14
「今度紹介して下さいよ。きっと可愛らしい方なんでしょうね」
「すっごく可愛い。だけど会わせられない。恥ずかしがりやさんで、そんな事になったら逃げちゃうから」
「残念」
だれが可愛い恥ずかしがりやさんだ! …というエドワードの内心の叫びは当然誰にも聞こえない。
シェスカは話題に加わらないエドワードに話を振った。
「エドワードさんは相手の方に会った事があるんですか?」
当事者だ、当事者! 目の前にいる!…と、エドワードはプルプルと顔を横に振る。
「会った事ないんですか? 弟さんがそんなに好きな相手なら、会ってみたくはないんですか?」
鏡を見れば会えるよ。…とは言えない。
「……自分の事で……手がいっぱいで……」
「ああ、そうですね。エドワードさんの方も熱愛中ですものね」
シェスカは納得する。
熱愛中って言うなーっ! と思ったが、やはり何も言えずに、はははと笑って誤魔化す。
鎧で表情は分らないが、隣で弟が笑っている気配がして、テーブルの下で鎧の脚を蹴飛ばす。
お前はお兄ちゃんが困っているのがそんなに楽しいかと、恨めしく思う。
心臓に悪いから話題を変えたいと思い、エドワードはシェスカを仕事の話に引き戻した。
「……で、その……シェスカに頼んだ本の写しはいつ頃できる? 外に洩らしたくないから、できれば直接会って受け取りたいんだけど」
シェスカはあさっての方向を見て、しばらく考えた。
「あの時と違って今は仕事がありますからね。……そうですね。3週間ほどいただけますか? 土日でなんとか仕上げますから」
「……悪い。そうしてくれ。……特別ボーナス出すから」
潤沢な研究費を使えるエドワードは、自分の懐が痛まないのでお金を出すのを躊躇わない。
「はい。頑張ります」
にっこり笑うシェスカだった。エドワードには仕事を紹介してもらったという恩がある。頑張ろうと思った。
「それで……」と話を続けようとしたエドワードだったが、空気を乱すような人の気配を感じて、入口を見た。
「……ヒューズ中佐?」
バタバタと駆け込んできたのは、珍しく取り乱した様子のヒューズだった。
エドワード達を見つけると、駆け寄ってくる。
「ヒューズ中佐。どうし……」
「無事だったか。エドっ! アルっ!」
突然言われてエドワード達はただ驚いた。
周りの人間達も突然飛び込んできた軍服の男に驚いて、注目している。
「何かあったのか?」
そうとしか思えないヒューズの余裕のなさに、エドワードは気を引き締めた。
ヒューズの顔色が悪い。
「ああ。……ミランダの家が消えた」
「消えた?……ってどういう事だ?」
「文字どおりだ。……中にいた人間ごと無くなっちまった」
「……それって?」
ここでは場所が悪いからという事で、場所を部屋に移し、エドワード達はヒューズの報告を聞いた。
ホテルに駆け込んだヒューズは部屋にいないエドワード達に焦ったが、フロントでレストランにいると聞いて胸を撫で下ろした、と言った。
「ミランダだ」
「ミランダ・マクミラン?」
「彼女が戻ってきて、自分の家を破壊した」
「どんな風に?」
「錬金術だ。実際に見た訳ではないから詳しくは分らないが、隣近所の家にはまったく被害はなく、ミランダの家だけが庭ごと地面から抉りとられて、欠片しか残っていない。こんな場合で使う言葉じゃないけど、見事としか言い様がない。どうやってやったのかは分らないが、家も中にあった物も……それから中にいた人間も…………跡形もない」
「中にいた人間も? ……っていう事は全員…………死んだ、のか?」
エドワードが言葉を詰まらせる。
ヒューズは首を振った。
「死体はない。……まず見つかるまい。肉片の欠片でも見つかればいい方かもしれないが……」
「そんな……」
セントラルの人間がエドワード達と入れ違いでミランダの家に入っていくのを見た。その時は憤りと悔しさしか感じなかったが、まさか数時間後にこんな事になるなんて思ってもみなかった。
もしセントラルの人間が来なかったら、死んでいたのはエドワード達の方だった。不謹慎だが、助かった偶然の幸運に安堵する。
「ミランダの姿を見た者はいない。だがあの状態を見る限り、ミランダである事は間違いない。南方指令部は浮き足立っている。その気になれば一度に百人は殺せる女だ。抉られた家を見て兵士達はブルッちまった。……無理もない。あれは普通じゃない。あんな風に消されるかと想像すると、とてもじゃないがあの場所にはいられない。理解しきれないモノと戦えっていうのはな……」
「現場に行ってみる」
立ち上がったエドワードをヒューズが止める。
