02/キースとネイサン



「ねえスカイハイ。ちょっといいかしら」とネイサンはイワンがしたのと同じ手でキースを呼び出した。
「なんだい、ファイヤー君」
「話があるの」
 そしてズバリ切り出す。
「あなた最近変よ。何かあった?」
 ネイサンを見上げたキースの顔には戸惑いがあったが、すぐにハッとなったように表情を変え、赤くなった。
 ビンゴだ。というか隠す気ない、いや自分が赤くなった事を自覚してないから、隠し事があるとバレているとキースは気づいてない。
 天然は一歩間違えるとただのバカ。微笑ましいバカだ。

「実は……わたしもファイヤー君に相談があるんだ。相談に乗ってもらえるだろうか?」
「勿論!」即答。
 イワンの名前を出すまでもなかった。キースの方から相談を持ちかけてきた。
 素直な人間はこういう時とても扱いが楽だ。
 虎徹やバーナビーではこうはいかない。照れや恥が先に来て、素直になりきれないのだ。
 その点キースは自分の行動のすべてを肯定しているので、自分のしている事考えている事を恥とは思わない。これが天然の天然たる所以だ。

「……で、相談ってなに?」
 ここは男子更衣室。用心の為、人のいない場所を選んだ。
 天然の口からはどんな爆弾が飛び出るか分からない。
 ネイサンは普段女子更衣室を使用しているが、男子更衣室にも堂々出入りしている。本来ならこちらの使用が正統なのでおかしくはないが、基本的に何かおかしい。
「もしかして……折紙ちゃんの事?」
「な、なななななんで? なんで折紙君の事だと分ったんだい? 君はエスパーかい? 新しいネクスト能力か?」
 誘導尋問にすらならないダダ漏れっぷりに、さしものネイサンも心配になる。
 こんなに素直で、よく詐欺に引っ掛からないものだ。ポセイドンラインの方で注意しているだろうが、純粋な子供がそのまま大人になるとこうなる、みたいな見本のガチムチ天使は危険な代物だ。仲間としてつい案じてしまう。
「やあねえ。女の眼力舐めないで。スカイハイが折紙ちゃんの事を想っているのなんて、バ・レ・バ・レ・よ。女の勘って凄いのよ。シックスセンスよ」
「そ、そうなのか。女性というのは第六感が優れているのか。だから私の考えている事もバレてしまったのか…」
 天然も過ぎればバカだが、キースがバカに見えないのはハンサムフェイスと爽やかな笑顔が良く似合っているからなのと、純真さが透けて見えるからだ。
 人が見るのは外見だけ。外見が良ければ中身は誤魔化せる。内面を見るのは親しい人間に限られる。
 ネイサンは内心うきうきしながら聞いた。
 恋バナはいつだって心踊る。女心を刺激する乙女の活力原だ。他人事なら客観的視点しか持たないからただ楽しい。
「バレてるって言っても詳しい事は知らないわ。……で、スカイハイはこれからどうするの、いいえしたいの? ずばり聞くけど、折紙ちゃんとつき合いたい? 告白する気はあるの?」
「……も、勿論だ。わたしは折紙君と、付き合いたい、交際したいんだ。でもまずは告白だ、そして告白だよ」
 キースが首筋から耳まで真っ赤にして応える。
(あらあら素直。思わず応援したくなっちゃうわぁ)
 公平を期する事を旨としているネイサンだが、真面目な純情の前には天秤も傾く。
「じゃあ、スカイハイが最近様子がおかしかったのは、もしかして…」
「そ、そうなんだ」
「まあ。それは素敵ね。それで困っていると。近すぎるのも考えものかしら。逆に告白しにくくなっちゃう。タイミングが難しいものね」
「そ、そういうものだろうか?」
「そうよう。あなたには分からないかもしれないけれど、恋愛はどちらか一方通行だと、気まずくなりやすいの。ベクトルが違う方向を向いてると心がすれ違っちゃうからね」
「じゃあわたしも折紙君と距離をおかなければならないのだろうか?」
 キースがショボンハイになる。
「そんな心配は無用よ。スカイハイはスカイハイの心の赴くままに行動すればいいわ。でも行動を起こす前に一つだけ約束してちょうだい。まずはわたしに言う事。あなたは純粋だけれど天然で、人の気持ちが読めない所があるから」
「そうなのかい? 天然ってよく言われるけれど、君達は養殖なのかい? その違いは何処にあるんだい?」
「……せめて人工って言ってちょうだい」



