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「アルフォンス……」

 弟に浅ましい欲望を覚えている自分を見ないで欲しいと思うと同時に、全てを曝け出して肯定して欲しいと望む自分がいる。

 あの時はクスリで夢か現実か分らなかった。だが今は互いをちゃんと認識して、抱き合おとうしている。期待しない方が無理だった。

 こんな事なら昼間ロイとするのではなかったと傲慢に思うエドワードだ。

 エドワードにとってなにより至上はアルフォンスで、他はどうでも良かった。

「……あ……アル……ふわ……ぁ……」

 鋼鉄の指が身体を確かめるように這う。

 目的をもって触られると、それだけで身体の芯に火が付いた。その冷たさも気にならない。

 これがアルフォンスだと思うと、どうしようもなく神経が波立つのだ。平静ではいられない。恋とは嵐のようだ。

 産毛が逆立ちそうだった。皮膚を破って血管が破裂するのではないかと思った。全身が弟を求めていた。

 初めてだった。こんな風に身を絞られるような気持ちになったのは。

 浅ましい欲望を持っても許されているという甘美な許しが、泣きたいほど嬉しかった。

 もっと乱暴に扱われてもいいと望んだ。その鉄の身体で貫いて欲しい。

『兄さんの全てが欲しい』……と、欲にまみれて望まれたい。

 こちらの負担など気にせずに扱われたい。

 だがアルフォンスの愛撫の手は性格の通り丁寧で、エドワードは正気のまま弟の手に狂った。

「アル……アルフォンス……や…………ああ…………ひゃ……あ……もっと………もっと触って……」

 快感に指先まで痺れている。

 エドワードが望めばアルフォンスはその通りに触れた。いつの間にか性器を握られ、擦られた。鉄の指が敏感な部分を擦る痛みに、どうしようもなく興奮した。禁忌だという気持ちは未だ根底にあった。

 だがそれを基本にしても、感じるのはただ神経が破裂しそうな歓喜だけだ。同じ血を分けた弟に、自分の汚れを舐められているような背徳感に、身体を灼いた。

「兄さん……気持ちいい? 痛くない?」

「……ん……いい……アルフォンス……」

 気遣うような優しさがもどかしく、それでも愛情に満ちた声に、ささくれそうになる心が宥められ、エドワードは裂かれそうになる心と身体にバランスを崩し、涙を流した。

 幸せで……このまま死にたかったが、弟の身体を元に戻すまでは石に齧りついても生き抜こうと決意している気持ちも本当だった。

「どうして……泣くの?」

 弟に問われてどうしてだろうと思い………心の中に溜められて一杯になってしまった水が目蓋を通して出てしまった、としか言い様がなかった。

「アルが……触るから……」

「ボクが触るから?……辛い?」

「…辛い………気持ちが………一杯で………何かが心を押し上げて……溢れてくるんだ」

「……分るよ」

 アルフォンスが、エドワードのほどけた髪を撫でながら言った。

「ボクも……身体があったらきっと……泣いている」

「どうして?」

「……兄さんが……ボクのモノだから。……兄さんが側にいてくれることが……ボクの手の中にいてくれる事が嬉しくて」

「オレ達……同じだな……」

「うん。兄弟だからね」

「兄弟……だからな……」

 あえて血の繋がりを強調するアルフォンスに心の強さを感じて、エドワードは情けなくなった。こんなになっても……心が歓喜に震えても、未来を何も信じられない自分が恨めしかった。

