日本のクリスマスは本場と全然違う
【ヒムコロ予定赤司 VS 氷室】

紫氷 …赤司






 朝、氷室はしつこく鳴り続ける携帯の電子音で目を覚ました。
 久々の、朝練もない休日。ゆっくり寝ているつもりだったので目覚ましもかけていない。同室の生徒はとっくに起きて不在らしい。
 不粋な音に氷室の機嫌はいささか悪い。しかし緊急の連絡の可能性もあると、無理矢理目を開いて枕元の携帯を手元に引き寄せた。
 画面を見て、知らない番号だったので形の良い眉をしかめた。知らない番号から掛かってくる事など滅多にない。間違い電話か、もしくは悪戯電話か。


「……ハロウ?」
「君は……いったいどういうつもりだい?」
「……はい?」
「どうして君は今、そこにそうしているんだい?」
「……君は誰?」
「それを僕に聞くのかい?」
 尊大な物言い。声は若い。おそらく同年代くらい。間違い電話だ。ついてない。
「……君、誰にかけたつもりかは知らないけれど、たぶん間違いだと思う。番号を確認した方がいい」
 氷室が不機嫌に言うと。
「……僕は赤司征十郎だ」
「……え? は? ……赤司君?」
 寝惚け半分だった氷室の目が完全に開く。
 意外すぎる相手に不機嫌も睡魔も吹っ飛んだ。
 赤司といえば知っているのは一人だけ。洛山高校バスケ部主将にしてキセキの世代の一人。
 考えもしなかった相手からの電話に氷室は戸惑う。
「……え? ……どうして? 俺に何か用かい? それともアツシ?」
 氷室と赤司に直接の接点はない。名前は知っているが、紫原という中継がなければバスケ以外で互いの接点などないに等しい。
「どうして? それをあなたが問うのかい?」
 落着いて聞こえるが、苛立ちと嘲りが篭っていた。
 氷室は身体を起こして声の向こうにいる赤司に対峙した。らしくなく赤司は苛立っていて、そしてその対象は氷室らしい。
「…ええと、もしかして俺は喧嘩を売られているのかな?」
「そうだと言ったら?」
「喧嘩なら受けて立つけれど、理由が分からない。……俺は君の機嫌を損ねるような事をしたのかな?」
「ほう? とぼけるつもりかい?」
「これが君でなければすぐさま電話を切ってしまうんだけど、俺の知っている赤司征十郎はやたら吠える犬と違うからね。意味のない事はしない人だと思っている。…という事は赤司君の態度にはちゃんと理由がある。……そして君の怒りの矛先が俺だというのなら……………ダメだ。ちっとも思い付かない。そもそも君を怒らせるほどの接点が俺達にはない。あえて言うならアツシ絡みか…? 何か誤解が生じているとしか思えない。考えたけど君の不興の理由が思い付かない。まずはそれを教えてくれ。理由も分からず喧嘩を売られても困る」

 氷室はベッドの上で姿勢を正し、冷静に電話の向こうの赤司の怒りを受け止めた。
 氷室の沸点は高くない。むしろ低い。しかし性格は温和とは違い、芯は好戦的だ。舐められたらお終いの弱肉強食ステイツで過ごしてきたから敵意に対しては割と過敏だ。氷室は喧嘩には自信があるが、力の誇示は必要な時だけ行えばいいと思っている。理不尽な悪意にはそれなりに対処するが、むやみやたらと力をひけらかす性格ではない。氷室は激情家であると同時に理性もある。外面の良さには定評があり自分を律するのがうまい。
 驚きから落着くと、電話の相手に興味を抱いた。

 赤司征十郎。キセキの世代のキャプテン。
 自信家で尊大で傲慢で鼻持ちならない性格で、同時にそれに見合うだけの実力者。とても年下とは思えない迫力で、一年生でありながら年功序列重視の運動部を掌握している。発言と態度は実績に裏打ち済み。実情、チート×チート×チート。別名『魔王』
 やたら粋がる三下と違い、王者の貫禄で見下す男であるから電話越しにいきなりメンチ切るというのはよっぽどの事である。
 赤司には氷室に喧嘩を売る理由があるらしい。そして赤司は氷室がその理由を知っていると決めつけている。
 カチンとくるより解せない。氷室に思い当たる理由は何もない。赤司絡みで何かあったなら絶対に覚えているはずだ。忘れようとしても忘れられないのが赤司征十郎という存在だ。何か誤解が生じているとしか思えない。
 氷室はなるべく赤司を刺激しないように淡々と言った。

