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 「エドのやつが閉じこもって、部屋から出て来ないって?」

 ヒューズの言葉にロイは苦々しく頷いた。

 溜まった書類に目を通しながら、東方指令部に滞在している時くらい事務仕事を手伝えと、自閉症よろしく閉じこもっている子供を忌々しく思う。普段、旅から旅へと渡り歩いている事を容認しているのだ。たまには殊勝な気持ちを持ってもらいたいものだと、ロイは機嫌が悪い。

 自分は落ち込む暇もなく日夜仕事に追われているというのに、鋼のは弟と寝たくらいで精神が壊れかけている。ロイとは散々寝たのに、本命と一度寝たくらいでこれだ。全くもって鬱陶しい。

「一体どうして? ……何かあったのか?」

 ヒューズに詰め寄られて、ロイは書類から顔を上げざるをえない。

 何もなければ閉じこもりはしない。……という言葉を飲み込む。

「あったと言えばあったな」

「何があった? 例のクスリを盛られた事か? エドの身体に何か不調でもおきたのか?」

「まあ、それはなんとかなったが……」

「何とかなったって? じゃあ何かがあったんだな? ハッキリしろ、ロイ。ちゃんと説明しろ」

「説明しろと言われても、鋼ののプライベートだしな。私が勝手に話したらきっと怒り狂うだろう。本人に聞け」

「本当に何かあったらしいな。……普段のお前ならエドのプライベートなど気にもしないのに。オレにも隠さなければならない事が起きたのか?」

 起きたからエドは引きこもっているのだ。

「ノーコメント」

 ヒューズの当然の質問にロイは応えられない。

 なぜヒューズが今こちらにいるのだと、タイミングの悪さに歯噛みする。

 エドの引き篭りを知ったヒューズがロイに理由を尋ねるのは当然で、ロイは内心でエドを罵倒した。

 ロイとエドとアルフォンスの間にあった事など欠片も思い浮かばない親友に、話せる事実などありはしない。数日前に起こった事は誰にも、もちろん親友には言えないことで、話すつもりもなかった。

 常識的で善良なヒューズに、エドワードとロイの狂気は理解できない。

 手を差し伸べたのはロイだが、そもそもの発端はエドの心だ。

 エドにとって今の現実は悪夢だろうが、それを引き起こしたのは自らの狂恋だ。

 自分で育み、隠そうとして露見し、挙句に望みのモノを手に入れたくせに、その事で傷付くとは勝手が過ぎる。

 諦めていた恋が手に入ったなら喜んで堕ちればいいものを、今更常識に縋って悲劇のヒロインのように嘆き閉じこもるとは、愚かとしか言い様がない。

 子供の感傷には付き合っていられない。何をそんなに躊躇っているのだか。健気な弟は兄の為ならなんでもする。兄の自らを喰うような恋を知って、どうして堕ちない事があろうか。

 兄の嬌態が自分の為だと知って、鎧の弟は禁忌を犯したのに、肝心のエドがこれでは弟も困るだろう。

 ぐずるのはいい加減にしろと言いたい。赤ん坊ではないのだ。自らが引き起こした事態なら、潔く全てを受け入れればいいものを、現実から逃げるように閉じこもるなど子供にすぎる。

 そろそろ部屋から引きずり出して尻でも叩かねば、自分の方がストレスで爆発しそうだった。

 ヒューズやホークアイといった保護者が、事実を知ろうと問い質してくるのも鬱陶しい。

 いっそ全部ぶちまけてやろうかと誘惑に駆られるが、子供と寝ていた事実が知られれば、立場上まずいのはロイの方だ。寝たのは合意の上だったが、客観的に見ればロイが上官という立場を利用して、エドを慰みものにしていたようにしかみられないだろう。部下の信用も失ってしまう。

 ロイには敵も多いし、若いから穿った目で見る者も多い。そして敵でなくても常識に縛られた人間は沢山いる。エドワードが子供だというのがネックだ。弱味を握られて抵抗できない子供に悪戯をしたと悪し様に言う人間も出てこよう。そしてそれを信じる人間は多いだろう。

