イベントの時に無料配布で配ったコピー。オフでちゃんとした長いのを書こうと思って書いた序章編。
気が向いたら続きを書くかも……。あくまで気が向いたら……ね。








 扉を開けたら、そこは雪国でも異次元でも宇宙でもトイレでもなく、普通に兄の部屋だった。
 なぜ兄の部屋のドアを開けたかというと、それは宿題をするので漢和辞典を借りる為だ。兄が不在の間に家捜ししようとか、年頃の男のベッドの下にありがちないかがわしい雑誌を見つけたい……とかいうような事では決してない。
 第一、良兄がそういう本を持っているかどうかも分からない。持っていない方に今月のおこずかいを全部掛けてもいいと思う。兄が奥手だとか、そういう理由もあるだろうが、なんとなく兄とエロ本という組み合わせが似合わなすぎて可能性が低いと思ってしまうのだ。
 僕のすぐ上の兄は三兄弟の二番目で、つまりは次男坊だ。どっかの和菓子の歌みたいに『自分が一番可愛い』というタイプではないが、控えめとか謙虚とかとも遠い性格だ。勉強は嫌いだけど、責任感はある。形の枠に当て嵌めにくい人。出来の良い長男と比べるとまだまだ未熟だと思われがちだけど、正兄が出来すぎるだけで、良兄そのものが出来が悪いというわけではない。たぶん。
 ここまで言えば分かると思うが、僕は三男坊だ。
 長兄の正兄とは十二歳も年が離れている。次兄の良兄とは五歳違い。兄弟仲は普通で、僕は二人の兄とはそこそこの友好関係を保っている。年が離れているから対等な目線になるという事はないし、兄達は常識があって乱暴なタチではないから、虐待された覚えもない。 
 家はちょっと、というかかなり特殊な家系で、結界師などというイエローページには絶対に載らない裏家業を営んでいる。そしてその家を継ぐ条件というのもとっても変わっていて、右手に四角の痣があるという事。
 何も知らない一般人からしたら、なんだそりゃ? と思う事だろう。僕も最近そう思う。
 後継者の証一つで色々な事が変わってしまう。それはそのまま狭い世界の狭い常識の中で生まれた者の宿命というか業というか、無理矢理背負わされた十字架みたいなもので、おかげで出来の良い方の長男は自分の道を自らの手で切り開かなければならず、外に居場所を求めて十五歳の時に家を出た。僕が三歳の時だ。
 そして生まれた時から居場所を定められてしまった次兄はブツブツ文句を言いながら家に留まっている。
 正統後継者として生まれたのが次兄で本当に良かったと思う。
 だってあの長男を押し退けて正統後継者でございます、というような顔はとてもできない。
 よっぽど神経が鈍いか優秀でなければ。そして良兄はその両方を兼ね揃えていた。鈍くて無神経、だけど才能がある。というか、才能しかないんじゃないの?
 無神経、というのは悪口だけど、他に言い表わす言葉が見付からないのだから仕方がない。良兄の事は普通に好きだし、いざという時は頼りになると思うけど、時々『この人こんなんで大丈夫だろうか?』とハラハラさせられる事もある。祖父とはしょっちゅう大人気ない喧嘩をしてるし、隣の時音お姉ちゃんにも迷惑ばかりかけて怒られている。正兄にはやたら反発するし、全体的にガキっぽい。
 僕は二人の兄がそれなりに好きだったので、兄達の仲が良くない事を心の片隅で気に病んでいた。
 二人の間には溝がある。確執は僕が想像するよりずっと根が深く、それを知っている僕は軽々しく間に入れない。仲を取り持つ事も達観する事もできず、見て見ぬフリをするのが精一杯だ。二人の間の空気が恐い。
 二人の事は父さんも気に掛けていて、よく正兄に「ここはお前の家なんだからいつでも帰ってきなさい」と言っている。
 子供達の間にあるトゲトゲしい鉄条網みたいな境を感じて、どうしていいか分からないのだろう。兄達の確執は父さんのせいじゃないのに。
 父さんは親として何もしてやれない自分だとか、ここまでこじれる前に何かしてやれなかったのだろうかとか自責の念を感じているのだろう。父さんのせいじゃない。じゃあ誰のせいかというと、やっぱりおじいちゃんと家のせいだと思う。
 僕は部外者というか、兄達を囲う枠の外にいるので、物事が少しだけ見える。二人の間に溝があるのは二人のせいではなく、家のしきたりというか歴史のせいだ。だからどちらかに譲歩を求めたり忠告もできない。
 良兄が正兄に突っかかるのは良兄だけのせいではないと僕は思う。
 正兄は僕の理想とする人で、大人で格好良くて頼りがいがあって人望もあって仕事もできる。その気になれば如才なく弟と当り障りなくやっていけるだろうに、良兄と絡む時だけ年相応になって突っかかる良兄の足を引っ掛けるような真似をする。つまり正兄もガキっぽい。
 こんな時ばかり子供に還らなくてもいいと思うんだけど。正兄も色々大変な仕事をしているみたいだし、家族の前では気を抜いていたいという気持ちも分かるんだけど。正兄が絡むと良兄が更にガキ臭くなるので止めて欲しい。良兄がもっと大人になれば二人の関係も緩和されてそこそこ仲良い兄弟関係を保てる、と思って傍観していたんだけど……。
 良兄の部屋のドアをノックもせずに開けたら、そこにはいないと思っていた部屋の主がいた。
 家の中はシンとしていたから誰もいないと思ってたんだけど、それは間違いだった。
 問題だったのは良兄が一人じゃなかった事。
 そこには、何故か兄弟仲が微妙な筈の長男正守が一緒にいました、まる(……あれ、作文?)
 別に兄弟なのだから部屋に一緒にいたって全然おかしくない。
 長男がとても多忙は人であまり家に居着かないとか、なんで気配がしなかったんだろうとか、気配がしなかったのは部屋の中で結界を張っていてからだとか、おじいちゃんがいないのに部屋の中に結界張らなくてもいいじゃないかとか、そういう疑問は一瞬ですっとんだ。
 つまり、つまり、つまりっ。



