#02
「…………む…ぅ? …………エリー? ……昨日は遅かったんだ、もう少し眠らせてくれ……。君ももう少し眠れ……。睡眠不足は肌の大敵……」
隣でロイがムニャムニャと寝言を漏らす。
三十四歳、性別男が肌の調子の心配してんじゃねえ。
ロイの寝言にエイッと右手を添えて突っ込みたくなるが、我慢する。前にヤツの首にビシッと突っ込んでムチ打ちになり、こっちの仕事が倍になった事がある。軟弱な首め。
オレの仕事はなんというか、ぶっちゃけコイツのフォローだ。
ロイの操縦はリザ・ホークアイ大尉が専任していたのだが(ホークアイ中尉は出世して大尉になった。ちなみにロイは今や少将だ)リザさんも仕事が増えて、正式に軍人になったオレが当たり前のようにロイの副官に抜擢されてしまった。オレとリザさんでダブル補佐というわけだ。
おかげでロイは仕事をサボれない。リザさんだけでなくオレにも鉄拳制裁されてしまうからだ。
ふふふ。オレの目の黒いうちは仕事をサボれると思うなよ。努力と忍耐が座右の銘の鋼の錬金術師を舐めるな。
毛布をひっぺがして怒鳴る。
「いい加減起きろコラ。午後から出勤すんだろ。もう十時だぞ」
「………むうぅ?………えっ……鋼の?…………ああそうか、昨日は……。…もう少し寝かせろ……う……んん……。ちゃんとぉ……起きる、から……」
「嘘こけ。そう言って起きた事ねえだろうが」
もごもご何かの呪文を唱え、寝惚けたロイはオレに背中を見せる。
ロイ・マスタングという男は寝起きが悪い。焔の錬金術師のくせに低血圧なのだ。起こしても一回で起きた試しがない。血圧を上げる錬金術でも研究すればいいのに。
今日は休日なので司令部に行かなくてもいいのだが、いくつか処理しなければならない仕事が残っているので午後から軍に行くと言っていた。
だからわざわざ起こしてやっているというのに。
無能な上官のお守は面倒だがやらねばならん。この男の副官でなければただで世話なんてやいてやらんのだが、側にいたのにロイのケツを叩かなかった事が後で判れば、オレがホークアイ大尉に叱られるのだ。鷹の目様は相変わらず最強だ。
しかしロイは寝穢い。今度言って起きなかったら、ベッドを滑り台のように傾けて床と顔面でキスさせよう。雇っているハウスキーパーがちゃんと掃除をしているか、床をチェックするいい機会だ。
オレは腹が減ったのでシャワーを借りた後、キッチンで朝食の準備にかかる。
ロイの冷蔵庫は通いの家政婦のおかげで一応人間らしい食品が揃っている。放っておかれて賞味期限がすぎた食品はそのままゴミ箱に入り、次が補充される。
ロイは自分の家の冷蔵庫の中身は常に減らないと思っている。以前そんな事を言っていた。
ンな訳ねえだろ、バカだろお前。
ロイの家なので遠慮なく冷蔵庫の中身を使う。オレンジジュースを飲みながら卵をかき混ぜ、小麦粉と混ぜてパンケーキを焼く。溶けたバターの匂いが食欲を誘う。
急ぐ事もないので普通に朝食兼昼食の準備をして、ロイを再び起こす。
全然起きる気配がなかったので、ベッドを錬金術で変形させてロイを床と包容させる。
「むぎゃっ!」
ベチャッと潰れたロイ。
あー、だらしがない格好だ。ロイの事を理想の王子様だと思い込んでいる女性陣にこの姿を見せてやりたいぜ。
ロイの前に屈んで告げる。
「おはよう。というよりこんにちはの時間だぜ、少将。メシができたから起きろ」
潰れたカエルのごときロイが首を曲げて半開きの眼でオレを見る。顔がむくんでカエルみたいな顔だ。
写真撮っていいかな。
「……私はいらん。食欲がない……。鋼の……もっと優しく起こせないのか……」
ロイが恨みがましい声と目をオレに向ける。
ムッ。わざわざ起こしてやったのに。
「無理。……食わないのならいいや。一人で食う。アンタは寝てろ」
そのまま放置する事にしよう。ホークアイ大尉に月曜日に叱られるがいい。
