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 誘拐組織と売春組織の摘発で忙しい日々を送り、将軍を逮捕したことでその証拠固めと後始末でてんてこまいになる事は分っていた。だが麻薬『シュガー』まで絡んでくるとは計算外で、ロイの机の上は、やってもやってもなくならない仕事が日に日に加算されていって、もはやどこから手をつけていいか分らなくなっている状態だった。

 逃げ出したい。……が、逃げたらホークアイ中尉が怖い。

「今日も残業か……」

「明日も明後日もその次も……しばらくは覚悟して下さい」

「はい……」

 副官も家にも帰らずに軍部に寝泊まりして働いているのだ。もう厭だ、とは言えずに、ロイは顔を引き攣らせた。

 エドワードと遊んでいる場合ではなかった。だが溜まったストレスと性欲はどこかで吐き出さなければ、肚の底に澱のように沈澱して、やがて定着してしまう。

 エドワードと会ってスッキリしたロイはまあいいかと、山の書類に諦め顔だ。

「大佐。……エドワード君にも手伝って貰うのでは?」

「ああそうだ。だから鋼のを呼んだ」

 今まで一時間も仕事の話もせずに二人で何をしていたのだと、突っ込みたい大人二人だったが、エドワードの表情は微妙で問い質しにくい。

 元々子供であるエドワードが囮捜査に加担するのは反対だった大人達だ。だがエドワードでなければ駄目だというのも分っていて、送り出したのだ。

 囮捜査のあと、話をよく聞きもせずに大丈夫そうだからといって一人にしてしまった軽卒さに、仕方なく上官を追い返したらあの後何かがあったのか、突然引きこもりになってしまった。困った国家錬金術師達だ。

 今は気持ちの切り替えができたようで、すっかりいつものふてぶてしい顔付きに戻っている。

 エドワードがロイの方を向いた。

「オレの仕事? 今度は何をさせようと言うんだ?」

「これは鋼のにも興味がある仕事だ。きっちりこなすというなら君に回してやろう」

「オレの興味ある仕事?……まさか賢者の石……か?」

 エドワードが身を乗り出す。

「違うが、内容は君の興味対象だ。犯罪組織を統括していた錬金術師が残した研究のまとめと引き継ぎだ。キメラの製造、人体錬成。そして賢者の石も。残った文献と資料から、研究を纏めてレポートで提出しろ。ミランダが何をしようとしていたのか、どこまで研究が進んでいたのかを微細残らず報告するんだ。いいか?」

「勿論」

 棚ぼたのように望む仕事が転がり込んできて、エドワードは興味深く手元の資料を悔い入るように読んだ。そして愕然とした。

「元……国家錬金術師……ミランダ・マクミラン?」

 資料に挟まれていた写真はエドの出会った、あの赤毛の地味な、しかし鋭く剣呑な顔だった。

「この女……」

「鋼のはミランダに会ったのだったな」

「ああ。あの娼館にいた迫力ある幹部風の女だった」

「彼女はミランダ・マクミラン。七年前までは私の上官だった女性だ」

「というと、この女は元軍人?」

「正しく言うなら元国家錬金術師、退役前の階級は中佐で、私の直属の上司だった。二つ名は『鮮血の錬金術師』だ。もっとも、鮮血の…ではあまりにあからさまなので、緋色のマクミランと呼ばれていたが」

「鮮血の錬金術師。……元国家錬金術師か……。それが何で犯罪組織なんかに……。七年前というと……イシュヴァール殲滅の終わり頃か……。もしかしてそれで心を壊して暴走したとか?」

 イシュヴァール殲滅作戦。多くの国家錬金術師が実戦に登用させられ、イシュヴァール人を葬り去った。その大半は民間人で抵抗の意志のない者ばかりだったと聞く。

 ロイは否定した。

「それはない。ミランダは生っ粋の軍人だった。人も物も変わらずに、心乱す事なく破壊できる冷静冷酷で優秀な兵士だった。だから何故マクミラン中佐がイシュヴァール殲滅の後、軍を辞めたのか不思議だった」

