02
「……で? 何の用だ?」
一目見て何かがあったと分る憔悴した顔で入ってきたエドを、ロイは事務的に迎えた。
面倒なので、人払いをしてヒューズとホークアイを外に待たせている。
エドの様子は平常心とは程遠い。それでもようやく浮上したらしい。やれやれだ。
あの夜の事はまだ一週間前の事だ。
夜が明けて目が覚めたエドが発した悲鳴を、ロイも聞いた。エドの中で何かが壊れるような音がした。実際何かが壊れた瞬間だった。エドワードの中の脆くて大事なモノが粉々に砕けたのだ。
だがロイは同情する事は何もないと思っていた。
エドワードは長年秘めていた恋を成就させただけだ。そこに禁忌という壁があろうとなかろうと、どうだというのだろう。
自らを罪人だと知っている子供に、もう一つ罪が上乗せしたからといって、堕ちる地獄に変わりはない。人体錬成、そして魂の錬成、物への定着という禁忌を犯して身体どころか魂まで罪に染まっている子供だ。今更取り繕って何になるというのか。
愛しい弟が共に地獄に堕ちてくれるというのに、何故エドワードは傷付くのか。
全く子供は理解しがたい。いちいち振り回わされていたのではたまらない。
ロイは冷たく一瞥して、エドに書類を投げた。
「鋼の。次の仕事だ。目を通しておけ」
「……なんで?」
「何故もどうしてもないだろう。君は軍の狗で、私は君の上司だ。仕事を与えるのは当り前の事だと思うが?」
「そうじゃない。……なんで……壊した?」
「意味が分らんな。私が何を壊したというのだ?」
「分っているくせに! 何故オレとアルの間を壊した? 何故アルに知らせたりしたんだ? オレがどんなに秘密にしていたか知っていたくせに……」
エドワードの蒼白な顔に朱が帯びる。怒りか動揺か。エドワードの内心は嵐だろう。
だがそれはエドワードだけの憤りだ。ロイには関係がない。
「知っていたからどうだというんだ? 君が勝手に弟を好きになって、勝手に秘密を持っていただけだ。そして秘密の重さに耐えきれずに私に吐露した。その場面を見られたからといって、私を責めるな。クスリのせいとはいえ、自制心をなくしたのは君自身だ。先週の事はいわば鋼のの自業自得だ」
「アンタなら……例えオレと寝ている所に踏み込まれても、アルを誤魔化せた筈だ」
「誤魔化してどうなる? 実際私達は濃厚なセックスの最中だった。セックスと言うより排泄といった方が正しいが、している行為に差はない。だがあの場面だけを見れば、私が鋼のに無体を強いているように見える。君の為に身体を貸してクスリを抜く手伝いをしてやっていただけなのに、君の弟に私は、君を慰みものにしたと責められたのだぞ。まったく踏んだり蹴ったりだ」
「だからアルに本当の事を言ったのか?」
「私が云ったんじゃない。言ったのは君だ。鋼の」
「オレ? ……オレが何を……」
「私と寝ながら弟の名など呼ぶからだ。それでは誤魔化しようもないだろう。君の弟は私に喧嘩を売ってきて鬱陶しいし、君は君でラリってやる気満々の上、淫蕩に弟の名前を呼ぶしで、収拾がつかなくて面倒なので正直に話しただけだ」
「だからって……」
「弟を好きになったのは君だ。隠しきれないならその心ごと捨てるか、全てを受け入れるかしかない。どちらもできずに私を責めるのは筋違いだ。いい加減甘えるのは止めたまえ」
「オレは甘えてなんか……」
「違うというなら自分の事は自分で何とかしろ。何故躊躇う? 君の弟は君と共に地獄に堕ちる覚悟は出来ている。兄の心を受入れて、共に何もかも背負う覚悟を持って、君を抱いたんだ。君がその事を喜ばない方が不思議だ。長年秘めていた恋が成就したんだ。泣いて喜ぶのが本当だろう」
エドワードは蒼白のまま唇を噛み締めた。
「違う……アルは勘違いをしているだけだ」
「勘違い?」
「アイツは今、身体がない。アイツを支えて愛してやれるのはオレだけだ。オレだけがアイツの家族なんだ。家族を失いたくないという気持ちに、アルは間違えたんだ。たった一つの拠り所を無くしたくないが為に、アイツはオレの気持ちを受け入れる事にしたんだ。本当はこれが間違いだと分っているのに」
「それは違うと思うぞ、鋼の」
エドの頑なさにロイは呆れる。
潔癖な処女じゃあるまいし、何を今更言っているのか。勘違いで兄を抱ける弟が何処にいる?
