池沢佳主馬中学生日記







 05



 佳主馬はここいらが引き時かと先輩の差出した手に乗る事にした。
 単なる喧嘩なら負ける気はしないが、卑怯を卑怯と思わない短慮で浅慮な少年達に恨みを残しておけば後の憂いとなる。男の嫉妬は女よりタチが悪い。
 佳主馬は会話が通じない少年達に言っても無駄だと思いつつ吐き捨てる。
「女が俺に振られて泣いた? ……それがどうした。
 本気で俺の事を好きなら、一度振られたくらいで諦めるもんか。泣こうと喚こうと、諦められたんなら始めからそれだけの重さしかなかったって事だ。
 おまえら、本気で人を好きになった事ないだろう。その人を思って胸を掻きむしって眠れない夜を過した事なんかないだろう。
 本気で好きなら絶対諦められない。諦めようとしたって諦められず、辛くて辛くて、泣いたって歯を食いしばったって何も変えられず、自分の気持ちを持て余して、また泣くしかなくたって想いは捨てられない。
 恋した相手の気持ちが自分に向かない事が悔しくて、努力しても手が届かなくて、会えない距離が遠過ぎて、会えない時間が長過ぎて、その人に近付く全ての人間に嫉妬して、好きで好きで気がおかしくなりそうで、その人に好きな相手がいるのを知っていても諦められず、いつか別れればいいんだって呪うように醜く願って、大事な人が失恋して泣けばいいと思ってる。
 つけ込む隙があるなら速攻つけ込む。チャンスを生かさないなんてバカだ。
 1%しか望みがなくなって、0じゃないならそれにかける。それしかできないならそれをするだけだ。
 絶対諦めない。追い掛け続けて、必ずものにする。相手の気持ちがこっちを向くように俺しか目に入らないように印象づけてやる。
 一度振られたからってなんだよ。相手が結婚してるわけじゃない。恋人がいたって望みが薄くったって、諦めるもんか。諦めたら本当にそこで終る。
 惚れるっていうのはそういう事だ。
 てめえのプライドばっかり大事にしてるやつが、惚れたはれたを語るな。
 そんなとりかえがきくような薄っぺらい気持ちでチャラチャラ恋愛してるやつに、俺がどうこう言われる筋合いはない。
 俺が生意気だ?
 結構。つるむことしかできないガキ臭い阿呆になり下がるより、ずっとマシだ。
 俺は1日でも早く大人になりたいだけだ。
 文句があるなら言えよ。ただし一人で言いにこい。
 くっだらない嫌がらせならこっちだってそれなりの対応をとらせてもらう。
 おまえらは中途半端な気持ちしか持ってないくせにゴチャゴチャ煩いんだよ。俺に構ってる暇があるなら、どうしたら好きな女の気持ちが自分に向くか考えろよ。努力しろよ。
 チャチなプライド守りたいんなら恋愛なんかすんな。
 俺は自分の恋愛だけで手一杯なんだ。おまえらのチャラい恋愛なんか知った事か」
 佳主馬は一気に言って周囲を睨みつけた。
 誰も彼もが圧倒されて言葉なく佳主馬を見詰めた。
 わし鼻の3年がポカンと間抜けた顔で佳主馬を見る。
 他の生徒達も同様の阿呆面で佳主馬を見ている。
 佳主馬は僅かに冷静さを取り戻すとハッとなり、熱くなり過ぎたと後悔した。
 わし鼻の先輩が驚きのまま聞いた。
「池沢って……好きなやつ、いたんだ」
「いたら悪い?」
 佳主馬は舌打ちして開き直る。
「悪くないが……。この学校の生徒か?」
「違う」
「片思いなのか」
「そうだよ」
「池沢の好きな相手には……恋人がいるのか?」
「……いる」
「それでも諦めてないのか?」
「諦める必要あるの? それに諦められるならそうする。諦められないから諦めない」
「じゃあ池沢は…その女を奪おうと努力してる最中なのか?」
「違う」
「どうして? 諦めないって言っただろ」
「あの人にとって、今の俺は恋愛の対象じゃない」
「恋愛の対象から外れてるってどういう事だ?」
「あんたに説明する義理はない」
 これは俺だけの問題だと佳主馬は吐き捨てた。
 他人に心の内を打ち明ける必用はない。
「聞かせろよ。理由いかんによってはこいつらを引かせるし、頭下げさせるぜ?」
 佳主馬はハッと嗤った。
「強要された謝罪に何の意味があるんだよ。振られた逆恨みしかできないヤツらの理不尽に付合うなんて時間の無駄だ。俺を締めたきゃやれば? でもそれならこっちだって本気でいかせてもらうよ。暴力は悪だけど、理不尽に屈しない為の力なら遠慮はしない。言っておくけど、他人を捻じ伏せるって事は捩じ伏せられる事もあるって事を忘れるな。俺は捩じ伏せられても諦めない。例え何年かけようとリベンジする。生憎諦めるって選択は持ち合わせていないからね。腕っぷしには腕っぷしで対抗するし、卑怯な手を使うのならこっちもそれなりの手を使う。卑怯をすればこちらの男も下がるけど、てっとり早い手段ではあるから手段は選ばない」
「例えば?」
「1、2年はともかく3年生は受験だろ? この時期に内申書を自分からわざわざ悪くする事ないだろ」
「………チクリなんて卑怯だぜ。それこそ男が腐る」
 佳主馬はフンと鼻で流す。
「卑怯に卑怯で対抗して何が悪いんだよ? 卑怯に優劣があるって思ってるなら大間違いだ。一人でものが言えなくて、よってたかって大勢で後輩一人を吊るし上げた事を正直に公表したからって、被害者のこっちが責められる筋合いはないよ。本当にバカじゃないの。悪いのはそっち。俺は被害者。俺はただあった事を正直に言うだけ。嘘は一切交えない。自分達が正しいっていうなら、今している事が卑怯じゃないっていうなら、誰に知られたって構わないはずだ」
