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「そうだね。今回ばかりは互いの利益が一致しているから話が早いね。……っと……ミランダ……マクミラン? ……マクミランって……どっかで聞いた事があるような……」

 エドワードは苦い顔をした。

「聞いた事はあるはずさ。ミランダ・マクミランは救出したリーヴ・マクミランの叔母だってさ」

「ええっ? ……叔母って……どうして叔母さんが甥を売り飛ばすのさ?」

「知るかよ、そんな事。……今、大佐達が調べている」

 信じられないとアルフォンスは手元の資料とエドワードを見る。

「……酷い。……血縁関係にある人間が子供を売り飛ばすなんて……」

「血が繋がっていようといまいと、他人を売る行為は酷いものだ。……血の繋がりなんか……関係ない」

 エドワードは吐き捨てた。

「そうだね。人の悪意は他人身内関係なく、人を地獄に突き落すからね……」

 アルフォンスの声は痛みに満ちていた。

「そんな哀しい声を出すな。……もう終わった事だ」

「終わったのかな?」

 エドワードはアルフォンスから目を逸らした。

「……一応な」

 救出された子供達が薬漬けにされていた事や、一生つきまとうだろう悪夢に苛まされることは、あえて黙っておく。アルフォンスが知る必要はない。

 アルフォンスが見る夢は優しい温かいものだけであって欲しい。実際に夢を見られなくなった今だからこそ、そう願うのだ。人の身体に戻った時に、余計な傷は残しておきたくない。

 ただ真直ぐにあって欲しいと、エドワードは勝手な願いをアルフォンスに押し付ける。

「お見舞いに行っちゃ駄目かな?」

「リーヴ・マクミランの? ……止めておけ。見せ物じゃないんだ。下手な同情は相手を傷つけるだけだ。痛みは受けた本人にしか分らない。分ったような事を言われれば、傷付くと同時に相手を憎むだろうな」

「兄さん……」

「同情は……同じ痛みを抱える人間しか持っちゃいけない感情なんだ。上から下を見下ろして分ったフリをするのは、蔑みと同じだ。優位に立っている者の善意など、何の足しにもならない。自分の惨じめさが強調されるだけで、心の痛みはさらに増すだけだ。何もしないのが一番だ」

「……兄さん。ボク、そんなつもりで……」

「分っている。アルフォンスがいいヤツで、本当に善意からそう言っていることは。だけど被害者はそうは思わない。そんな風に思える心の余裕はないんだ。世界中が全て敵に見えるんだ。もし会いたいと本気で思うなら……もう少し時間をおけ」

「分った」

 痛みを自分の事のように語る兄に、アルフォンスはそれ以上何も言えない。兄が何を見たのかは知らないが、きっと自分の想像以上の酷い地獄だったのだろう。エドワードが正しいとアルフォンスには分っていた。