 第一、親友と副官が事実を知れば、ロイを決して許すまい。

 だがそんなあからさまな事実を口外できないロイは、適当な言い訳も思い付かず、親友の追求を流して誤魔化していた。

「お前は一足先に帰ってエドの様子を見たはずだ。その為に仕事をオレ達に任せて帰ったんだろう。どうだったんだ? その時のエドの様子は?」

「どうって……。普通だったな」

「普通とは?」

「普通は普通だ。……普通男がクスリを盛られたらどんな状態になるか分るだろう? そういう普通だ」

「それって……かなりヤバい状態だったってことか?」

「ああ。弟の手前自慰もできずに、意識が朦朧としていたな」

「それで?」

「仕方がないから私の家に連れていって処理した」

「処理って……」

「適当に出させただけだ。出すものを出せばスッキリするだろう」

「おい……一体エドに何をしたんだ、お前?」

「何も? したのは鋼のの方だ。私を押し倒した」

「……は?」

「仕方がないからされるがままになってやったが」

「はあ?」

「鋼のは下手だな。クスリでラリッているとはいえ、前技もなしに突っ込むのはどうかと思うぞ? おかげでしばらく尻が痛かった」

「おい、ロイ! 嘘だろ? お前エドと寝たのか?」

 焦る親友をロイはニヤリと交わした。

「……冗談だ」

「本当か?」

 どこまで本気か分らないロイの厚顔に、ヒューズは疑心を拭えない。まさかそれだけはないだろうと思うが、ロイ・マスタングは常識では量れないと、親友だからこそ知っている。

 ロイは冗談のような顔で真実を口にする。とんでもない事実をさらりと述べて、冗談でしたと笑顔で交わし、後日それが真実だったと知った事が過去何度かあった。

 どこまで本気か冗談か分らない。それがヒューズの親友のロイ・マスタングだ。

 エドはまだ子供だ。ましてや性的な事とは程遠い生活をしている。もしロイの言った事が本当なら、どれだけショックだろうか。クスリのせいとはいえ、一回りも年上の男を押し倒して事を成したなど、自分なら衝撃で不能になるかもしれない。我に返って正気に戻れば、部屋に閉じこもりたくもなるだろう。

「おい、ヒューズ。冗談だと言っただろう」

 疑心暗鬼に自分を見るヒューズに、ロイは笑って言った。

「本当か?」

「鋼のが女性ならともかく、男に簡単に貞操を売り渡すほど私は安くはない。力だって私の方が強い。そう簡単にやらせるか」

「それもそうだな」

 あからさまにホッとしたヒューズに、ロイは内心の不快さを隠して顔を書類に戻した。

 パドル逮捕で集められた証拠はヒューズの集めた情報と合わせれば山となり、パドルの有罪は揉み消しもされずにほぼ確定していたが、全ての証拠を提出するのには時間がかかる。子供の証言集めやら、『シュガー』の麻薬のルート探索やら、犯罪組織と軍の癒着の洗い出しなど、しなければならない事は山積みなのだ。考えると目眩がしそうだ。