「違わない。アルには今、オレしかいない。魂だけの存在のアイツを真の意味で肯定してやれるのはアイツを造ったオレだけだ。だからオレを否定できない。オレを否定するって事は、自分自身の存在を否定する事に繋がるからだ。それにアイツの今持っている愛情は、たった一人の家族であるオレの上にある。家族愛を無くしたくないが為に、アイツはオレを肯定する事で、自分の心をねじ曲げる事で、心の変化を、オレの裏切りを受入れたんだ。でもそれは間違っている」
「何故それが間違いだと思う? どんな始まりにせよ、それが真実でないとどうして言える? 兄の心に引き摺られたとはいえ、アルフォンスは愚かではない。全部考え抜いて君という存在を、心身共に受け入れることにしたんだ。その覚悟あって君を抱いた。何故それがいけない?」
「いけないさ。それは間違いだ。いずれアルはその間違いに気が付く。自分の身体を取り戻した時、アルは自分がいかに汚い事をしていたかに気が付いて、そうさせてしまったオレを厭い、憎むだろう」
「自虐的だな。鋼のは全く弟を信じていない。アルフォンスの気持ちを、一時の紛い物としてしか受け止めていない。君の弟はそこまで愚かではないというのに」
「愚かだよ……。馬鹿だよ、アイツは。オレとアンタに引き摺られて越えてはいけない一線を越えちまった。いや……越えてはいないか。アルの身体は本物のアイツの身体じゃない。アイツが元の身体に戻れば、オレ達の間にあった事も水に流れる。記憶は汚泥のように底に溜まるが、上辺の水は綺麗でいられる。……オレの事はアイツの恥部になっちまったんだ。綺麗なアイツにオレは相応しくない」
エドの頑さに、ロイはいい加減にイヤになってきた。
「どうして君はそこまで弟を信じられない? アルフォンスは子供だが愚かではない。何も考えずにただの家族愛や憐憫や打算だけで、兄を抱く事をすると思うか? 後の事も、背負わなければならない負担も禁忌も全て考えて君を受入れたというのに、肝心の君がそんな様子では、アルフォンスの覚悟も無駄ではないか。弟に恋した時点で、君も覚悟をつけるべきだったのだ。今更動揺してどうなる。自分の方は弟を受け入れる覚悟が出来ていませんでした、とでも言ってアルフォンスを否定するか? それこそ酷い仕打ちだとは思わんか?」
「……大佐。オレは……覚悟などしていなかった」
エドが傷付いた子供の声で言った。
「ああ、そうだな。君は諦めていた。恋の成就など望んではいなかった。だから苦しんでいた」
「そうだよ。……オレはアルに何も望んじゃいなかった。オレはただアイツの側にいられればそれで良かったんだ。アイツの声を聞いて、アイツの気配を感じられる距離にいられればそれで満足できたんだ。アイツの身体が元に戻って、いつかオレから離れていったとしても、オレは我慢できたんだ。……なのに壊れてしまった。もう普通の兄弟には戻れない」
「私が壊したのだとでも言いたいのか?」
エドは視線を下に向けた。
「……いや。アンタの言う通り、自業自得だというのはよく分っている。全部オレが悪い。だけど……文句を言ったっていいだろう? アンタはオレの共犯者なんだから」
ロイは口元を歪めるように笑った。
「共犯者。……私達の関係を表すにはピッタリの単語だな。仲間でもなく友人でもなく、罪を半分持った罪人同士というわけか。それはそれは……。適格だ」
「オレは……これからどうしたらいいんだろう?」
自らに問うように言った言葉を、ロイはなげやりに返す。
「それを私に聞くのか? 君の事だろう」