「止めろエド。お前さんが行っても何もできないし、危険だ。死んだ者は生き返らないし、お前さん達のせいじゃない。あの家に入りエド達を追い出したのはセントラルの人間だ。何も罪悪感を感じる事はないし、自分達の身の安全を優先しろ」
「ミランダがオレ達を狙うっていうのかよ?」
「お前を、だ。その可能性はある。ミランダと直接顔を合わせているし、ミランダの組織を潰したのもお前らだ。……南部に現れたミランダが一番に狙うだろうと思われるのは、鋼の錬金術師だ」
「畜生っ!」
エドワードはホゾを噛む。
「南方指令部にお前さん達を守ってやれるだけの戦力はない。対テロリストなら戦えても、元国家錬金術師を相手にするには荷が重い。……エド達は大急ぎで東方指令部に帰れ。列車に乗ってしまえばミランダは追いつけない。護衛はつけてやる。今外に出るのは危険だが、一般人を巻き込むわけにはいかない。エドワードがこのホテルにいる事はあまり知られていないが、調べればすぐに分る。ホテルごと破壊されたら被害は甚大だ。移動は危険だが、東方指令部に帰る方がまだ安全だ。東部にはロイがいる。あいつの所なら大丈夫だろう」
ヒューズに言われて、エドワード達は大急ぎで部屋を出た。来たばかりで荷物を拡げていないのが幸いした。
車の中に入ると、エドワードはヒューズに頼んだ。
「……ミランダの家に行ってくれ」
「バカを言うな」
「必要なんだ。……ミランダ・マクミランがどんな錬金術をするのか知りたい」
「こんな時に知的好奇心を満足させている場合か!」
ヒューズが怒鳴る。
「そうじゃない。ミランダの錬成方法を知りたいんだ。……万が一ミランダに遭遇した時に、錬成方法を知らないと防御の方法が分らない。空気の質を変えるってことは分るが、何をどんな風に変えるのかさっぱりだ。少しでいい。ミランダの家に行ってくれ。そうしたらすぐにでも列車に乗るから。列車の出発までまだ時間がある。知っておきたいんだ」
エドワードの真剣な眼差しにヒューズは躊躇ったが、車をミランダの家に向けた。
まだ近くに潜伏している可能性はあるから危険は大きい。だが狙われているエドワードが対処できないもの困る。
「ヒューズ中佐はどうするんだ?」
「オレは南部で仕事を続行する。パドルはいないし、お偉方は浮き足立っている。上がそんなんだから、下の連中も腰が引けて内状はガタガタだ。仕方がないから、オレが行って手伝ってやらにゃあ駄目だ」
「中佐こそ気をつけろよ。錬金術師じゃないんだから」
「お前らデタラメ人間万国ビックリショーとなんかやりあえるか。イシュヴァールの戦闘を間近で見て、味方で良かったと心から思ったんだぞ。敵に回ったら速攻で逃げるさ。オレには中央で待っている妻子がいるんだ。仕事よりも家族をとるぞ」
「そうしてくれ」
ヒューズの言葉にエドはホッとする。
「ほら、着いたぞ」
エドワードは車から降りると、何も無くなった目の前に、改めてゾッとした。
シェスカが短い悲鳴を挙げた。
ヒューズの言った通りだった。地面ごと丸く抉られて跡形もない。隕石でも落ちたかのように陥没している。
「酷え……」
エドワードは屈んで削られた地面に触れた。
綺麗に切り取られている。あれだけあった家が中身ごと消えたというのは尋常ではない。
欠片がないというのがおかしい。
「……圧縮されてる」
エドワードには分った。
ミランダは丸いシャボン玉のような空気の層を作り、家を覆い、中の空気を抜いて圧縮し、内部にあったものを粉砕した後、欠片をすべて原子の段階まで分解したのだ。だから何も残らない。
原子の段階まで分解されてしまえば、爆風で全てが霧散する。そうしてこんな破壊跡だけが残る。
「エド……まだか?」
周囲を警戒しながら、ヒューズが声を掛ける。
「……もういい」
ヒューズに礼を言って、車に乗り込む。
エドの厳しい表情にヒューズが聞いた。
「もう分ったのか?」
「ああ。見事すぎて溜息しか出ない」
エドワードは自分の見解をヒューズに話した。
理論を聞くと、ヒューズが頷いた。
「錬金術師っていうのは一目見ただけでそんな事が分るんだな。……だけどミランダのした事の方が恐ろしい。本当にそんな事が可能なのか?」
「理論上はな」
「お前だったら……できるか?」
ヒューズに問われてエドワードは考える。
「圧縮する段階までならできるが……。その後、空気の断層を崩さないように、中の物質を原子分解するのが難しいな。2段階の錬成を一度に行うには、構築式を身体の中に2種類用意しなくちゃならない。時間差で発動するのはいいが、双方のバランスを崩すと、空気の層が崩れて、大爆発が起こる。下手をすれば街の半分が吹き飛ぶ。やれって言われても、リスクを考えると怖くてできない」