 キースはニコニコしながら「じゃあ」と言った。
「わたしは告白を待ってるんだ」
 ネイサンはキースが告白の機会を待っているのだと思った。
「それで?」
「どうしたらいいのかな? それとなくアピールしてみたんだが、折紙君には通じなかった。悲しい、そして悲しい」
「遠回りなアピールじゃ、ネバティブな折紙には通じないわよ。異性同士じゃないんだから。それでなくても同性って壁があるんだし。女の子の話題で自分と告白を結びつけるには無理がありすぎ。もっと直接的に言わなきゃ、折紙には分からないわよ」
「そ、そうなのかい? でもわたしから言ったら意味がないのだが」
「…ん? なんでスカイハイから言ったら意味ないの? 告白するんでしょ?」
 キースは濁りのない美しい笑顔で溌溂と言った。
「だって。わたしは折紙君から告白してもらいたんだ! 彼の恥ずかしがる、精一杯の、一生懸命な顔が見たい、そして見たい! 彼のたどたどしい告白が聞きたい! だからわたしは折紙君から告白されるのをずっと待っているんだ!」
 キースの力説に、さしものネイサンも声がない。
 ただ、右手が勝手に動いたのは仕方がない事だ。
 スパーン!
 スカイハイの後頭部が良い音を奏でた。

「酷いよネイサン君、なんで殴るんだい。痛いよ、とっても痛い!」
 男の平手だからかなり痛い。無意識のフルスイングは無意識だからこそ戦闘に慣れたスカイハイの警戒にまったく引っ掛からず、無防備だった。
 殴られる意味の分からないキースは涙目で抗議するが、ネイサンの疲れたような恐い顔に、なんとなく言葉が尻窄みになる。
 野生の勘が目の前の女?に逆らうなと言っている。
 ネイサンは呆れを隠さない声と表情で聞く。
「……あのさあスカイハイ。…なんで折紙がスカイハイに告白するのを待ってるの? 自分がするんじゃなく。普通は逆でしょ」
 当然の問いに、キースはよくぞ聞いてくれました、とばかりに言った。
「なんでって? 告白されるのってとっても素敵な事じゃないか。とっても幸せな気持ちになれるんだよ。わたしは幸せになりたい。折紙君からの愛の言葉が欲しいんだ」
 サンタさんがクリスマスプレゼントをくれると信じて疑わない子供のような澄んだ瞳で邪心も作為もなくキラキラしながら言い募る二十代半ばの男に、権謀術数すら片手でこなすネイサンは困惑した。

 どうしよう、星の王子様に『ボク、バラの花と喧嘩しちゃったの』と言われた幻覚が見える。

「……話を戻しましょう」
「うん? いいよ? どこまで?」
「スカイハイは。折紙ちゃんから告白してもらいたくて、それとなく折紙ちゃんにアピールしてるのよね?」
「そうなんだ。折紙君は賢いのに人の気持ちには鈍くて困ったものだけれど、そこも可愛いんだ」
「その前提でいくと、折紙ちゃんがスカイハイの事を好きって事になるけれど、折紙ちゃんはスカイハイの事、好きなの? 恋愛対象として? とても折紙ちゃんがスカイハイに恋してるようには見えないんだけど。だったら折紙ちゃんがスカイハイに告白する、その根拠は?」
「根拠? ないよ?」
「……ないの?」
「うん。そういえばないな。どうしよう」
「そう。ないの……」
 笑顔のキースに、ネイサンは殴るか怒鳴るか考え、どちらも意味がないと我慢した。

