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「どしぇーー-」

 エドワードが妙な声を出して大口を開けた。

「……凄いね」

 アルフォンスの声に全くだとヒューズも同感する。

 ミランダが隠れ家兼研究室として使っていた家は一見普通の民家だったが、一歩中に入ると研究資料の山だった。これでは東方指令部に運ぶのは無理だろう。

 ヒューズには全く分らない研究だったが、エドワードたちは一目見るなり他が目に入らない様子で、フラフラと本棚に手が伸びている。研究者というのは分野に関係なく病的に熱心だ。

「凄い……」

 エドワードは思わず声を出した。

 生体研究の過程が暗号文でなくそのまま書き記してある資料は、エドワードにとって宝の山だった。

「こんなに沢山、二人で整理できるのか?」

 ヒューズが心配する。常識的に見てとても二人では終わらない量だ。

「やるしかないだろ。……こうなったら時間との勝負だな。……寝袋を持ってきていて正解だった」

「台所はあるし、後で材料を届けてもらえれば食事は問題ないし、二十日間ここに篭ります。……シェスカさんが来たらこちらに寄越して下さい」

 アルフォンスが、気もそぞろな兄に代わって言う。

「あまり無理はするなよ」

「それは無理だと思います。こうなった兄さんが無理をしない訳ないです。……ボクが無茶しないように注意してますよ」

「頼んだぞ」

 資料に齧りつくエドワードに苦笑して、ヒューズは家を後にする。エドワードの事は心配だが、弟がついているのでそう無茶はすまい。

 それよりも自分がすべき仕事を思い出して、心が重くなる。

 ロイと協力して行った逮捕で沢山の犠牲者が表に出てきた。

 子供が攫われて身体を売らされていたと聞いて、ヒューズの肚は煮え繰りかえっている。それを行ったのが元上司と同僚と聞いて平静ではいられない。

 何故? という疑問と、ミランダの向いたのが自分の家族や仲間でなかった事の安堵と。

 どういう理由で自分の親族に手を出したのか。パドルと何をしようとしたのか。それをこれから調べなくてはいけない。

 救出されたリーヴ・マクミランの地獄の底から掬いあげたような瞳に、何を問えばいいものかと、常識しか知らない大人は見えない手に背中を引っ張られている気持ちになった。

 ロイなら、エドワードならどうするだろうかと考えて、他人任せにしたい衝動を内で殺す。

 二人ならきっと子供を気遣うような真似はすまい。己の傷から目を逸らせない人間は、他者の傷からも目を逸らさない。傷付いた場所を陽の光の下に曝け出し、へし折られた誇りと背骨に梁を入れるだろう。

 それが果たして自分にできるかどうかと、ヒューズは瞳を厳しくした。











 研究は滞りなく進んだ。……とは言い難かった。

 七年に及ぶ研究は資料を整理するだけで一ヶ月は掛かりそうだったが、そんな余裕は何処にもなかったので、できる限り時間を短縮する為に重要そうな資料だけを一ケ所に集め、端から目を通す事にしたのだ。

 見なければならないのは資料だけではない。実際に実験した『失敗作』をも、見なければならなかった。

 人の組織を使って錬成されたサルもどきや、人の形状に近付けたブタもどきなど、生きた資料を目にしてエドワードとアルフォンスは気分を滅入らせた。

 サルやブタは細胞組織が人と非常に似通っている。やりようによってはサルやブタの内臓は人に移植できるのだ。研究はまだ未完成だが、この研究を引き継ぐ者があれば医学は急激に発達するだろう。

 ただし、そこには人体実験という大きな壁がある。

 人に使うモノは、最終的には人で試験しなければ正解には辿り着けない。しかし人を犠牲にしなければ発達しない実験は、殆どが禁忌だった。

 軍が本気で進めようと思えば、それは秘密裏に行われるだろう。人の未来の為に今生きている人間を犠牲にするか、良心に従い道を外さず医学の発達に目を閉じるか。研究には矛盾が常に付きまとう。