「ベッドがこんな状態でこれ以上眠れるか。……仕方がない。起きるか」
ロイがやっとという感じで渋々起き上がった。
昨日の酒がまだ残っているのだろう。ヨタヨタした様子は使用頻度多数のくたびれかけた雑巾のようで、とても人間兵器には見えない。日々仕事に追われ休日には家族に邪険にされるサラリーマンオヤジと同じ臭いがする。オヤジスメルかよ。
あーやだやだ。昔は格好良い所もあったかもしれないが、プライベートのコイツは見るに耐えないくたびれ加減。三十四歳にもなってもまだ独身。
ロイが結婚できなり理由は色々あるけれど、一番の理由は見栄っ張りだから。対外的にはええ格好しいの男だから、他人に気を抜いた格好悪い所が見せられない。男前ロイ・マスタング少将が家ではステテコ履いたオヤジと同レベルだとは知られたくないのだ。
バカじゃねえの。家ん中で気取ってどうするんだ。格好悪い所見せあってこその恋愛だろうが。
そういう意味ではこの男は本当の恋愛をした事がないのだ。
ブツブツ文句を言うロイをシャワーに追いやる。
つか、何でオレは好きでもない中年男の面倒を見てんだ? 一宿一飯の恩義にしては働きすぎだ。
テーブルについて食べ始めていると、ロイがオレの向いに座った。
「……朝からよくそんなに食べられるな」
げんなりしたような声と目付きで、ロイがソーセージを齧っているオレに言う。
人の食ってるもんにケチつけんな。……アンタんちの食い物だけど。
「オレはアンタと違ってまだ成長期なんだよ」
「君は縦に伸びるのはとっくに止めただろう」
「ンだとコラァッ」
喧嘩売ってんのか、買うぜこの野郎。
ロイは二日酔いの頭に怒声が響いて痛いという顔で、頭痛を堪える。
「チンピラみたいな恫喝は止めなさい。君ももう子供ではないのだから、そろそろ受け流すという事を覚えて大人の会話を嗜みたまえ」
わざとらしい呆れた声に更にムカつき度が上がる。
てめえから喧嘩売ったんじゃねえかよっ。
「大人になるっていうのは、深酒の次の日、顔がむくんでコーヒーしか飲めない状態の事? 鏡見てみろよ。背中も丸まって老け顔になって……つまり童顔がしょぼくれて水びだしになったネズミみたいな雰囲気だぞ。童顔と言われたって、実際もう若くないんだからさ。そろそろ腹の肉が弛んできたんじゃねえの? 暴飲暴食してるとそのうちブレダ中尉みたいな体型になるかもよ」
「そ、そんなわけないだろう、鋼の。私はまだ若い!」
と言いつつ自分の腹部を触るのな。
「……昨日は飲み過ぎただけだ」
ロイがむくんだ顔を擦って言う。
「そろそろ年を考えて酒量控えろよ」
「私はまだまだ若い。……もともとそんなに酒が強い方ではないだけだ」
わたしお酒弱いの、なんて言って可愛いのは女だけだっつうの。男が言うとただのヘタレにしか聞こえん。
まあオレだってそんなに酒が強い方じゃないけど。
分っているからこそ酒量はセーブしている。
というか、酒を飲み過ぎて自制心を失うのが恐い。下手な事を言ってしまったら取り返しがつかなくなる。オレには色々秘密があるからな。
ロイの気持ちも分かるから、阿呆中年の一言ですげなくする事ができない。
「分ってんならそんなに飲むなよ。……どうせハボック中尉に絡まれて飲まずにはいられなかったんだろうけどさ」
「……分っているなら聞くな」
ロイの憮然とした表情。同情する気もないが、気持ちが判らんでもない。
「けど、本当に可哀想なのはアンタじゃなくて、恋愛を邪魔されて破局したハボック中尉の方だぜ」
「……分っている」
苦虫潰したようなロイの顔。一応自分がやっている事が分っているようだ。
ハボック中尉の恋が長続きしないのはロイの妨害工作のせいだ。
……というのを知っているのはオレだけ。
そう、本当はモテないわけじゃないハボック中尉が失恋し続けてるのは、意図的に妨害する第三者の作為のせいだ。つまりロイの。