「アル……好きだよ」

「ボクも……兄さんが大好き」

 言葉で確認しなければ安心できない心の弱さが疎ましい。

 自分を消してしまいたい、許しを乞いたい、情けない、どうせ今だけだからと、開き直る浅ましさとふてぶてしさが同居して、エドワードを内から壊す。

「アル……」

 早くアルフォンスに身体を取り戻してやろうと、再び誓う。弟が自分を忌避しないうちに、選択を後悔しないうちに、元の綺麗な身体と心に戻してやろう。そうして消えよう。

 誓いは神聖で真実だった。それが脆い心の土台に立った聖台だとしても、紛れもなく真実なのだ。

 アルフォンスは地に堕ちても尚、エドワードの輝く星だ。その輝きを消すのが自分であることが許せなかった。

「あ……」

 アルフォンスの指がエドの最奥に触れる。

 ビクッと全身が震える。

「アル……」

「大丈夫。無茶はしないから」

 優しく囁かれても怯えは消えない。自分の一番汚い部分を弟に触れられて快感を感じるなど、アルフォンスに対して酷い罪悪感を感じる。

 だがそれでも止めて欲しいとは思わないのだ。

 そういう形でしか愛情を発露できないのは本当に浅ましいと思うが、それでもアルフォンスを身体の内側で感じたかった。

 温度のないアルフォンスの、柔らかさのない弟の身体が愛おしかった。エドワードと寝ても、決して汚れる事のないアルフォンスの鉄の身体が恋しかった。

 アルフォンスの白い心に落した墨のような消えない自分の黒さも、肉体を取り替えれば元の白い輝きに戻るだろう。そう信じてアルフォンスを受け入れる。

 慎重に扱われても肉体に馴染まない異物であることに変わりはないし、鉄の指は人間のものより二周りも太い。走った異物感と痛みに、エドワードは唇を噛み締めて耐えた。

「……痛い?」

 尋ねられれば痛くないとしか返せない。

 心の充足に比べれば肉体の軋みなどいかほどだというのだろう。血を流しても、いつかその傷は塞がる。いっそ元に戻らないほど壊して欲しかった。そうすれば一生忘れられない傷になる。それがアルフォンスに愛されたという証になって、エドの心を癒すだろう。

「アル……もっと……奥まで触って……」

 入口で止まっている指にもどかしさを感じる。

 奥まで犯して欲しい。その存在を身体の中で感じたい。

「焦らないで……ゆっくり触るから…………そう…………力を抜いて……傷つけたくないんだ。…………根元まで入ったけど……もっと潤滑剤を付ける? ……動かしても大丈夫?」

「……お前のいいように……しろ……」

「兄さんに気持ち良くなって欲しいんだ。だからちゃんと言って」

 弟の鉄の身体にしがみついて、エドワードは開かれた脚の痛みとか、中に入っている違和感に、夢ではないと、感極まった。

「……うっ!……」

 奥に入れられた指が中を広げるように行き来する。ロイとした時と違って、アルフォンスの指はエドワードの内部と馴染まない。その違和感が愛しかった。その人ではない感覚が弟なのだと思うと、内側がもっとと震えるようだった。痛みがリアルで嬉しかった。

「アル……もっと……もっとだ」

 浅ましいと思いながらも、腰が揺れるのを止められなかった。

 こういうのを貪るというのだろうかと、内から弟を喰っているような気持ちになった。

 実際に喰われているのは自分の方なのだろうか?

 より多く求めているのはエドの方だ。

 感覚がないアルフォンスは悦べるのだろうか?

 肉体がなくてもアルフォンスの征服欲は牡のモノで、受入れているエドワードの性は牝の、相手を貪ろうとする貪欲さに満ちている。可笑しかった。

「もう一本入れても大丈夫?」

 アルフォンスに聞かれて夢中で頷く。たとえ無理だとしても弟を受入れたかった。

「……うわっ……いっ……った……あっ……」

 声が思わず漏れてしまう。

 固くて太いモノが内部を拡げて入ってくる。乱暴さは欠片もなかったが、初めて感じる大きさに、身体がついていけない。

「……痛っ………う………うう……ん……」

 痛みを訴えれば弟は止めてしまうだろうと思うと、声を殺すしかないが、内に走る痛みは到底殺せるものではない。

 柔らかい部分が固い鉄に擦られていて、馴染まない鋼が内を傷付け、擦られる感覚が鋭敏に痛覚になってエドワードの背に走る。

 何より拡げられている入口が辛かった。いつもならドロドロに溶かされてから繋がるので、違和感はそうないが、正気のまま鎧の一部に入り込まれるのはただ辛くて、だがそれがアルフォンスだと思うだけで興奮してしまって、神経が休まらないし身体は痛いしで、ただ喘ぐしかできなかった。