「じゃあ、何故?」

「子供ができたと言っていた。妊娠していたのなら、退役の理由も上層部がそれを許可したのも分る」

「子供……あの女が母親?」

 驚くエドワードにロイは知っている限りの詳細を伝えた。

「人なら、いや生き物なら大抵のモノが親になれるさ。産み落とすだけで親と呼べるならだが。犬でも猫でも交尾すれば孕む。人も同じだ。父親が誰かは不明だが、マクミラン中佐もそうして子供を生んだ。……もっとも愛情は普通の親と同程度持っているらしい。子供の為に犯罪組織を作るくらいだ」

「あの女が親玉かよ。……子供の為って?」

「マクミラン中佐の子供は病気らしい。通常の医学では直せない不治の病だから、子供の病気を直す為に、非合法な人体実験を行っていたんだ」

「……そうなのか」

「マクミラン中佐は頭の切れる女性だった。彼女がトップだったからこそ、犯罪組織は急激に拡大できたのだろう。だから彼女が抜けて組織は浮き足立っている。叩くのは容易いが、彼女が捕まるかどうか……。普通の兵士が追ったところで返り打ちにあうのがせいぜいだ。人間兵器を相手にして勝てるのは、同じく人間兵器だけだ」

「あの女はどんな錬金術を使う? 大佐と同じ焔系か?」

「いや、マクミラン中佐の錬金術は気体の変化が中心だ」

「気体? ……そうすると空気か……厄介だな」

 エドワードの脳内で気体に関する構築式が次々と浮かぶ。

「ああ。私と違って湿気も気にしないし、手に錬成陣が彫ってあるのですぐにでも攻撃可能だ。周りの空気を圧縮して爆発させる彼女の錬金術は、防御が難しいので戦いになれば多くの死者を出す。おまけに軍隊格闘技の達人だ。接近戦で勝つのは難しい」

「アンタでも勝てない?」

「晴れた日の何もない場所でなら互角に戦えるだろうが、周りを巻き込む事を考えると戦闘は難しい。町一つ潰すつもりでいかないと、こちらが殺される」

「……本当に人間兵器同士の戦いだな」

「それが国家錬金術師の戦闘というものさ」

 言外に君もそうだと言われてエドワードの顔が渋る。

「あんまり関わりたくない相手だな」

「恐らく君では勝てない。彼女に会ったらとりあえず何をおいても逃げろ。余計なプライドは持つなよ。彼女と君とでは経験もスタンスも違い過ぎる」

「スタンス?」

「そうだ。彼女は全てを犠牲にしてでも自分の望みを叶えようとしている。誰かを守るとか犠牲にしないとか、そんな余計な意識は持たない。戦う時は本当の戦闘マシーンになる。君は他を巻き込むまいとするだろうし、なるべく人殺しは避けようとするだろう。彼女が子供の母親だとすれば、君は彼女を殺せまい。しかしそんな隙を見せれば、戦いは一瞬で終わる。一秒あれば彼女は鋼のの四肢を吹き飛ばす。彼女は躊躇わない。戦いは非常だ。甘さを捨て切れない君では勝てない」

「その通りだな……」

 殺すつもりでいる者と殺す意志のない者では、端から戦いにはならない。相手を屠る意志のない者が、覚悟を決めた者に勝てる筈がない。

 エドワードは甘く、ミランダは辛い。その差は大きかった。

「君は彼女の事は気にせずに自分の仕事に専念したまえ。君に与えられた時間は短い。短期間で彼女の研究を纏めて提出しろ」

「……分った」

 国家錬金術師になる程の者の七年に及ぶ研究を纏めて提出しろとは大変だが、その内容を知りたいエドワードにはありがたい申し出だった。いかに非合法の研究とはいえ、他では手に入らない情報が山とある筈だ。多少の苦労など苦労ではない。

 エドワード以外にはできないだろう。大半の国家錬金術師はセントラルに駐在している。わざわざ研究の為に呼び寄せるには時間が掛かるし、面倒だ。

 ロイならミランダの残した研究を解明することはできるが、多望なロイにそんな時間は何処にもない。ゆえに適任はエドワードしかいなかった。

 自分の目的の為なら誇りさえ売ると誓っているエドだった。そんなエドの心中を知ってロイは利用している。どちらも利用しあっているのだから文句を言う筋合いはない。エドワードは膨大な研究資料の山の整理を申し付けられたのを、喜々として受けた。

