親の心、子知らずアメリカのモブオヤジはかく語りけり


03



 大の男が泣いてるのはあんまりみっともいい事じゃない。しかも泣いている内容が内容だ。
「わーーーん、アル〜。なんでお前はそんなに可愛くなくなっちまったんだよ。勝手に出てって独り立ちしやがってーーっ。お前なんか知るかーーっ」
「にいさん声がでかい」
「お、お前なんか夜おばけが出るから恐くて眠れない、一緒に寝てくれって人のベッドに入ってきたくせに。格好つけたって、昔お前がどんなに可愛かったか全部知ってるんだからなっ」
「確かに可愛い弟だな。しかしあんまり昔の事を言ってやるな。そういうのは心の中だけで思ってりゃいいんだ」
 オレには娘しかいないが、息子がいたらこんな感じに一緒に酒を飲んでいたのかもしれない。オレの息子だったらもっと骨が太くて不細工だろうが。女に振られたら同じように酔っ払って愚痴零していたのだろうか。
「夜中にトイレに行けなくておねしょだってしてたくせに。自分はヒーローだなんてえっらそうにほざくし……ばっかじゃねえの」
「子供なんてみんな寝ションベンするもんだろ。覚えてても忘れたフリしてやんのが親の務めってもんだぜ」
 ああこいつは本当にガキの親代わりだったのだろう。働いてメシ食わせて一緒に寝てやり、汚したシーツを洗濯してやり。……こいつに女はいなかったのだろうか。一緒にガキの世話をしてくれる女が。
 いや、今時の女共はドライだ。自分の身内の世話だって嫌がるのに、血の繋がりのないガキの世話なんて誰がしてくれるだろう。
「小さな弟だったんだ。抱き上げてキスしたら向日葵みたいに笑って『だいちゅきだぞ』なんて言ってマジ天使だった…。なんであんなメタボになっちまったんだ? あんなヤツだとは思わなかった」
 思い出に浸るのもいいが、ガキはいずれ親の手を離れるもんだ。誰もこいつに教えなかったのだろうか。
 そう言ったら。
「オレには親なんていなかったから分んねえよ。…でも一度は家族だったんだ。『もう兄でも家族でもない』…なんてよく言えるもんだ。恩知らずにも程があるっ」
「弟が直接あんたにそう言ったのか?」
「ああ、はっきりそう言ったさ」
「なんで弟さんはそんなにあんたを疎んじるんだ? 何かやったのかい?」
 わけが分らなくて聞く。
 今の台詞だけ聞くと弟が兄を嫌っているようにしか聞こえないが、にしては弟は兄貴に邪険な扱いをされながらも何度も家を訪ねている。
 嫌がらせで家に戻っているのだろうか? だとしたら相当性格が悪い。
「何もやってねえよ。……あいつが来たらちゃんと手料理でもてなしてやってるし。……フランスの野郎はオレの料理は手料理じゃなくテロ料理だとかぬかしやがるが。……ちゃ、ちゃんとアルは残さず食べてるぞ。だから旨いはずだ、絶対」
 ドンと机を叩く若者は料理好きらしいが…。テロ料理って何だ?
 もしかしてこいつは相当料理がヘタなのだろうか。
 不味いにも関わらずそれを弟に食べさせるのはある意味嫌がらせだ。
 残さず食べるのが弟なりの愛情のかもしれない。……この若者には全然通じてなくて変な自信をつけさせてしまっているが。家庭のメシが不味いのはある意味悲劇だ。
『メシがまずい』と言われてるらしいが、それは嫌がらせではなくただの本音なのか。なのに全部たいらげるとは弟は本当は良いやつなのかもしれない。
 可愛いもんだと思いながらポンポンと背を叩く。
「……なんだかんだ言ったってうまくいってるみたいじゃないか。自分ちで向かい合ってメシ食ってんだろ。最初はギクシャクしてたって家族は家族なんだから、時間が解決してくれるさ。酒に逃げるほどじゃないだろ」
「ほど、なんだよっ。あいつは、あいつはなっ」
 若者はわんわん泣きながら机に伏した。
 やれやれ感情の起伏の大きいイギリス人だ。狭い土地で暮すとみんなこんな性格になるのだろうか。
「にいさん本音は弟が可愛いんだろ。だったら仲直りしてやんな。年上なんだからガキには譲歩してやれ」
「弟は可愛い。当たり前だ。オレのアルは天使のようだった。だから今のあいつはアルじゃねえ。アルの皮を被った悪魔だ」
「おいおい、何を言って…。悪魔はさすがに言い過ぎだろ」
「アルフレッドは『だいちゅきなんだぞ』って言ってオレの頬にキスしたら恥ずかしそうに赤くなってたやつなんだぞ。間違っても兄貴を押し倒して『ず、ずっと好きだったんだ、君がっ』…なんて生々しい事は言わねえんだよっ、絶対!」
「…………………………は?」
 ……幻聴?
