15
エドワードは普通に、だが内心緊張して周囲を警戒しながら駅を歩く。アルフォンスはその後を少し離れて歩き、見失わないように気を付けた。
エドワードが列車に乗り込むとホッとする。
「大丈夫そうだな……」
ヒューズも同じくホッとして、兄弟を見送る。
「この先も何があるか分らないから、気を付けていくんだぞ。エドのやつはトラブルに巻き込まれやすい。お前さんがしっかり見張っていてやらないと、何処へ飛んで行くか分りゃしない。あいつは鉄砲玉と同じだからな」
「ええ。ヒューズ中佐。分ってます。兄さんの事は心配いりません。ボクがちゃんと見張っていますから」
アルフォンスがきっぱりと言う。
兄に劣らず、弟も兄弟想いだ。いい関係だと、ヒューズは兄弟の絆を思った。
「お前が後ろで見ているのが分るから、エドのやつも無茶するんじゃないかな。背中を任せても大丈夫だって、安心しちまってるんだ」
「そうだといいんですけど。……ただ単に配慮が足りないだけのような気もします」
「ははは。どっちが兄か分りゃしないな。エドと違ってアルはしっかりしているな」
「そう見えるように努力しているだけです。いつまで子供では、兄さんの足手纏いになるばかりです。身体のないハンデを何処かで補わなければ、バランスがとれません」
「……お前さんも苦労するな」
たった十四歳なのに、この大人びた様子はどうだろうか。姿形に惑わされているのではなく、精神が形に添おうとしているかのようだ。エドワードが見た目のままの性格なのに対して、アルフォンスもまた内面を変化させているのかもしれない。
「……気をつけろよ」
「はい。ありがとうございます」
アルフォンスは頭を下げて、ヒューズから離れた。
アルフォンスは周囲を警戒して歩く。あちこちから視線が来るので、誰が危険なのか安全なのか気配が探り難い。鎧であるアルフォンスは悪目立ちし過ぎる。
周りにとまどいはあっても殺気はないので、少し安心する。
列車に乗り込もうとして、背後から声を掛けられた。
「あの、もし。……そちらの鎧の方」
聞き慣れない声にアルフォンスは警戒したが、一目見て、警戒を弛めた。
後ろにいたのは、小さな子供を連れた、平凡な母子だった。母親は栗色の髪と花柄のスカートを履いて、野暮ったい眼鏡を掛けている。子供を見る目は優しかった。子供は小学校にあがる前くらい男の子で、くすんだ赤毛をして顔色はあまりよくなかったが、顔立ちはハッキリして愛らしかった。
「あの……何か?」
声を掛けられる理由が分らない。
「すいません。ちょっと手を貸していただけないでしょうか?」
申し出に、アルフォンスはああ、と思った。
母親らしき人間の後ろには、女性が持つには不釣り合いな大きなトランクがある。運ぶのにはタイヤがついているので女一人でも運べるが、列車の席まで持ち上げるのは難儀をしそうだった。
「いいですよ」
アルフォンスは言われるままに、荷物を列車の中に運んだ。大柄な鎧姿なので、力持ちだと思われたのだろう。
「ありがとうございます。……ほら、リシャール。あなたも鎧のお兄さんにお礼を言いなさい」
母親に促されて、子供が母親のスカートの陰から恥ずかしそうにちいさな声で「ありがとう」というのが聞こえた。引っ込みじあんらしいが可愛い。
自分達もこんな風に母親のスカートにまとわりついていたものだったと、アルフォンスは過去を懐かしく思った。
「席はどちらまで?」
「決めていませんの。空いた席に適当に運んで下さる?」
「それじゃあボクの兄が先に乗っているので、そっちに運びましょう」
「そうして下さいな」
平凡な親子連れを後ろに、エドワードのいる所まで歩く。
「アル……こっちだ」
エドワードが手を振っている。
エドワードの姿を見てホッとする。
エドワードはアルフォンスの背後にいる人間を見て、いぶかしげな顔をした。
アルフォンスは説明した。
「荷物が重たそうだから運んであげたんだよ」
「お前は人がいいな」
女がエドワードに軽く頭を下げる。
エドワードは平凡な母親の姿に、アルフォンス同様警戒を緩める。