「兄さん……痛いんだろ?……止める?」

「バカ。……途中で……こんなところで……放り出すな……気が狂う」

「いいの?」

「……いい。……良すぎて……死にそう」

「そう。……良かった」

 アルフォンスの安堵したような声も、熱に浮かされたエドワードの思考には性的な響きしか感じない。

 塗られた潤滑剤の滑りを借りて中で大きなモノが動く感覚に、神経が焼き切れそうだった。内臓が悲鳴を挙げている。

「アル……痛い……」

「じゃあ……止める?」

「バカ……止めたら……余計に…………痛い……」

「兄さん……分らないよ……」

 もう自分でも何を言っているのか分らなくなって、エドワードは身体の中を渦巻く、高温になった血液をさましたくて、冷たい空気を喘ぐように肺に吸い込んだ。

「……辛いの?」

「辛くても……いい……」

 アルフォンスの空いた手がエドワードの性器や腹を撫でる。その冷たさに竦みながらも、反動で熱に転換して、余計に身体が熱くなった。アルフォンスの触れた場所が火になる。

 我を忘れるというのはこういう事をいうのだろうかと、飛びそうになる意識の隅で思った。片手でシーツを握り締めながら、口の端から溢れる唾液をシーツに吸わせる。

 エドワードばかり気持ち良くなって、アルフォンスはいいのだろうか? 触れても感触の感じられない身体では性的興奮とはほど遠いだろう。

「アル……お前は……いいのか?」

 端的な言葉だがエドワードの言いたい事が分るのか、アルフォンスの声が弾むように返される。

「凄く……いい。こんな兄さんが見られるなんて……こんなことが許されるなんて……嬉しい」

「なら……いい」

 弟が悦んでいるのがエドワードは嬉しかった。感じられない身体で何を喜びとするのか分らなかったが、兄の身体一つで悦びが得られるなら、いくらでも差し出せた。声に出さなければエドワードの快感はアルフォンスに伝わらないだろうと思うと、声は殺せない。素直にアルフォンスの手を感じた。

「アルっ……」

 限界が近くて必死にアルフォンスの名前を繰り返した。お前に……お前だから、こうも感じるのだと伝えたかった。

 これから幾度あるか分らない交情だからこそ、全て覚えておきたかった。アルフォンスの匂い、声、セックス。エドワードをどう抱いたのか、その手順を身体に刻み付けたかった。

「アルゥ……」

 吐き出した精はアルフォンスの手の中にあった。指が中から抜かれて、喪失感に寒気を感じた。終わってしまうとあっけなかった。だがアルフォンスに労るように身体を撫でられると、そんな気持ちも飛んだ。