 ………………なんで二人とも素っ裸なの?



 空気が固まる、という事を初めて実感した僕達だった。


 僕はマセた子供なので、他の子供が知らないような事も知っている。学校にも家にもパソコンはあるし、その気になればいくらでも情報というのは手に入れられる。学校のパソコンには色々規制が掛かっているけれど、父さんのパソコンはそうじゃないしね。
 大人の男女が裸になって何をするかとか、詳しくは知らなくても大体は察せられる。
 ……しかし。
 目の前の人間達が時音姉ちゃんと良兄だったら、ビックリしてもそれはそれだけで済んだ筈だ。(まあ、ありえない組み合せだけど)
 でも、今この時。
 裸の良兄の上にいたのは長男の正守で、そして良兄の足の間に正守がいて、僕はそのありえなさに大混乱した。人間あんまりビックリすると悲鳴とか上がらないみたいだ。初めて知ったよ。知りたくなかったけど。
 その時の僕の行動を僕は誉めてやりたいと思う。咄嗟の事にカチーンと釘も打てるバナナみたいに固まった空気の中、僕の口は勝手に開いた。妖に憑かれたみたいに。
「……来てたんだ、正兄。……あの、ノックしなくてごめんなさい。……ちょっと辞書借りようと思って……。でも、後にするね」
 そう言ってドアを静かに閉めた。
 人間心臓が止まるほど驚いていても普通に声が出るものだと知った。なんか僕の中のメーターが振り切って反動で元の位置に戻ってきちゃったというか、そんな感じ。
 なんだろう。身体が勝手に動く。
 僕は部屋に戻り、畳の上に大の字になって倒れた。
 頭の中でハムスターがカラカラと廻っている。走っても走っても一歩も前に進んでいない。


(いまのなに、いまのなに、いまの光景は何なの?