普通ありえねえだろ、部下の恋路をマジで邪魔する上司なんて。
食事の手を止めずに忠告する。
「もうそろそろ邪魔すんのも限界だろ。ハボック中尉もしばらくは失恋に沈んでいるだろうけど、そのうちまた誰かと付き合い始める。いくら邪魔してもキリねえぞ」
言いたくない台詞を言わせんなよ。
ロイは苦虫潰したような顔だ。
「……だろうな」
「いい加減横槍入れるのは止めとけ。……告白する気がねえんなら相手の幸せを考えてやれよ」
「……そんな事は分っている」
「分ってねえから言ってる」
「じゃあ君は?」
ロイがキツイ目をしてオレを睨む。
おっと、反撃か。
「鋼の。君こそアルフォンスに恋人ができたら邪魔するんじゃないのか?」
「…………しねーよ」
即答できなかった。
分っていてもグサリと胸が痛い。途端に食欲がなくなる。
オレもロイもお互いどんな刃を振るっているのか理解している。
自分の口撃は自分に返る。
だってロイもオレも同じだから。オレ達は歪んだ鏡を見るようにお互いを見ている。
認めたくはないがオレとロイは似ている。
報われない恋に雁字搦めになっているという点で。
この時点でお気付きかと思うが、ロイ・マスタングという男は外ヅラの良さでモテまくり人生を送っており、こと恋愛に関しては楽に女という波を乗りこなしていたのに、どこをどう間違えたのか、それともある時宇宙船に攫われて洗脳されたのか、今までの常識認識を覆す感情を芽生えさせ、つまりはありえない事に犬属性の部下に本気で惚れてしまって本気で苦悩しているという訳だ。
いや、マジにありえないからそれ。でも事実。
ガチでもホモでもバイでもないまごう事無きストレートなのに、何かを間違えて同性の、しかも自分よりガタイがでかい部下にマジ惚れとは、今までのふざけた恋愛遊戯のツケがまわってきたとしか思えん。もしくは振りに振った女達の呪いか、女を捕られた男達の怨念か。
ロイの嗜好が変わった原因は判らないが、転機は分っている。オレも無関係ではない過去の話。
今から五年前。
ロイは一度女達からも権力の座からも離れ、雪山で出家僧のような生活を送っていた。
なぜそんな事になったかと言えば、軍のトップ大総統キング・ブラッドレイがホムンクルスというのが分って、しかも親友のヒューズ中佐の仇だというのが分かり、ロイは単身大総統宅に乗り込んで大総統を殺害した。
死罪を免れない立派な反逆罪だが、当の大総統が人間じゃなかった事と、裏で戦争を仕掛けたり国中を巻き込んでの大悪事が暴かれて、それを表沙汰にしたロイは無罪放免になった。
しかしそれはロイの圧勝には終らなかった。その時の戦闘に巻き込まれ、大総統の義理の息子も死亡した。血縁関係のない息子はただの人間だった。
子供の殺害は大総統がした事であり、ロイのせいではない。
だが自責の念にかられたロイは自ら降格を願い出た上、一人僻地の雪山の基地に移り住み、世捨て人の生活を送った。一人自分を見詰め直していたのだ。
オレもその時ミュンヘンという異世界に行って、オヤジと暮らしたりアルそっくりの男の家に転がり込んだり色々あって、三年経ってようやくこの世界に戻ってこれた。三年も異世界暮らしだよ、ありえねえって。
オレが戻るきっかけ。そしてロイが復活するきっかけ。
あちらの世界からの襲撃。セントラルシティの破壊。
その時のゴタゴタがきっかけになってロイは色んな事が吹っ切れたらしい。事件現場に颯爽と現れて事態を解決した。
空からの謎の鎧集団による突然の敵襲があり、軍も街の浮き足だった。訳が判らない混乱状態になって街が破壊され、ロイはそのどさくさに紛れて大佐に復帰した。
本当にどさまぎだ。
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