11
潜入捜査をするのは初めてだ。
変えられた己の姿を鏡で見て、エドワードは認識と視覚の違和感に居心地が悪い。
悪い冗談みたいだ。
自分なのに自分ではない。髪は解かれて顔に掛かっている。
右半分を覆う髪をかき上げれば、見えるのは表面を覆う、変色して固くなった皮膚だ。引き連れて歪んでいる。触ると鈍い感覚しかない。固くなった石膏を顔に付けているような感じだった。
「どうだ、鋼の。準備はいいか?」
「ああ。問題はない」
全ての準備が整って、あとは潜入のみとなった最終打ち合わせで、エドは変化した姿を皆に披露した。
エドの変装は情報の漏洩を恐れて密かに行われた。何処にスパイが潜んでいるか分らないからだ。敵に軍部の者が関わっている。
突入の兵隊は信頼のおける者に限定した。
エドワードは単独でドクターマルコーのところへ赴き、事情を話して顔を変えてもらった。錬成式は教わっているので、直すのはエドワード本人でもできる。
マルコーの所で変わった顔を見せてもらい、驚いた。半分顔が変わっただけで、自分が自分でないようだ。
顔の傷は目立つので、髪を解いて顔を隠す。
マルコーの所から帰る列車の中でジロジロと、いやコソコソと盗み見られていた。身体の一部が変化しただけでこの具合の悪さ。
身体が鎧のアルは毎回こんな思いをしているのかと、哀しくて憂鬱になる。
変わったエドの姿を見たアルの狼狽がおかしくて、憐憫を恥じた。
弟を可哀想だと思うのはいけない事だ。誰が思っても、エドワードだけはそう思ってはいけない。
「兄さん。……それ、元に戻るんだよね?」
痛々しく引き攣れた傷跡を鉄の指で恐々と触って、アルが狼狽える。触った感覚などないだろうに、まるで指が痛むかのような声になる。
「あははは。何オロオロしてるんだよ。こんなの作り物だろ。心配するな。戻し方は教えてもらっている」
「本当?」
「当たり前だろ」
アルフォンスが狼狽するのも分る。エドワードの傷は作り物には見えない。
出来た傷は顔の一部となって定着している。
引っ掻かれて捩じれて壊れた皮膚が、その人間に起きた事を想像させずにはいられない。
事故にあったのだろうか? それとも火事?
手足も作り物だ。
さぞかし大変な目にあってきたのだろう、この子供は。
きっと身体だけではなく心まで傷だらけに違いない。
そんな想像をさせてしまう陰鬱さが、エドワードからかもし出ている。
エドワードがいつもの調子なので、初めはギョッとした東方指令部の面々も恐れよりも興味を抱いて、エドの顔に触れたがった。
「こうして見ると、全くの別人だな」
「国家錬金術師、鋼の錬金術師エドワード・エルリックには見えませんよねえ。これなら万が一エドワード君の事を知っている人間に見られても誤魔化せますね」
「流石はドクターマルコーだな。人の顔を無理なくこうまで簡単に変えられるんだから、国家錬金術師の肩書きは伊達じゃなかったということか」
「でも痛々しいな。事情を知らなければオレ達だって騙されそうだ」
口々にそう勝手な感想を述べる。
「もう、触るなよ」
見下ろされて鬱陶しいエドワードは大人達から離れた。
「エドワード君」
ホークアイ中尉の気遣うような声に、エドは足を止める。
「……それ、痛くはないの?」
作り物と分かっていても、ホークアイは聞かずにはいられない。それほどまでに傷はエドの顔に定着している。
エドは笑う。だが実際は引き攣ったようにしか見えないだろう。
「全然。マルコーさんは優秀だな。一瞬で変成した。構築式は少し複雑だけど、直すだけならオレでもできるし、何も問題無し。……触った時の違和感はどうしようもないけどな」
「そう……ならいいけど」
「これが終わったらすぐに元に戻すから。何も心配いらない」
ホークアイの優しい眼差しを、エドは笑顔で受け止める。
エドワードの方は問題無しと判断され、いよいよ計画は実行に入ろうとしていた。 アルフォンスは数日前から憂い顔だ。今回ばかりは自分がついていくわけにはいかない。ただ兄の帰りを待っているしか出来ない身がもどかしい。
「兄さん。気を付けてね。……小さいと言われてもキレないでね」
「皆と同じ事を言うな! もう聞き飽きた」
エドはずっと繰り返し同じ言葉を言われ続けている。弟にも言われ、いい加減耳にタコができていた。何度も同じ事を言われ続けると段々腹が立ってくる。
「小さいと言われてもキレるな」
「豆と言われても怒るな」
「背の事を言われても決して口を開くな」等々。