「……すいません。面倒をおかけするついでに、もう一つ頼まれていただけませんか? 子供にお薬を飲ませたいのですが、あいにくお水を切らせてしまって。……私の代わりにお水を買ってきていただけませんか? 私が行くべきなのでしょうが、子供から目を離したくはないので……」
女に恐縮したように言われて、断れるアルフォンスではない。子供の顔色が悪いのは体調がよくないせいなのかと思い、硬貨を受け取って水を買いに行く。子供はぴったりと母親に張り付いて、こちらを警戒している。初めて会う人間に怯えているのかもしれない。ましてやアルフォンスの姿は迫力がある。
「すいません。お手数をお掛けして……」
女に頭を下げられて、エドワードは仕方がないと思う。子供連れの困っている母子をむげにできる程、兄弟は冷たくできてはいない。
赤毛の子供にジッと見られて、エドワードは聞いた。
「ボウズ、名前は?」
「ほら、お兄ちゃんが名前を聞いているわよ。ちゃんと答えなさい。もう六歳でしょ」
母親に言われて、子供がどうしようかと母親とエドワードを見比べた後、小さく言った。
「……リシャール・ミラー」
「リシャールか。……いい名前だな」
「うん」
頷く子供はどこか儚気で、愛らしかった。舌足らずの幼い楽器のように響く声をしていた。
「お兄ちゃんの名前は?」
「エドワード。エドワード・エルリックだ」
「……エド?」
「そうだ」
「さっきの鎧のオジサンは?」
「……オジサンじゃない。お兄ちゃんだ。あれはオレの弟だ。弟のアルフォンスだ」
オジサン扱いされた事を知ったら弟はショックを受けるだろうなと、エドは内心苦笑いする。
「アル?」
「そうだ」
「エドよりおっきいのに弟なの?」
子供が驚いている。
「余計なお世話だ。……身体の大きさは関係ない。アルは世界中でたった一人の、一番大事な家族だ」
エドワードの言葉に子供はキョトンとする。
「一番大事なの?」
「そうだ」
「ママよりも?」
「そうだ」
「変なの……」
母親のスカートから手を離さない子供は、母親こそ世界の全てだという顔をしている。無理もない。エドワード達も過去そう思っていた。兄弟がいないのなら余計にそう思うだろう。
エドワードはキッパリと言った。
「変じゃない。オレの一番は、あの弟なんだ」
「ふうん。……あのねえ、リシャールの一番大事な人はねえ、ママなの」
「知ってる」
「……? どうして知ってるの?」
「子供は母親が一番だからだ」
「エドも子供でしょ?」
「オレはもう子供じゃない」
「……でもちっちゃいよ?」
「余計なお世話だ! ドチビ!」
子供相手に怒るのも大人気ないと分っていても、面と向かって小さいと言われると、思わずキレる。
「こわーい」
子供が母親の陰に隠れる。
「いや……ちょっと……悪かったよ」
小さな子供相手に大人気ないと、エドワードは反省する。周囲の目も痛い。
「リシャール。怖がらなくても、このお兄ちゃんは怖くないわよ。怖いどころか面白いの」
女が子供の頭を撫でて、優しく言う。
「…面白いの?」
「お名前が二つあるのよ。いえ、三つ。面白いでしょう?」
「変なのー。お名前は一つだけだよ?」
「いいえ。このお兄ちゃんだけは、お名前が沢山あるのよ。そうでしょ?」
母親に言葉を向けられて、この女はなにを言っているのだと、エドワードは思った。
「このお兄ちゃんはね、エドワードってお名前の他に『エディ・グレイ』っていう名前もあるの。……それから『鋼』っていう名前もね。……そうでしょ? ……鋼の錬金術師さん」
一瞬言われた意味が分らなかった。
分ったのは女の目を見た時だ。眼鏡の奥に光る瞳に色に気がついて、エドワードは硬直した。
ガタンと、列車が動き出す。
赤毛の子供がエドを見上げる。何故気がつかなかったのか。子供はくすんだ緋色の髪をしているのに。
「すごーい。三つもお名前があるんだね。……じゃあ、なんて呼べばいいの? エディ? はがね?」
「エドでいいわ。……そう呼ばれているのよね?」
優しい、悪戯を含んだ声に、エドの精神はキリキリと締め上げられた。喉が干上がる。
髪の色が違う。眼鏡を掛けている。それだけで分らなかった。瞳の色は変わらないのに。その目の中にある氷は今も鎮座しているのに。
列車は動きだした。逃げ場はないし、下手に動けば周囲の人間が危ない。エドワードの周りだけ、空気が凝縮されているようだ。呼吸が上手く出来ない。