 エドワードはロイの手元にある資料を眺めながら気になっていることを尋ねた。

「……なあ、大佐。……一つ聞きたいんだが……」

「何だね、鋼の」

「ミランダ・マクミランと救出したリーヴ・マクミランって同じ姓だけど、何か関係があるのか? それともたまたま同じ名前だっただけか?」

「その事か……」

 ロイの顔が歪む。

「リーヴ・マクミランとミランダ・マクミランは血縁関係がある。ミランダはリーヴの母親の妹だ。つまりは叔母と甥の関係だな」

「……なっ? ……何だって? それじゃああの女は自分の甥を攫って客を取らせていたっていうのか? ……それとも自分の甥とは知らずに攫ったのか? そんな偶然があるのか?」

「いや、ミランダは知っていた筈だ。用心深いミランダが攫う子供の調査をしていないはずがない。分ってやった事だろう」

「……なんで自分の甥を……」

「さあな。自分の甥だからといって愛情があるとは限らないし、肉親だからこそ憎しみが湧く事もある。その辺の事情はこれから調査するとして、当座は子供達の事情聴取と治療だな。麻薬漬けになった子供からクスリを抜くのは大変だ。最低でも一年以上かかる。それに後遺症は一生続くだろう。犯罪は摘発すればそれで終わりだが、被害者の傷は一生続く。相手が子供だから、こちらもやりにくい。……困ったものだ」

「傷は……一生続くか?」

「考えてもみろ。……身体を売らされていた者の記憶は、時間がたち薄れこそしても決して消えないし、周囲の人間の認識も同様だろう。狭い田舎に帰った子供がどういう目で見られるか……想像しなくても分るだろう」

「そういう事かよ……」

 エドワードは苦々しく呟いた。

 被害者が悪いわけではない。だが人の色眼鏡は被害者を加害者同様の目で見る。子供には耐えられまい。

「一難去ってまた一難か……。やってられねえな」

「だが助けなければ良かったとは言うなよ。……組織を潰さなければ罪のない子供達が、次々と送られてきていた筈だ。どこかで止めないと地獄は終わらない」

「そうだな。自分のした事が間違っていたとは思わねえよ。だけど……キツイな」

「覚悟があって軍の狗になったはずだ。これくらいの事で弱音を吐くな。子供の泣き事など聞いている暇はない」

「間違ってもアンタにだけは弱音は吐かないさ。そんな時間の無駄を誰がするか」

「分っているならそれでいい」

 ロイの白い顔に、エドは感情を読む事を諦めた。

 どうしたらこんな風に自分を押え込めるのか。何もかもを知って、自分の中だけで消化して外には洩らさない、覚悟して孤独を受入れている大人の男。エドの適わない大人だ。

 こんな人間になれば、傷付いても平気な顔を装えるのだろうか。

 そんな人間にはなりたくないが、足掻きみっともない自分を曝け出す自分も嫌いで、エドはロイを前にすると敗北感に襲われる。

「鋼の。……万が一という事もある。もしミランダに出会ったら……逃げろ。出会う確率は低いだろうが、同じ研究を追っていれば、いつか何処かで出会うかもしれん。戦おうとはするな。……死ぬぞ」

「……了解」

 エドワードは片手を挙げると部屋を出た。

 途端に足が重くなった。

 これから宿舎に戻らなければならない。

 部屋にはアルフォンスが待っている。

 エドが部屋で待っていろと言ったのだ。

 帰らなければならない。弟の元に。

 弟の姿を思い返し、胸が痛んだ。

 そうして同時に溢れる想いで胸が一杯になった。

 言葉にならない想いはエドの中でずっと水位を下げない。

 光り輝く想いだけはエドの最後の砦だった。

 なのにそれさえ失われようとしている。

 自らの罪にエドは両手を握り締めた。










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