 裸の良兄の上に同じく裸の正兄が覆い被さっていた。
 せめて服を着ててくれたら、プロレスごっこだとか無理矢理思い込めたのに。
 二人がふざけている空気だったのなら、僕だって笑って何も分からないフリをしてあげられただろうに、東京タワーの蝋人形みたいに固まられたら、こっちだってまともに向き合うしかなくなるじゃないか。早々に現実を直視するしかない。何なんだよ、もうっ。
 僕は酔っぱらった斑尾みたいな動作で畳の上を転がる。今はみっともないとか挙動不審とか、そんな事はどうだっていい。
 だってどうしていいか全然分からない。僕の中の緊急用マニュアルの中にも今の状態の対処法は記していない。というか、そんな項目が頭の中にあったらヤだな。
 僕の見たもの。
 あれって。あれって。
 つ、つまり、言いたくないけど、普通は男と女がやる、アレ、だよね? なんでそれを正兄と良兄が二人でしてんの? 若さ故の過ち? それとも好奇心? 妖に身体を乗っとられちゃったとか?
 誰かちゃんと説明してよっ! とか思ったけど、そのちゃんとした説明が僕に理解できない内容だったらと思うと恐くて真実が聞けない。真実も何も見たまんまだというのは分かるけど。
 ……けどっ。
 ううっ。セ、セックスというのは女の人とするものだとばかり思っていたけど、同性でもできるんだ。
 あれっ? でも入れる所無いよね? 男同士ってどうやるんだろ?
 いや、その前に男という以前に、兄弟でああいう事やっちゃいけないんじゃないの? そういうのって近親相姦て言うんじゃなかったっけ? 世界三大タブーとかって聞いたような…。
 良兄って世界の常識より自分の中の常識を大事にする人だけど……だからってやっていい事と悪い事があるだろっ!
 声を大にして言いたいけど、とてもじゃないが面と向って言えない。
 今、良兄達と顔を合わせられない。普通、こういうのは見られた方が慌ててると思うけど、僕だってかなりの混乱中だ。情報を整理したい。ちゃんと考えてから兄達の話を聞きたい。……のに。
「利守。……開けていいか?」
 ドアを叩く音がして、正兄の声。
 心の準備の時間もくれないのか、この人達は?
「……うん」
 ダメとも言えず、僕は正兄と対峙するハメになる。
 入ってきた正兄がちゃんと服を着ててホッとする。
 ところで良兄は?
 僕の視線の意味を正兄は正確に把握する。
「良守は混乱しているからな。……少し頭が冷えてからの方がいい。お前も混乱しているだろう。……ごめんな」
 正兄が謝る筋合いじゃないと思うけど、じゃあ今どんな言葉が相応しいかというと、見当もつかない。
 頭の中のハムスターが廻る。
「僕………正兄に謝られるような事されたっけ?」
 別に嫌味とか意地悪じゃない。ただ何と言っていいか分からなかっただけだ。男女のセックスだって覗いてはいけない禁断の扉だと思っているのに。セックスという言葉だって恥ずかしくてちゃんと声に出して言えないくらいだというのに。
 扉を開けたら兄二人の真っ裸。風呂じゃないのに。これって何のバツゲーム?
「見せちゃいけないモノを見せたからな」
 正兄は苦笑している。今は余裕あるように見えるけど、ドアを開けて僕を認識した時の顔は忘れられない。
 驚愕に引き攣ってた。あの正兄が。
 あの顔が、僕は見てはいけないものを見たのだと教えたのだ。
 僕は微妙な空気がいたたまれなくて、正兄から目を逸らす。
「あのなあ……利守…」
「良兄が嫌いなの?」
「……え?」
「嫌いだからあんな事したの?」