 自分の耳を叩く。
 前で聞いていたカルロスも俺と同じく聞き間違いだろうか? という顔をしている。
「『オレはもう君の弟じゃない。一人の男なんだ。そういう意味で君が好きなんだ。だから恋人になってくれ』なんて、オレのアルが言うもんか。あれは絶対にアルじゃねえ。偽物の変態野郎だ。オレはあれがアルだなんて認めねえっ」
 グラスを握り潰しそうに掴んで吠えるイギリス人は、たまった鬱憤を晴らすように言い続けた。
「『子供の頃からずっと好きだったんだ。オレの初恋は君なんだぞ』…ってえのはまだいい。小さい頃の憧れに性別はあんまり関係ないからな。むしろカモンオッケーだ。だが……大人になってまでそれを言ったら変態かストーカーだ」
 店内がいつのまにか静かになっていた。
 みんな聞き耳立てすぎだ。気持ちは分るが。
 若者が何を言っているのか理解し難い。今どきの若者の話す言葉は中年には分りにくい。
 おじさんに分るように説明してくれよ。
 おおい誰か。
 カルロスの手が磨いていたグラスを握り潰している。
 ……大丈夫か、カルロス?
 オレの耳もあんまり大丈夫じゃないみたいだ。
 クイーンズイングリッシュっていうのはこっちの英語と同じ言葉でも全然意味が違う事がある。これはそういう事なのだろうか?
「『豊満な美女より貧相な君の身体の方がずっとずっと魅力的だなんて末期なんだぞ。責任とってオレとつき合うんだぞ』なんて言われてつきあえるかああああっ!」
「…………………それ、本当に全部弟が言ったのか?」
 どうやらオレも酒が過ぎたらしい。幻聴ばかり聞こえる。……そろそろ酒を控える年になっちまったか。
「お、弟なんかじゃねえっ。オレの可愛い弟がそんな変態的な事言うもんかっ。アレはアルの皮を被った偽物だっ! 弟は兄貴にそんな事言わねえっ」
「…………言われたのか…………」
「言われてねえったらっ。オレの、オレの弟が『不味い食事より君の美味しそうな身体を早く食べたいんだぞ』とか『貧相な体つきも悪くないよね。腕の中にすっぽり抱き込めるから』なんて言うわけねえっ。そんな変態に育てたつもりはねえっ」
「仕事中にエロ本読む君に変態扱いされたくないんだけどね」
「……え?」
 いつのまにか、もう一人増えていた。イギリス人より一回りでかい、二十歳前後のそれなりにハンサムなガキが泥酔したイギリス人を見下ろして呆れた顔をしている。
 知らない顔だ。いつのまに店に入って来たんだ?
 というか、誰?
「ねえ君。いい加減にするんだぞ。わざわざ海を渡ってきてくれたくせに、この日にこんな場所に来るなんて。自虐趣味にもほどがあるよ。自分を苛めたいならオレが代わって苛めてあげるから、君はそろそろ酒を飲むのをやめて一緒に帰るんだぞ」
「………………アル?」
「そうだよアーサー」
 イギリス人が顔をあげた。
 泣き顔はどう見たってティーンのガキだ。
 そして迎えにきた若者は知り合いらしい。
 というか、もしかしてこれが話題の兄を捨てた弟か?
