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「今度紹介して下さいよ。きっと可愛らしい方なんでしょうね」

「すっごく可愛い。だけど会わせられない。恥ずかしがりやさんで、そんな事になったら逃げちゃうから」

「残念」

 だれが可愛い恥ずかしがりやさんだ! …というエドワードの内心の叫びは当然誰にも聞こえない。

 シェスカは話題に加わらないエドワードに話を振った。

「エドワードさんは相手の方に会った事があるんですか?」

 当事者だ、当事者! 目の前にいる!…と、エドワードはプルプルと顔を横に振る。

「会った事ないんですか? 弟さんがそんなに好きな相手なら、会ってみたくはないんですか?」

 鏡を見れば会えるよ。…とは言えない。

「……自分の事で……手がいっぱいで……」

「ああ、そうですね。エドワードさんの方も熱愛中ですものね」

 シェスカは納得する。

 熱愛中って言うなーっ! と思ったが、やはり何も言えずに、はははと笑って誤魔化す。

 鎧で表情は分らないが、隣で弟が笑っている気配がして、テーブルの下で鎧の脚を蹴飛ばす。

 お前はお兄ちゃんが困っているのがそんなに楽しいかと、恨めしく思う。

 心臓に悪いから話題を変えたいと思い、エドワードはシェスカを仕事の話に引き戻した。

「……で、その……シェスカに頼んだ本の写しはいつ頃できる? 外に洩らしたくないから、できれば直接会って受け取りたいんだけど」

 シェスカはあさっての方向を見て、しばらく考えた。

「あの時と違って今は仕事がありますからね。……そうですね。3週間ほどいただけますか? 土日でなんとか仕上げますから」

「……悪い。そうしてくれ。……特別ボーナス出すから」

 潤沢な研究費を使えるエドワードは、自分の懐が痛まないのでお金を出すのを躊躇わない。

「はい。頑張ります」

 にっこり笑うシェスカだった。エドワードには仕事を紹介してもらったという恩がある。頑張ろうと思った。

「それで……」と話を続けようとしたエドワードだったが、空気を乱すような人の気配を感じて、入口を見た。

「……ヒューズ中佐?」

 バタバタと駆け込んできたのは、珍しく取り乱した様子のヒューズだった。

 エドワード達を見つけると、駆け寄ってくる。

「ヒューズ中佐。どうし……」

「無事だったか。エドっ! アルっ!」

 突然言われてエドワード達はただ驚いた。

 周りの人間達も突然飛び込んできた軍服の男に驚いて、注目している。

「何かあったのか?」

 そうとしか思えないヒューズの余裕のなさに、エドワードは気を引き締めた。

 ヒューズの顔色が悪い。

「ああ。……ミランダの家が消えた」

「消えた?……ってどういう事だ?」

「文字どおりだ。……中にいた人間ごと無くなっちまった」

「……それって?」

 ここでは場所が悪いからという事で、場所を部屋に移し、エドワード達はヒューズの報告を聞いた。

 ホテルに駆け込んだヒューズは部屋にいないエドワード達に焦ったが、フロントでレストランにいると聞いて胸を撫で下ろした、と言った。

「ミランダだ」

「ミランダ・マクミラン?」

「彼女が戻ってきて、自分の家を破壊した」

「どんな風に?」

「錬金術だ。実際に見た訳ではないから詳しくは分らないが、隣近所の家にはまったく被害はなく、ミランダの家だけが庭ごと地面から抉りとられて、欠片しか残っていない。こんな場合で使う言葉じゃないけど、見事としか言い様がない。どうやってやったのかは分らないが、家も中にあった物も……それから中にいた人間も…………跡形もない」

「中にいた人間も? ……っていう事は全員…………死んだ、のか?」

 エドワードが言葉を詰まらせる。

 ヒューズは首を振った。

「死体はない。……まず見つかるまい。肉片の欠片でも見つかればいい方かもしれないが……」

「そんな……」

 セントラルの人間がエドワード達と入れ違いでミランダの家に入っていくのを見た。その時は憤りと悔しさしか感じなかったが、まさか数時間後にこんな事になるなんて思ってもみなかった。

 もしセントラルの人間が来なかったら、死んでいたのはエドワード達の方だった。不謹慎だが、助かった偶然の幸運に安堵する。

「ミランダの姿を見た者はいない。だがあの状態を見る限り、ミランダである事は間違いない。南方指令部は浮き足立っている。その気になれば一度に百人は殺せる女だ。抉られた家を見て兵士達はブルッちまった。……無理もない。あれは普通じゃない。あんな風に消されるかと想像すると、とてもじゃないがあの場所にはいられない。理解しきれないモノと戦えっていうのはな……」

