02

 

言葉に すれば
  必ず  それは
         嘘に変わる





 〜序章〜





 いつから愛していたのだろう?


 想いを浮かべる度に、その疑問が胸を湧いて出てくる。

 思い出すのは弟の顔。

 真ん丸の目とふっくらした頬のラインと、母親ゆずりの茶色掛かった金髪と。

 お兄ちゃんという呼び掛けが『兄さん』に変わったのはいつ頃からだったろうか。

 毎日、ずっと一緒にいたから分らなかった。

 自分達が別々の存在だと認識したのは、いつからだっただろうか?

 気が付くと弟の方が喧嘩が強かった。背も並んでいた。

 でも勉強では自分の方が上だったし、身の回りの事も自分の方が器用にこなせた。

 やはり一年の差は大きかった。

 弟は六歳までオネショをしていたし、字も四歳まで読めなかったので、自分が教えてやったのだ。

 一緒に錬金術の勉強をした。

 錬金術が上達すると、母さんが誉めてくれるのが嬉しかった。ただ嬉しかったのだ。

 だから一生懸命勉強した。そうしてどんどん錬成は上手くなった。

 幼い、無邪気な時間。眩しいまでに輝いていた。

 このまま一生幸福な時間が続くのだと思っていた。

 なのに母さんは死んでしまった。

 あっけなかった。驚く時間も少なく、母はこの世を去った。

 母さんを生き返らせる事に疑問は持たなかった。

 愛する者を生き返らせることが、どうしていけないのか分らなかった。

 誰だって愛しい者が帰ってきたら嬉しいに決まっている。

 弟は止めたのに、自分は聞かなかった。だってもう一度母さんに会いたかったのだ。


 だけど……失敗した。

 錬成は失敗だった。

 そうして自分は左脚を持っていかれてしまった。


 左脚だけだった。

 弟は全部を持って行かれたのに、自分はたったそれだけだけだった。

 伸ばした手は弟に届かなかった。

 弟の必死の声が耳に残る。一生消えない。

 呪いのように自身を苛む声が耳の奥にある。

 呼ばれたのに。手を伸ばされたのに、全く届かなかった。

 そうして弟は消えた。


 何故?と思った。

 等価交換なら、足りない部分は半分づつ持って行かれるはずだ。なぜそんな差が出たのだ?


 罰だと思った。差別をすることで禁忌に手を出した者を断罪したのだ。

 弟は母親のところに連れて行かれた。


 考えれば良かった。

 現世に止まれなくても、弟は幸せだったかもしれない。優しい母の膝で再び甘えられるのだから。

 だから諦めるべきだったのに、どうしてもそれは出来なかった。



 アル……アルフォンス。すまない。

 どうしてもお前を失えなかった。

 愛していたんだ。どんな手段を使っても自分の側に留めておきたい程に。

 人でない物に封じ込めてしまっても、側においておきたかった。

 あの時は鎧しか目に入らなかった。他に考えられなかった。

 命を捧げるつもりでいた。

 弟の魂と引き換えなら、身体全部が持って行かれると思った。なのに右手だけだった。

 弟の魂は自分の右手分の価値しかなかったのか。そう思うと悲しかった。

 あの時初めて、自分は弟とは違う生き物だと認識したのだ。

 自分ではない誰か。血を分けているのに、同じ構成物質から構築されているのに、全くの別人。自分によく似た、魂だけは異なる存在。

 その時から真の意味で愛おしくなった。愛しているという意味がハッキリと分った。右手の痛みなど辛くなかった。弟に恨まれているかもしれないと思う事の方が辛かった。辛くて辛くて。弟の顔を正面から見られなかった。

 ロイ・マスタングが現れなければ、自分は一生暗い部屋に閉じこもり、弟と狂っていただろう。

 あの男が人の姿に戻るという目標を与えたのだ。その事だけには感謝していた。

 だが……。


 現実はとても厳しくて。弟の身体はとても冷たくて。

 弟の鉄の身体。

 冷たくて、固くて、あんなものに閉じ込められて可哀想だと思った。人と交わる事もできやしない。

 触れあって初めてその事に気が付いた。

 アルフォンス。愛しい弟。

 お前の為だったら何だってしてやろう。その為になら死んだって構わない。

 だから心で想い続けることだけは許して欲しい。

 ただ想っているだけだから。それ以上は何も望まないから。

 すまない。すまない。許して欲しい。命だって捧げるから。

 ……そう願っていただけのに。



「愛している」……なんて信じない。

 オレの弟はそんな事は言わない。

 オレの弟は兄にあんな真似はしない。

 アレは間違いだ。

 きっとずっと鎧のままでいたから、心がおかしくなったんだ。身体が戻れば、元の綺麗な弟に戻るだろう。

 そして後悔する。自分の過ちに気が付く。

 だからお前の間違いをオレは許すよ。だって全部オレがいけないんだから。

 絶対にお前の身体を取り戻して、全部なかった事にしてやる。そうしてオレも消える。

 そうしたらお前は幸せになるがいい。

 お前の幸福がオレの幸福だ。

 お前の笑顔がもう一度見たい。

 ただそれを想うだけでオレは幸せになれる。



 愛している。

 血を分けたたった一人の弟を。



 浅ましい。

 想うこと事体が間違いだ。


 だからオレが全部間違いを正してやる。

 この身に変えても。

 薄汚いこの身で適うならばの話だが。


 何十何百と謝り続けただろうか。母親と弟に。

 もう謝罪の言葉は尽きたと思ったのに、これ以上の罪はないと思っていたのに、重い罪がまた一つ増えた。背負いきれない程の罪が。


 ……すまない。

 ただそれしか言えなかった。

 愛なんて嘘だ。

 ただの独占欲だ。薄汚い欲望だ。そんなものしか持っていない。


 汚いこの身を弟に触れさせたかった。そうして弟を同じ位置まで堕としたかった。

 そうしたら自分が許せなくなる事を知っていて、夢想していた。想像だけなら自由だった。

 考えるだけなら弟は汚れない。自分だけがどんどん黒くなっても、弟は綺麗なままでいられるのだ。

 鉄の四肢に身体を絡める浅ましい夢を見ていた。

 望まれる願望を胸に秘めて他人と情を通じて、自分を誤魔化した。

 夢は夢でしかなかったら、安心していられた。

 汚さも間違いも何もかも自分一人の中で渦巻き、沈澱し、塊となって冷えて朽ちるはずだった。

 なのに間違えた。

 夢だと思った。いつもの願望が見せる浅ましい夢だと思った。

 あの鉄の指に犯されるいつもの夢だと思ったのに。


 ロイと寝ていた筈だ。

 それがいつのまにか入れ代わっていた。

 何処から何処までが夢だか現実だから分らなくて、混乱しつつも、アルフォンスだと思い、幸せだった。
 幸せで現実を認識できなかった。まさか全部が本当だとは思わなかった。

 嗅ぎ慣れたオイルの匂いに包まれて幸福だった。

 幸せで幸せで……夢から覚めたくなかった。


 覚めなければ良かった。


 現実は……悪夢だった。

 覚めない悪夢の続きを見ている。

 何故?……という疑問は持っても無駄だった。何故なら返ってくる正解などないからだ。



 愛という悪夢は現実の中でこそ恐怖となる。

 目が覚めた瞬間にそれが分った。








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