 見た目素直そうな青年だ。…………しかし。
 店中の男達が新たな闖入者を観察している。
 イギリス人は目の前の男を剣呑な目付きで見上げている。
「アルが今日こんな所にいるわけねえから、おまえはアルじゃねえ。オレのアルフレッドは今ごろ皆に囲まれて、バカみたいな色したケーキを阿呆面で食ってるに違いないんだ」
「ブルーのケーキは美味しいんだぞ。クールな色だろ」
「クレイジーの間違いだろ。……つか、なんでアルの幻と会話してんだオレは」
「幻じゃなくてちゃんと実体だぞ。夢と現実の区別もつかないくらい酔っ払って、君は仕方がない人だね。ヒーローのオレが連れて帰ってやるんだぞ」
「幻は喋らないし実態もないはずだからコレは夢か。どんだけ飲んだんだオレ…」
 後から来た若者がイギリス人の前にあるグラスを取り上げた。
「あのねえ君。……オレだって忙しいんだよ。年に一度しかない誕生日だからね。今日はオレが主役の日なんだぞ。みんながオレを祝ってくれるんだ。でもオレはヒーローだから君を放っておけないんだ」
「ならさっさと帰れよバカッ。てか来んなっ! なんでてめえがオレの居場所知ってんだよっ。酒返せっ」
「場所なら部下に探らせたからねっ。いつぞやみたいにホットドッグの食べ過ぎで病院に運ばれるなんて大迷惑なんだぞ。病院は本当に不調な人が必要とする場所だ。君の自棄食いの始末の為にあるんじゃないんだからね」
「……なら帰って地元で食うさ。てめえんちじゃなければいいんだろ」
「そういう意地っぱりな台詞は止してくれよ。不愉快だ」
「わざわざ自分から不愉快になりに来てんじゃねえ。いつもみたいにバカ面でヘラヘラ笑って、オレを裏切った日を最高にハッピーな日だって言えばいいだろ。どの口でオレを好きだなんて言ってんだ、この嘘つき野郎がっ」
「ハッピーだぞ。君の弟じゃなくなってようやく対等な立場に立てたんだから。オレがどんな気持ちで君を傷つけたと思ってるんだい。最愛の君を」
「し、知るかよっ。さ、最愛とか嘘つくなっ。騙されるもんかっ」
 イギリス人が耳を塞ぐ。
「嘘じゃないよ。オレには始めから君だけだった。オレの手をとり抱き締め、愛をくれたのは。だからオレも君を愛したんだ。君にとっては弟かもしれないが、オレにとって君はただ一人の最愛の人なんだぞ。…というわけで一緒に帰る事を要求するぞ。反対意見は認めないんだからね」
 ヒョイと藁でも担ぐように、青い目の若者は泥酔したイギリス人を肩に担ぎ上げてしまった。スーパーマンか?
「ギャッ、な、何するんだっ」
「何って、帰るんだよ。オレの家に」
「な、なんで?」
「君はオレの誕生日を祝うのがまだ辛いんだろ? ならおめでとうと言ってくれなくてもいいから一緒にいてくれよ。それくらいしてくれたっていいだろ」
「い、いいい一緒にいて、な、何もしないな?」
 イギリス人があからさまに警戒しているのが分る。
「HAHAHAHA。それって最高のジョークだねイギリス。好きな人として何もしなかったら男じゃないんだぞ。大人しくオレの帰りを待っててくれよハニー」
「バ、バカァッ! 阿呆な事言ってんじゃねえっ。誰が待つかっ」
 肩の上で若者がバタバタと暴れるが、弟は全く動じない。どんな腕力だ。
 ……というか、あの担がれている若者が哀れな乙女に見えて仕方がないのはやっぱり酔っているからだろう。
「逃げたら世界の果てまで追いかけて押し倒すからねっ。そうか。君はオレに追いかけてきて欲しいんだね。分ったよ、待たされた分、情熱的に君を愛するんだぞっ。楽しみにしててくれよ」
「だ、誰が楽しみなんだよっ。へんたいへんたい、このヘンタイ野郎っ! 離せっ! このメタボッ! オレに触んなっ」
「ハハハハ、罵りプレイかい? 君は本当に女王様体質だね。そういう君も嫌いじゃないんだぞ。でもベッドの中では素直な可愛い子猫ちゃんでいてくれよっ」
「オレは変態じゃないし、女王様でもねえっ。子猫ってバカにしてんのかっ。お前なんかお前なんか、き、嫌いだっ。離せっ、触んなっ!」
「心にもない事言うなんていけないんだぞ。君はオレを好きなくせに。嘘ついた罰にベッドで苛めちゃうぞっ」
「アルが、アルがそんな事言うわけねえ。お前はオレのアルじゃねえ」
「君も無駄な抵抗が好きだねえ。抵抗されると男は燃えるって君だって知ってるくせに。そんなにオレを刺激したいのかい? 望む所なんだぞ」
「言ってねえええええっ!」
 男一人を軽々抱えた男は「おつりはいらないんだぞ。この人の迷惑料だからね」と数枚の札を財布から出して出て行った。
 嵐のような男達だ。二人が去った後の酒場にはジャズの音楽だけが響いていた。みんな毒気を抜かれてなんとなく無言だ。
 しかし今のは何だったんだろう?
 飲み過ぎて幻覚でも見たのだろうか?
「……今のがアルフレッド?」
「……天使のような弟? ……がヘンタイ?」
 オレとカルロスは呆然と顔を見合わせて呟いた。
 今どきの若者の嗜好は本当におじさんには分りかねる。いやだねえ、これが年代の差か。年はとりたくないもんだ。……と思ったが、たとえ若くても今の二人のアレコレが理解できたかどうか。
 本当に、独立記念日にはこの店に思い掛けない客が来る。
 親の心子知らずって言うけれど、本当にガキっていうのは親の心が分ってない。
 あのイギリス人はどうなってしまうのだろうと思ったが、あまりに想像がつかない世界だったので泥酔したうえの幻だと思い込む事にした。
 かあちゃんの言うとおり、家にいて娘と孫と遊んでいるべきだったのかもしれない。