「こんな朝に、いきなり赤司君が、面識薄い俺に電話をかけてくるんだ。それなりの理由があるんだろう。怒るより前に説明して欲しい。もし俺に非があるというのなら潔く謝罪するが、本当に心当たりがないんだ」
「……とぼけているわけではないと?」
 訝しむ声。氷室が嘘を言って誤魔化しているのではないと声音で分かるらしい。
「そう思うのなら結構だ。会話は終わりだ。俺は携帯の電源を切る。理不尽な怒りをぶつけられる理由はないからね。せっかくのクリスマスに朝から不快な思いはしたくない。一人で怒っていればいい。俺は関係ない」
「……クリスマス」
「そうだ」
 今日は12月25日、クリスマス当日。
 氷室は昨日、教会でのミサがないイブを久しぶりに過ごした。去年までイブの夜は教会でミサと決まっていた。

「そのクリスマスを氷室さんは誰と過ごすつもりなんだい?」

 猫なで声に潜む細かい針の山に氷室は顔をしかめる。理性的な声音にこれだけの殺気を混じらせるのは流石としか言い様がないが、これくらいで怯むような可愛い性格ではないのが氷室辰也という男だ。売られた喧嘩はもれなく買う。しかし理由が全然分からないのが気持ち悪い。
「誰って……誰も? 午前中は寮にいて、午後にでかける予定だけど、それが何か?」
「デートかい?」
「まさか。アツシもいないのに。いったい誰とデートするっていうんだ? 誤解されるのは業腹だから言うけど、午後は秋田を出てアメリカに向う。冬休みだから家族に会いにアメリカに戻る予定だ」
「…………じゃあ、昨日は?」
「昨日? 昨日は監督に引っ張られて幼稚園のクリスマス会の手伝いだよ。学校推奨のボランティア活動だ。夜はまだ帰省していない寮生だけでささやかなクリスマスイブを祝ったな。それが何か?」
「………………少し待ってくれないかい? 頭の中を整理するから」
「OK、待つよ」
 赤司は電話の向こうで冷静になったようだ。
 声が落着いている。
 自分の知らないところで何があったのだろうと氷室は興味を抱いた。
「氷室さん、一つ聞きたいんだが」
「なんだい?」
「アツシと氷室さんはつき合っている、俗に言う恋人同士という関係だね?」
「アツシに聞いたのかい?」
「氷室さんとつき合う事になったとそれはそれは嬉しそうにアツシが教えてくれた。あのアツシが他人に惚れ込むなんて驚いたよ」
「……へえ。……アツシは本当に赤司君と仲が良いんだね。妬けるよ」
「嫉妬は無用だ。僕は君らの関係に口を挟むつもりはないし、アツシはただ喜びを誰かに伝えたかっただけだ。惚気というヤツだよ。僕もアツシの幸せそうな声が聞けて嬉しかった。意外すぎる内容で驚いたけれど、君たちの関係は素直に祝福している」
「そう、なんだ。アツシがそんな風に俺達の事を伝えていたのか。驚いたな」
「だからこそ。……氷室さんの仕打ちが許しがたかったんだが……」
「え? どういう意味だい?」
「なにか……お互いに情報が足りて無いみたいだね」
「うん。とりあえず赤司君が怒って電話をかけてきた理由を教えてくれるかい?」
「……その前に一つだけ。……氷室さんはクリスマスにアツシとデートする予定はあるのかな?」
「それはない。日本じゃクリスマスは恋人と過ごすんだろうけど、アメリカでは家族と過ごすんだ。でも折角日本にいるんだし、日本の風習に従ってアツシとデートというのも楽しいかもしれないと楽しみにしていたんだけれど……。恥ずかしいな。アツシにそういうつもりはなかったみたいだ」
「……………………デートに誘われなかった?」
「うん。アツシは冬休みになったらさっさと帰省しちゃったよ。冬休みは実家に帰ると言われちゃったらデートしたいなんて言えないし。アツシも家族と離れて寂しい思いをしてるんだろう。きっと一日も早く帰りたかったんだ。それに俺も家族に会いに帰省するからちょうど良かった。……というわけでクリスマスはそれぞれ別に過ごす予定だ。それがどうかしたのかい?」
