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「……どういう事なの?」

 声を震わすアルフォンスに、エドワードは列車の中でミランダと取り引きした事を告げた。














 エドワードは列車の中でミランダと対峙した。

 ミランダの言葉を俄には信じられない。ミランダに殺意は見えなくても、彼女は犯罪者なのだ。

「ミランダ・マクミラン。……取り引きしたいって言うが何を? 等価交換の内容は?」

「私の望みはクローンに息子の魂を移し替えること。……あなたの望みは……分っているわ。弟さんの肉体ね?」

 エドワードは唇を舌で湿らした。

「……知っているのか?」

「殆どね」

 列車の最後尾には誰もいない。いざとなったらこの車両だけ切り離してしまえばいい。エドワードは素早くそう計算した。

 二人は並んで腰掛けた。

「どうして……知っている?」

「人の口に戸口は立てられない。そしてエルリック兄弟は目立つ。……私は魂を扱える錬金術師を探していた。雲を掴むような話だけれど、それだけの力がある錬金術師なら、必ず何処かで名前を残しているはず。そう思って慎重に探していたの。……そうして上がった名前が鋼の錬金術師よ。最年少国家錬金術師。まさかと思った。あなたの年令を聞いて、その情報は間違いだと思った。だけれど国家錬金術師になれるくらいだから力は本物だろうって事で、半信半疑ながらずっと調べていたの。表には出てこなかった情報だから、真偽の程は不明だったけれど、調べて分った。……本当に肉体がないのね。鎧の中は……空だった。イーストシティで傷の男と戦って、中身がない事が確認された。……なぜ弟が鎧の姿なのか、もともと噂はあった。でもまさかと思っていた。魂なんか錬成できるはずがない。ましてやあなたの年令では。………だけどあなたはやったのね。……凄いわ。噂は真実だと知って、その時の衝撃と喜びが分るかしら。私の研究はあなたの力があれば成功する。子供の命が助かる」

 女がうっとりと言う。

「ミランダ……」

「ミランダ・マクミランと呼ぶのは止めてちょうだい。今の私はラミア・ミラー。ただの母親よ」

 過去の写真にあった剣呑さは今の女にはない。本当に一般人にしか見えなかった。

「名前を変えたのか?」

「ミランダの名前は目立ち過ぎる」

「子供は変だと思わなかったのか?」

「あの子が生まれた時から、私はラミアで通している。ミランダという名をあの子は知らないの」

 エドは子供の顔色の悪さと、服用していた沢山のクスリを思い出した。

「子供は……病気だと聞いたが」

「内臓系の疾患でね。内臓の成長が人の何倍も早いの。このままだと死ぬわ」

「だから新しい身体に取りかえようって?」

 いきなり本題に入る。女は平気な顔で受けた。

「理論上は可能なのよ。だからクローン技術に手を出した。禁忌だというのは分っていたし、研究資金もいるので、組織を作ったの」

「酷え事をする」

 平然と言う女に、地獄にいた子供達の顔が浮かび吐き捨てた。

「何が? ……子供を売り飛ばしたこと? エドは私を悪魔のようだと思っているらしいけれど、悪魔は誰の中にもいるのよ」

 女の顔の中には混沌があった。そうした闇を底に敷いて、ミランダは漂泊した空気に包まれているようだった。

 女の実体が掴みきれない。霧の中にいるようだ。

「どういう事だ?」

 女の視線はエドワードではなく、窓の外ではなく、過去を見ていた。

「私はイシュヴァールで、他の戦場でも、軍人というのが、いえ、人と言うのがどんなに醜いものなのかをこの目で見てきたわ。私が悪魔なら、大義名分の為に無抵抗の女子供を虐殺する人間を何故悪魔と呼ばないの? それを命じた人間を何故人でなしと罵らないの? 命令されたからといって、子供を殺す人間に罪はないの? 悪意でなく、利益でなく、ただ命令されたから。人はそんな理由で人を殺す。軍人こそ獣。いいえ人間の牡全てがおぞましいバケモノよ」

