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 一時の熱が冷めてしまえば、残るのは空しさだけだ。

 こんな時になにをしているのだろうと、もはや呆れるしかない。

 鬼のように忙しいはずの上官の執務室で、下半身だけさらして声を殺してセックスして、最後は顔に掛けて満足しました、などと誰に言えるものか。恥の極みだ。

 忙しく働いているホークアイ中尉以下、部下の皆様に申し訳がたたない。……と思っているのに、機会があればまたやってしまうだろう自分を知っていて、エドワードはコントロールできない己に逃げ出したくなったが、逃げる場所もないのでとりあえず汚れたロイの顔を、自分のハンカチで乱暴に拭った。

「痛いな、鋼の。もっと丁寧に拭け」

「うるさい。拭いてもらえるだけ有り難いと思え」

「君がかけたんだろう。顔射プレイなど、どこで覚えたんだ? 教えた覚えはないぞ」

「一度かけてやりたかったんだ。まさか昼間の執務室でやるとは思わなかったが」

「一度と言わずに何度でもすればいい。私は一向にかまわないが」

「黙れ変態野郎」

「君は自分を棚に挙げて、よくもそんな事が言えるな」

「アンタに付き合えるオレだって、立派な変態だって分っているさ。アンタのように恥を捨てきれないだけさ」

「子供だな。鋼の」

「アンタは大人で腹黒い。何処も彼処も真っ黒で、綺麗な部分なんか一つも残っちゃいない」

「君も同類だ」

「分ってるさ」

「だけど…」

「だけど?」

「君のはまだ先っぽがピンクだな。初々しくて可愛いものだ」

「何が?…………っ! バカ野郎! 死ね!」

 エドワードはロイの視線に、頭を叩く。

「あははは。鋼の顔が赤いぞ。そんなに恥ずかしがることはないだろう。私に散々突っ込んだモノだろうが。まだまだ初々しくていいな。明るい所で見たのは初めてだ」

「いい加減にしろ。セクハラ上司」

「押し倒された後では説得力のない言葉だな。私の方が逆セクハラされているのではないのか?」

 エドワードは言葉に詰まって、もう一度ロイの頭を叩き、立ち上がって窓を開けた。新鮮な空気が吸いたくて深呼吸をする。外は天気が良くて日はまだ高い。快晴は明日も続くだろう。

 部屋の中の空気を洗い流す。

 ニヤニヤ笑っているロイを蹴飛ばして出て行きたい気持ちで一杯になったが、ここに来た目的を思い返して、取りあえずポットのお湯でハンカチを濡らして憎らしい上司の顔を綺麗にした。

 互いの身だしなみを整えて表情を消すと、情事の匂いはもう何処にも見当たらない。

 このあっけなさが好ましく、空しい。ロイとのセックスには何も残らない。殆ど自慰のようなものだ。

 腹立たしいので最後にキスをして思いきり舌に吸い付いてやったら、自分の味がして気が滅入った。

「鋼の。隣にいるホークアイ中尉を呼んでくれ」

 ロイの顔が仕事のそれに戻っている。

「分った」

 隣室に控えていたホークアイと、エドワードが心配だったのか忙しい筈のヒューズを見た時に、エドワードの落ち込みは更に酷くなったが、それでも笑って大丈夫だとうそぶけるくらいには、気持ちは回復していた。

「大丈夫なのか? エド?」

 迎えに行ったエドワードの顔の暗さに心配していたヒューズだが、表情こそ苦くも、顔の陰は大分消えていて、安心する。ロイが何を言ったのか知らないが、エドワードの気持ちは大分回復したようだ。

「それにしてもエド、お前さん一体何があったんだ?」

 聞かずにはいられないヒューズだった。

 ヒューズも別件で調査していた、ある麻薬に絡んだ事件で、エドワードが囮捜査でペドフィリア対象の娼館に潜入捜査をしていると聞いて、驚くと同時に心配せずにはいられなかったのだが、事はなんとか無事に収まって、事件は一旦解決したように見えたのだが、実はクスリを盛られたまま南部から東部に一人で帰ったと聞いて、慌てずにはいられなかった。

 身体に害はなさそうだからと、ロイは平気でいたが、子供相手に催淫剤などと冗談ではないと、親友の尻を叩いて後を追わせた。

 仕事も大事だが、エドワードの身体も心配だった。

 自分に無茶ばかり強いている子供だから、余計に大人が気を付けて見ていてやらなければ、何処まで暴走するか分らない。倒れるまで頑張り続ける子供である。どこかで止める人間がいなければ、いつかは壊れてしまうだろうと危惧していた。

 直属の上司であるロイはエドワードに厳しいが、時と場合によるだろうと、ホークアイ中尉と二人でロイの尻を蹴飛ばしてエドワードの面倒を見させたのだが、それが間違っていたのだろうか?