栗色の髪。白い肌。縁の黒い大きな眼鏡をして、着ているスカートは清潔だが着古して褪せている。女としての鮮やかさはないが、子供を見る目は柔らかく、周囲を警戒させずに溶け込む、どこにでもいるような凡庸な母親。……分らない訳だ。これが元国家錬金術師などと、誰が思うだろうか。
エドワードの背に、ジットリ脂汗が滲む。
「……どうして……」
「あなたに用があるから来たのよ。鋼の錬金術師。あなたの事はマスタングから聞いたわ。よくも騙してくれたわね」
「……任務だ」
「分っているわ。軍属とはそういうものだもの」
女の声は乾いていて、憎しみの感情は見えない。だがほんの一時間前、人間を肉片一つ残さず破壊したのはこの女だ。女がその気になれば、一瞬でカタがつく。
エドワードは肚をくくって、正面の女を見た。
逃げられないなら対峙するしかない。
女が面白そうにエドワードを見据える。
「流石ね。私の正体を知っても逃げ出さないのは。最年少国家錬金術師の名前は伊達じゃないわね」
「……どこに逃げるっていうんだよ。逃げ場所なんか、何処にもないぜ」
「それもそうね」
穏やかな表情は隙だらけだが、それに警戒を緩める程エドワードは甘くはなかった。
「兄さん。ただいま」
手に水筒を持ったアルフォンスが帰ってきた。
来るなと言いたかったが、アルフォンスはエドワードの隣に腰掛けてしまった。
「はい、お水」
「ありがとうございます」
女が頭を下げ、持っていた手提げから、数種類の錠剤を取り出す。
「ほら、リシャール。おクスリの時間よ」
「……おクスリ、嫌い」
「駄目よ。飲まないとまたベッドに逆戻りよ。それでもいいの?」
「うえーん」
「あとでお菓子を買ってあげるわ」
子供は母親に促されて、渋々クスリを口に運んだ。子供の口を拭う女は、どう見ても凡庸な母親の姿だ。
エドワードは、どうやってこの女がミランダ・マクミランだとアルフォンスに伝えようか迷った。
兄の焦りも知らず、アルフォンスは自分を警戒しない母子が珍しいのか、色々と会話を進める。
「……そうなんですか。ミラーさんはニューオプティンに。長旅ですね」
「ええ。叔父が住んでいるものですから。空気のいい所ならこの子の身体にもいいし」
女の手が子供の赤毛を梳く。
「ニューオプティンはどんな所なんですか?」
「イーストシティとあまり変わらないわね。活気があって、人が多くて。でも雰囲気はノンビリとしているわ」
「へえ、そうなんですか」
和やかな会話に、エドワードはその女は殺人犯で誘拐犯で指名手配なんだぞと言いたくてたまらなかったが、わざわざ寝た子を起こすような真似はできずに内心でグルグル葛藤し続けた。
列車が走り出して暫くして、女が子供に言った。
「リシャール。ちょっとここで鎧のお兄さんと待っていなさい。お母さん、エドワードさんとお話があるから」
エドワードの心臓が跳ねる。
「えー? 何で?」
「大事なお話なの。リシャールはイイ子だから、待てるわね?」
母親に諭されて子供は渋々頷く。
「……うん」
「じゃあ、エドワードさん、行きましょうか」
当然のように立ち上がった女につられて、エドワードも席を立つ。
今の所、女に戦意はないようだ。子供を置いて、他人の耳のないところで話をしようと誘っている。
「兄さん?」
アルフォンスが展開に驚いている。
「悪いな、アル。リシャールとちょっと待っててくれ」
「えー? なんで?」
訳が分らないアルフォンスを席に置いて、エドワードは最後部まで女の後をついて行った。子供がいるので、アルフォンスはついて来られない。
エドワードは緊張に毛穴が締まる思いだった。
「さて、鋼の錬金術師さん。初めまして……ではないわね。2度目の再会ね」
「2度と会いたくなかったけどな。ミランダ・マクミラン中佐」
「元、よ。今は平凡なオバサン。誰も私が国家錬金術師だったなんて分らない」
「オレだって分らなかったよ」
「そのようね」
「何の用? ……恨み言? ……復讐?」
「等価交換」
鮮やかに笑う女に、エドワードは魅入られた。
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