ハッピー・バースデイ
         と言わないで(米英)








「なんだ、来たのかアメリカ」
 断りもなく家に入ってきたアメリカを見たフランスは呆れたように言った。
「お前、忙しいんじゃなかったのか?」
「忙しいよ。多忙に決まってるじゃないか。年に一度の欠かせない大事な行事だぞ。一ヶ月以上も前から色々準備してるからね。今年は去年以上にグレイトでスペクタクルでゴージャスなんだぞ」
「その御多忙な合衆国様が何の用だ?」
 顔色冴えない家主のイギリスが聞いた。
 眉間に皺を寄せ、いつもの照れ隠しのツンデレではない本気の拒絶がそこにはあった。
 気付いていながらも、持ち前のAKYを利用してアメリカは陽気に「HAHAHA」
と笑う。
「合衆国の友好国であるグレートブリテンが今回の式典に欠席と聞いたからね。どういうつもりなのか真偽を確かめにきたのさ」
 陽気な声と陽気な雰囲気のアメリカだが、目は笑っていない。
「なんだイギリス。お前、今回もまたアメリカの誕生日行かないのか」
 分っていて聞くフランスだ。
「るせえヒゲ。7/4は毎年家にいるって決めてるって200年前から言ってるだろ。何度も同じ事言わせるな。そんな簡単な事も覚えてられないほど耄碌したかなら、現役引退しろトウモロコシ野郎」
「お兄さんの美しい金髪に例えてトウモロコシと言ったのかそれともヒゲ繋がりで言ったのか知らないけど、ウィットのセンスないねお前。……じゃなくて、坊っちゃん、去年はとうとうアメリカの誕生日に行ったじゃないの。顔色悪かったけど、ちゃんと一人で海を渡れたんだろ。なのにまだダメなの? 今年も体調不良なのか? 確かに顔色良くないけどさ」
 アメリカが聞きたかったであろう核心をフランスは突いてやる。
 アメリカに親切にしてやるつもりはないが、陽気な顔の下に不安を隠して虚勢を張る弟に多少同情しないでもなかった。多忙なのにイギリスの様子が気になってわざわざ海を渡ってきたのだろう。御苦労な事である。
 そこまでイギリスに固執するなら、もうちょっと素直になればいいのにと思う。ツンデレ兄弟は大変だ。
 イギリスをからかうチャンスでもある。
「それもあるが」
「他にも理由があるのか?」
「7/4にアメリカに行かないのは……アメリカの誕生日を祝う気はねえからだ。……少なくとも、まだ」
「でも去年は行ったじゃないか」
 アメリカがどれだけ喜んだのか。
 イギリスだけが知らない。
「あれは、たまたま体調が回復したから気まぐれを起こしただけだ。200年目と区切りが良かったからな。もし次に独立記念日にアメリカに渡るとしたら、区切りのいい100年後か200年後だな」
「どんだけ執念深いのイギリスは。確かに区切りはいいけど、そういう問題じゃないでしょ」
 フランスは呆れたが、それ以上からかう気にもなれなくて持ってきた焼き菓子を皿に並べた。
 フランスがイギリスの家を訪ねるのに理由はいらない。
 話したくなったから、暇潰しに、からかう為に、酒の相手が欲しくて、愚痴を零しに、喧嘩の相手。腐れ縁というのはそういうものだ。
 そういう気のおけなさがアメリカにとってはたまらなく腹立たしいのだろう。
 アメリカの気持ちなんて、当人のイギリス以外みんな知っている周知の事実だ。
 世界一の大国と呼ばれて煙たがられ恐れられていても、一個人のアメリカはまだ成人前の青年で、酸いも甘いも噛み分けた老獪な国々から見れば底が透けて見える。
 大国に備わった本能でイギリスから独立して、さあどうだと誇らしげに振り返った兄から向けられたのは冷たい憎悪。毎年来る独立記念日を誕生日にしたはいいものの、一番祝って欲しい兄はアメリカの独立は認めても誕生日を祝う気はなく、アメリカは内心いつも傷ついていた。
 アメリカはイギリスを兄と思いたく無いようだが、イギリスが元兄なのは疑いようもない事実で、そしてアメリカがイギリスを兄と思いたくないのは嫌いだからではなく一人の男と認めて欲しいからで、つまりはそういう事だ。
 他人の視点で自分を見て欲しい、その上で前以上の愛を注いで欲しいという身勝手極まる願いをアメリカは持っていて、イギリス以外は全員それを知っている。
 しかしだ。例えイギリスがアメリカを一人の男として認めたとしても、認めただけであってアメリカの望むとおり恋愛感情に繋がるわけもないし、またこれからの未来も繋がるとは限らない。
 イギリスは女専門のエロ大使で、美人と巨乳が好きなごく一般的嗜好の持ち主だ。どんなイケメンであろうと男というだけでノーセンキューである事は間違いない。
 ただしアメリカは別だ。イギリスがただ一人、弟として限りない愛情を注いだ相手で、注がれたアメリカはイギリスの愛情深さを知っているのでそこに望みを託している。
 イギリスはアメリカを見捨てられない。何をされても嫌いになりきれない。拒みきれない。断ち切っても断ち切れない確かな絆を後生大事に抱えこんでいる。それはアメリカが断ち切りたかった家族の絆だ。
 粘着質なイギリスをアメリカは厭い、同時に深く愛してもいた。
 しかし同時にイギリスは難攻不落の城だった。
 弟から他人になった後、アメリカは強固な城に攻めあぐねた。
 独立から200年、アメリカはその間ずっとイギリスを愛し続けてきた。
 建てた端から折られたフラグは何百本。ことごとくイギリスに破壊&スルーされてきた。
(アメリカ自らへし折った旗もあるが。まだ若いので)