「……だから自分も悪魔でいても構わないと?」

「そうじゃない。悪魔の中じゃね、人でいると生きていけないの。生き残りたかったら、悪魔にならなければいけない。私は自分が悪魔だということを知っている。地獄に堕ちる事も覚悟している。悪党であっても偽善者ではない。私と他者との違いは、悪魔でいる事を受け止めているか、隠しているかだけの違いよ」

「それで?」

「私はあなたと取り引きがしたいの。私にはあなたの技術が必要なの。エドが私の技術を必要としているように」

 エドワードは拳を握り締めた。

 女はエドワードが何を求めているのか、正確に把握している。その上で取り引きを持ちかけているのだ。

 これ以上は聞いてはいけない。この女がこれから言う事は悪魔の囁きだ。

 さあ立て。女に背を向けろ。振り返るな。お前は人間を実験材料にした軍人達とは違うだろう?

 だがエドワードの足も腰も動けなかった。

 女の真実がエドを飲み込んだ。ミランダの言葉に嘘はなかった。

 ミランダは危険をおかしてまでも、子供を連れてきた。エドワードと正当な取り引きをする為に。

 子供を見せて、この子とお前の弟を引き換えろと言っている。可能性という餌が目の前にぶら下がっていた。

 たしかにリシャールは愛らしかった。あの子がもうすぐ死ぬというのか。

 エドワードが手を貸さなければ子供は死ぬ。母親は取り引きに命を掛けていた。

 エドワードの目に、幼いアルフォンスの姿が映る。

 涙が出そうになる。

 エドワードが悪魔に魂を売れば、アルフォンスが人の姿に戻れる。

 エドワードは胸を押さえた。

 良心よりも絶望が勝った。そして愛がエドワードを打ちのめしていた。

 エドワードにその場を立ち去れる勇気はなかった。

「オレは……何をすればいい?」

 エドワードはミランダを見た。

 女が深く微笑んだ。鬼のような、聖母のような、男には理解し得ない笑みだった。










 エドワードはミランダと色々な話をした。ミランダはエドワードには分らない世界観を持っていた。

 それはロイやヒューズのような男では得られない視点だった。

「エド。私はね、人を殺すのを躊躇わなかった。何故なら殺されるかもしれないのに躊躇うのは愚かだったからよ。殺されるのはよくて、殺すのは駄目なんて変でしょう? この世が等価交換で、因果応報が付きまとうのも知っていたわ。だからこそ覚悟はしていた。いつか自分が殺されるだろうと知っていた。自分は近いうちに死ぬんだといつも思っていた。そう思っていたのに、何故かいつも生き残ったわ。戦場から帰るたびに不思議に思った。多くの同胞達が生き残った事を悦び、自分が人を殺してきた事に傷付いていた。何故そうなのか分らなかった。死ぬ覚悟もなく人の命を奪う認識もなく軍人は戦場に出る。そうして命を惜しみ所行を悔やむ。矛盾だらけ。何故なの? とずっと思っていた。どうしてだか分る?」

「……いいや」

「男達はね。……みんな覚悟ができてないの。自分がした事の責任をとる覚悟が。だから後悔などする。悔やむくらいなら、始めから戦場に出なければいいのに。それでは殺された者が哀れだわ。何の覚悟もない、命令されただけという言い訳しか持たない、薄っぺらい人間の銃の的になって、さぞかし地獄で悔しがっているでしょうね」

「あんたは違うのか?」

「私? ……私は違う。この世は等価交換。奪うか奪われるかだけの事。たまたま私の運が良かったから生き残った。そのうち立場が逆になる時がくるでしょう。ただそれだけの事。奪われる命に他人も自分も関係ない。人はいずれ死ぬ。それが早いか遅いかだけの事。私の死期が早まっても、それは私が奪ってきた命の代償。それが世界のバランスというなら、そうなのでしょう」