 またしばしの沈黙。
「氷室さんはアツシに……何か貰わなかったかい? プレゼントらしきものを」
「……ああ。クリスマスプレゼントの事かな? 貰ったよ。俺はアツシへのプレゼントはロスで買おうと思っているから、渡すのは来年かな」
「なら、何故…」
 戸惑うような赤司の声を氷室は遮った。
「ちょっと待って、今プレゼントを出すから。開けるのを楽しみにしてたんだ」
 氷室は机の引き出しから紫原に貰ったものを取り出した。
「え? まさかまだ開封してないのか? だって……アツシは一週間以上前に手渡したはずだろう? ずっと放っておいたのか?」
 咎めるような鋭角の声に、氷室は柔らかく言った。
「良く知ってるね。アツシに聞いたのか? 一週間前くらいにクリスマスプレゼントだって言って貰った。あのアツシが俺にプレゼントをくれるなんて感激だったよ。ふふふ。とっても嬉しかった。……放っておいたなんて酷いな。ちゃんとしまっておいたよ。飾っておくと同室の人間に相手をしつこく追求されるから、仕方なくね。本当ならちゃんとツリーの下に飾っておきたかったんだけれど」
「嬉しかったのなら、なぜ開封しなかったんだ?」
「だってクリスマスプレゼントだよ?」
 平然と返す氷室に、赤司は思わず、といったように溜息を吐いた。
「もしかして……………………クリスマスプレゼントだから…………今日、開けるつもりだったのか?」
「クリスマスプレゼントだからね。子供じゃあるまいし、ちゃんとクリスマスの朝まで待つよ。クリスマス前に開けるのは不粋だ。開けるまでの時間もプレゼントの一つだと俺は思っている」
「………………」
 しばしの無言。
 何故か電話の向こうで頭を抱える赤司が想像できてしまった。赤司がそんな凡人みたいな態度とるわけがないのだが、携帯の向こう側の空気が突然和んだ。針山がきのこの山になったみたいに。
 この沈黙はなんというか……先ほどの喧嘩腰と違う。
 何事だ?
 とりあえず氷室は紫原から、恋人から貰った初めてのクリスマスプレゼントを開封してみた。本当なら紫原の前で開けたかったのだが仕方がない。



 それはクリスマスの1週間前だった。
「これ……室ちんに。クリスマスプレゼント。あげるよ」と紫原から照れを隠すようにぶっきらぼうに手渡された封筒。厚みはない。中身はカードか何かだろうか。
 しかし普段はものぐさな紫原がどこか遠慮がちに氷室の機嫌を伺うように、いや恋人の心を量るように不器用な恋愛関係の波の上をおっかなびっくり乗りこなすようなぎこちなさでプレゼントを差し出すので、氷室は嬉しくなって心がじんわり和んだ。幸せな思い出だ。
 その後、紫原が「クリスマス〜? その頃は家に帰ってるからたぶん家族と一緒かなあ? あ、25日は赤ちんたちと会う予定なんだ〜」と言ってもまあ仕方がないかと思えるくらいには幸せだった。
 氷室と紫原は実は最近つき合い始めた恋人同士だ。お互い同性という壁があるのでおおっぴらにはしていないが、それでも氷室と紫原は真剣につきあっていた。
 日本のクリスマスはアメリカとは違い恋人と一緒にいるものだと聞いていたから、氷室は初めて迎えるクリスマスを楽しみにしていた。だが紫原は冬休みに入ると家族に会う為に早々に帰省してしまった。
 残念だが仕方がない事だと思う。寮生の多くは家族と離れて暮している。紫原の親だって子供と一緒にいたいはずだ。早めに戻って普段はできない親孝行をするべきだ。
 氷室は少し寂しいと思ったが、それは単なる感傷だ。休みが終わればまた元通り一緒にいられる。紫原が氷室より家族を優先しても、それは氷室への愛情を蔑ろにするのとは違う。
 紫原がそうだから、氷室だって恋人に遠慮する事なく家族に会いに帰れる。



