さんと再会できてまた一緒に暮らす事ができたのに。……兄さんは仕事が忙しいってあんまり側にいてくれないし、休日もこうして昼帰りして一緒にいる時間が短い。これじゃあ一緒に暮らしている意味ないよ」
 アルが不満たらたらに訴える。
 アルの言う事は正しい。だから耳に痛い。
「んな事言われたって……」
「やっぱりボクも軍に入ろうかな」
「それはダメだっ!」
「兄さんっ」
 話が嫌な方向に流れてしまった。
 アルがこう言うから、オレはアルと距離を置く事ができないのだ。離れればアルは追い掛けてくる。
「軍に入る事だけは許さない」
「だから国家錬金術師として……」
「国家錬金術師でいるメリットはもうないんだ。大学に通ってやりたい事をやれてるんだ。軍にはこれ以上関わるな」
「兄さんは関わってるじゃないか」
「オレは進んでこうしている。オレは自分のした事の責任を果たしたいんだ」
「軍にいる事が責任を果たす事になるの?」
「なる…と思う。政治家になろうがボランティアをしようが同じだが、軍には知り合いもいるし、オレ達の事情も知ってる。ここが一番居心地がいいんだ」
「兄さん…。責任ならボクがとるべきなのに……。どうして兄さんが……」
「あちらの軍隊の侵入を許してしまったのはオレだ。オレという存在がいたから、あちらの人間はこちら側を現実の場所として認識してしまった。……オレは戻るべきじゃなかったのかもしれない」
「兄さん! そんな事言わないで」
「オレ達はあんな事は望まなかった。だが起きてしまった惨劇はない事にはできない。オレはオレなりのやり方でできる事をしたいと思う」
「……なんでボクが手伝っちゃいけないんだよ」
「オレがアルを関わらせたくないからだ。鎧だったお前と今のお前を比べる人間もいるんだ。調べられたらヤバい事が沢山ある。軍には接触させたくない」
「一人で全部背負うなんて狡いよ」
「それが兄の特権だ」
 アルフォンスが唇を噛む。
 二年前。ミュンヘンから帰る為に親父が扉を開けたが、その為にあちらの軍隊を引き込む事になって、結果セントラルに多大な被害を与えた。
 デートリンデ・エッカルトの暴走により建物は破壊され、多くの死傷者が出た。
 二年経った今は街は修復され襲撃の爪痕はもうないが、死んだ人間達は生き返らない。
 オレがあの襲撃に関係していた事を知っているのは、軍ではロイとシェスカだけだ。
 知られればオレ達は断罪される。オレはエッカルトの暴走を止めたが、オレの家族が扉を開けなければエッカルト達はこちらにこられなかったのだから。責任は重い。
 被害者達の憎悪はオレ達兄弟に向くだろう。街は多く破壊され被害甚大で、謎の鎧に襲撃され死んだ人間も多い。
 オレはそんな事望まなかったが、扉を開けたのは親父とアルフォンスで、そうさせたのはオレだ。ただ家族に再会したいという願いが数多の命を奪った。
 事実が明らかになれば責められるだけでは済まない。
 別の世界がある事が他の人間に知られてしまう。それはまた次の悲劇を引き寄せるきっかけになる。
 人間の欲望には果てがないのだから。
 オレが軍に留まっているのは、何かせずにはいられなかったからだ。破壊された街と殺された人間達の死体が目に焼き付いて忘れられない。
 そんなオレをロイは責めずに側に置く。
 アルには悪いが、アルとは違った意味でロイ・マスタングはオレにとって無くせない男になっている。オレはロイの側にいる事で楽に呼吸できる。悲劇を忘れるなとロイの右目がオレを責めるからだ。
 ジロリとアルがオレを見る。
「兄さん。……本当にマスタング将軍の事、どうも思ってないよね。好きなんかじゃないよね」
「あのなあ。お前はどうして兄を同性愛者にしなければ気が済まないのかな。オレは男なんか好きじゃねえっ」