 去年ようやくイギリスは軟化し、折りあいをつけて、誕生日にやってきた。
 アメリカはあまり顔には出さなかったが、内心有頂天だった。舞い上がった、浮かれた、クルクル回って足を滑らせ二階のバルコニーから落ちた。
 ようやく。ようやくイギリスがアメリカを認めてくれたのだ。自分の独立を祝いに来てくれた。
 イギリスが自分を認めてくれたのだと、アメリカは希望の火を灯した。
 更に一年待った。イギリスは執念深いから恨みつらみの全てを捨ててはいない。だが心は段々とアメリカに対し柔らかくなってきている。あと一押し。
 じりじりとアメリカは今年の誕生日が来るのを待っていたのだ。
 去年はただただびっくりして、ろくな対応もとれなかったが、心の準備期間がある今年こそはと、ドキドキしながら誕生日が来るのを指折り数え待っていたのに、期待を込めて送った招待状の返事は『諸事情により、欠席します』だ。
 がっかりしたというより、愕然とした。
 まだダメなのか。まだイギリスはアメリカの独立を認められないのかと、アメリカはいてもたってもいられず、こうして自家用機で大平洋を越えてきたのだ。
 イギリスの家にフランスが当然のようにいるのにもムカついた。
 フランスとイギリスの間にある複雑な歴史を知らないわけではないが、知っているのとそれを認める事はまったく違う。
 フランスはアメリカよりもイギリスの事を理解している。イギリスもなんだかんだいっても、フランスを認めている。
 二人の間にあるのは信頼や愛情じゃない。けれど、絆という面で確かに断ち切れない繋がりが二人にはあって、アメリカはその間に入れない。
 アメリカが欲しいのはそういうものだ。イギリスに認められたい。何かあったら頼って欲しい、相談されたい、そして力になりたい。
 だが今その役目はフランスが請負っている。頼りはしないが、相談という形でイギリスはフランスをあてにする。愚痴を零して八つ当たりするのは、形を変えた甘えだ。イギリスはフランスに無意識に甘えている。
 イギリスに恋する年下の青年アメリカはたまらない。フランスがアメリカに同情的なのもいっそ腹立たしい。イギリスに愛されている余裕にしか見えないからだ。
 若者に嫉妬されたフランスはとんだとばっちりだ。
 フランスは別にイギリスが好きなわけではない。イギリスは何かというとすぐにフランスを殴るし言う事には反対ばかりだし酔って絡むし、汚物扱いする。よくつき合っているものだと自分のボランティア精神にビックリだ。
 だがフランスも分かっている。アメリカに嫉妬されてもイギリスに酷く扱われても、それでもイギリスを構うのを止めないのは、止めるつもりがないからだ。
 愛してないけど、フランスにとってイギリスはなくせない大事な存在だった。
 大事にしたいんじゃない。ただ自分にとって大事だから、無くしたくないだけだ。
 いざとなったら裏切り傷つける事に躊躇しない。
 けれど、その程度じゃイギリスは無くならないとフランスは知っている。だから大事にはしない。ただそれだけだ。