 致死性の高い伝染病の研究を進める父親が、試薬を息子に使用して成功をおさめた例もあるが、犠牲になるのが自分でなければ悪魔の所行だろうと何でもしてしまうのは、その研究者が狂人と紙一重だからだ。そこに大義名分はあっても、本物の人としての良心はない。

 犠牲になるのが自分の子供だから罪にはならないとは、まるで子供の命は親の所有物と公言しているも同然だ。

 自分の子供なら殺して構わないというのなら、犠牲になる子供は生き残る為に反対に親を殺しても構わないという事になる。

 彼らの良心は大義名分というものに守られて、決して汚れる事はない。

 結果大勢の人間が救われたのだ、多少の犠牲が何故いけないと声高に自己弁解する正統性に、自らを犠牲にするという選択肢が含まれないのは卑怯でなくて何なのか。まるで自らは生きるに値し、他は犠牲になるのが当然だと言っているようだ。

 だからエドワードは医学の研究者が嫌いだった。等価交換の法の下に生きる錬金術師のエドワードは、犠牲にするモノの中にちゃんと自分を含めている。

 この研究をそのままセントラルに渡していいものか、エドワードは逡巡する。

 禁忌の部分はこっそり処分して、当たり障りのない部分だけを提出する事も考えたが、ミランダ・マクミランの優秀さと禁忌をものともしない性格を考えると、下手な事はできないと判断する。だがそのまま中央に渡してしまうのも業腹で、いくつか重要な情報を頭の中に叩き込んだ後、資料を火に焼べた。

 弟との関係はまずまず良好だった。それが薄氷の上にある安定だとしても、仕事を優先している間は恋愛感情を表に出さずに済む。アルフォンスはわきまえていたので、こんな時にエドワードを困らせたりはしない。

 エドワードがアルフォンスの言葉を聞かずに無茶をすれば、無理矢理でも眠らせるよと悪戯を含んだ目と包容で、エドワードを慌てさせるくらいだ。

 途中シェスカも加わって、仕事は切羽詰まりながらも何とか進んでいた。

 ミランダ・マクミランの研究室は町中の一軒家にあったが、近所付き合いはなかった。噂では誰かの愛人の家という事になっていて、親しい付き合いがなくても誰も不思議に思わなかったという事だ。

 それに軍服を着ていなかったミランダは、一見しただけでは市井の地味な主婦にしか見えない。瞳の剣呑さは同じ軍人か、戦いを生業にする人間にしか分らないだろう。

 この家に子供と二人で住んでいたという事だが、家に子供の気配は薄かった。軍が踏み込む前にとっくに何処かに避難していて、所在は未だ掴めなかった。

 エドワードはミランダの研究に没頭した。ミランダのしようとした事はエドワードの目的と似通っている。

 ミランダはまず、動物を使って人間に内臓を移植する研究をしていたらしい。それは三割の確立で成功したらしいが、成功後も免疫系の不具合の為に癒着は上手くいかなかった。研究を進めれば成功率は上がっただろうが、ミランダは研究結果に満足できずにやり方を変えてしまった。

 それこそエドワードが本当に注目した内容だった。

 ミランダは人体錬成を行おうとしたのだ。

 それは全てが錬金術ではなく、医学と錬金術を融合した、いわばコラボレーションだった。医学的にクローンで人体を造り出し、錬金術によって魂と精神をその中に封じ込めるという、画期的な方法だった。

 エドワードには目からウロコが落ちる思いだった。その方法は考えた事がなかった。2段階の錬成。身体と魂を分けて考えているのだ。器を作って中身を入れる。考えつかなかった。

 エドワード達が失敗した母親の人体錬成は、全てを錬金術で行おうとしてリバウンドを起こしたのだ。だが身体を先に作ってしまい、生きた人間から精神と魂を引き剥がし、健康な魂のない人間に移し変えてしまえば、理論上は成功する。

 リバウンドも魂の剥離もありえない。精神を壊すこともない。クローンなら遺伝子が同じだし、身体と精神のバランスが崩れることもない。完璧だった。

 エドワードの知りたいのは錬金術ではなく、ミランダの医者としての研究だった。クローニングの知識はエドワードにはない。短期間では完璧に理解するのは無理だが、研究の価値はある。