 エド一人に関わっている時間は何処にもないのに、お節介な保護者たちは子供に甘くて、ロイのストレスは溜まるばかりだ。エドの半分も気に掛けて欲しいものだと本気で思う。

 メソメソしている子供を引き摺り出して、仕事の一つも押し付けなければ気が済まない。

「それでロイ。実際のところ、何があった?」

 ヒューズの顔が厳しく引き締まる。

 ああ面倒臭い。いっその事全部バラしてしまおうか。

 鋼のは長年片恋してきた弟と一線を越えて、自失していると。

 ……言えたらどんなにスッキリするだろうか。

「……私の口からは言えない。知れたければ鋼のの口から聞け」

「オレが聞いて答えるかな」

「答えない答えは知られたくない事実だ。無理に知ろうとしない方が互いの為だと思わんか?」

「そうだとしても、心配しちまうのが大人ってもんだろ」

「鋼のは大人の心配など望んではいないぞ。アレは甘えることをよしとしない、頑な子供だ」

「そういうガキだからこっちは心配なんだよ。大人に甘える事を知っているガキなら、もっと柔らかく生きてるさ」

「……そうだな」

 甘えない子供だからロイは平気でエドと寝られたのだ。互いをああも簡単にマスターベーション代わりに使えたのは、寝ても欠片も依存しあわない事を知っていたからだ。共存ではなく、二人でいても一人だったのだ。ロイとエドは同じ『モノ』だった。

 だがエドワードは弟と寝た事でロイとは違うモノに変わった。

 あの子供はどう変化しただろうか。歪んだ鏡にしか真直ぐに映らない自分達は互いの写しだった。エドはロイとは違う生き物になったのだろうか?

 ロイは自分の指先を見詰めた。

「ヒューズ。……もし鋼のの所に行くなら、仕事があるからこちらに来いと言え。前回の仕事の疲れも、もうない筈だ。いつまでも子供扱いして甘やかしていたのでは、しめしがつかん。軍属になったからには狗らしく、主人の為に働いてもらう」

「もう少しそっとしておいてやったらどうだ?」

「鋼のの引きこもりの原因は分っている。そっとしておこうが仕事をさせようが、根本的な事は何も変わらん」

「……エドに仕事をさせるなら、部下に呼びに行かせればいいだろうに」

「行っても部屋に閉じこもって出てこないのでは話にならん。錬金術師というのはやっかいだな。扉に鍵を錬成されてしまって、部屋に強硬突入もできん。お前が呼べば出てくるだろう」

「オレが行って、出てくるかな?」

「出てこなければ部屋を破壊してもかまわん。適当な錬金術師を連れていって、ドアを砂に変えてしまえ」

「そうしたらエドがまたそれを元に戻すんじゃないのか? お前を除いて、エドより上の技術をもった錬金術師は東にはいないぞ」

「一人いるだろ。鋼のの弟が。彼なら兄に劣らない技術を持っている。切り札がある。いざとなったらお前の秘密をバラすと言え」

「弟の身体の事を引き合いに出すのは良くないな。脅しとはいえ、それは言っちゃいけないことだろう」

「そうじゃない。……他のネタだ」

「他にも何かあるのか?」

「……まあ、色々とな。思春期の子供は秘密だらけだ」

 興味深々なヒューズを書類の壁を盾に追いやって、ロイは深く溜息を吐いた。

 本当にしなければばならない仕事が山積みになっているのだ。エドワードの手が欲しいのは事実だ。

 いつまでもヘコんでもらっていては困る。いつかはバレる事だったのだ。それが昨日だろうが明日だろうが大した違いはない。

 折角弟と上手くいったのだ。もっと惚気てもいいだろうに、何故そんなに悩むのか。

 子供故の未熟さか潔癖さか、なけなしの道徳観念か。

 そんな何の足しにもならないモノ、早く捨ててしまえばいい。エドワードが悩もうと開き直ろうと、世界に変化はないのだ。自分一人の悩みなら、自分の中だけで処理すればいい。 自分の世界を壊したくなければ、自分で守るしかない。

 エドの守ってきた世界はもう壊れた。ならば新しく始めるしかないではないか。ガラスの砦は崩壊したのだ。丸裸になったのだから、そこからまた歩き始めればいい。

 知られたくないことは上手に隠しておけ。

 私はそうしてきたと、内心で呟く。

 ロイはレポートの束に挟んであった写真を見て、溜息を吐かずにはいられない。

 表情のない厳しい顔に部下達は震え上がって従っていたことは過去だが、軍を辞めて人間らしい表情を取り戻しても、恐ろしさは些かも変わらなかった。

『ミランダ・マクミラン』

 かつて鮮血の錬金術師と呼ばれた女は、まだ捕まっていない。

 捕まえられるのは、同等の力を持つ国家錬金術師だけだった。











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