「なんで今年の誕生日に行ってやらねえの? 去年行けたんだから、今年はもう大丈夫だろ?」
 パウンドケーキを切り分けながらフランスが聞く。
 バターと砂糖の溶ける香りが部屋に満ちる。
 美味しいものを前にしたイギリスは割合大人しいのでフランスも暴力を警戒せずに質問した。
「そうだぞ。各国のみんな来るのに合衆国最大の友好国が欠席なんて、示しがつかないじゃないか」
 ステレオで言われ、イギリスは顔をしかめた。
「るせえ。オレはこの200年、1回しかお前の誕生日に行ってねえんだ。今年行かなくたって他の国は変に思ったりしねえよ」
「まあな」とフランス。
 アメリカは納得できないとイギリスに詰め寄った。
「だって去年は来てくれたのに、どうして今年はダメなんだい? 体調が優れないっていうのなら医者を待機させるし、介助に君の信頼する部下をつれてきてもいい。イギリスの為に特別なゲストルームを用意するよ。オレは当日は多忙だし、無茶は言わないから、君は何の心配もなくただ来ればいいんだぞ。君の所の女王様の名前に誓うよ」
 いつになく殊勝なアメリカに、イギリスの眉間の皺が浅くなった。
 トゲのある空気が和らぐ。
 強引に振り回せばイギリスは反発するが、下手に出られるとデレが発動するのがツンデレだ。


『アメリカさん。押して駄目なら引いてみろ、です。好きな人に優しくするのは当たり前の事でしょう。へりくだるのではありません。男の度量というものですよ。弟でないというのなら、甘えて高飛車に振る舞うのではなく、対等な相手として尊重すべきでゲイツ』


 日本のアドバイスは適格だった。


『我侭や甘えを受け止める度量を持ってこそ一人前の男です。相手を理解し思いやる事は『負け』ではないのですよ』


 そうだ。オレはもう一人前の男なのだから、好きな人に優しくする事だってできる。
 アメリカは日本の助言を聞き、その通りにしようと思った。老人の言う事には含蓄がある。伊達に二千年以上生きていない。
 側にいるフランスも『おおっ』と思った。
 アメリカのやつ、成長したなあと感慨深くなる。

 イギリスは手にしていた刺繍途中のハンカチをテーブルに置き、成長した弟を見上げた。
「体調は良くなったといっても本調子にはほど遠い。それにステイツに行けば更に酷くなる。お前にとっては良き日だ。恨みごとや愚痴は聞きたくないだろうし、誕生日に辛気くさい顔は見たくないだろ。日本やリトアニア達が祝ってくれる。オレがいない方が誕生日を楽しく過ごせる。いつだって会えるんだ。年に一度くらい会えない日があったっていいだろ」
「それは……そうだけど……さ……」
 アメリカの言葉は尻窄みになる。
 本音は誰よりイギリスに祝って欲しい。他人の明るい言葉より、イギリスの愚痴混じりの恨み言の方がいい。それが愛する人のまぎれもない本音ならば。
 正直に言えるくらいなら、200年も関係を拗れさせていない。
 外見に反してアメリカの精神は幼く、傷つけてしまった愛しい人への正しい対応が分らない。
 そして傷つけられたイギリスは、独立したアメリカがまだイギリスを愛しているなんて、考えてもいない。
 元兄弟は見事にすれ違っている。
「アメリカはイギリスに祝って欲しいのさ」
 分かってやれよとフランスが助け舟を出す。
 アメリカはイギリスが来ない理由が知りたい。
 まだイギリスはアメリカを許していないのか、認めてくれないと思いたくない。
 だからちゃんと確認する為にイギリスに来た。
 フランスの助けは業腹だが、この際使えるものはなんだって使う。
 なかなか言おうとしないイギリスの本音を聞きたいのだ。たとえそれが恨み言でも。
「各国集まる場所で醜態晒すのは恥だからな。不調を見抜かれて『こいつ未練たらしいな、かつての大英帝国も堕ちたものだ。みっともない』…なんて思われたくない。醜態を晒して後で上司に文句を言われるのも面倒臭い。それくらいだったら欠席した方がいい。お前の誕生日プレゼントはちゃんと豪華なものを用意している」
「政府が、だろ」
 アメリカは吐き捨てるように言った。
 アメリカが欲しいのは多額の予算が組まれて用意された隙のない完璧な贈り物ではない。
 値段の問題ではない。
 真っ黒なスコーンでもいい。そこにイギリスの気持ちがこもっていれば。プロイセンが一口食べて卒倒した食べ物だっていい。
 イギリスが「お前の為なんかじゃないんだからな。きょ、教会のバザーで配った物の余りだ」…なんて真っ赤な顔で一生懸命差出してくれれば、アメリカの心は満たされる。
 何を貰うかじゃない。誰がどんな気持ちでくれるのかが大事なのだ。物なんかいらない。誕生日を祝う心があればアメリカは満足できる。イギリスからのプレゼントにはいつだって、金には換算できないものがこめられていた。
「オレは…そんな儀礼的な心のこもらないプレゼントなんかいらないぞ。欲しいのはオレの誕生日を祝ってくれる気持ちだ。オレがそんな事を思うのはおかしいかい? チョコレートバー一本でいい。カードの一枚でもいい。なんでもいいよ。心がこもっていれば。君だってそう思うだろ?」
 いつになく真摯な目で問われれば、イギリスも頷くしかない。
「マーマイトでもいいか?」
「………………君がくれたものなら頑張って食べるさ」