 何を言ってるんだ、僕は。二人がしていた事はいけない事だけれど、行為自体が合意の元だというのは見ただけで分ったのに。ただ僕は現実を見たくないだけなのだ。二人がいけない事をしていて、僕は見てはいけない場面を見てしまったという現実を。
 何で兄達は僕に見せてしまったのか。何も知らなければ僕は傷付く事も、こんな混乱もなかったというのに。
「正兄は良兄がキライなの?」
 ああ、僕の口が勝手に動く。違う。こんな事言いたいんじゃない。
 チガウ? ……本当に?
「違うよ、利守。俺は良守を嫌ってなんかいない」
 正兄が僕が見た事がないような目をして言う。
 ああ。この人は良兄の為にこんな目をするのか。
 僕には恋とかそういう気持ちはまだ良く分からない。分からないなりに、正兄が真剣なんだというのは分る。
 胸が、お腹が、背中が、ゾクゾクとした。何だか気持ち悪くて熱くて、全速力で走り出したい気分になる。
 嫌だ、なんだか凄く。グツグツお腹の中が煮える。
「嫌ってないのにあんな事……したの?」
「利守はまだ子供だから分からないかもしれないけれど…。こういう事は利守にはまだ早いと思うが、見られた以上ちゃんと説明しておかなくちゃならない。俺は良守の事を…」
 僕は兄の言葉を遮って、言いたい事だけを叫ぶ。
「嫌いじゃないなら、なんであんな事……。あれって、セイテキギャクタイって言うんじゃないの?」
 正兄がガツン、と突然殴られたような顔をした。
 ああ、嘘だ。そんな事を言いたかったわけじゃない。なのに僕の口は勝手に声を出した。
 セイテキギャクタイ……性的虐待。
 漢字は難しくて分からないけれど、音の響きだけは知っている。TVのニュースとかで、たまに聞こえる。
 うちでは縁がない虐待という行為は、日本中のあちこちの家庭で行われているそうだ。TVでよくやっている。
 最近は未熟な人間がそのまま親になって、子供をちゃんと育てられないで憤りを弱い者にぶつけるという。
 うちの家族は優しくて虐待とは縁がないけれど、じゃあ良兄の身体が傷だらけなのは虐待とどう違うのだろう。良兄だって子供なのに毎晩命を掛けるような事を当然の義務と強要されて。うちの家はとてもおかしい。
 思っていても声には出せない。だってそれを言っていいのは僕じゃない。何も背負わない僕には何も言う資格はない。苦労も苦痛も負っているのは良兄だ。良兄が言わない否定の言葉を僕が吐ける訳がない。だから僕は腹の底に溜まる不満を見せないように隠してきたのに!
 フツフツと沸き上がる感情は怒りとか、悲しみとか、苛立ちとか、とにかく負のドロドロしたものだった。
 子供の僕は瞬間的に沸騰した感情を押さえる術を知らなかった。
 弱い者に負の感情を理不尽にぶつける事が虐待なら、僕のした事はそれはまさに虐待だったのだろう。
「正兄は良兄を虐待したの? そんなに良兄が嫌いなの? ヒドイよ」
 正兄が悲しい顔になったのを見て、僕は最低の気持ちになった。なんで僕がこんな気持ちにならなきゃいけないんだ。僕は何も悪い事はしていないのに。
 自責の念。そんな言葉は知らなかったけれど、言葉を形にしなくても自分が最低だというのはちゃんと認識していた。
「最低っ!」
 自分に向って言った言葉だったが、今、僕の目の前にいるのは正兄だった。放った言葉は鋭い刃だ。
 僕は泣きながら部屋を飛び出した。
 今まで都合の悪い事を見ないフリをしてきたツケがきたのだと思った。









だんご3兄弟(三男の場合)利守視点の正良
まっさんツケを支払う……という話。小学生から見たら虐待だよね……。