 氷室が紫原からのプレゼントをペーパーナイフで丁寧に開封していると。
「氷室さん。お願いがあります」
「お願い? 君が? 珍しいというか驚くよ。なんだい?」
 赤司らしくない丁寧な様子に氷室は警戒した。
 葛藤は終わったらしい。
「何も言わずに今すぐ東京に来て欲しい。交通費はこちらで持つから」
「何故? 言われなくても東京には行く予定だけど。東京経由で成田に行き、そこからロスに帰る予定だから。それより理由くらい教えて欲しいな。何かあるのかい? そして誤解は解けた?」
「氷室さん。飛行機に乗る前にぜひアツシに会って欲しい」
「何故? アツシに何かあったのか?」
 思い掛けない申し出に不安になって氷室が聞くと。
「アツシはいま風邪をひいて寝込んでいる」
「……え? アツシが? ホワッツ? なんてことだ。……家に戻って気持ちが弛んだのかな? 寮にいる時は元気だったのに、大変だ。……ああでも。家族といる時なのが不幸中の幸いだ。アツシも実家なら安心だ。早く良くなるといいけど、風邪はそんなに酷いのかい?」
「違う。アツシは気の弛みくらいで風邪を引くほどひ弱じゃない。……昨日、ずっと外にいたからだ。風邪を引いたのは。貴方を一日待ち続けて……」
「What?」
「嗚呼、氷室さんには意味が分からないだろう。……プレゼントは開封できた?」
「……いま、開けた、けど……。これは……秋田発東京行き? 新幹線の切符? 指定券? …え? でも…日付けが昨日だ。……アツシ、買い間違えたのかな?」
 氷室は開けた封筒の中身を確認して首を傾げた。
 中に入っていたのは新幹線の指定券だ。高校生の買い物としては高い。日付けを見て氷室は単純に紫原が買い間違えたのだと思った。
「……氷室さん。それは間違いじゃない」
「え、でも……」
「アツシは……クリスマスイブは貴方と……恋人と過ごす気でいたんだ。あいつは貴方と恋人になってからクリスマスをそれは楽しみにしていた。自分のお気に入りのケーキ屋に連れていくのだとか、面倒臭いけれど貴方が喜ぶから一緒にストバスだってやるんだとか、ずっと楽しみにしていた。アツシは初めての恋人と初めてのクリスマスを過ごすのだと浮かれていたよ。まったくあのアツシがと、僕は呆れ半分だったけどね。そんな感じで僕はアツシから沢山相談を受けていた」
「え、でも……アツシはクリスマスは家族と過ごすって言って帰ったんだよ? デートの約束はしてない。それは断言できる」
「氷室さん。日本人のクリスマスはむしろイブの方がメインなんだ」
「え、そうなのかい? それで?」
「そして。アツシがあなたに渡したクリスマスプレゼントだけれど。氷室さんには分からなかっただろうが、アツシにとってそれはストレートなデートの誘いだったんだ。氷室さんには遠回りすぎて、残念な結果になってしまったけれど」
「え、だって…?」
「ええ。アツシはあなたがすぐにでも封筒を開封すると思っていたんだ。プレゼントを渡したから自分の真意は伝わっているのだと思い込んだ。しかし氷室さんはクリスマス当日までアツシからのプレゼントを開封しなかった。……だってアツシが氷室さんに渡したのは『クリスマスプレゼント』だったから」
「そうだよ。……クリスマスプレゼントはクリスマスの朝に開封するものだ。包装紙を剥がすのは25日の朝だ。普通は」
「帰国子女だと分っていたのにアツシは肝心なところで氷室さんを理解していなかったって事だな」
 赤司の溜息のような声に氷室は頭を抱えた。
 氷室も赤司同様頭が良い。何があったのかすぐに悟る。
「もしかして……。アツシは俺を東京で待ってたのか? ずっと? 外で?」
「そうだ。昨日、新幹線のホームで。新幹線が到着するはずの時間から半日、ずっと。夜遅くまで…。携帯は繋がらないしアツシはあなたに何かあったのではないかと心配しながら寒空の下待ち続けて、そして体調を崩した」
「Oh my God! ………なんて事だ……」
 氷室の悲鳴に似た声に、赤司の疲れた声が重なる。
「氷室さんに非はない。非はどちらかというとアツシにある。デートの誘いをサプライズにするのなら、もっと分りやすい形にしなければいけなかった。……いきなり朝から電話をかけて申しわけない。これから海外便に乗るのなら時間はないかもしれないけれど、もし少しでも余裕があるのならアツシを見舞って欲しい。アツシの家まで僕が案内する。時間がないのならせめて電話をかけてやって欲しい」
「赤司君も東京に来ているのかい?」
「僕も実家は東京だ。今日、アツシと会う予定をしていたんだけれど、こういうわけだから。イブは氷室さんとデートだから、アツシはその報告をしたいと惚気話を楽しみに話していたんだが…。まさかこんな事になるとは」
「ああああっ。アツシッ!」
 氷室の本気の嘆き声を赤司は遠くで聞いた。
 声まで男前なのが氷室らしいと赤司は思う。
 先ほどまでの怒りはない。
 誤解は解けた。ただの文化の違いによるすれ違い。
 赤司は溜息を吐いた。
 