「よく口がまわるガキだ。………で、池沢の好きなヤツって誰だよ」
 しつこく引かない相手に佳主馬は舌打ちする。
「聞いてどうする。あんたの知らない相手だ」
「別に。ただ、すっげえ気になるだろ。ああいう台詞を聞かされたら…。あれがガキの言う事かよ。すげえ告白だよな。おまえよっぽどその女に惚れてるんだな。マジすげえ」
「当然だろ」
 佳主馬はそれが天の理だとでもいうように尊大に言った。
「あんたらの薄っぺらい恋愛と違って、こっちは七年計画だからね」
「七年……ってなんだ?」
「どうしたって俺はガキだからね。今は色恋を口にしても本気にはされない。でも七年経てば俺は成人する。ガキの思い込みとかそういう逃げ道も塞げるし、既製事実の責任をとる事もできる。中学生じゃどう考えたって相手に本気にしてもらえない。それくらい分る。だから高校からが勝負だ。それまでは好印象を与えるように地道に努力する」
 中学一年生の台詞だろうか。
 こいつ正気かと少年達の目が変人を見る目付きに変わる。
 佳主馬の本気に上級生も引いた。
「……ずいぶん気長だな。なんでもっと強引にいかないんだ? お前女にモテるじゃないか。おまえが本気で口説いて落ちない女がいるのか」
 奇麗な顔の後輩に先輩が素朴な疑問を投げる。
 この少年なら確かにより取りみどりだろう。
「……誰に好かれようと、本命に好かれなきゃなんの意味もない」
 つまり池沢佳主馬は本命に好かれていないのだろうか。
「相手は中学生じゃないのか?」
「そうだよ」
「年上なのか?」
「……四つ上」
「四つ? じゃあ相手は高校生なのか?」
 さすがに予想外で少年達は驚く。
「しかも現在純愛の相手と恋愛中。こっちは蚊帳の外で完全な片思い」
 佳主馬の絶望的恋愛事情に上級生は同情した。
 どうみても望みはない。
「完全アウトで望みゼロじゃねえか。それでよく諦めねえなお前」
「ゼロじゃない!」
 佳主馬は強く言った。
「……は?」
「諦めたら本当にそこで終る。恋人がいるくらいで諦められるなんて、本当の恋じゃない。好きなら諦められない。相手はまだ結婚したわけじゃない。相手がゴールしていない以上、こっちはまだ挑戦者だ。
 努力する、自分を磨いて相手に存在を焼きつける。気持ちを伝えて揺さぶりをかける。諦めない。相手の気持ちがグラつくならすかさず奪い取る。隙を見せればくらいつく、チャンスがあるならそこにかける。
 ……俺には理解できない。同じ学校で年齢も同じで、悪い条件なんて殆どないじゃないか。
 好きな女が側にいるのにどうして指をくわえてぼんやりしてられるんだ? チャンスなんてそこかしこに転がってるのに、どうして利用しない?
 卑怯だとかなんとか言い訳ばっかして、自分から動こうとしなくて、お前らが何をしたいのかさっぱり分らない。俺には卑怯だとか言う余裕なんて何処にもないのに。
 卑怯ってなんだよ。泣いて諦める事が男らしいのか? 女の子達だって自分の気持ちをぶつけてくるのに、なんだかんだいって何も言わないお前らは一体なんなんだよ。
 男らしいの意味を履き違えんな。好きなら好きだって言え。言えないならそれは本当の「好き」じゃないんだ。相手より自分自身の方が大事なだけだ。その程度の「好き」しか持ってないやつが、俺に絡むな。うざいんだよ」
 佳主馬は言い切ると、これ以上は言う事はないと少年達の間を堂々と歩いて背を向けた。
「おい」
「なんだよ、まだ何か用?」
 佳主馬は振り向いてわし鼻の三年生をキッと見た。
「おまえ…………なんかすげえな。池沢……なんて言うんだ?」
「佳主馬。池沢佳主馬」
「そうか。おれは大河内っていうんだ。…………色々悪かったな」
「別に」
 佳主馬は素っ気無く言って、もう興味はないと背後の事を頭の中から消した。
 佳主馬の頭にあるのはOMCの戦いの事と、それを観戦してるであろう物理部の青年の事だけだ。
 佳主馬には他人の関心や理不尽に構っている暇はない。
 相手は四歳も年上の鈍くて優しい人なのだから。
 ライバルは美しい、佳主馬のまたいとこ。
 性別の段階で勝利する可能性は格段に減った上に強力なライバルがいる。佳主馬の恋は前途多難だ。
 でも。
「あきらめたらそこでおしまいだよ。諦めなければ道はある」
 それを教えたのは健二だ。諦めない事を教えた相手なのだから、諦めなくてもいいだろう。
 略奪愛? 卑怯? 結構。
 それであの人が手に入るなら、いくらでも策謀を巡らせる。
 佳主馬はキング・カズマだ。
 王様に手に入らないものなんてない。欲しいものは力づくで奪う。そう決めたのだ。
「負けないよ、夏希姉。覚悟しててね、健二さん」
 佳主馬は不敵に笑って宣言した。


 その後、学校で佳主馬は諦めない男として尊敬と畏怖を持って噂される事になる。
 諦めない男の別名はストーカーという。













 え、これってギャグ? ストーカーと情熱は紙一重って話。


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