 筋肉ムチムチのマッチョや変態ジジイに迫られたらマジ殺すかもしれねえ。兄が殺人犯になっても許せよ。
「でも女の子向け小説の定番台詞の例もあるし」
「定番てなんだ? 少女小説? お前そんなの読んでるのか?」
「『オレは女が好きだけど、お前を好きになったのは男とか女とか関係ない、お前という人間を好きになったんだ』という純愛っぽい台詞。聞いた事ない?」
「ない。なんだその適当っぽい台詞は。ンなの聞いた日にはチキン肌できるぞ」
「もう、兄さんはロマンがないなあ。……マスタング将軍は女好きだけど、兄さんの魅力にやられちゃってふらふらよろめいちゃったのかもしれないじゃない。兄さん綺麗だし格好良いし可愛いし、女好きの大佐の審美眼にも充分耐えうるから。というか、どんな女より兄さんの方がずっと美人だ」
 おい待て弟よ。
 普段どんな小説読んでんだとか、ロイを無理矢理少年趣味にするなとか、可愛いってなんだ、お前兄をバカにしてんのかとかツッコミどころ満載で、逆にすぐに突っ込めねえ。
 深呼吸して冷静になろうオレ。
 最近弟の頭の中身が測り知れない。大学でよくない友人ができて感化されているのだろうか。
 弟の交友関係に口を突っ込みたくはないが、悪いお友達とは付き合ってもらっては困る。変な道に入ったらお兄ちゃん怒りますよ。
「フィクションと現実をごっちゃにすんな。ロイにも失礼だ。つか、性別の壁は高いぞ。いくらオレが魅力的でも、足の間に三本目の足がある限りロイは騙される事はねえ。ロイの手帳は女の名前でいっぱいだ。オレに惑う暇もねえし、万が一惑ってもオレが鉄拳パンチで目を覚まさせらあ」
「そうかなあ。ボクだったら数多の女性より、兄さんの方がずっといいよ」
 そんな台詞を言われて兄が喜ぶとでも思ってんのか?
 おいおいアルフォンス君。ブラコンもいい加減にしなさい。ガールフレンドに聞かれたらオレが恨まれるだろ。未来のお嫁さん候補に嫌われてしまうぞ。
「一緒に暮らしてるのがいけないのかな。アルが兄離れできないのは。……やっぱり別居した方が……」
「兄さんと離れたら寂しさのあまり、軍に志願しちゃうかもよ。そうされたくなかったら側にいてしっかり監視した方がいいよ」
 と、アルフォンスがオレを脅すんです母さん。めそめそ。
 いつからそんないい性格になったのかなアルフォンス君は。反抗期ですか。最近とっても扱いづらいんですけど。
「兄さんは本当にマスタング将軍となんでもないんだよね?」
「怒るぞアル。お前までくだらない噂を信じるのか」
 しつこいアルに本気で怒りを感じると、アルがしょぼんと肩を落とす。
「信じてないけど、兄さんとマスタングさんて何だか特別な繋がりがあるみたいなんだもん。兄さんはマスタング将軍を頼りにしてるし。兄さんを捕られちゃうみたいで寂しい。ボクの兄さんなのに」
「アル……」
 確かにオレはロイを頼りにしている。だけどそれはアルが思っているようなものじゃない。
 オレ達はお互い秘密の恋をしている、片想い同士なだけだ。……と、本当の事は言えない。
 それにしてもアルフォンス。お前も十九歳なんだから語尾に『もん』とかつけるな。可愛いじゃないか。
「兄さん、ご飯は食べたの?」
「朝は食べた。昼はまだだ」
「食べる?」
「お前が食うんなら付き合う」
「じゃあ何か作るよ。……リクエストはある?」
「なんでもいい。できれば消化のいいものにしてくれ」
「じゃあパスタでいい?」
「任せる」
「すぐに作るね」 
 機嫌を直したアルがいそいそと冷蔵庫の扉を開ける。
 冷蔵庫の中を吟味する背中を眺めながら、アルはまっすぐに成長したと感慨深く思う。
 人体錬成の後遺症は三年分の記憶の欠如だけだ。他はまったくの健康体で、錬金術にも支障はない。



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