 紫原敦と赤司征十郎は中学を卒業してもわりと頻繁に連絡をとりあっていた。
 最初は遠くで暮す寂しさから紫原は赤司に頼りっぱなしだった。赤司も一人遠く離れた紫原を心配して甘やかした。
 しかし紫原は氷室という男と出会ってから変わった。
 兄貴体質の先輩になんだかんだと構われ、寂しいなんて思う暇がなくなり『あの人ちょっとウザイ』と氷室の愚痴を赤司に洩らすようになり、季節が変わって寒くなる頃には電話は秘めた恋心を相談する内容になった。

 紫原は同性の先輩に恋をした。そして何故かうまくいった。
 相談を受けて仰天したが、今ではまれな事だと赤司はわが事のように喜んでいる。
 理解されにくい紫原という人間を理解して好いてくれる相手がいるというのは僥倖だ。
 紫原は悪人ではない。不良でもない。性格が歪んでいるわけでもない。才能はあるし顔もいい。しかし他人から好かれる人間でもない。一部から好かれ、一部から非常に嫌われている。
 紫原敦は、大人の身体と知恵と力、子供の純粋さ残酷さ、悪意を放り投げる無責任さが同居している、非常に手のかかる厄介な人間だ。
 誰がこんな面倒臭い人間と恋愛関係を成立させられるというのだろう。身体が規格外の大きいのに中身が我侭な子供なんて、扱いにくいにも程がある。表面上だけならともかく、ちゃんとつき合うのならよっぽど忍耐力、包容力がないと長続きしない。普通の高校生には無理だ。つき合ってもすぐに別れる事になる。
 赤司は紫原と付き合えるのはうんと年上か、はたまた聖人君子みたいな人間しかいないと考えていた。そんな女がいればの話だが。
 それ以前に、紫原は中学の時は恋愛というものを斜めに見ていたから、高校生になってあっさり恋をした事が意外だった。
 紫原は中学の時、自分の外見が及ぼす他者との微妙な関係を冷めた目で見て、他人に必要以上の関心を抱かなかった。無理もない。外見のせいで散々損をしてきたのだ。云われない偏見や誤解や嫉妬という感情に晒された紫原は、懐に入れた人間以外をすべて「ウザイ」と切り捨てた。
 赤司はそんな紫原を肯定した。だから紫原は赤司に心酔した。家族以外での肯定は初めてだったから。
 その紫原が恋愛。気になる相手がいると聞いた驚き。
 赤司は電話の向こうでベッドから転げ落ちるくらい驚いた。
 誰にも見れなくて良かった。誰も殺さずに済んだから。
 高校に入って紫原は人間的に成長したのだと、当初赤司は恋の報告を喜んだ。…のだが、聞いた相手はまさかの同性で耳を疑った。嘘だろ?
 黄瀬や緑間という美形に囲まれてもウンともスンとも心動かなかった紫原がイケメンの先輩に恋愛感情を抱くとはと、赤司は頭を抱えて混乱した。氷室にうまく騙されているんじゃないかと疑ったくらいだ。