 ミランダのやろうとした事をエドワードがそっくり引き継げれば、アルフォンスに肉体を与える事ができる。

 アルフォンスの遺伝子は残っていないが、エドワードの身体がある。遺伝子情報は似ているし、いざとなったらエドワードのクローンでも構わない。

 エドワードには遺伝子上疾患はないし、双児がそっくり同じ顔にならないように、精神が別なら二人は別の人間として認識されるだろう。

 元々似ていた兄弟だ。鎧から魂をそのクローン体に移してしまえば、事は足りる。魂の錬成方法は知っているので、その辺の失敗はない。

 精神は魂と同化しているし、身体さえ作ってしまえば、あとは錬金術師としての腕だけだ。エドワードには自信があった。

 エドワードは興奮した。賢者の石がなくてもアルフォンスを元に戻せる。正確には百パーセント同じでないが、アルフォンスがエドワードの遺伝子を持った肉体を拒否するとも思えない。何より望んでいた人としての身体が戻るのだ。

 エドワードは底辺にある良識を踏み躙り、ミランダの思考と研究に同化した。

 ミランダが何故多くの子供を必要としたのか分った。ミランダが作りたいのは自分の子供だ。実験は同じ年代の子供で行われなければ比較は難しい。

 何故娼館など作ったのかは分らないが、その事は理解しなくても足りるので思考の外に出した。

 アルフォンスにはまだ言えなかった。研究は途中でおまけに禁忌の色が強い。ぬか喜びさせるのは可哀想だった。

 エドワードはクローン培養技術を持っていない。肉体を作るのに必要な培養液が、他者の身体を材料にするという事実。弊害は多々ある。実験を始めれば数年は掛かるだろう。

 だが何処にあるか分らない賢者の石を探すより、また多数の人間の命を犠牲にして作るより、余程現実味があった。

 ミランダが犯罪組織を作った理由は分った。高額な研究費の捻出。人体実験の材料集めと後始末。

 軍部と繋がった理由もだ。非合法の研究の隠蔽と、成功したあかつきの情報提供。立派な等価交換だ。

 いかに非道な研究とはいえ、成功すれば大きな発展だ。事故や病気で死ぬ人間は少なくなる。身体が破損してもクローンを作り、魂を錬金術で移し替えてしまえば、後遺症もなく健康体になれる。

 夢のような研究だった。リスクを冒してもやる価値はある。パドル将軍が加担するはずだ。これは夢の研究だ。価値は賢者の石に匹敵する。

 ミランダの研究はあと二つのモノが揃えば成功する筈だった。

 完璧なクローン体と、魂の錬成ができる錬金術師と。

 ミランダは優秀な錬金術師だが、流石に魂の錬成はできなかっただろう。

 あれは自分の命を掛けたものだけが知る事のできる禁術だ。『真理』に辿り付けるものだけが、魂の構造を理解し、扱うことができる。

 エドワードにクローンを作る力はないが、魂を扱うことはできる。

 エドワードだけができる。他の錬金術師では無理だろう。

 この研究をセントラルが持ち帰った所で成功させることはできない。人のクローンを作ることができても、魂の錬成だけは無理な筈だ。

 エドワードは身体を巡る期待と興奮に夜も眠れず、ベッドの中で身悶えた。

 そして同時に悲しみに浸るのだった。

 人体錬成の成功はすなわち弟との別離を現わす。

 弟の優しい手。固い身体に拓かれる喜び。

 地獄に堕ちてもいいと願った程の愛の全てが失われる。

 ただ優しい兄弟愛に戻るだけの失意の日々はエドワードの精神を壊すだろうが、それでも弟が大事だった。

 自分のせいで鎧の身体になった弟を戻すという使命は、エドワードの生きる糧だ。それなくして、エドワードはもうエドワードたりえない。

 研究を進めるうちに、その成功率の高さと結果起きるだろう事を考えて、エドワードは葛藤し打ちのめされた。












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