(おお、アメリカがデレた。……にしてもイギリス空気読めよ、ここでマーマイトはねえだろ)
 フランスは珍しい事もあるものだと青年の成長に感心した。
 しかしさすがフラグクラッシャー。ここでマーマイトを出すかと、イギリスの手強さにも感心する。
「だからイギリス。……オレの誕生日に来てくれるだろう? プレゼントなんかいらない。『誕生日おめでとう』の一言があればいいんだ」
 途端にイギリスの顔が強ばった。
 フランスはあちゃあと思った。
 アメリカは地雷を踏んだ。
 後は爆発するだけだ。
「オレは…」イギリスは言葉を止めた。
「イギリス?」
「『おめでとう』なんて言えねえ」
「イギリス?」
「プレゼントをやるのはやぶさかじゃねえ。お前を認めてないわけじゃない。だが。祝う気持ちにはなれない」
「どうして? 認めてくれてるのなら「おめでとう」の一言くらいいいじゃないか。そんなに難しい事じゃない」
 他人ならば簡単な事だろうが、イギリスにとっては難しい。理屈でなく感情の問題だから正論が通じない。心の問題だから自分でコントロールできない。だから200年間も7月4日が近付くと、身体がいう事をきかなくなる。理性で御しきれない気持ちが正直に体に現れる。
 イギリスは無理が分る笑顔をアメリカに向けた。
「アメリカ。お前はもう一人前の国だ。オレから独立したんだ。今さらオレに認めてもらう必用はないだろ。オレなんかいらないから銃を向けたんだろ。捨てた人間に何求めてんだ? オレに嫌がらせして、そんなに楽しいか?」
 二百年前のイギリスの涙が思い出され、アメリカも泣きたくなる。嫌がらせだなんてそんなのあるわけない。アメリカのイギリスを思う心を分って欲しいと願うが、裏切った者の言葉を素直にきくほど裏切られた者の傷は浅くない。愛の深さがそのまま傷の深さになる。
 アメリカはイギリスを捨てた。銃を向け、君なんかいらないと言った。事実だ。真実の前にはどんな言い訳も通じない。
 それでも分って欲しいとアメリカは願う。
「……捨ててないよ。嫌がらせじゃない。意地悪言わないでくれよ」
「捨てただろ。『君なんかもう兄でもなんでもない』って言ったよな。一人でなんでもできるんだから口出しするなと言った。口出しはするな、でも「おめでとう」は言って欲しいなんて、身勝手すぎる。どんな立場のオレに祝福して欲しいんだ? 兄じゃない。友人でもない。ならオレはお前の何なんだ? お前はオレなんかいらないと言った。いらない人間に何求めてんだ? 自分で排除した相手に認めてもらう必要がどこにある? おまえにとってオレはいらない人間だ。………もう、帰れ。おまえはオレを捨てた日を記念日にした。最高の嫌がらせで分りやすい拒絶だ。いい加減オレも自分には家族なんていないんだって気づいたさ。……ああ、シーランドは別だが」
 淡々と。イギリスの声はロンドンの霧のような静かな重さでその場を満たした。
 激昂も悲しみもなく、ただ諦観の上に乗せられた言葉にアメリカは責められた。イギリスに非難の気持ちがあればまだマシだった。だがイギリスはただの疑問としてアメリカに言葉を伝えた。

 オマエハオレヲ「イラナイ」ト捨テタノダカラ、言葉モイラナイダロ?

 アメリカは若く駆け引きが苦手だった。だから、こういう時にどんな言葉を返せばいいか分らなかった。
 男の維持もあってフランスには助けを求められない。
 ただ狼狽えてイギリスの顔を見るだけしかできない。
 イギリスに育てられたアメリカは、イギリスが本気で拒絶するとそれ以上踏み込めなくなる。心が子供だった時代に戻ってしまう。それが嫌でイギリスに辛辣にあたったというのに。
「それでも。オレは君に認めてもらいたいよ。君はもう兄じゃないけど……オレにとっては…大切な人だから」
「大切? 嘘言うなよ」
 ハッと嘲笑うようにイギリスは吐き捨てた。
 大切な相手、というような扱いはされてこなかったのだから、信じられなくても当然だ。
 日本にするように、リトアニアに対するように、少しでも友好的に接してくれたのなら信じられただろうが、アメリカの口から出る言葉は……
「いい加減にしてくれよ。オレはもう君の弟じゃないんだ」「お節介だなイギリスは。煩いよ」「世界の覇者はもうイギリスじゃなくアメリカなんだ。いつまで栄光に縋ってるつもりなんだい? カビの生えたヨーロッパの連中の仲間に入れてもらったらどうだい?」と、散々な言葉ばかり。ネガティブなイギリスじゃなくても、自信なんかなくなる。
 アメリカは、イギリスの取りつくしまもない拒絶に強く出られない。
 アメリカを育てたのはイギリスだ。親の本気の拒絶に子供が狼狽えないわけがない。
 アメリカがイギリスに辛く振る舞えるのは、それをイギリスが許しているからだ。許さなくなった時、アメリカはどうしていいか分らず動揺して動けなくなる。