 氷室辰也。一学年上の帰国子女。
 よりどりみどり掴みどり放題な、黄瀬とはまた別種の美麗な男。美形な上に頭も切れてコミニケーション能力もあり、異性に好かれて相手には不自由しない。コンプレックス持ちだがトータル勝ち組。
 だから間違っても恋愛で紫原を選ぶとは思えない。そもそもゲイでないのだから男を選ぶはずがない。
 アメリカ帰りだからといってゲイに寛容とは限らないし、ゲイフォビアの可能性もある。美しい容姿が必ずしも幸福を運んでくるとは限らずその逆もよくあることだ。
 だから赤司は、紫原の恋はかなわないものだと始めから決めつけ、失恋した紫原を慰めるつもりでいた。赤司は他人を従える方法は知っていても同性の先輩の落とし方は知らなかったから、紫原に適格な助言ができない事をもどかしく感じた。
 ああ可哀想にアツシ。幼稚園ひよこ組以来の恋愛だったのに、始めから失恋決定だなんて。
 思春期の恋愛なんて麻疹みたいなものだ。甘酸っぱい十代の心のダイアリーの記憶となってさっさと辛い事は忘れてしまえ。
 ……と思ってたのに、まさかの大どんでん返し。
 絶対に外れない赤司予想がバグを起こした。
 報告を聞いた時、赤司はまさかと思った。奇蹟が起こった。予想が外れるなんて十年ぶりくらいだ。
 他人に無関心で適当な紫原が恋を成就させたのだからまさに奇蹟。氷室辰也は恋の相手としては分が悪い、どころか無理ゲー。成功率はほとんどゼロ。レベル1で魔王に挑むようなもの。
 それが何をどう転機が訪れたか、まさかの両思い。
 コングラチレーション……というより不可解。分からん。氷室の趣味が。
 ゲイではない氷室がなぜ紫原と恋愛関係になったのか赤司には理解不能だった。神様がバナナの皮で滑ったとしか思えない。
 紫原が泣かずに済んだのは良い事だが、赤司にはさっぱり氷室という人間が理解できなかった。
 気紛れで人の心を玩ぶような男ではないと思っているが、この先どうなるか分からない。氷室が我に返って紫原を振ったら紫原をどうやって慰めようかと色々考えているくらいだ。勿論氷室にはそれなりの報復を。
 逆に紫原が氷室に飽きたらそれはそれで。

 つき合い始めてからも、赤司と紫原の電話連絡は続いていた。中身は愚痴から惚気に変わっていたが。
 秋が過ぎてクリスマスがやってきた。
 氷室と恋人になった紫原は浮かれていた。脳味噌の代わりに綿菓子がつまったようにふわっふわだった。氷室と初めて一緒に迎えるクリスマスを楽しみにしていた。恋に溺れてあっぷあっぷだった。
 赤司は紫原の惚気電話に苦笑するしかなかった。黄瀬ならともかく、まさか紫原と恋バナをするとは想像もしていなかった。未来を視られる赤司の思い掛けない誤算だ。
 これだから現実は面白いと思っていた……のだが。


『ねーえ、赤ちん。クリスマスだけど、室ちんどうしたら喜んでくれるかなあ?』という紫原の問いに
『火神と仲直りさせて一緒にクリスマスパーティーでもしたら氷室さんは感激するんじゃないのかな?』という正論を隠し、
『一緒にイルミネーションでも見たらいいんじゃないか? その前に氷室さんの好きなバスケをするとかはどうだ?』と適当に流した。