 ロイがついていれば大丈夫だろうと思っていたのに。

 雑事を終えて東方指令部に戻ってみれば、エドワードは自室に篭って弟さえ近寄らせないという事だ。

 何があったのかロイに問い質しても、知らぬぞんぜぬで糠に釘。アルフォンスは何か知っているようだったが言いたくないのか、こちらの口も貝で、事態は一向に明確にならない。

 何かあったなら相談にのるつもりでいた所、ロイに仕事だと呼び出されて、しばらくエドと二人にして欲しいと二人で一時間篭って、後はエドワードの苦虫を噛み潰したような陰の抜けた顔にホッとした。

 ロイと二人、何を話したのだろう?

「お前さん。さっきまでは死にそうな顔をして一体どうしたんだ? 南部で何かあったのか? それとも戻った後何かあったのか?」

 優しいヒューズの心配だが、エドに返せる言葉はない。こんな時ばかりはヒューズの思いやりが鬱陶しい。男の子が媚薬系のクスリを盛られたのだから、どうなっていたのか分って貰えてもよさそうなモノだが、ヒューズ視点のエドワードはまだ未発達な子供で、まさか情動にかられてロイを押し倒して色々いけない事をして、更には弟まで巻き込んで心身ともに地獄と天国を往復していました……とはとても言えない。

「……大佐に聞いて」

「ロイのヤツはエドに直接聞けの一点張りだし、アルフォンスは聞いても答えないし、エドは自分の殻に閉じこもるしで、こっちは心配したんだぞ」

「ご心配かけました……」

「エドが無事なら構わないさ。だが何かあるなら相談にのるぞ。こう見えてもオレはお前よりずっと経験深く生きているんだからな」

「……その時になったら相談するよ」

 いくら人生経験豊富でも、一回りも年上の男と通じて淫らな関係を一年以上も続けた挙句、鎧の弟に恋して、遂には一線を越えてしまった十五歳の少年の相談にはのれないだろう。ましてやその通じた年上の大人が自分の親友だと知ったら、常識をこよなく愛するヒューズは卒倒し、苦悩する。

 事実だけ羅列すると殆ど犯罪だ。

 ヒューズを悩ませる事はしたくないと、エドは曖昧に笑って誤魔化す。

「ロイのヤツは何も言わないし、何の為に後を追わせたんだか、ちっとも役に立たないな。まさか仕事をサボれる口実ができたとばかりに東部に戻って、エドを放って遊びに行ってしまったわけではあるまい。どうなんだ?」

「まさか、そんな。……大佐はオレの所にちゃんと顔を出したぜ」

 エドはヘラヘラと笑い、視線を泳がせる。

「ならいいんだが。……それで?」

「それでって……」

「ロイのヤツがエドの所に行ってどうしたんだ?」

「いや、とくにどうしようも……」

「エドはその頃クスリが効いて身体が普通じゃなかった筈なんだが…。ちゃんと処理できたのか?」

「な、何が?」

「何って……そりゃあ……まあ……そういう事だな」

 ヒューズは同席しているホークアイを気遣って言葉を濁す。エドも女性の前では色々言い難い話題だろう。微妙な年頃だ。 ホークアイはお気遣いなくという視線で無関心を装ってくれてはいるが、エドの方はそうはいかない。

 クスリで強制的に昂らせられてしまったとはいえ、自分の性に振り回されてさぞかし戸惑ったに違いない。

 ロイはちゃんと教えてやれたのか。それとも言葉通り手取り足取り指導して、少年の心に余計な傷を負わせたのではないだろうか?