「イギリス。そう苛めてやんな。アメリカは嫌がらせじゃなく、純粋におまえに誕生日を祝って欲しいんだ。素直に聞いてやれよ」
 フランスが頃合かと口を挟む。 
 イギリスは頑だし、アメリカは直球しか投げられない。
 アメリカの想いを理解すればイギリスの対応も変わってくるが、若さと見栄で、アメリカは反発するイギリスに優しく対応できない。
 イギリスは自嘲するように言った。
「素直に聞いてるぞ。オレの耳はちゃんと機能してる。『もう君は兄じゃないんだ』『ウザイ』『うるさいな。お説教なんてゴメンだ』『オレは一人でやっていけるんだから君なんかいらない』……散々聞いた。それがアメリカの素直な気持ちなんだろ。あれだけ言われたらオレだって分るさ。アメリカはオレが嫌いなんだ」
 このバカ。フランスはアメリカを見た。
 イギリスも素直じゃないが、アメリカの態度がイギリスをこうまで頑固にしてしまった。
 誰だって拒絶され続ければ嫌われていると思う。好かれているがゆえの逆の態度だなんて、誰も思わない。そんな微妙な心の機微を察する事ができるのは、空気が読める日本か恋愛のエキスパートのフランスくらいだ。
 だが、アメリカは嫌いな人間に会いに来るような男ではない。好悪のはっきりした分りやすい性格だ。多忙な中、アメリカがわざわざイギリスにだけ会いに来る理由をちゃんと考えれば分かる事だが、考える以前にイギリスは殻に閉じ篭っている。散々傷めつけられた自衛本能だ。
 イギリスは悪くない。
 イギリスは素直に聞いただけだ。素直に、アメリカに言われた悪口だけを信じた。
『君なんかいらない』と言われた言葉を信じて傷き、諦めた。
 だからイギリスはアメリカの優しさを信じられない。アメリカがわざわざイギリスに会いに来た真意を理解しようとしない。
 しかしそうさせたのはアメリカなのだから、自業自得だ。
 一度こんがらがって固まってしまった糸はなかなかほぐれない。
 フランスは『こいつらしょうがねえなあ』と、素直になれない兄弟達に救いの手を差し伸べる。
「面倒臭い事が大嫌いなアメリカがわざわざやってきたんだ。本気で坊っちゃんに誕生日を祝って欲しいんでしょ」
「だから何故なんだ? 元宗主国をそうまでして貶めたいのか? オレから独立してこんなに立派になったんだとせせら笑いたいのか? 独立は成功だったと見せつけたいんだろう?」
「もー、イギリスは。どうしてそうネガティブにしか考えられねえの。……どうしょうもないね、おまえらは」
 フランスはイギリスを説得するのは無理かもしれないと、アメリカに同情の目を向ける。イギリスがアメリカを信じるようになるにはまだまだ時間が掛りそうだ。
「アメリカ。イギリスも悪いが、今まで散々酷い事を言ってきたのはおまえさんだろ。急に「信じてくれ」って言われてイギリスが信じられるわけないだろ。おまえにしてみりゃ200年も待ったと言うが、イギリスにとっちゃようやく過ぎた200年だ。イギリスが態度を軟化させたんだから、おまえももうちょっと態度を改めてイギリスに優しくしてやれよ。イギリスが頑固なのは、そもそもおまえの対応が酷すぎたせいだろ。口を尖らせて不平不満を言ってたら元の木阿弥だぞ。好きなやつには優しくすんのは普通の事だぜ。見ず知らずのレディにはできて、どうしてイギリスにはできねえの?」
 フランスに諭されて、アメリカは悔しげな顔になる。
 理性では理解しても、恋敵のフランスに言われると素直に聞きたくない。複雑な男心。老獪さでアメリカはフランスに勝てない。
 フランスにはアメリカの心情が透けて見える。
 フランスが上から目線なのは、優位性ではなく兄としての視点ゆえだ。