 自分の命をも客観的に捉え、世界を諦観の目で見ている女を罵倒するだけの力を、エドワードは持たない。

 自分のしている事全てを理解して、正面から見据えている女の芯にあるのは鋼鉄だ。冷やかで決して折れる事がない。

「……自分の子供も?」

「あの子は違う。……あの子は生まれた時から死の宣告を受けていた。生まれた時から死ねと言われているも同然だった。あの子に死を望むのが神なら、私は悪魔でいい。神の小羊ではあの子は助けられない。この世が等価交換なら、あの子の人生や健康や命を奪う神から得られる交換物は何? あの子は神から何を貰えるの? 何も貰えないというなら、奪われるだけというなら、私は神から勝手に奪うだけ」

「でもそれは他の子供の人生を奪う理由にはならない」

「なるわ。どうせこの世は弱肉強食。弱い事は悪。イシュヴァールで沢山の無実の子供の虐殺が許された。イシュヴァール以外では許されないというのは、それこそ間違っている。あっちはよくてもこっちは駄目というのは、ただの偽善か、人の浅ましい作為でしかない。世界は等しく修羅。人殺しの理由に壁はない。神の小羊が狩られる事を由とするなら、私はその羊を狩るだけ。……何がいけないの?」

 価値観が噛み合わず、エドワードは言った。

「世界の基本が間違っている」

「どんな?」

「子供の頃に親に言われなかった?」

「何を?」

「自分のイヤだと思う事を人にしてはいけませんって」

「私は大抵のイヤだと思う事には耐えられる。……耐えられない弱さをもった人間が悪いのよ」

「人を売り買いする事が耐えられるか!」

「バカねえ。子供を買っていたのは世間には善良と言われている獣の皮を被った大人よ。私は子供を性的な目で見たことは一度もないわ。……商品としては見たけれど」

 言われて詰まる。

 幼児趣味を持つ大人がいなければ、この商売は成立しない。

 エドワードは帰ったら速攻で、娼館に客としてきた人間を洗い出そうと思った。

「どうして娼館なんか作った? ……資金作りなら、麻薬だけでも充分だろう」

「クスリは色々危険がつきまとう。他のマフィアも絡んで来るし。娼館は色々なカモフラージュに役立った。それから自分のされた事をしていただけ」

「された事?」

「私も家族に売られたわ。家が貧しいという理由だけで。……そして逃げ出して、軍に入った。軍にいれば取りあえずは飢え死にしないから」

 エドワードは突然の告白に驚いた。

「だから自分の甥まで巻き込んだのか? ……リーヴはあんたの甥だろう」

「リーヴ? ……ああ、あの子ね。あの子がどうかして?」

「何故自分の身内なのに娼館で客を取らせていたんだ? 家族に対する復讐か?」

「それもある。私は家族に売られた時、必ずそのツケは払わせると誓った。だから両親はキメラの実験に使った。姉は売り飛ばしたかったけれど、トウが立って売れないから、息子を代わりにしたの。ただそれだけよ」

 ただそれだけの為に地獄に堕とされた子供が哀れだった。

「復讐だったら本人にしろよ。子供だからって、当事者以外に当たるな。等価交換の原則に悖るだろう」

「ツケは自分で支払うわ。リーヴが復讐するっていうなら、いつでも受けるわよ」

「鮮血の錬金術師に正面切って復讐できるガキが、どこの世界にいるっていうんだ?」

「悔しいなら復讐なさい。耐えられないなら死になさい。適わないと怯えるなら、陰に隠れていなさい。世界はそういう風にできている。違うと言うなら、違うと言えるだけの力で私を納得させなさい。言葉に力と真実がないのなら、言うだけ無駄よ。真実なんて時と状況によって容易く変わる。大切なのは自分が信じる価値観だけよ。私が憎いなら私を殺しなさい。逃げも隠れもしないわ。復讐は正当だもの」

 ミランダの言葉は鉄で、エドワードは打ちのめされた。違うと言いたかったが、言えるだけの力はなかった。












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