「現場に行ってみる」

 立ち上がったエドワードをヒューズが止める。

「止めろエド。お前さんが行っても何もできないし、危険だ。死んだ者は生き返らないし、お前さん達のせいじゃない。あの家に入りエド達を追い出したのはセントラルの人間だ。何も罪悪感を感じる事はないし、自分達の身の安全を優先しろ」

「ミランダがオレ達を狙うっていうのかよ?」

「お前を、だ。その可能性はある。ミランダと直接顔を合わせているし、ミランダの組織を潰したのもお前らだ。……南部に現れたミランダが一番に狙うだろうと思われるのは、鋼の錬金術師だ」

「畜生っ!」

 エドワードはホゾを噛む。

「南方指令部にお前さん達を守ってやれるだけの戦力はない。対テロリストなら戦えても、元国家錬金術師を相手にするには荷が重い。……エド達は大急ぎで東方指令部に帰れ。列車に乗ってしまえばミランダは追いつけない。護衛はつけてやる。今外に出るのは危険だが、一般人を巻き込むわけにはいかない。エドワードがこのホテルにいる事はあまり知られていないが、調べればすぐに分る。ホテルごと破壊されたら被害は甚大だ。移動は危険だが、東方指令部に帰る方がまだ安全だ。東部にはロイがいる。あいつの所なら大丈夫だろう」

 ヒューズに言われて、エドワード達は大急ぎで部屋を出た。来たばかりで荷物を拡げていないのが幸いした。

 車の中に入ると、エドワードはヒューズに頼んだ。

「……ミランダの家に行ってくれ」

「バカを言うな」

「必要なんだ。……ミランダ・マクミランがどんな錬金術をするのか知りたい」

「こんな時に知的好奇心を満足させている場合か!」

 ヒューズが怒鳴る。

「そうじゃない。ミランダの錬成方法を知りたいんだ。……万が一ミランダに遭遇した時に、錬成方法を知らないと防御の方法が分らない。空気の質を変えるってことは分るが、何をどんな風に変えるのかさっぱりだ。少しでいい。ミランダの家に行ってくれ。そうしたらすぐにでも列車に乗るから。列車の出発までまだ時間がある。知っておきたいんだ」

 エドワードの真剣な眼差しにヒューズは躊躇ったが、車をミランダの家に向けた。

 まだ近くに潜伏している可能性はあるから危険は大きい。だが狙われているエドワードが対処できないもの困る。

「ヒューズ中佐はどうするんだ?」

「オレは南部で仕事を続行する。パドルはいないし、お偉方は浮き足立っている。上がそんなんだから、下の連中も腰が引けて内状はガタガタだ。仕方がないから、オレが行って手伝ってやらにゃあ駄目だ」

「中佐こそ気をつけろよ。錬金術師じゃないんだから」

「お前らデタラメ人間万国ビックリショーとなんかやりあえるか。イシュヴァールの戦闘を間近で見て、味方で良かったと心から思ったんだぞ。敵に回ったら速攻で逃げるさ。オレには中央で待っている妻子がいるんだ。仕事よりも家族をとるぞ」

「そうしてくれ」

 ヒューズの言葉にエドはホッとする。

「ほら、着いたぞ」

 エドワードは車から降りると、何も無くなった目の前に、改めてゾッとした。

 シェスカが短い悲鳴を挙げた。

 ヒューズの言った通りだった。地面ごと丸く抉られて跡形もない。隕石でも落ちたかのように陥没している。

「酷え……」

 エドワードは屈んで削られた地面に触れた。

 綺麗に切り取られている。あれだけあった家が中身ごと消えたというのは尋常ではない。

 欠片がないというのがおかしい。

「……圧縮されてる」

 エドワードには分った。

 ミランダは丸いシャボン玉のような空気の層を作り、家を覆い、中の空気を抜いて圧縮し、内部にあったものを粉砕した後、欠片をすべて原子の段階まで分解したのだ。だから何も残らない。

 原子の段階まで分解されてしまえば、爆風で全てが霧散する。そうしてこんな破壊跡だけが残る。

「エド……まだか?」

 周囲を警戒しながら、ヒューズが声を掛ける。

「……もういい」

 ヒューズに礼を言って、車に乗り込む。

 エドの厳しい表情にヒューズが聞いた。

「もう分ったのか?」

「ああ。見事すぎて溜息しか出ない」

 エドワードは自分の見解をヒューズに話した。

 理論を聞くと、ヒューズが頷いた。

「錬金術師っていうのは一目見ただけでそんな事が分るんだな。……だけどミランダのした事の方が恐ろしい。本当にそんな事が可能なのか?」

「理論上はな」

「お前だったら……できるか?」

 ヒューズに問われてエドワードは考える。

「圧縮する段階までならできるが……。その後、空気の断層を崩さないように、中の物質を原子分解するのが難しいな。2段階の錬成を一度に行うには、構築式を身体の中に2種類用意しなくちゃならない。時間差で発動するのはいいが、双方のバランスを崩すと、空気の層が崩れて、大爆発が起こる。下手をすれば街の半分が吹き飛ぶ。やれって言われても、リスクを考えると怖くてできない」

