#03
しょうがない。浮き足立った人間をまとめる人間がその時はロイしかいなかったんだから。人間窮地に陥ると適性が判る。ロイ・マスタングは根っから人の上に立つ人間だったってわけだ。
伍長から大佐への復帰って、そりゃねえよな。階級社会においてありえない移動だっつうの。
まあそういうわけで、ロイ・マスタングは軍の幹部に復活した。そして二年かけてあれよというまに少将まで階級を上げた。スピード出世。
先の戦闘で使える人間が減っちまっていたという理由もある。
政治を牛耳っている議会は、規制が弛み足並みが揃わない軍をまとめる為に優秀な人間に現場をまかせる必要があったのだ。
あちこちの思惑が重なり、その合間をかいくぐってロイは再び力をつけた。ロイ・マスタング復活だ。
……つーわけで、現在34歳の若さで将軍と呼ばれるまでになっている。調子に乗らせたら恐い人間ているよな。
そしてオレ、エドワード・エルリックも軍に入ってロイの部下なんぞをやっている。……どういう罰ゲームなんだこれ。
なんでオレが正式にロイの部下になったのか。
それはやっぱりドサマギだ。というか、その時自棄になっていたとしか思えん。あの時は色々あったからなあ…。(遠い目)
キング・ブラッドレイの死で軍部は力を無くし、国家錬金術師は高額研究費支給とか色々な特権を廃止された。つまり国家錬金術師でいる旨味はもうない。
軍の狗と呼ばれてまで国家錬金術師でいるメリットはないから、正規の軍人でない国家錬金術師達は、五年前にこぞって国家錬金術師を辞退した。
だが国家錬金術師は国家錬金術師だ。まだ一応のステイタスはある。そしてオレはプーだった。実力と知名度はあっても無職のプーだった。
だってしょうがないじゃないか。15歳から18歳までの三年間は異世界にいたんだし。それに異世界ではこっちの世界に戻る事を考えるだけの生活だったんだから。
元の世界に戻ったオレは当面の生活を考えなければならなかった。国家錬金術師の特権はもうないし、貯金も乏しかった。
いきなりリアルな話だが、生きるっていうのはリアルな現実だ。そして文明社会に必要なのは金だ。
健康だしありあまる才能はあるし知名度はあるしで、その気になれば日々を暮らしていくのは不自由しないのだが、戻ってきた事でウィンリィへの機械鎧の支払いとか色々借金を負ったりで(ウィンリィのヤツ、容赦がねえったらっ。国家錬金術師特権の潤沢な資金がなくなったと言ったら鬼になった。恐ぇ)面倒臭くなってロイに誘われるまま正式な軍人になってしまったのだ。嫌になったらいつでも辞めればいいや、とか適当な事考えてたし。
つくづくその時のオレは甘かった。大甘だ。メイプルシロップと蜂蜜を混ぜたくらい甘かった。
復活してパワーアップしたロイが折角手に入った手駒をそう易々と手離すわけないのに。それにホークアイ大尉がロイのお守役の解任を許すわけがない。
二人が結託したら最強だ。今のオレは軍の狗というより、ロイ・マスタングの狗。うわ、最悪っ。
だがそんな風に冷静になっても後のまつり。
だってしょうがないじゃないか。あの時はようやくこっちの世界に戻る事ができて浮かれてたんだよ。
オレの軍部入りにアルフォンスは当然反対した。
だがオレはアルの反対を押し切って軍に入ってしまい、怒ったアルは強引にオレの側に居着いた。
アルフォンスはオレの説得を右から左に流して、セントラルのアパートで一緒に暮らしてる。
ちなみにアルフォンスは19歳、大学二年生だ。天才のあいつが大学で学ぶ事なんて果たしてあるのかね。
人体錬成されて3年分肉体も精神も後退したアルフォンスは、実年齢でいえば16歳だ。
しかしアルは最近背丈が雨上がりの筍のようにニョッキリと伸びて、19歳と言っても殆ど違和感がない。
兄のオレがち、ち、ち、ちい…さいので(屈辱っ!)並んでもおかしくは見えない。というか、最近身長を抜かれてしまった。嗚呼、糞っ。
ロイは着実に出世し、オレも日々をそれなりに充実させ、アルフォンスも過去の悲劇を乗り越えて気楽なスクールライフを過ごし皆順風満帆の空気だが、外側に見える現実と感情は別物だ。
今が幸せだからこそ、これからの環境の変化が恐ろしい。
子供の頃、ずっとこの幸せな生活が続くと信じていた。母が突然倒れ死ぬまでは。変わらないものなどないと知っている。
アルはいずれオレから離れて、大勢いるガーフルレンドの中から生涯の伴侶を選ぶだろう。
いや、もしかしたら故郷に帰っておっかない幼馴染みと結ばれるかもしれない。ウィンリィにならアルを任せられる。
兄弟だから、いつかは離ればなれになるのは当然で。