「イギリスも。今年は無理だとしても、99年後、なんて無茶は言うな。そんだけアメリカの誕生日にこだわってるって周りに知らせるようなものだぞ」
「それもそうだな」
 イギリスは溜息を吐いた。
 イギリスがアメリカの独立記念日を拒絶すればするほど、イギリスがアメリカを心に残していると教えているようなものだ。
「ワイン野郎の言う事を素直に聞くのは業腹だが、言う事は一理ある。オレももうちょっと柔軟性を持つべきか。努力する。……ごめんなアメリカ。大事な誕生日に行ってやれなくて」
「い、いいんだよイギリス。無理しないで。いつかちゃんと祝ってくれれば。オレはいつまでだって待ってるぞ」
 素直にイギリスがアメリカの顔を見たので、アメリカは顔に血を上らせた。下手に出られるとデレてしまうのがツンデレだ。兄弟してツンデレだから、アメリカとイギリスの関係は平行線を辿ってなかなか交わらない。
 フランスもニヨニヨしながら、ようやく和んだ空気にホッとする。フランスの弟達は本当に面倒臭い。
「そろそろティータイムにしようぜ。お兄さん自慢のお菓子があるから、イギリス、紅茶を入れてくれ」
「しょ、しょうがねえなあ。ヒゲに飲ませる茶なんか出がらしで充分だが、土産に免じてとびっきりの紅茶を入れてやるよ。感謝しろよな」
 イギリスはいそいそと立ち上がる。
 途端にふらついた身体をアメリカが支える。
「だ、大丈夫かいイギリス。本当に体調が良くないんだね」
 イギリスはアメリカから離れようとするが、アメリカはイギリスを支えたままだ。
「あ、ありがとうアメリカ。急に立ち上がったから足がもつれただけだ。心配すんな」
「君は座ってなよ。紅茶ならフランスが入れるから」
「ヒゲ野郎の紅茶なんか飲めるか。オレが入れる」
「今日は妥協しなよ。体調が良くないから、味の善し悪しもよく分らないだろ」
「だけどワイン野郎なんかに…」
「お兄さんはお茶を入れるのも上手です!」
 扱い酷いとフランスは憤慨するが、アメリカもイギリスも気にしない。
「イギリス。お兄さんが全部用意してあげるから、大人しく刺繍の続きでもしてろ。アメリカもそれ以上イギリスを突ついて怒らせるなよ。妖精達にこの家、出入り禁止にされるぞ」
「何言ってるんだいフランス。妖精なんて本の中にしかいないんだぞ。イギリスのスコーン食べておかしくなっちゃったのかい? ……あ痛っ!」
 突然アメリカが叫んで頭を押さえたので、何事かと、フランスとイギリスは注目した。
「ほら、アメリカがんな事言うからだ。ピクシーに叩かれてやんの」
 イギリスが何もない空間を見ながら苦笑する。
「酷いよイギリス。いきなり殴るなんて!」
「オレが殴ったんじゃないのは見てたから分るだろ! 今おまえをぶったのは妖精だ。目えかっぴらいて現実を直視しろ!」
「何も見えないんだぞ。イギリスとフランス以外。そうか。イギリスが殴ったんじゃなければ、フランスがオレを叩いたのか。酷いよフランス」
 突然の濡れ衣にフランスも叫ぶ。
「何言ってんだアメリカ! イギリスの言う通り、見てたのに人に濡れ衣着せるんじゃありません! お兄さんは無実です」
「じゃあ誰がオレをぶったんだよ! 妖精なんて認めないぞ。訴えてやる」
「妖精はいるんだよ!」イギリスが怒る。
「じゃあ誰がアメリカを殴ったと思うんだ?」とフランス。
「二人のうちどっちかだよ。妖精なんてどこにもいないじゃないか!」
 アメリカの言い掛かりにフランスは呆れるしかない。
 もういつものアメリカだ。責任を他人に丸投げすれば生きるのは楽だろうなと思う。よほど図太くないと無理だが。
 あの小さく素直だったアメリカが成長するとこうなるとは、本当に育ち方を間違えたものだ。独立前までは真っ当な子供だったのに。