いい加減に聞き飽きた。
分かっている。これは仕事だ。人の命が関わっている。
潜入するのはエドワード・エルリックという人間ではない。大佐達が用意した『エディ・グレイ』という、両親を事故でなくした、十二歳の少年だ。名前は似ている方が呼ばれた時に反応が遅れなくてすむという事だ。
始め十二歳という年令に渋ったエドだが、幼い方が売りやすいというのと、十五歳というより十二歳といった方がなんとなく違和感がないので、年令も偽る事にしたのだ。
十二歳で周りを納得させてしまう自分の体型が恨めしいエドワードだった。
実際大人達の目には、エドワードの姿形は三年前から殆ど変わっていない。目線も顔付きもだ。成長期の三年は劇的に変化してもおかしくないのに、エドの表面はまるで時が止まったようだ。国家錬金術師になった十二歳のまま、エドワードは鎧の弟が変化しないように、自らの変化を止めている。心のブレーキがそうさせているのか、それとも重い機械鎧のせいか。傷心の子供は量れない。
だから大人達がエドを見る目は変われない。三年たっても大人達の目に映るエドワードは子供のままだった。
「鋼の。準備はいいか?」
ロイの視線にエドが小さくうなずく。喋れないという設定なので、エドはなるべく話さないようにしていた。でないと咄嗟に口を開いてしまいそうだ。
演技は長い時間必要ない。気を付けていれば大丈夫だが、自分を緊張させておく方がいい。
「鋼の。自分のプロフィールは頭に入ったか?」
エドは再び頷いた。
エドワードに用意された経歴は、実際に存在する者のを使用している。万が一調べられた時に困らない為だ。
『エディ・グレイ』
年令十二歳。ジェイク・グレイとフラン・グレイの間に生まれる。兄弟はなし。一年前に家族旅行中に馬車が崖から転落。一家はそのまま帰らぬ人となった。
大事な点は元々エディ・グレイの足が機械鎧だったという事だ。幼い頃事故にあって足を切断し、両親が子供の為に機械鎧をつけたのだ。グレイ家は裕福だった為に、子供のうちから機械鎧をつけられた。
機械鎧は非常に高価だ。医者と機械技師、二つの面を持つ機械鎧技師には技術力が必要とされ、装着者が機械の身体に慣れるまで、何年もつきっきりで世話にならなければならない。当然かかる費用は成人男子一人の年収では足りないくらいだ。しかも子供は成長する。定期的に機械鎧を交換しなければ、身体に合わなくなってくる。何度もつけ替えて、リハビリを繰り返さなければならないのだ。
だから機械鎧をつける者は大人が殆どだ。子供につけるには、それなりの資産をもつ者に限られる。
エドワードは担当の機械鎧技師が義理の祖母と幼馴染みなので、格安で済んでいた。
エドワードが扮する子供は、事故の時、一人生き残ったという設定だ。その際に顔に傷を追い、事故のショックで口がきけなくなった事にしてある。
『エディ・グレイ』は実は生きていたが、親が死んで残った財産を狙った親戚が子供を死んだ事にして足のつかないところに売り飛ばす……という筋書きにしてある。
そこまで細かく気を遣わなくても…と思ったエドだが、犯罪組織はかなり危険な連中らしいし、協力者の将軍は保身力が強く大柄な身体に似合わない細心の注意を払っているらしい。
「じゃあ、行ってくる」
弟に別れを告げて列車に乗り込む。同行者はファルマン准尉だ。ファルマンがエディ・グレイの親戚役だ。彼が選ばれたのはその冷静さで、何があろうとも内心の狼狽を外に出さないだろうという事で任じられた。
二人で朝一番の列車に乗り、南部に赴く。
夜には娼館に入り、そのまま内部を探索して、目的の『リーヴ・マクミラン』少年を探し出し、保護したら、派手に合図をして待機している大佐達に知らせる。……という手筈になっている。
大佐達もエドを追って次の列車に乗る。団体だと目立つので、二、三人のグループに分かれて南部に入る。
先攻してすでに数十人の兵が南部の町に入っている。南部は今祭りが開かれていて旅人が集まっているので、身を隠すには好都合だった。
皆、陽気な顔の下に絶え間ない緊張を隠して、南部に臨んでいる。
エドワードだけはこれから入る場所の有り様を想像して、憂鬱な気分のまま仏頂面を晒していた。今回は自閉症かつ口がきけない設定なので、どんな顔をしていようと笑顔だけは強制されない。
向いに座る、冴えない中年男に扮したファルマン准尉だけが、エドから発する不機嫌の周波に居心地が悪そうだった。
top novel next12
|