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「イーストシティの手前で降りるって?」

 アルフォンスの驚いた声に、エドワードはもう決定事項だと弟に告げた。

「だって……大佐達が待ってるし、テロリストが狙っているかもしれないから危険だって……」

「いいんだ」

「……兄さん?」

 頑に態度を硬化させたエドワードに、アルフォンスはどうしていいか分らない。

 何があったというのだろうか?

 さっき会ったばかりの女性と話があると、席を立って小一時間。リシャールと二人残されたが、走り続ける列車の中では逃げ場もないし、不安はあったがそう心配はしていなかった。

 リシャールを置いてエドワードの後を追うことはできなかった。ただどうしたんだろうという疑問だけを持ってエドワードが戻って来るのを待っていたら、帰ってきたエドワードは一言「次で降りる」だった。

 何故と言うアルフォンスの問いに応える気がないのか、エドワードの瞳は窓の外に固定され、質問を拒んでいる。

 エドワードを連れ出した女性は「ちょっとエドワードさんにお願いがあって」と、それ以上は何も言わなかった。

 兄の知り合いだったのだろうか? そんな筈はないのだが。

 アルフォンスの中で警戒心が沸き上がる。

 危険だとか、どうしてだとかの言葉を、エドワードは表面で弾いてた。

 取りつくしまのないエドワードに、アルフォンスはどうしていいか分らない。

 エドワードがどうしたいのか、何があったのか、何も言わない兄をアルフォンスは恨めしく思った。

 イーストシティの手前の駅は郊外らしく穏やかだ。

 荷物を持って降りると、迎えの車が来ていた。

 すっかりリシャールはアルフォンスに懐いたようで、固さも気にせずアルフォンスの膝の上で御満悦だ。

 エドワードには懐かないのかと聞くと「ちっちゃい」って言ったら怒ったので怖い、という事だ。それは怒るよと、大人気ない兄と素直すぎる子供にアルフォンスは呆れた。

 兄は相変わらず甲羅の中の亀のようで、貝のように押し黙っている。

 母親の方はアルフォンスとリシャールの様子を微笑ましく見ており、何があったのか、問い質しにくい。

 何も分らないまま、アルフォンスは車の中にいた。

 大佐に連絡しないときっと心配しているだろうなと、着いたら電話を借りる事を考える。

「着いたわよ」

 町外れにある大きな一軒家。この家に何の用があるのかと、促されるままに入る。

「研究室は?」と、短くエドワードが聞く。

「地下よ」

 母親が先行し、エドワードがついて行くので、アルフォンスも訳が分らないまま、後を歩く。リシャールは母親のスカートを掴んで離さない。

「リシャール、ここは君のお家?」

 アルフォンスが聞くと、リシャールは「うん」と頷いた。

「お引っ越ししたばかりなの」

 家の中は人の気配がないので閑散としている。母子の二人暮らしの家なのか。だとしたらこの家に兄弟が連れてこられた理由は?

「入って」

 暗い部屋に電気が灯され、見えたものにアルフォンスは驚愕した。

「なにこれっ?」

「見ての通り、クローン実験の研究室よ」

「クローン?」

 アルフォンスは息を飲む。

 見た事もない異様な研究室だった。

 雰囲気に足が竦む。

 何故個人の家にこんなものが?

 これがあるからエドワードはここに来たのか?

 隣を見ると、エドワードも驚いて硬直している。

 それではここに何があったのか、知らなかったのだろうか?