 え、独立に手を貸したお兄さんのせい?
 だから酷い扱いをされても当然なの?

 アメリカに身体を支えられたイギリスは嬉しそうだ。
 こうしてアメリカが時折優しさを見せるからイギリスもアメリカへの未練が断ち切れない。
 イギリスを椅子に座らせながら、アメリカがらしくない優しい声を出す。
「ほら、座って。オレは寛容だから訴えるのはやめてあげるよ。……本当に君はしつこいぞ。200年も恨み続けるなんて」
「うるせえ。オレの態度が気に入らねえならとっとと帰れ」
「……いつか7月4日が来てもイギリスが平気になったら。そうしたらオレは君に言いたい事があるんだぞ」
 照れたようにアメリカが言った。
 フランスは『今言っちまえ』と思い、イギリスは『何もったいつけてんだ』と鈍い。
「何が言いたいんだ? 今言えよ」
「それはその時までの秘密なんだぞ」
「勿体ぶるな」
「楽しみが増えるからいいだろ」
「楽しみにするような事なのか?」
「たぶんね」
 アメリカが優しいので、イギリスの態度も自然丸くなる。
 このまま何事もなく終ると思ったのだが。

 イギリスはぎこちなく微笑んだ。
「しつこくて悪いな。オレだって嫌なんだよ。頭は痛いし吐き気は止まらないし眠れないし、毎年散々だ。……もう200年も経ってるのにな。だが安心してくれ。去年大丈夫だったんだ。いずれ完全に平気になる。アメリカの事、その他大勢の国と同じに思えるようになるようになれば、オレの中の傷も無くなるだろ。それまで待っててくれ」
 空気が凍った。
「……イ、イギリス?」
 アメリカは耳を疑い、フランスは持っていたティーカップをテーブルに落とした。
 二人の動揺にイギリスはまったく気付かない。
 自分が前向きになったのでアメリカが喜んでいると勘違いする。
「早くアメリカへの想いが消え去るように、恋人でも作るかな…。恋人ができればアメリカよりそいつのへ比重が重くなって、過去の事は思い切れるようになるかもしれない。アメリカもオレのしつこい所が嫌なんだろ。態度を改善するように努力する」
「え、イギリス? そ、それはっ」
「今まではただ時間が過ぎるのを待ってただけだった。そうやって後ろ向きだったから何も進展しなかったけど、今年からは違う。去年ようやくおまえの誕生日にあっちに行けたんだ。アメリカの存在を断ち切れるように、前向きになって努力してみる」
「た、断ち切っちゃうのかいっ?」
「ああ。それがおまえの望みだろ」
 頑張るよアメリカ。おまえの為に。
 イギリスの笑顔は優しかった。かつて宗主国だった頃のように。吹っ切るように晴々としていた。
 アメリカは目の前が真っ暗になった。
 イギリスには悪気も悪意も他意もない。本当にアメリカの為を思っているからこそ、最悪だ。
 フランスは持っていたケーキをテーブルの上にコロリと落とし「イギリスの前向きの方向ってそっち?」と呟く。
 アメリカがイギリスの両肩を掴んだ。
「くたばれイギリス! 君なんか一生オレの誕生日に気持ち悪くなってればいいんだ!」
「なんだと、人が折角おまえの為に前向きに努力しようって決めたのに…」
「それが鬱陶しいっていうんだよ! 兄貴面して恩着せがましくしないでくれよ! うざい君がうざくなくなる日なんて来るもんかっ。オレは全力で邪魔してやるんだぞ。イギリスなんか一生うざくて誰にも見向きされなきゃいいんだ」
「んだとうっ! 喧嘩売るなら買うぜ。元海賊舐めんな。オレがその気になってできねえ事なんてないんだよ。オレは全力でアメリカへの気持ちを忘れる。そして独立記念日を祝ってやるぜ。楽しみに待ってろよ。ふはははははは」
 イギリスの高笑いにアメリカの顔色は増々悪くなる。
「ほ、本気でくたばれイギリス! フラグクラッシャー! オレの気持ちも知らないで! 君なんか日本のネタにされて脳内でオレにメチャメチャにされてりゃいいんだ。この淫乱ビッチ!」
「ビッチだぁ? こンの寝小便たれのクソ餓鬼がっ。喧嘩買ったぜごゴラァッ! たとえアメリカでも容赦しねえからなっ」
「望むところだよ!」

 フランスは被害の届かない場所へ、皿を持って逃走した。
 フランスは二人から離れて座り込み、美味な菓子を摘みながら兄弟喧嘩を眺める。
「イギリスが前向きになるとそっちに進むのか…」
 寄ってきたイギリスの家の妖精達にも菓子を分けてやる。
 普段はまったく見えないのに、イギリスの家に来ると見えるから不思議だ。柔軟性あるフランスは割り切って妖精の存在を認めている。

『フランスー。イギリスは大丈夫なの?』
『アメリカと喧嘩してるよー』
 妖精達がイギリスを心配している。
「大丈夫だ。喧嘩するほど仲が良いっていうからな。あれはイギリスとアメリカのスキンシップだ」
『そうなの?』
「そうなんだよ」
 妖精の愛らしい姿にフランスは思わず癒される。
 元ヤンのくせに、イギリスは人間以外のものには好かれるのだ。
『そっかー。だからイギリスとフランスはよく喧嘩してるんだね』
『二人は仲良いもんね』
「それは違うんだけど」