 さすがの赤司も男同士のデートプロデュースはした事がない。無難が一番。

『えー、それっていつもとかわりばえしないじゃないか。クリスマスなのに新鮮さがないよ』
 紫原が口を尖らす。赤ちんならすごいプランを考えてくれると思ったのにと言うけれど。
 お前は僕に期待しすぎだ。適材適所というものがあるだろう。こういう相談は黄瀬にでもするべきだ。
 期待に応えられなくて申しわけないが、すごいプランって何だ? 紫原がヘリで都会の夜景デートを希望するならヘリ調達もやってみせるが、氷室が喜ぶとは思えない。クルーザーも然り。
 いや、NBAの観覧とかだったら喜びそうだが、紫原はパスポートを持っていないから海外は無理だ。
『鮮度やサプライズより、本人が喜ぶかどうかが大事だろ。平凡なデートでも氷室さんは充分喜ぶと思うぞ』
『そうかな? 室ちん喜ぶかな?』
『喜ばなかったら僕が代わって報復してやろう』
『ちょっとやめてよ赤ちん。室ちんをイジメないで』
『アツシを大事にしているうちは何もしないよ』
 つまり氷室が紫原を泣かせたら何かする気満々である。
『特別な事がしたいのなら社会人になってからでも遅くない。学生には学生の時にしかできないデートがある。今は二人で一歩ずつ地道に思い出を積みあげていく事が大事なんじゃないのか?』とらしくなく常識的に説得したのだ。


 赤司は激怒した。
 昨日の晩『室ちんが来ない。俺……室ちんにフラれちゃったみたい……』と紫原が泣きながら電話をかけてきたからだ。
 半日待ちぼうけにされ落ち込んで家に帰った紫原が高い熱を出したというのを聞き、赤司の理性はプツッと切れた。
 クリスマスデートをすっぽかしたあげく連絡の一つも入れないで紫原を傷つけてのうのうとしている氷室辰也マジ許さん、こいつマジ殺スッ! と宣戦布告のつもりで電話をかけたら。
 寝起きの氷室はまったく事態を理解してなかった。

『アツシは家族と過ごすんだろ。寂しいけど仕方がない』と寂寥を含んだ落着いた声に訳が分からなくなり、あれっ? と思ったらまさかの紫原の凡ミス。
 聡い赤司は説明を聞いて全部事態が見えた。
 紫原は知らなかったのだ。
 アメリカの子供達は貰ったクリスマスプレゼントをクリスマス当日まで開封しない事を。勿論赤司は知っていた。
 クリスマスとは前日のイブではなく12月25日。それまでプレゼントはツリーの下に飾っておく。クリスマスの朝、目覚めた時に一つだけプレゼントを開け、残りを食事の後に開ける、というのが海外クリスマスの定番だ。
 恋愛重視の日本のクリスマスが特殊なのだ。イブはセックスやデートをする日じゃありません。日本人のクリスマス観は〈イブ・デート・プレゼント・ケーキ〉など、娯楽性ばかり。敬虔さは乏しく……というか敬虔なのはクリスチャンだけ。
 アメリカ人の常識を日本人の紫原は知らなかった。氷室が帰国子女なのを分っていながら常識の違いを理解していなかった。
 ミッション系の学校に通っていても所詮日本人は仏教&神道。
 日本人の宗教観は多彩というか節操がない。クリスマスはキリスト教だが正月の初詣やひな祭りは神道だし、お盆やお彼岸は仏教だ。コロコロ宗教行事が変わる。何でも受入れ、都合の良い部分だけを搾取して自己流にアレンジ。それがジャパニーズスタイル。科学や技術だけじゃなく文化や宗教だって日本式変換が常だ。