「間違って始まった関係はいつかは壊れる。だから始めたくはなかった。だけど、もうなかった事にはできない。アルはオレの気持ちを知っているし、今更嘘でしたとも、もう好きじゃないと嘘も言えない。アルはオレの心を見抜く。嘘は通じない」
「間違っているとどうして断言する? それが正しくないとどうして君に分るんだ?」
「近親相姦が正しいのか? 弟に恋い焦がれて、抱かれて歓喜する兄のどこに正しさがある? オレは……オレの間違いにアルを巻き込みたくない。アイツはオレと違って真直ぐで正しい人間だ。誰からも愛されるヤツなんだ。あんな身体になっても心は綺麗なままだ。オレのせいでアルの人生が曲がっちまったんだから、オレがちゃんと元の身体に戻して、人として当たり前の生活に戻してやらないといけないんだ。それがオレの願いであり義務なんだ。オレがアルをあんな身体にしてしまったんだ」
「全部が自分の責任というわけか?」
「そうだ。だからアルはオレの事なんか気にしちゃいけないんだ」
「傲慢だな、鋼の」
「傲慢? 何処が?」
「他人の生き方が自分のせいだと、義務だと思い込むのは傲慢だ。アルフォンスの身体がああなったのは君のせいだとしても、その責任はアルフォンス本人と君と半分づつだ。君のせいばかりではない。他人の人生を自分のせいだと責めるのは、ただ自分の罪から目を逸らしたいが為の自己憐憫だ。己の贖罪を弟に押し付けるな。それは君の自己満足にしかすぎない」
静かだが反論を許さないロイの厳しい声に、エドワードは狼狽えて首を振る。
「自己満足? ……それは違う。オレは……」
「アルフォンスは人体錬成に失敗した事実を、兄のせいばかりではないとちゃんと知っている。引き摺られたとはいえ己も加担した罪だ。共犯者として咎を受けたとちゃんと納得している。身体を取られたのがたまたま自分の方だからといって、兄を責めたりはしない。もしかしたら身体をもっていかれたのは、兄の方だったかもしれないと理解している。そうなったら自分は兄の魂を錬成できなかっただろう事も。アルフォンスは冷静だ。自分の事も兄の事もこれからの事も全部覚悟して君を受入れた。君の方がそんな態度でどうするんだ?」
「アルがオレを受入れている? ……そんなのは嘘だ。一時の熱に浮かされた間違いだ。アイツだって冷静になれば自分の選択を後悔するに決まっている」
「どうしてアルフォンスの選択が間違いだと君が決めつけるんだ? アルフォンスの心は彼だけのものであり、彼の選択は彼だけのものだ。君がどうこういう筋合いはない。彼がそうしたいと決めたんだ」
「違う。……アルは間違えたんだ。オレの狂気に引き摺られて冷静な判断が出来なかった。そうして流されるままに間違えてしまった。アルはきっと後悔する。自分に身体が戻って、正しいあるべき生活に戻れば、アルには光の道が待っている。優しい女の子と出会って、恋をして結婚をして子供を作って、温かい家庭を築くっていう平凡で当り前の生活が営める。そういう未来が待っている事に気が付けば、アルはオレの手をとった事を必ず後悔する。アルは賢くて優しくて努力家で良いヤツだ。きっと平凡でも誰より幸せな人生を築ける。その選択を奪う資格はオレにはないし、アイツの人生の汚点にはなりたくない。だから……アルの間違いを正さなければいけないんだ」
ロイは真直ぐにエドワードを見詰めた。
ロイの目に映るエドは、頑に自分の殻に閉じこもろうとしている子供にしか見えない。周りに目を向けず、必死になって自分を守ろうとしている頑是無い子供だ。
エドワードの方こそ間違っている。選択はあくまで自分だけのものであり、誰に強要されたわけではないと、その責任も未来も自分だけのものだと、どうして分らないのか?