 できないと言いつつもやろうと思えばできるという言外の言葉に、ヒューズは改めて人間兵器と呼ばれる国家錬金術師の力を知った。

「護衛を付けるから、この足で東部に帰れ」

「護衛はいらない」

「駄目だ。ガキだけで帰せるかよ」

「どうせ役には立たない。ミランダが本気になれば周囲の人間は成す術がないし、軍人なんか連れてたらそれだけで目印になっちまう。二人だけで帰った方が安全だ」

「アルフォンスがいる時点で目印はバッチリだぞ。旗を持って立っているようなものだ」

「あ……そうか」

 エドワードは弟を見上げて言った。

 アルフォンスが小さくなる。

「アル、お前は別行動しろ」

 エドワードは弟に言った。

「駄目だよ。兄さんが一人になっちゃうじゃないか」

「お前が一緒にいたら巻き込まれるだろ。相手はお前の事を知らないんだから、狙われるのはオレ一人でいい」

「本気で言っているならボク、怒るよ」

「本気だ」

 言った途端、正面から殴られた。

 バキッといい音がして、エドワードが狭い車内で吹っ飛ぶ。

「……ってえ! 何するんだ!」

「つまらない事を考える暇があったら、どうやって逃げるか算段した方が利口だよ。ボクを置いて行ったりしたら、鋼の錬金術師の弟だって大声で宣伝して、囮になるからね」

 エドワードも怒っているが、アルフォンスの方がより怒っていた。

「アルっ!」

「兄さんは本当にバカなんだから。ボクが兄さん一人を危険な目に合わせる訳がないじゃないか。どうして分らないのかな?」

「分っているから巻き込みたくない」

「ボクと兄さんは一蓮托生なの。互いに一人じゃ生きられないんだから、一人で死のうなんて思わないでね。兄さんが死んだらボクも死ぬからね」

「アルっ! 縁起でもない事を言うな!」

「ボクは本気だよ」

 睨み合ったが、分が悪いのはエドワードの方だった。弟が兄一人を危険に晒すわけがない。

「エド、アルと二人で帰れ。護衛がない方がいいなら、それでもいいから」

 ヒューズが仲裁する。

 護衛を付けないのは心配だが、エドワードの言った通り軍人が側にいれば目立つ。ミランダにこれが鋼の錬金術師だと教えているようなものだ。

 エドワード達は列車に乗せてしまえば、とりあえずは安全だ。そのまま東部に帰ってしまえばいい。

「シェスカは?」

 戦闘とは縁のないシェスカを気にして、エドワードが問う。

「シェスカの事は気にするな。あいつは軍人に見えないから、私服に着替えさせてこっそりセントラルに帰す」

「ならいい」

 ヒューズの言ったとおり、シェスカは制服を脱げば、まず軍人には見えない。着替えさせてしまえばほぼ大丈夫だろう。

「それよりお前らだ。……本当に二人だけで大丈夫か?」

「護衛なんかいてもいなくても同じだ。なら身軽な二人だけの方がいい。東部に帰ったら、しばらくはおとなしくしているよ。オレだって命が惜しい」

 あの破壊を見た後では本気でそう思う。

「ロイのヤツにはオレから連絡しておく。東部に入ったら迎えが行くはずだ。……それまで充分に気をつけろよ」

「了解。……色々ありがとう」

「気にするな。当然のことだ」

 危険な南部にヒューズを残していくことは気掛かりだったが、ヒューズなら大丈夫だろう。細心の注意をはらって生き残るに違いない。

 シェスカに写本の件を頼み、世話をかけたヒューズに礼を言った。

 駅に着くと、降りようとするヒューズを止めた。

「一緒に来ない方がいい。なるべく目立ちたくない」

「しかし……」

「アルとも別々に乗り込む。アルは目立つからな。東部行きの列車の、前から3両目でおち合うことにしよう」

 エドワードの提案に、ヒューズは仕方なく頷いた。

 確かにエドワード一人の方が目立たない。

 駅にも憲兵隊が配備されている。それらしい人間はいないと報告されているから、まだミランダは現れてはいないのだろう。部下に言って、エドワードを見張らせる。

 アルフォンスが探るようにエドをジッと見た。

「……そんな事言って、兄さん、一人になろうなんて考えていない?」

「そんな事をしたら、お前が囮になるんだろ。大丈夫だ。ちゃんと合流する。オレが先行する。アルは後からついてこい」

「……仕方がないね」

 エドワードが一人雲隠れすることを懸念したが、大丈夫だと言うなら信じるしかない。いざとなったら本当に囮になるつもりのアルフォンスだった。









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