 天然パねえ。常識が通じない。

 しかしネイサンには忍耐力があった。
「その前提でいくと。折紙ちゃんがスカイハイの事を好きで、だから告白するって流れになるけれど、折紙ちゃんはスカイハイの事を恋愛の意味で好きじゃないんだから、告白なんて結果には辿りつかないわ」
「そう、そうなんだよ。そこが相談したいところなんだ。どうしたら折紙君はわたしの事を好きになって告白してくれるだろう?」
 キースの心底困ったといった表情は、泥水に肉を落とした哀れな犬まんまだったが、ネイサンには通じなかった。
 あまりに勝手な言いぐさに、しかし嫌味も作為もない純粋さにネイサンの頭はズキズキ痛んだ。
 なにこの子。言葉が通じない。
 いや通じているけれど、価値観違い過ぎて話にならない。宇宙人と会話しているみたい。
 宇宙人の常識って自分勝手すぎる。
「……折紙ちゃんの事が好きなら、自分からアピールしなきゃ。はっきりと「好きだよ、愛してる」って言わなくちゃ、折紙には通じないわよ。なんで相手からされる事を期待してるの? 意味分からないんだけど」
 自分が優位に立つ為に相手からの告白を待っている……というような、高度な恋の駆け引きではないだろう。
 スカイハイと駆け引きはそぐわない。…というか、普段は直球勝負しかしないくせに、なぜ今回に限って遠回りな事をしているのだろう。誰かに何か吹き込まれたのだろうか。
「わ、わたしが折紙君を? あの子は男の子だよ?」
 何故か大仰に驚くキース。
「その男の子から告白されたいくせに、今さら何言ってんのアンタ? スカイハイは折紙ちゃんの事を恋人にしたいって意味で好きなんでしょ。だから告白されたいのよね? 違うの?」
 ネイサンは呆れっぱなしだ。
「わ、わたしが折紙君の事を? そうか。そうだったのか。だから折紙君と一緒にいるとあんなに楽しくて、近くにいると抱き締めたくなって、いや抱き締めてしまって、キスしたくなってどさまぎで頬にキスしたり、手を握ったり、肩を抱いたり……してしまったのか。なんて事だ! わたしは折紙君を愛してしまっていたのか!」
「ドサマギで何やっとんじゃい! 師弟ごっこでそれやったら立派なセクハラよっ」
 手が早いスカイハイにネイサンの教育的指導(暴力)が入るが、仕方がなかった。誰だって痴漢は殴る。
 折紙の方はまさか師匠のスカイハイがセクハラをしているとは思わず『スカイハイさん、スキンシップ多いなあ』…くらいにしか思ってないのが救いだが。相手が嫌がっていないとセクハラや痴漢は成り立たない。
「自覚してなかったくせに相手の告白が欲しいだなんて、どんな思考回路したらそういう結論に行き着くのよ? あんたの頭の中身って絶対変!」
 ネイサンに詰め寄られ、キースは自分を振り返る。言われてみると自分は変なのかもしれないと今更思うが、あまり自覚はない。
「たまに言われるなあ。CEOからは『KOHの考えば一般と違うのは当たり前だから、深く気にするな』と言われたのだが…」
「甘やかしてるわね、あそこのCEOも。……いいから。何か理由があるんでしょ。そういう結論に行き着いた経過が。全部話なさい」
「分ったよ。ファイヤー君」
 隠す事などないキースは素直に喋り始めた。




 キースが会社近くのカフェでハンバーグのランチをとっていた時だ。
 ランチは美味しいし、天気は良いし、その青空の下、美味しいごはんを食べられて幸せだなあ…とキースが牧歌的思考で惚けていた時だ。