本来なら賢いエドワードにそれが分らない筈がない。弟というフィルターを通してしまうと、エドワードには公正な視点が失われるのか。
頑にエドがそう思い込んでいるなら、ロイがいくら言っても無駄だろう。今のエドワードの耳には弟の言葉さえ届かないに違いない。自分の思い込みこそ真実だと確信している盲目の子供。強引に目を開かせても無駄だろう。
ロイにはそんなエドワードを正しい方向に導く義務も義理もない。間違った方向に進んで進退極まるのも自業自得だ。そこまで入れ込んでやる優しさをロイは持ち合わせていない。
「鋼の。君がどう思おうと行動しようと、それは私には関係がない。だが君が追い詰められて自滅するのは困る。君にはまだ利用価値がある。それに私もセックスフレンドを失うのは痛い。君のようにどうでもよく私を扱う人間は少ないのでね。君のその他者に対する無関心さは心地良い。アルフォンスにバレなければ私との関係は続けても構わないのだろう? その気になったらいつでも来るがいい。ベッドを空けて待っていてやる。君の身体は具合がいいからな」
エドワードの身体が震える。
「……変態っ」
エドワードの蔑みの視線にロイは薄く微笑む。
「酷いな、鋼の。私を抱いた時点で君も私の同類だろう。……ああそうか。君も自分が変態だと知っているのか。何せ弟に恋をして身体を拓いたくらいだからな。……弟の愛撫はどうだった? 良かっただろう? 鉄の塊とはいえ、愛しい愛しい血を分けた肉親だ。罪の味は禁忌が深い程に甘美になる。鉄の塊には弟の意志がこめられている。弟に犯されて、君は堕ちる快楽をその身に感じたんだ。……弟の指はどんな感触だった? 鉄の塊に身体の内部を弄られて、どうしようもなく興奮しただろう? 愛していると囁かれて、それだけでイッてしまいそうになっただろう? オイルの匂いに包まれて、人でないモノに犯されるという背徳感はどうしようもなく身体を昂らせただろう? 君は罪の果実の味に理性を売ったんだ。君は売女と同じだよ。クスリのせいにして己の痴態を正当化するなんて、薄汚い子供だ」
「そんな子供とズルズル関係を続けようっていうアンタは何なんだ? 自分は汚くないとでも言うつもりなのか?」
「鋼の。私は自分を正当化させたことは一度もない。自分の汚さは一番よく分っている。だから汚い君とも寝られるんだ」
「開き直りやがって」
「自分を誤魔化すより潔いだろう?」
「誤魔化すより開き直る方が楽だからだろうが」
「それも大人の生き方の一つさ」
嘯くロイにエドワードは脱力する。己の汚さを認めて消化しているロイにエドワードは勝てない。自分一人コントロールできずに足掻いているエドワードはロイの敵ではない。
悔しい。この男に勝ちたいと思うが、己一人御せないエドには荷が重い。
エドワードは机の上に乗り、ロイに詰め寄った。
唇が触れる寸前まで顔を近付ける。
「そんなにオレと寝たいならさっさと尻を出せよ。犯してやるから」
ロイの目が少し大きく開かれる。
「……鋼の。いつから君はそういう言い方を覚えたんだ? 乱暴でいいじゃないか」
「うるさい。さっさとしろ。今、オレはアンタに突っ込みたくってウズウズしているんだ」
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