「いつから南部に行くの?」

「今すぐ……って言いたいところだけど、準備もあるし、明朝発とう。それでいいよな?」

「ボクに異存はないけど……。兄さんはもう大丈夫なの?」

「……何が?」

「……身体とか……体調は大丈夫?」

 エドワードはカッと顔に血を昇らせる。アルフォンスの気遣いに裏はないと分っていても、自分のした事された事を思い出すと、恥じる気持ちが湧いていたたまれない。

「大丈夫だ。……身体の方はもう……何ともない」

「良かった……心配したんだよ」

「悪かった……心配させて……」

「謝って欲しいんじゃないんだ。ただ兄さんが心配なだけ。兄さんに何事もなければボクはそれで構わない。怪我も体調不良もなければそれでいい」

 アルフォンスの気遣いに、エドは気まずいまま立ち上がる。

 弟と二人。話題を仕事に限定していたから耐えられた空気も、話題が自分達の事になると呼吸が苦しくなってくる。

 逃げたいが、逃げる場所など何処にもない。それでも弟と同じ部屋に閉じ込められているのは辛い。

「何処へ行くの? 兄さん」

「ちょっと外で空気を吸ってくる。……しばらく篭っていたから調子が出ない。図書館にでも行ってくる」

「ボクも行く」

「お前は待っていろ」

「どうして?」

「どうしてって……そりゃあ……国家錬金術師しか入れない軍の図書館に行くからさ」

「嘘だね」

 断言されてエドは言葉に詰まった。行き先は口からのでまかせだったから、言い当てられてドキリと心臓が鳴った。

 ムキになって言う。

「嘘なんか言ってないぞ」

「嘘だよ。兄さんはボクと一緒にいるのが耐えられないんだ。だからボクから離れようとしている」

「それは……」

「ボクが気がついていないと思っていたの? 兄さんはボクと二人きりになることを避けている」

 確信を突かれて、エドワードは硬直した。いつかは向き合わなければならない話題だったが、それが何故今でなくてはならないのだろうか。

「……な……なに……何を言って……アル……オレは……オレは……」

「誤魔化さないで。ちゃんとボクを見て。どうしてボクから目を逸らすの? 何がそんなに後ろめたいの? どうしてボクと寝た事を後悔しているの?」

「アルフォンスッ!」

「聞きたくない? でも聞いてもらうよ。逃げるなんて許さない」

 幼い、だけど決意に満ちた声で言われてエドワードは進退極まり、その場にへたり込んだ。

 エドワードの前にきたアルフォンスが同じく床に座り、エドワードの頬に触れる。

「ボク……嬉しかったんだ。……兄さんがボクを好きだと知って……。だって兄さんは……ボクのたった一人の大事な人だから。……だから……何も後悔しないで。……兄さんはボクを好きなんでしょ? ……ボクも兄さんが好きだよ。兄さんと同じ気持ちで。……何も怖がらないで。ボクが一生側にいるから」

「アル……アルフォンス……」

 弟の言葉は何より嬉しい。その真摯な想いを向けられるだけで心は歓喜に包まれる。だけれど受け入れられなかった。

「アル……お前は間違えたんだ。……一時の熱に浮かされて、大佐に挑発されて、思い違いをしたんだ。……だから忘れろ」

「兄さん。そんな言葉で誤魔化せると思っているの?」

「アル?」

「兄さんがそんな風に言う事くらい全部分ってたよ。だって兄さんはボクを信用していない。……というか自分の気持ちを恥じている。
だけどそれは間違いだ。兄さんの気持ちが汚いものなら、同じように兄さんに欲望と独占欲を感じて、血の繋がった兄をこの腕の中に閉じ込めたいと願っているボクの気持ちは、もっと汚い。
愛なんて方便にしかすぎない。ボクは兄さんを独占したい。ボクだけを見て、ボクだけを愛して欲しい。兄さんが逃げてもボクは追うよ。
兄さんがボクの気持ちを信じないというなら、信じるまでこの腕の中に閉じ込めるだけだ。どうせ兄さんはボクから逃げられない。ボクがこの身体でいる限り、兄さんは何があってもボクの側にいようとするだろう。
ボクは兄さんの気持ちを利用させてもらう。兄さんがイヤだっていっても側にいるし、誰にも触れさせないように、ボクが兄さんを抱くよ。
アナタがボクを何とも思っていないというのなら話は別だけど、兄さんの心がボクを欲する限り、ボクはボクのやり方で好きにする。……それがイヤなら逃げれば?」

「……ア……ル……」

 脅迫のような弟の言葉にエドワードは信じられないと、両手で口元を押さえる。

「そんな傷付いたような顔をしないで、兄さん。……愛してるんだ。
……兄さんがボクを一人の男として望んでくれていると知って、どれ程嬉しかったか……。
この気持ちは間違いなんかじゃない。兄さんが否定してもボクは自分の気持ちを信じるよ」

「アル……」

 固い身体で傷付けないようにそっと抱き締められて、エドワードは目眩した。

 エドワードがどんなに否定しても、弟は兄を同じ気持ちで愛しているのだと断言する。

 その罪の重さに、甘さに、歓喜に、エドワードの心が嵐のように翻弄される。

 だけれど……。

 エドワードには分っていた。自分の中にある冷たい、氷のように固まったある一ケ所がそれを信じさせない。

 それは三年前からエドワードの中にひっそりと鎮座し、常に存在し続け、エドワードを責め続けた後悔の源だった。弟が鉄の身体であるという認識が、世界中でたった一人エドワードだけがアルフォンスの理解者であるという認識が、エドワードにアルフォンスの気持ちを信じさせなかった。

「アル……嬉しいよ。……死ぬ程嬉しい。……だけど……」

「ボクの気持ちが信じられない?」

「……ああ。だって……オレは……オレだけがお前の存在を肯定する人間だからだ。オレがお前を人間だと言う事で、お前は自分をアルフォンスだということを、認識している。オレはお前の創造者になっちまっている。……だからお前がオレの気持ちに呼応するのは当然なんた。……だから……」

「だから身体が元に戻ればボクの気持ちも冷めてなかったことになる……そう言いたいの?」

「そうだ」

「……兄さん。ボクをバカにしていない?」

「バカになんて……」

「してるよ。それじゃあ万が一、ボクの魂が再び砕けて、再錬成してくれたのが兄さん以外だとしたら、ボクはその相手を好きにならなくちゃいけないの?」

「それは……」

「確かにボクの魂は兄さんが作った。だけどボクの気持ちはボクが育んだものだ。いくら兄さんだって、ボクの心までは錬成できなかったはずだ。そんな思い通りになるものだったら、兄さんはこんなに悩まないだろ? ボクは兄さんの心に引き摺られたかもしれないけれど、考えて選択したのはボクの心だ。ボクの選択に兄さんの意志も心も関係ない」