できないと言いつつもやろうと思えばできるという言外の言葉に、ヒューズは改めて人間兵器と呼ばれる国家錬金術師の力を知った。
「護衛を付けるから、この足で東部に帰れ」
「護衛はいらない」
「駄目だ。ガキだけで帰せるかよ」
「どうせ役には立たない。ミランダが本気になれば周囲の人間は成す術がないし、軍人なんか連れてたらそれだけで目印になっちまう。二人だけで帰った方が安全だ」
「アルフォンスがいる時点で目印はバッチリだぞ。旗を持って立っているようなものだ」
「あ……そうか」
エドワードは弟を見上げて言った。
アルフォンスが小さくなる。
「アル、お前は別行動しろ」
エドワードは弟に言った。
「駄目だよ。兄さんが一人になっちゃうじゃないか」
「お前が一緒にいたら巻き込まれるだろ。相手はお前の事を知らないんだから、狙われるのはオレ一人でいい」
「本気で言っているならボク、怒るよ」
「本気だ」
言った途端、正面から殴られた。
バキッといい音がして、エドワードが狭い車内で吹っ飛ぶ。
「……ってえ! 何するんだ!」
「つまらない事を考える暇があったら、どうやって逃げるか算段した方が利口だよ。ボクを置いて行ったりしたら、鋼の錬金術師の弟だって大声で宣伝して、囮になるからね」
エドワードも怒っているが、アルフォンスの方がより怒っていた。
「アルっ!」
「兄さんは本当にバカなんだから。ボクが兄さん一人を危険な目に合わせる訳がないじゃないか。どうして分らないのかな?」
「分っているから巻き込みたくない」
「ボクと兄さんは一蓮托生なの。互いに一人じゃ生きられないんだから、一人で死のうなんて思わないでね。兄さんが死んだらボクも死ぬからね」
「アルっ! 縁起でもない事を言うな!」
「ボクは本気だよ」
睨み合ったが、分が悪いのはエドワードの方だった。弟が兄一人を危険に晒すわけがない。
「エド、アルと二人で帰れ。護衛がない方がいいなら、それでもいいから」
ヒューズが仲裁する。
護衛を付けないのは心配だが、エドワードの言った通り軍人が側にいれば目立つ。ミランダにこれが鋼の錬金術師だと教えているようなものだ。
エドワード達は列車に乗せてしまえば、とりあえずは安全だ。そのまま東部に帰ってしまえばいい。
「シェスカは?」
戦闘とは縁のないシェスカを気にして、エドワードが問う。
「シェスカの事は気にするな。あいつは軍人に見えないから、私服に着替えさせてこっそりセントラルに帰す」
「ならいい」
ヒューズの言ったとおり、シェスカは制服を脱げば、まず軍人には見えない。着替えさせてしまえばほぼ大丈夫だろう。
「それよりお前らだ。……本当に二人だけで大丈夫か?」
「護衛なんかいてもいなくても同じだ。なら身軽な二人だけの方がいい。東部に帰ったら、しばらくはおとなしくしているよ。オレだって命が惜しい」
あの破壊を見た後では本気でそう思う。
「ロイのヤツにはオレから連絡しておく。東部に入ったら迎えが行くはずだ。……それまで充分に気をつけろよ」
「了解。……色々ありがとう」
「気にするな。当然のことだ」
危険な南部にヒューズを残していくことは気掛かりだったが、ヒューズなら大丈夫だろう。細心の注意をはらって生き残るに違いない。
シェスカに写本の件を頼み、世話をかけたヒューズに礼を言った。
駅に着くと、降りようとするヒューズを止めた。
「一緒に来ない方がいい。なるべく目立ちたくない」
「しかし……」
「アルとも別々に乗り込む。アルは目立つからな。東部行きの列車の、前から3両目でおち合うことにしよう」
エドワードの提案に、ヒューズは仕方なく頷いた。
確かにエドワード一人の方が目立たない。
駅にも憲兵隊が配備されている。それらしい人間はいないと報告されているから、まだミランダは現れてはいないのだろう。部下に言って、エドワードを見張らせる。
アルフォンスが探るようにエドをジッと見た。
「……そんな事言って、兄さん、一人になろうなんて考えていない?」
「そんな事をしたら、お前が囮になるんだろ。大丈夫だ。ちゃんと合流する。オレが先行する。アルは後からついてこい」
「……仕方がないね」
エドワードが一人雲隠れすることを懸念したが、大丈夫だと言うなら信じるしかない。いざとなったら本当に囮になるつもりのアルフォンスだった。
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