 ロイの事だからエドワードの様子を面白がり、そうした可能性もなくはない。

 生意気でもエドは中身はまだまだ子供だ。女性の手を握った事もないだろう。

 段々と身体と心が大人になり、バランスを崩しながら成長する過程だ。そんな時に大人の男にいらない事を吹き込まれて身体のコントロールが効かなくなれば、さぞかし戸惑い慌てたに違いない。

 一体本当の所、何があったのか。

 エドもロイも誤魔化すばかりなので、ヒューズは色々想像するしかできない。

「……まあ……なんとかなったし……それはもう終わった事なので……あまり聞かないで欲しいな……って」

 エドの何かがありましたとばかりの顔色の悪さに、やはりこれは聞いておかなければいけないかなと、ヒューズは気を引き締める。

「ここで言いたくないのなら、後で相談に乗るぞ? ホークアイ中尉の前では言い難い事もあるだろう。まさかロイにおかしな事を吹き込まれたわけじゃあるまいな?」

「変な事って?」

「まあ……色々だな」

「それは特にないけど……」

「じゃあ何があった?……ロイのヤツは、エドが錯乱してロイを押し倒したなんて、笑える冗談を言っていたが……」

 エドワードは思わず椅子からずり落ちそうになった。

 エドの歪んだ口元と思わず向いた視線の方向に、ヒューズはまさか……と心臓が跳ねる。

「エド……まさかだよなあ?」

「……ま……まさかって……なに?」

「何って……そりゃあ……まさかの……まさかだ」

「な……何もないよ……何も……そんな事は……」

「そんな事って……何だ?」

「……え? ……そんなことって……そんなことだよ」

「……だから……何だ?」

「……何もないったら……」

「じゃあ……何が一体そんなにショックだったんだ?」

「え?……ああ…………あー……」

 互いの顔から微妙に目を逸らして、二人は気まずい空気に口を閉じる。

 ロイが『エドワードが自分を押し倒した』と冗談を言った時、それは笑えると軽く流したのだが、それがもし本当だとしたら?

 ありえない。……ありえないが、クスリでラリッていればそれもあるかもしれない。

 もし本当なら、エドワードは大変ショックだろう。

 クスリのせいとはいえ、色気の欠片もない身体も年令も一回り上の男に、勢いだけで迫ってしまったという事実が記憶にあるなら、その記憶ごと消し去りたいと、閉じこもってしまった気持ちも分るというものだ。

 それがもし自分の上に起こったものだと過程すると、ヒューズでも部屋に篭ってシクシク泣きたくなる。ナイーブな少年時代には耐えられない過ちだ。

 それとも相手が女性だったら犯罪なので、男で良かったというべきか? もしロイではなく相手がホークアイ中尉だったら、今頃エドは無事ではすまなかった。

「エド……。何があったのかは知らないが……忘れろ。それは全部クスリのせいだ。お前のせいじゃない」

 ヒューズは自分の想像を事実だと思い込み、エドを慰めた。

 いらない慰めにエドは苦い顔だ。事実だから余計に気まずい。

「……何もないったら……」

「いいんだ。……そう、何も無かったんだ。……全部忘れろ」

「ヒューズ中佐。思い込みで慰めるのは止めてくれよ。……オレ達の間には何もなかったんだってば……」

「オレ……たち?」

「……だから……突っ込むなって……言葉のアヤなんだから……」

「突っ込む?…………何処に?」

「ヒューズ中佐……。追求が横に反れてる……」

 エドワードは顔を抑えてヒューズの追求から逃れようと、ひとり傍観を決め込んでいるロイに、お前もなんとか言えと視線を送る。

「ヒューズ。……そろそろ仕事に戻りたいんだが……いいかな?」

 上官としては当然の言葉だが、ヒューズとホークアイは目を剥いた。

 エドは不味いと顔を歪める。

 ロイは優秀だが自ら進んで仕事をしようとはしない人間で、サボれるならとことんまでサボって自分を甘やかそうとする。サボれる口実がありながら自ら仕事をしようなどとは、よほど暇な時間を作りたくないという表れではないだろうか? だとしたらその暇な時間というのは、ヒューズに余計な追求をされている現在進行形の今しか無い。