つまりはオレはチキンちゃんなわけですよ。
アルが愛しくって仕方なくて失うのが恐いから、これ以上一緒にいるのが辛くってたまらない。
だってアルはオレのものじゃない。
ロイが自分の内面を変えて犬属性の部下に恋する前から、オレはアルフォンスを愛していた。弟としてもそれ以外としても、全部でアルが好きだった。好きすぎてアルフォンスを不幸にした。
オレの独占欲は病的で、度が過ぎた愛情はアルフォンスを縛り付け、結果アルはオレという囲いから出られなくなくなってお互い不幸になるから、さっさと距離を置いて手放せ、とはロイの発言だ。
ロイにはムカつくが、言われた事は正しい。
オレは自分の身を捧げるほどアルが好きで無くすのが恐ろしくて、だから死者の世界から引き摺り戻した。死んでもいいほどアルが好きだった。
君は奇蹟と悪夢の具現だ、人は過分な力を持つとろくな事にはならない……と、ロイは言った。
つくづく正しい。
オレという存在が不幸を引き寄せる。それは紛れも無い事実だ。
…というわけで軍に入ったのも弟と距離を測る為だ。
仕事が忙しければアルと一緒にいずにすむ言い訳になる。一緒に暮らしているから、どうしても会わずにはいられないのだが。
アルと離れて暮らして別々の生活を送るのが一番良い方法なのだが、アルフォンスはオレの提案をハッと鼻で嗤って却下した。なんだかアルは日々逞しくなっていく。兄の威厳は何処に?
弟がオレに固執するのは、二人きりしかいない家族への情だと分っていても嬉しい。アルはオレが好きだ。その事に震えがくるくらい幸せを感じる。
しかしそれでは困る。困るのはオレがちっとも弟離れできないからだ。出来損ないの兄でゴメン。
もしアルと離れて暮らす事になったら。
オレは寂しくて毎晩枕を涙で濡らすだろう。ミュンヘンにいた時みたいに。
ハイデリヒと暮らしていた時は、時々ヤツのベッドに潜り込んで無理矢理添い寝した。ハイデリヒはドン引きしてたっけ。
離れて暮らしたりしたら、我慢できなくてアルフォンスの家をこっそり窺ってしまうだろう。アイツの部屋の窓をバレないように窺って、漏れる灯に移る人影を恋しく思ったりしてドキドキしたり涙ぐんだり。
いかん、それじゃあストーカーだ。
アルフォンスも寂しがりやだし、もし一人暮らしなど始めたらさっさと誰かを引き込むかもしれない。
アルは可愛い顔をしているし人当たりもいいので、異性の友達には不自由しない。
部屋にガールフレンドが泊まっていったりしたら、オレは嫉妬と苦痛でどうにかなってしまうだろう。
だが、それがアルフォンスの幸せだというのならオレは我慢しなければならない。オレと一緒にいるより、綺麗で優しい恋人といる方が遥かにアルの為になるのだから。
いずれアルはヒューズ一家のように日溜まりのような家庭を作るだろう。平凡に勝る幸福はない。アルの幸せをオレは作れない。
……というわけでどうにかアルフォンスと距離を置いて立派なお兄ちゃんになろうとしているのだが、理性と感情は別ものでアルフォンスを引き離せず、今もずるずる同棲……もとい、同居を続けている。
ロイはオレの葛藤と愚かさを知っていて、同情しつつ呆れて忠告してくる。
大人ぶった忠告は余計なお世話だと思うが、実情を知っているのはロイだけなので愚痴を言える相手がいるのはありがたい。
弟が大好きで、できれば一生側にいたいですなんてイッちゃっている発言を変態と罵られる事もなく受け止めてくれる相手は貴重なのだ。
だからオレもロイの乙女のごとき片想いを(キモイ、ウエッ)隣で眺めながら、諦めろと時々優しく諭している。
だって気の毒なのはハボック中尉だ。うっかり女ったらしの上官に惚れられたばっかりに、失恋レコード更新中。以前は面白半分に恋路を邪魔されて、今じゃ真剣に邪魔されている。
恋愛感情抜きにしてもハボック中尉にとってロイは恋愛障害物だ。
ハボックがさっさと誰かと結婚してしまってロイを諦めさせるのが一番だが、仕事では頼りになる先輩のハボックは恋愛に関しては根性無しで、そのヘタレっぷりにまたロイは胸をキュンキュンさせている。
どうなるのかね、この二人。
まあ所詮他人の恋愛なんて他人事だけど。
「折角の休日だ。鋼のは家に帰らなくていいのかね?」
ロイが目玉焼きの黄身を突つきながら聞く。ロイはこれをパンですくって食べるのが好きだが、外では行儀が悪いのでやらない。
「…一応戻る。部屋の掃除くらいしないとアルに叱られる。休みでもやる事は結構あるよな」
アルフォンス。今ごろ怒っているだろう。怒りが沈静化しているといいのだが。
「アルフォンスと出かけたりはしないのか?」