「アル……」

「兄さんがボクの気持ちを信じないと言うなら、それでもいい。信じるまで、いや、一生信じなくても側にいるから。それなら兄さんがどう思おうと関係ないでしょ。ボクは兄さんが好きだ。きっと兄さんがボクを想っている以上に、ボクは兄さんに執着している。逃がさないよ。ボクの頭の中を覗いたら、兄さんはボクを好きだと思った事を後悔するかもね」

「後悔なんて絶対にしない!」

「そう?」

 アルフォンスの固い指に頭を撫でられて、エドワードは心地良さに目を閉じる。

 アルフォンスの気持ちが間違いだとしても、今の選択を後悔する日がきても、今あるこの幸福だけは本物だった。いつかくる別れと喪失なら、その時までは偽りの海に浸っていたかった。

 紛い物の関係はアルフォンスの身体が元に戻った時に終わる。その時、アルフォンスの中にあるエドワードに向いていた気持ちは、元の兄に対する、家族としての柔らかいものに戻るだろう。それが当然の事とはいえ、エドワードはその瞬間死にたくなるに違いない。この執着を失うくらいなら、消えてなくなりたかった。

 だがアルフォンスの気持ちが冷めたことでエドワードが消えれば、アルフォンスは自分を責める。

 エドワードは決めていた。そんな風になっても、自分の気持ちを殺して、アルフォンスの側にいてやろうと。いつかアルフォンスが誰かの手を取るまで、偽りの家族愛で包んでやろうと。

 それだけがエドワードにできるたった一つの贖罪だった。

「兄さん……触りたい。……いい?」

「……? 触っているじゃないか」

 弟に抱き締められて、エドワードは言う。

「そうじゃない。……兄さんを抱きたいんだ。……駄目?」

「だ……」

 エドワードの脳内がスパークする。

 セックスなんてロイとは散々やった。トイレでも行くかのように、抱いて抱かれる事は何の重みもない事だった。女とだって冷静に事を為せた。

 なのに弟に誘われただけで、エドワードの頭の中は真っ白になった。どうしていいか分らない。

 エドワードはアルフォンスの腕の中で暴れる。

「ちょ……っと。……待て……」

「否定しないってことは、すなわち肯定だと受け取るよ。今更駄目とは言わないでね」

「いや……待て。……今か? ……今なのか? ……まだ明るいぞ」

「明るいと兄さんがちゃんと見えるから嬉しい」

「……見えるからって…………見るなよ……」

「ヤダ。……絶対に見る」

「何をだよぉ……」

 昼間、隣に人がいるにも関わらず濃厚なセックスをしたくせに、アルフォンス相手だと日の高さが気になって仕方がない。

 違う。気になるのは日の高さではない。相手がアルフォンスだということだ。

 いいのか? いいのか? そんな関係になって、あっさり事を進めてもいいのかと、自問自答する。

 思考はバターのように溶け、いっそ弟を振り切って逃げ出そうかとも思う。赤くなった顔を下に向けてモゴモゴと言葉を選ぶ。

 恥ずかしい。してはいけない。間違っている。……でも触れて欲しい。

「夜になればまた誰かが呼びにくるかもしれないし、ボクは今したいんだ。柔らかい兄さんの身体を組み敷いて、暗くてよく見えなかった兄さんの秘めた場所を暴きたい。羞恥に見悶える兄さんにイヤらしい事をいっぱいして、兄さんがボクのものだって思いたい。ボクの指でイかされて快感に喘ぐ兄さんが見たい。……駄目?」

 最後だけ可愛らしくいうなと、エドワードは真っ赤になる。

 肯定も否定もできない。駄目だと言いたいが、アルフォンスに触れられる事を望んでいるのは、エドワードの方なのだ。

 だが言われた通りの事をされると聞いて、じゃあしろと身体を開くことはできない。

 そんな淫らな真似が弟の前でできるかと、羞恥の壁にぶちあたって、言葉を詰まらせる。

「恥ずかしくて答えられないなら、何も言わなくてもいいよ。勝手に奪うから」

 内心で悲鳴をあげ、エドワードは後ずさった。

 そんなイヤらしい事を言う子に育てた覚えはありませんと言いたいが、保護者の自分が真っ昼間からセックスフレンドの上官といけない事をしていた手前、何も言う資格はないと今更禁欲を誓うエドワードだった。

 そうこうしている間に身体はベッドの上に引き上げられ、どうしようか目を回している間に器用に剥かれてしまった。もともとラフな格好しかしていなかったのが、いけなかった。

 弟の前で裸になるなんて何でもない事だったのに、気持ちが変わると羞恥に気が狂いそうだった。

「ア……アル……」

「兄さんの全部……ボクにちょうだい」

 弟に嘆願されると、もう駄目とはもう言えない。弟の願いならなんでもかなえようと誓っているエドワードだ。それが心からの望みなら、どうしてエドワードに否と言えようか。










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