 エドが冷や汗をかき、ロイが誤魔化したい事があるという事実が、ヒューズの想像を肯定してしまっていた。

 ヒューズの視線がロイとエドワードの上を行き来する。

 一児の父は苦悩していた。

「あー。ロイ…………お前は…………エドも……その…………気の毒に。……ロイ。お前エドに、ちゃんとあれはクスリに浮かされての錯乱であって、エドに罪は無いとフォローしてやったのか? どうなんだ? まさか面白がって途中までふざけて付き合ったという事は無いだろうな?」

「ヒューズ……お前、私を何だと思っているんだ?」

 親友の冷やかな声に、ヒューズはホッと胸を撫で下ろす。そこまでバカではなかったらしい。

「はは。……そうか、そうだよな。いくらお前でもそんな時にまでふざけたりはしないよな。ちゃんとエドをフォローして助けてやったよな」

 親友を軽んじていたと反省しかけたヒューズだが、続いたロイの言葉に固まった。

「途中まで付き合うなんて半端な事をするわけないだろう。ちゃんと最後まで付き合ったぞ」

 いっそ胡散臭いくらい爽やかに笑う親友に、ヒューズの顔は張り付いた笑顔のまま硬直した。

 エドワードは天井の染みを見ながら『あああ』と、内心で言葉にならない声で呻く。

 ロイ・マスタングはタチの悪い男だった。

 空気がピシッと張り詰める音がした。

 ロイはにっこり微笑んだ。

「冗談だ」

 エドワードは椅子に深く沈んで頭を抱える。

 ヒューズが恐る恐る聞く。

「……本当か?」

「嘘だ」

「……嘘なのか?」

「……本当だ」

「……どっちだ?」

「冗談だ」

「本当に?」

「本当だ」

 ロイの胡散臭い笑顔にラチがあかないとエドワードを見れば、エドは愕然とした顔をしている。これではどう動揺しているのか分らない。

「ロイ……お前……」

「なんだ?」

 読めない親友の言動にヒューズの心臓は痛い。ロイの言葉の真偽を問い質したいが、もし本当なら、これ以上は聞いてはいけないような気がするが、聞かなければ聞かないで自分の心にしこりが残りそうだった。

 この親友は今一つ心を読ませない所がある。他人を締め出すというより、己を守るために自分を崩さないのだ。何もそんなにまで頑になることはないと思うのだが、それが自己コントロールの方法だといわれれば、それ以上己を晒け出せとも言えない。

 ロイ・マスタングは常に上を向いており、その肩に掛かっている負担は誰より重くて、潰されない為には己を守る鎧に身を包むしか方法が無い。ロイの人間的な弱さを知っているヒューズだから、その頑な鎧を外して心を見せろとはとても言えない。

 だけどこのどうにも微妙な空気をなんとかしたくて、ヒューズは救いを求めるかのように、背後で控えていたホークアイ中尉に目で訴える。

 こんな時、冷静で優秀な副官の存在はありがたい。

 ホークアイ中尉は仕方が無いとでもいうように、ロイの前に書類を置いた。

「大佐が進んでお仕事をなさる気になってくださったので良かったです」

「ホークアイ中尉これは?」

「今日中に目を通しておいていただきたい報告書です。上から申し上げます。一週間前の行動の予定表と実際に作戦で動いた行動の差違から出た命令系統の誤差と、それに関する人事の洗い直しです。それにヒューズ中佐のまとめた麻薬組織の一覧と『シュガー』のルートとの関連と、人身売買の組織と繋がりです。各組織は南部の一斉摘発で浮き足立っているので、摘発するなら今がチャンスかと。……そして大佐が南方指令部に無断で赴いた事を知った中央からの抗議文と、犯罪組織を壊滅させた功績を評価する大総統からの電報と、パドル元将軍を逮捕した過程を調べたいと申し入れてきた内部調査室からの申請です。そしてパドル元将軍が進めていたキメラやその他の研究を明確にして中央に報告せよとの命令書と、逃がしたマクミラン元中佐の足取りを追う命令書と、それに伴いマクミランの身辺を洗い、パドル元将軍とどう繋がっていたのか調べる事と、攫われてきた子供達とそれを買っただろう人間の洗い出しと、誘拐に関わった人間の捜査と、キャゼリーヌ家のしてきた犯罪一覧と……」

「……分った。もういい」

 延々と続くホークアイの報告に、ロイは目眩を感じて言葉を遮った。









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