「おい、とうとう彼女とうまくいったのか?」……というような声が背後から聞こえてきた。
 テーブル同士は観葉植物で区切ってあって隣のテープルはよく見えないが、声は当然筒抜けだ。
 ランチタイムで会社の同僚数人で食事なのか、後ろの席が騒がしい。
 聞いてみると、その中の一人に恋人ができたらしい。前々から気になっていた女性で、告白の機会を待っていたら相手の方が焦れたらしく、告白された……と洩れ聞こえてきた。聞き耳立てなくても音がだだ洩れなのだから盗み聞きではない。

「俺から言わなきゃいけなかったのに、彼女に言わせちゃって男失格だ。けど……。好きな相手から告白されるっていいよな。彼女、精一杯の勇気を振り絞って真っ赤になってちょっと震えて……メチャメチャ可愛かったぁ。健気で懸命で。あらためて好きだなあって思ったよ」と惚気た幸せな男に、周囲からやっかみ半分の祝福が贈られる。
「畜生め、幸せ者め、今度奢れよ!」
「ダメダメ。彼女に奢るお金残さなくちゃならないから、当分は節約するよ」
「くたばれリア充!」
 ……みたいなやりとりを聞き、キースは思った。
(ああ、あんな風にわたしも折紙君に告白されたい。折紙君から言われたら、きっとハッピーな気分になれるだろう。そうだ。折紙君に告白されよう!)
 
「……って思ったわけアンタは?」
「そうなんだよネイサン君。だけどまさかわたしが折紙君を好きだったなんて。まったく気づかなかったよ。……気づかせてくれてありがとう。…そうだね。名も知らない彼も言っていた。『男の自分が告白しなくちゃいけなかったのに』って。わたしも待っているだけではなく、男らしく折紙君に告白しよう、そうしよう。そうするべきだ」
 高らかに唱うように宣言したスカイハイに、ネイサンはヤブを突ついてしまった自分に気づいた。
 キースはまったく自分の気持ちに気づかずにいたらしい。相手が男の子だから、考えが恋愛に結びつきにくかったのだろう。
「ちょっと待ちなさい! 折紙ちゃんにあんたの告白を受ける土壌はないわよ! せめて折紙ちゃんが成人するまで待ちなさいって。待てやコラッ!」
「どうしてだい、そしてどうして?」
 キョトンとなるキース。
 好き=(イコール)告白 → そして恋人に……というキースの頭の中の図式はすでにできあがっている。
「それは……あんた達が師弟関係だからよ。師弟のうちは恋愛感情を持ち込んじゃダメ。教える側は私情を交えず正しく生徒を導かなくちゃならないわ。だから折紙があんたの元を卒業するまで、恋愛関係になるのはダメよ、絶対」
「そ、そうなのかい?……」
 ガーン! 音がしそうなほど落ち込んだキースに、ネイサンは諭すように言った。
「折紙ちゃんからの告白が欲しいんでしょ。十年計画くらいで考えてみたら? ずっと側にいるつもりならそれくらいの時間、平気でしょ」
「そ、そうかな? でも十年は長くないかい?」
「本当に好きならそれくらい待てるはずよ」
「そうか。わたしは折紙君が本当に好きだ、大好きだ!」
「力説しなくても知ってるわ」
 とりあえずの危機を回避できたネイサンはホッとしたが、根本的には何も解決できていないから頭が痛い。
 今度、イワンにそれとなく注意しなくては。
 キースが肩を抱いても抱き締められても、断固として拒否するようにと。
 師弟関係とは厳しいものだと教え込めばイワンは納得するだろう。
 ニホンにかぶれているイワンは、ニホン式というのにとても弱い。ニホンの師弟関係は触れる事も許されない心に刃を置くようなものだと言っておこう。幸い『忍者』の漢字は知ってるらしいから。
 そうだ。虎徹も巻き込もう。おせっかいなオヤジもこんな場合だけは役に立つ。青少年の健全な育成の為と言えばいい。

 キースは気づいていなかった。
 自分が相談したのが自分の恋を叩き潰す、害虫駆除を辞さないまっとうな大人だという事を。
 害虫とは未成年に手を出したくて仕方がない男の事を言う。





2012.6発行の無配NOVEL 二人が絡んでないけど空折