 クリスマスはカップルの為のデート日和で美味しいケーキを食べられる日、くらいしか思っていなかった紫原は、日本式クリスマスに当て嵌めて恋人を格好良くデートに誘ったつもりだった。
 紫原があげたプレゼントの中身に感動した氷室が切符を使って東京にやってくるはずだった。素敵なデートの誘いかたをしたつもりだった。クリスマスデートの誘いを氷室が喜んでいると信じこんでいた。
 しかしそれは紫原だけの思い込み。
 氷室はクリスマスプレゼントをクリスマス当日まで開封せず大事にとっておいた。氷室のクリスマスは帰国してもアメリカ式だ。そして、習慣は意図しなければ変わる事はない。クリスマスプレゼントは当日まで開封せずに飾っておくものだ。

 赤司は二人のやりとりを賢い頭で推測して、頭を抱えた。
 氷室は悪くない。紫原が悪い。




「……というわけなので。アツシの誤解はこちらで解いておきますから、どうか氷室さんはアツシに連絡してやって下さい。アツシはあなたにすっぽかされたと思って泣いている」
 初めてのクリスマスは一回しか来ないのに、こんなどうしようもない形でおじゃんになってしまったのだから紫原が気の毒すぎる。そして氷室も。知らないうちにデートフラグがボッキリバッキリ折れた。紫原の台詞じゃないが、捻り潰された。

 赤司の説明を聞いて氷室は顔色を無くす。
 氷室はすぐにでもかけつけたい気持ちを抑えて言った。
「すぐに行くよ。赤司君、連絡してくれてありがとう。君が教えてくれなかったらずっとアツシを泣かせたままだった。ああアツシ。可哀想に」
「いいえ。誤解が解けて良かった。アツシがあなたに振られたんじゃなくて。(僕が氷室さんを殺さずに済んで。ヒムロマジコロ…氷室マジで殺す……の予定だったから)……一方的に怒って申しわけなかった」
「いいんだ。赤司君が怒るのは当然だ。俺がすっぽかしたと思ったんだろう」
「……今後はこんな事がないようにアツシにはよく言い聞かせておく。氷室さんもアツシとよく話し合って欲しい。こんな事は二度とごめんだ。……にしても昨日氷室さんは携帯をどうしたんだ? アツシが氷室さんの携帯と繋がらなかったと言ってた」
「昨日は寮の電線がショートしてブレーカーが落ちて携帯が充電できなかったんだ。だから携帯を置いてボランティアに行ってしまったんだが。……色々タイミングが悪かった」
「そういう事なら仕方ない。まさかクリスマスへの認識の違いでこんな事になるとは思わなかった。大事な事はちゃんと言葉で伝えるべきだと常々アツシには言い聞かせていたのに。これで懲りただろう」
「そうだね。相互理解は難しいね。だけれどそれが人間関係の面白さでもある」
「アツシにしてみれば面白いどころじゃないけれど」
「心を込めて慰めるよアツシを。年が明けたらデートのやり直しをしようと思う」
「そうしてやってくれ。改めてメリークリスマス」
「メリークリスマス」
「じゃあまた、氷室さん」
「あ、ちょっと待って。赤司君に一つ聞きたい事があるんだ。アツシには恥ずかしくて聞けなかった」
「なんだい?」
「日本の恋人達はクリスマスにはデートしてセックスするのが常識だって劉が言ってたんだけれど、本当かい? あ、劉というのはバスケ部の仲間だ。それって冗談だよね? 俺は劉にからかわれだけだと思ったんだけど……。でももし本当なら……俺はアツシと……セックスするべきなのか? そういう事はもう少し先だと思っていたんだが、それが日本の常識なら、俺も覚悟が必要なのかな。アツシの今回の誘いにはそういう意味があるのかな? 日本の常識は分かりくにくて。ネットで調べても真偽がはっきりしないんだ。タイガも俺と同じ帰国子女だから、その辺の『日本人だけの常識』には疎いし。第一タイガは『セックス』という単語で背中が痒くなるタイプから知らないと思う。赤司君なら知ってるよね? 本当のところを教えてくれないか?」

 赤司は揶揄の欠片もない氷室の純粋な声に思わず頭を抱えた。
 さすが紫原が選んだだけの事はある。
 帰国子女、侮りがたし。






紫原が一度も出てない紫氷。クリスマスに書いた。WCの事はまるっとムシして下さい。