言葉に すれば
必ず それは
嘘に変わる
~序章~
いつから愛していたのだろう?
想いを浮かべる度に、その疑問が胸を湧いて出てくる。
思い出すのは弟の顔。
真ん丸の目とふっくらした頬のラインと、母親ゆずりの茶色掛かった金髪と。
お兄ちゃんという呼び掛けが『兄さん』に変わったのはいつ頃からだったろうか。
毎日、ずっと一緒にいたから分らなかった。
自分達が別々の存在だと認識したのは、いつからだっただろうか?
気が付くと弟の方が喧嘩が強かった。背も並んでいた。
でも勉強では自分の方が上だったし、身の回りの事も自分の方が器用にこなせた。
やはり一年の差は大きかった。
弟は六歳までオネショをしていたし、字も四歳まで読めなかったので、自分が教えてやったのだ。
一緒に錬金術の勉強をした。
錬金術が上達すると、母さんが誉めてくれるのが嬉しかった。ただ嬉しかったのだ。
だから一生懸命勉強した。そうしてどんどん錬成は上手くなった。
幼い、無邪気な時間。眩しいまでに輝いていた。
このまま一生幸福な時間が続くのだと思っていた。
なのに母さんは死んでしまった。
あっけなかった。驚く時間も少なく、母はこの世を去った。
母さんを生き返らせる事に疑問は持たなかった。
愛する者を生き返らせることが、どうしていけないのか分らなかった。
誰だって愛しい者が帰ってきたら嬉しいに決まっている。
弟は止めたのに、自分は聞かなかった。だってもう一度母さんに会いたかったのだ。
だけど……失敗した。
錬成は失敗だった。
そうして自分は左脚を持っていかれてしまった。
左脚だけだった。
弟は全部を持って行かれたのに、自分はたったそれだけだけだった。
伸ばした手は弟に届かなかった。
弟の必死の声が耳に残る。一生消えない。
呪いのように自身を苛む声が耳の奥にある。
呼ばれたのに。手を伸ばされたのに、全く届かなかった。
そうして弟は消えた。
何故?と思った。
等価交換なら、足りない部分は半分づつ持って行かれるはずだ。なぜそんな差が出たのだ?
罰だと思った。差別をすることで禁忌に手を出した者を断罪したのだ。
弟は母親のところに連れて行かれた。
考えれば良かった。
現世に止まれなくても、弟は幸せだったかもしれない。優しい母の膝で再び甘えられるのだから。
だから諦めるべきだったのに、どうしてもそれは出来なかった。
アル……アルフォンス。すまない。
どうしてもお前を失えなかった。
愛していたんだ。どんな手段を使っても自分の側に留めておきたい程に。
人でない物に封じ込めてしまっても、側においておきたかった。
あの時は鎧しか目に入らなかった。他に考えられなかった。
命を捧げるつもりでいた。
弟の魂と引き換えなら、身体全部が持って行かれると思った。なのに右手だけだった。
弟の魂は自分の右手分の価値しかなかったのか。そう思うと悲しかった。
あの時初めて、自分は弟とは違う生き物だと認識したのだ。
自分ではない誰か。血を分けているのに、同じ構成物質から構築されているのに、全くの別人。自分によく似た、魂だけは異なる存在。
その時から真の意味で愛おしくなった。愛しているという意味がハッキリと分った。右手の痛みなど辛くなかった。弟に恨まれているかもしれないと思う事の方が辛かった。辛くて辛くて。弟の顔を正面から見られなかった。
ロイ・マスタングが現れなければ、自分は一生暗い部屋に閉じこもり、弟と狂っていただろう。
あの男が人の姿に戻るという目標を与えたのだ。その事だけには感謝していた。
だが……。
現実はとても厳しくて。弟の身体はとても冷たくて。
弟の鉄の身体。
冷たくて、固くて、あんなものに閉じ込められて可哀想だと思った。人と交わる事もできやしない。
触れあって初めてその事に気が付いた。
アルフォンス。愛しい弟。
お前の為だったら何だってしてやろう。その為になら死んだって構わない。
だから心で想い続けることだけは許して欲しい。
ただ想っているだけだから。それ以上は何も望まないから。
すまない。すまない。許して欲しい。命だって捧げるから。
……そう願っていただけのに。
「愛している」……なんて信じない。
オレの弟はそんな事は言わない。
オレの弟は兄にあんな真似はしない。
アレは間違いだ。
きっとずっと鎧のままでいたから、心がおかしくなったんだ。身体が戻れば、元の綺麗な弟に戻るだろう。
そして後悔する。自分の過ちに気が付く。
だからお前の間違いをオレは許すよ。だって全部オレがいけないんだから。
絶対にお前の身体を取り戻して、全部なかった事にしてやる。そうしてオレも消える。
そうしたらお前は幸せになるがいい。
お前の幸福がオレの幸福だ。
お前の笑顔がもう一度見たい。
ただそれを想うだけでオレは幸せになれる。
愛している。
血を分けたたった一人の弟を。
浅ましい。
想うこと事体が間違いだ。
だからオレが全部間違いを正してやる。
この身に変えても。
薄汚いこの身で適うならばの話だが。
何十何百と謝り続けただろうか。母親と弟に。
もう謝罪の言葉は尽きたと思ったのに、これ以上の罪はないと思っていたのに、重い罪がまた一つ増えた。背負いきれない程の罪が。
……すまない。
ただそれしか言えなかった。
愛なんて嘘だ。
ただの独占欲だ。薄汚い欲望だ。そんなものしか持っていない。
汚いこの身を弟に触れさせたかった。そうして弟を同じ位置まで堕としたかった。
そうしたら自分が許せなくなる事を知っていて、夢想していた。想像だけなら自由だった。
考えるだけなら弟は汚れない。自分だけがどんどん黒くなっても、弟は綺麗なままでいられるのだ。
鉄の四肢に身体を絡める浅ましい夢を見ていた。
望まれる願望を胸に秘めて他人と情を通じて、自分を誤魔化した。
夢は夢でしかなかったら、安心していられた。
汚さも間違いも何もかも自分一人の中で渦巻き、沈澱し、塊となって冷えて朽ちるはずだった。
なのに間違えた。
夢だと思った。いつもの願望が見せる浅ましい夢だと思った。
あの鉄の指に犯されるいつもの夢だと思ったのに。
ロイと寝ていた筈だ。
それがいつのまにか入れ代わっていた。
何処から何処までが夢だか現実だから分らなくて、混乱しつつも、アルフォンスだと思い、幸せだった。
幸せで現実を認識できなかった。まさか全部が本当だとは思わなかった。
嗅ぎ慣れたオイルの匂いに包まれて幸福だった。
幸せで幸せで……夢から覚めたくなかった。
覚めなければ良かった。
現実は……悪夢だった。
覚めない悪夢の続きを見ている。
何故?……という疑問は持っても無駄だった。何故なら返ってくる正解などないからだ。
愛という悪夢は現実の中でこそ恐怖となる。
目が覚めた瞬間にそれが分った。
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