 フランスはいつまでこんな事が続くんだろうと思った。
 この様子では、イギリスとアメリカの関係が改善されるとはとても思えない。
 いや、独立直後から考えれば素直に喧嘩できるようになっただけ立派な前進か。アメリカ独立後のイギリスは本当にボロボロだった。
 身体の傷と違い、心に負った傷は見えないから治ったかどうか当人にも分からない。
 200年経ち、ようやくイギリスの心の傷も塞がってきたのだ。それは当人にも周囲にも良い事だ。
 しかし。それはアメリカが望んだ方向とは違ったらしい。
 アメリカは軌道修正しようと必死に頑張っているが、イギリスの方向オンチは手強い。アメリカの恋が成就するのはまだ当分先のようだ。
 というか、素直にならないアメリカが全部悪い。アメリカが素直にならないから恋愛が進まないだけだ。素直に正面から『好きだ』と言い続ければ、愛に飢えたイギリスは疑心暗鬼ながらもアメリカの事を考え続けるだろう。それこそ他人なんか割り込む隙間もないくらいに。
 その簡単な事がアメリカにはできないから、恋愛がスタート地点で停まっている。

「わーん、イギリスのバカーッ! 鈍感野郎、料理オンチ、根暗、友達いないくせにーっ」
「おまえだって友達いねえだろうがっ」
「日本がいるよっ」
「オレにだって日本がいる」
 はっきりいって煩い。
 近所に通報される前に止めに行かなければ。
 とばっちりは嫌なのに、数分後の自分が想像できてフランスは今から憂鬱になる。イギリスは容赦ないし、アメリカはいらない嫉妬をぶつけてくる。本当に何故フォローしてしまうのかよく分らない。
「お兄さん、愛の国だからねえ」
 誰も信じてくれないが、フランスはイギリスもアメリカも愛していた。
 イギリスにしてみれば、ならどうしてアメリカの独立に手を貸した、と言う所だが、それはそれだ。
 フランスはイギリスを分りやすい形で甘やかさない。そんな時代はとうに終っている。
 弟にべったりでフランスを見ないイギリスなんか、イギリスではない。
 優しい関係じゃなくていい。親しくならなくていい。ただその緑の瞳にフランスを真直ぐに写していれば。
 それがフランスの愛の形だ。イギリスには災難だが。
 フランスも人の事は言えない。一筋縄ではいかない愛し方をしているから、イギリスは愛されている事に気がつかない。
「お兄さんもまだまだ青いねえ。アメリカにイギリスを渡すのは当分先かな。自分の嫉妬深さにびっくりだ」
 愛していても素直になれないのはフランスも同じだった。
 素直でないフランスがイギリスの面倒を見たからイギリスは素直じゃくて、そのイギリスが育てたアメリカはただの独占欲の強いガキになった。
「え、やっぱり自業自得?」
 とんできた花瓶を頭部に受け、フランスは目の前に花火を見た。アメリカの独立記念日に山ほどあがる花火のデジャブかと思う。
 フランスは倒れそうになり、床に膝をついたが、かろうじて耐えた。
「ぶはははは、ざまあみろフランス。見てろ、オレは全力でアメリカを見限ってやるぜ。大英帝国の意地と努力を舐めんなよっ。待ってろよなアメリカ。その他大勢になったおまえに「ハッピーバースデイ」と言ってやるから楽しみにしてろ」
 イギリスの目が据わっている。
「一生聞きたくないよっ!」
 アメリカが訪問目的と真逆を叫んだ。
 心からの叫びだろう。フランスは痛みに耐えながらも深く同情した。
 イギリスは顔色は悪いのに完全に前向きだ。冷めれば反動で鬱になるに違いない。第一、そんな簡単にアメリカをその他大勢扱いできるなら、200年も鬱々としていない。
 アメリカもその辺を気付けばいいのに、恋する青少年はかつてのママ相手に冷静になれないマザーファッカーだから仕方がない。イギリスに見限られようとしていると半泣きだ。
 高笑いをするイギリスに、フランスは本当に趣味が悪いと思った。アメリカもフランスも。
 元ヤンで酒癖悪くて素直じゃないイギリスを愛してるなんて最悪だが、一番の不幸は愛されている事に気付けないイギリスだ。
「ハッピバースデイ、アメリカ」
 呟いたフランスの頭に二つめの花瓶が激突した。とうとうぶっ倒れたフランスの向こうでイギリスとアメリカの怒鳴り声が響く。

『自業自得ですよフランスさん。イギリスさんを虐めてはダメだと言ったでしょう。呪いますよ?』

 何故か日本の声が聞こえたような気がしたが、絶対気のせいと思いたい。
 日本はフランスとはまた違うポジションでイギリスが好きで、だから時々日本はアメリカとフランスに辛辣になる。
 友達に恵まれ、構ってくれる隣人がいて、独立したけど縋ってくる元弟がいて。イギリスは結構幸せ者だ。当人は全然気づいてないけれど。

 お兄さんも幸せになりたい。
 フランスは本気で思った。