「アルは学校の友達とでも出かけてるんじゃないか? あいつはあいつで休みを満喫してるさ」
ロイはニヤリと笑う。
「アルフォンスは君と違って社交的だからな。性格も外見もいい。友人にもガールフレンドにも不自由しないだろう」
「自慢の弟だ」
「鋼のも弟を見倣って明るい青春を過ごしたらどうだ? 10代は旅と戦いと研究で潰れてしまったのだから、これからは楽しい事だけを追求しても罰は当たらないと思うぞ。臭いようだが青春は一度しかないのだからな。大人になってしまったら色々な事情に縛られる。身軽なうちに人生を楽しんでおきなさい」
からかい半分、残り真剣な忠告に溜息で答える。
「君とは違ってというのは余計だ。オレはやりたい事を我慢しているわけじゃない。したい事はしてる」
「もっと外に目を向けろと言ってるんだ。君はバカな子供だった故に沢山のものを無くしてしまった。だがツケは支払った。無くしてしまった子供時代をやり直すのは今しかない」
「忠告はありがたく受け止めておく。でも……本当にやりたい事はないんだ」
アルフォンスの肉体を取り戻し、異世界からこの世界に戻って、なさねばならない事は全部やってしまった。
どうやらオレは目的がなければ生きられない性格らしい。
母が生きている時は錬金術の技術の進歩を、母の復活を望む時は人体錬成の技術を求め、弟の肉体を失った時は賢者の石を、異世界に飛ばされた時は元の世界に戻る事だけを考え続けた。
ようするにオレの子供時代は目的に邁進する日々だったのだ。
真剣にこうしたいと望む何かがない今、オレの精神は弛んだゴムのように弛みっぱなしだ。
人生には休む時間も必要だと思うが、オレは休み方を知らない。目的のない人生など考えた事もなかった。
なんて貧乏性なのか。たまには自堕落に過ごしてクズ人間の気分を味わうのも新鮮かと思うのに、ガス抜きの方法がイマイチ分からない。
意識が無くなる程酒に溺れたくはないし、ギャンブルのような無駄使いはしたくないし(大体違法だ)涎を垂らすような美女にも心当たりもない。
ロイほどの出世意識もないしな。
ああ、なんてつまらない人生。
ロイは呆れて言った。
「君は普通に生きられないのかい? 美味しいものを食べたり友人と旅をしたり、可愛い少女と恋をしたり。目新しいものを見つけて気分転換するのもいい。君は美しさ強さ賢さの全てがある。人から見たら羨むような人生勝ち組なのだから、もっと享楽的になれ。仕事を言い訳にして自分の人生から目を逸らすな」
まったくごもっともで。しかし。
「あのさあ。旅は延々三年間続けてしたし、異世界体験ツアー以上の目新しいものってそうは無いぜ。ホムンクルスだの賢者の石だの、人が一生掛かっても体験できないような事をやってきたんだ。これ以上何をどうしろと? 世界征服でもするか?」
お互い顔を見合わせて溜息を吐いた。
言葉にするとすげえなオレの人生。
「……そういえば君の人生はありえない事の連続だったな。……だからこそ、ありきたりの人生を過ごす事で安らぎを見出せばいい」
正論だ。けど、オレの安寧はアルフォンスと共にある事なんだよ。ああアンビバレンス。アルと離れなきゃいけないのに。
「ありきたりの人生なんて。……アルが誰かと結ばれてオレの手を離れるまでは無理だろうな。オレにとっての安らぎは家族だし……つまりアル」
「……君は弟を愛しすぎている。あまりに大きすぎる愛情は双方の為にならないと、前から言っているだろ。人間はほどほど分相応というのが一番いいのだ。平凡な生活の中にこそ幸福がある。アルフォンスと関わらない所で幸せを見出せ」
「んな事分かってらあ」
「分っているならもっと他に目を向けなさい」
ロイのお節介な発言の内容など自分が一番分っている。だがロイのようにソツなく器用に生きる事は難しい。
大体ロイだって突然落ちた恋に苦悩してるじゃないか。………女ったらしとして生きても三十路に入って男に走るとは、人間どう転ぶか分からない。いい見本だ。
一つ言っておかなければならない事があった。
「……ああそうだ。言っとくけど、オレは昨日ここに泊まったんじゃなく、周りにはちゃんと家に帰ったって事にしておいてくれ」
コーヒーを飲みかけたロイが視線を上げて、まるで浮気のアリバイ作りのようなオレの提案に微妙な顔になる。
「……そんなに気にする事はないと思うぞ」
ロイにはオレが言いたい事が分っているのだ。
オレの眉間に皺が寄る。
「気にするに決まってる。アンタんとこに泊まったなんて知れたら、また何を言われるか分かんねえじゃん」
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