「兄さん……よかった?」

「何処に目を付けてんだ? ……あんなに感じまくらせといて、イイも悪いもあるか」

 エドワードの息は荒い。

「良かった。……上手くできなかったら、どうしようって思ってたんだ」

「技術なんか関係あるか。……アルだから、どんなんでも天国を感じられるんだ」

「それって……ボクが下手だって事?」

「初めから上手かったらお兄ちゃんショックだぞ」

「やっぱり下手なんじゃないか!」

「他所で練習してきたら、二度と触らせないからな」

「兄さんこそ、他所で浮気してきたら、酷いよ?」

 声は甘いが、中に刃物が潜んでいた。

 エドの背が冷える。

 もうしてきちゃった後だとはとても言えなかったが、もし言ったらどうなるだろうかと、ドキドキした。

 アルフォンスになら一度くらい酷くされてみたいと未知の体験に期待を膨らませたが、身体のない弟に嫉妬させるのは可哀想だと、浮かれた自分の思考を戒める。

 肉体が戻ったら浮気を告白してみようか。

「兄さん。シャワーを浴びる?」

「ん……」

 生返事をすると、抱き上げられて慌てた。背が宙に浮く。

「こら、アル。自分で歩ける」

「いいから。一度やってみたかったんだ。お姫さまだっこ。バスルームまでボクが連れていってあげるから、暴れないで」

「……お姫さまだっこ……」

 脱力してエドワードはなすがままになる。自分がお姫さま扱いされていると知って怒る気力も失せる。

 こんな手足が鉄で傷だらけのお姫さまなどいるものか。お前、視界にフィルターが掛かっているんじゃないのかと、嫌味を言えば
「その傷一つ一つが兄さんの努力と苦労と生きてきた証しだから、すごく愛おしい。全部が綺麗だよ」と返され、不覚にも涙腺が弛みそうになった。年下のくせに兄を泣かせるとは生意気だと思う。

「兄さんの方こそこんな鉄の塊とやって、つまらなくない?」と聞かれ、ムカついて頭を叩いた。

 右手で叩いたのでバスルームに金属音が反響する。

「バカたれ、アル。形なんか関係ない。お前だからオレは……」

 それ以上は言葉にならなかった。身体を返してやれないことが申し訳なくて、弟を抱き締める事しか出来なかった。こんな鎧の身体でも愛していると、触れられる事に歓喜していると伝えていいものか迷った。

「兄さん……泣かないで。ゴメン……兄さんを困らせたいんじゃないんだ」

 こんな時に泣くのは卑怯だと思ったが、今は普通じゃないのでちょっとだけなら許されるかと、アルフォンスの胸に身体を預けた。冷たい身体が肌を冷やしたが、これがアルフォンスの現在なのだと、自分の背負った業に打ちのめされた。

「必ず取り戻してやるから……」

「うん」

「待ってろ……」

「大丈夫。兄さんがいるなら……いつまでだって頑張れる」

「絶対に……お前を元に戻す。その為だったら……」

「……何?」

「いや……」

 弟に身体が戻った時が自分達の終わりだと覚悟して、それでもエドワードはアルフォンスの幸福を願わずにはいられない。

 早く、自分の手がアルフォンスの手を手放せなくなる前に、みっともなく弟に縋る前に、この手を放そうと誓った。

 方法はあった。だがそれは人の道に悖る。

 エドワードを支えている人としての良心を捨てれば、自分の子供の為に良心の全てを捨てたミランダ・マクミランのように大切なモノ以外のモノを捨てられれば、きっと自分達の望みは適う。

 だがそれは本当に最後の手段だった。

 そうなったら、自分は本当に弟に顔向けできない汚れた存在になる。この世から消してしまう他はない。

 弟の為なら全てを捨てようと覚悟したエドにも、それは本当に最後の手段なのだ。




「何を考えているの、兄さん?」

 アルフォンスに身体を洗ってもらいながら、エドワードは心地良さに目を閉じる。

「……何も」

「そう?」

 アルフォンスの手が器用に髪を梳く。

「それより、水がかかったら寂びるぞ」

「いいよ。後でオイルで磨くから」

 子供のように安心しきったエドワードの様子にアルフォンスもまた満足して、言葉で空気を壊すのを恐れて、それ以上の会話を打ち切った。

 静かな水音と、静謐な空気と、けだる気なエドワードの肢体に、アルフォンスの意識は酩酊する。

 その時にエドワードが何を考えていたのかを知ったら、アルフォンスは激怒しただろう。

 エドワードの安堵は、自身を地獄に堕とす事を覚悟した者の諦観だった。

 エドワードの頭の中を巡っている構築式は、以前見たモノと似通っていて組み立て易かった。

 ミランダ・マクミランが立てた構築式……人体錬成の錬金術は、偽物の賢者の石と同じく、人の肉体を糧に錬成する、禁断の構築式だった。

 エドワードはアルフォンスと目を合わせると、薄く笑った。

 エドワードの心のタガを外そうとしているのは、皮肉な事にアルフォンスの、エドワードに向かう心…だった。




 狂気の蓋が開こうとしていた。エドワードはパンドラの箱に手を掛けていたのだ。











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