 エドワードの視線は正面にあった。

 広い研究室には大きめの水槽や試験管や見た事もない形状の機械など様々なものが置かれていたが、正面にあるモノを見た時アルフォンスは女の言葉の本当の意味を知った。

「……リシャール?」

 すぐ側にいるリシャールと同じ人間が、巨大な水槽の中でユラユラと揺れていた。

 ふっくらとした頬は健康そうで、目の前にいる本物のリシャールより生気に満ちていた。子供は裸で、呼吸をしていないのか水の中にいても平気そうだった。

「死体?」

 ……である筈がなかった。リシャールと瓜二つの子供は生気に満ちている。目を開けて喋り出さないのが、おかしいくらいだった。

「どういう事?」

 誰に聞いていいか分らずに、アルフォンスはエドワードに問う。混乱していた。

 エドワードはアルフォンスの声も耳に入っていないようだった。

 エドワードはフラフラと水槽の前に来ると「信じられない」と呟く。

「まるで生きてるみたいだ」

「生きているわよ。心臓も動いているし、呼吸はまださせられないので、羊水の中から栄養を与えているの。完璧よ。……魂以外は」

 眼鏡を取った母親は微笑みで顔を一杯にした。拡がる笑顔にアルフォンスは飲み込まれそうになる。何処かで見た顔だと思った。

「リシャール……なの? この子……」

 アルはどういうことなのか、説明が欲しかった。

「これからママがこの身体をボクにくれるんだって。そうだよね、ママ」

 リシャールが無邪気に笑う。

「ええ。リシャール。そうよ。これがあなたの身体になるの。この身体があれば、走ったり学校に行ったりできるようになるのよ。もうおクスリも飲まなくてもいいの」

「ねえ、いつ? いつボクはこの身体に入るの?」

「このお兄さんの身体をママが作った後よ、リシャール」

「お兄ちゃん? アル? アルもボクと同じでもうすぐ死んじゃうの?」

「いいえ。この鎧のお兄ちゃんはね、身体がないの。神様に持っていかれちゃったの。だからママが身体を作ってあげる事にしたの」

「そうなの?」

 よく分らないと首を傾げる子供に、この親子は何を言っているのかとアルフォンスは恐ろしくなった。

「兄さん、この人達変だよ! ……何を言っているの?」

 何故この母親が、アルフォンスの秘密を知っているのだと思った。

「変じゃないよ。これはボクの身体だ。ボクはね、これからこの身体に入るんだよ」

 得意げに言うリシャールに、人は人の身体に入れないと言い掛けて、ある可能性に気がついてゾッとした。

「身体に入る? ……まさか」

「あら、気がついたの?流石は鋼の錬金術師の弟。察しがいいわ。……魂の移し変えができる錬金術師はこの世でたった一人。弟の魂を練成した、鋼の錬金術師エドワード・エルリックだけですもの」

 高らかに笑う女を前に、アルフォンスは呆然と立ち尽くした。

 女の雰囲気がガラリと変わっている。もう凡庸な母親には見えなかった。

 誰なんだ、この女は?

「エドワード。約束よ。必ず守って頂戴な」

「等価交換だからな……」

 クローン体のリシャールを前に、エドワードはうっとりと呟いた。

「……兄さん?」

 兄の目が潤んでいる。

「アル、喜べ。……元の身体に戻れるぞ。……正しくは元のままというわけにはいかないが、少なくとも、オレと同じ遺伝子を持った、人の身体だ」

「兄さん!」

「オレのクローン体に……お前の身体を移し代える」

「なっ……?」

「とうとう……オレ達の望みが適うんだ」

「兄さん?」

「アルフォンス……。長かったな……」

 突然言われた意味が分らなかった。正しくは理解したくなかった。兄がどうかしたのかと思った。

 クローンなんておとぎ話と同じだ。成功するわけがない。ありえない。……と言い掛けて、本物そっくりのリシャールの身体にまさかと思った。

 まさか、このリシャールは……。

 ではエドワードの言葉は……。

 アルフォンスは兄をジッと見た。

 エドワードの見ていたのはリシャールではなかった。

 もう一つ、背後に同じような水槽があった。

 暗いから気がつかなかった。リシャールのクローン体に気を取られて、周囲に目が届かなかった。

 その中にいたのは……。

 アルフォンスは悲鳴を挙げようとして、上がらない声が跳ね返り自分の鼓膜を破いたような気がした。鎧の中が、刻まれている血印が震えた。

 アルフォンスは後ろによろめいた。

 ガシャンと何かを蹴飛ばした。

「な……に……。なんなの、これ? ……まさか……やだ……」

「そのまさかだ」

 エドワードはもう一体のクローンに、うっとりと届かない手を伸ばした。

 もう一体のクローン。

 リシャールよりも大きい、水の中でユラユラと髪を揺らす男の子は、エドワードと同じ顔をしていた。











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