フラグクラッシャーの真髄(米英)






 ずっと好きな人がいた。その人は元家族で、オレの兄で親で同胞で敵で味方だった。
 オレはその人の事がずっとずっと好きだった。
 色々な感情が絡みあって、一言で「好き」と言い切るには複雑すぎる感情なのだが、結論をひとことで言いあらわすと、やっぱり「好き」しかない。
 好きには色々な種類があって、オレの持つ感情も入り組んでいるのだが、大雑把にまとめると恋愛感情の「好き」という形になる。
 オレの好きな人はなんというか……生きるのが不器用な人だ。
 でも不器用なだけだったらパクスブリタニカなんて呼ばれる事はなかっただろう。
 器用さと不器用の両方を合わせ持つ…と言えばバランスがとれていそうで聞こえはいいのだが、誰に聞いたってイギリスがバランス感覚が優れているなんて言わないから違うのだろう。器用さと不器用さの同居とは、決して良い面同士が合わさっているわけではない。
 プライベートになるとてんで人間関係ガタガタになるくせに、仕事になったら二枚舌と我欲と行動力をフル回転させて非道を正道にねじ曲げるくらいの事は平気でする。
 卑怯だろうとなんだろうと勝てば正義なのが世界の真実で、愛や思いやりなんてフィンガーボールの中で指と一緒に洗い流されてドブの中、ヘドロと一緒に泥にまみれ、道徳に目を瞑れば、結果は輝かしい勝者という、なんとも救いがたいのが世界のルールだ。
 オレも『国』のなのでイギリスのやり方が酷いけれどある種正しいと認めている。
 そんなふうにイギリスは仕事のできる男だ。

 オレはイギリスを愛している。

 一度は世界の頂点に立ったイギリスを好きだと思う事は決して卑下するような事じゃないはずだ。

 ……うん、仕事面だけ見れば、ね。

 イギリス……通称アーサー・カークランドは、仕事はできるけれどプライベートはぐっだぐだの…会社ではそれなりの地位にいて部下をあごで使っているのに家族からは敬遠される日本の中年サラリーマンのような人だった。…ぐっだぐだは言い過ぎか。
 家はいつも綺麗だし、手芸やガーデニングが趣味なのはジジ臭いと思うけれど害はない。エロ本大好きな趣味はいただけないが、男としては普通の範疇。料理の腕は最悪だが、ワイフやラバーに作ってもらうのが当然と思っている男達に比べればやる気があるだけマシかもしれないが……イギリスの場合、そのやる気が厄介だというか頼むから腕をあげるか料理自体を止めて欲しいというのが本音だ。

 ……だって本当にマズイんだよ! 
 ……残した事ないけど。

 最悪な事に、激マズイギリス料理がオレのママの味なんだ。
(どうしてくれるんだい! 友人達と幼い頃の想い出を語り合った時、炭の方が多い真っ黒なパイが毎日の主食だったそれなりに食べられない事はなかったと語ったら一斉に哀れまれたよ同情されたよっ!)
 うん。どうして心に秘めた恋の話をしているかと言えば、
(全然秘めていませんダダ漏れですよアメリカさん隠しているつもりだったんですか? 空気読むどころか熱風となって好き好きオーラ出まくってたんですけど……えっ、本当に隠してたつもりなんですか? アンビリーバボー!)…そろそろオレが限界だからだ。
 いくらオレ達の寿命があってないようなものだといっても、二百年以上の片思いは長すぎる。初恋は適わないものだと日本は言ってたけれど、初恋を諦めないとセカンドラブに踏み出せない。
 なのにオレはいまだイギリスへの想いをズルズル引き摺って未練たっぷりだ。
 だってイギリスは……オレが諦めようと決心すると気配を察するのか、オレを引き止めるべくトラブルを起こすんだ。本当だ。

 WW2の時もそうだった。
 戦争も長引いてオレも誰も彼も疲れていた頃だ。一緒にいたイギリスはオレの気持ちなんか全然お構いなしにベタベタしてくるわ(最終兵器スコーンを大量に押し付けるのは止めてくれただでさえ物資が足りないっていうのに貴重な小麦で廃棄処分品を作成するなんて!)無防備な顔でオレを間近で見上げるわ(キスして欲しいのかいその可憐な唇を塞いで欲しいんだね! 周囲の目がなかったら理性切れてたよ)オレの前でうっかりうたた寝するわ(襲いかかりそうだったよ! 飢えた獣の気持ちが理解できたよ! ニヤニヤ笑いのフランスにからかわれなければ強姦魔になってたよ! 腹いせにフランスをボコっといたよ!)誘われているとしか思えない誘惑の数々だった。
 でもイギリスは全然そんな気はないんだ、無意識に誘惑しているんだこの天然の妖婦めっ。
(アメリカはああ言ってるけど、坊っちゃんはいつもどおりだったよ、あれで誘惑してるっていうんだからイギリスが本当に誘惑し始めたらアメリカなんか一秒で陥落だな、イギリスが鈍感野郎で良かったぜ、戦地でバカップルなんか見たかねえからな……っていうか、オレに八つ当たるのいい加減に止めて欲しいんだけど! お兄さんの美しい顔が、顔が、歪む! 誰か助けてえええええっ!)
 戦争中で疲れていたんだ。
 オレは初恋を諦めようと思った。イギリスなんてただの協力相手だ、昔ちょっと世話になっただけの近所のお兄さんみたいなものだ、この戦争が終ったら可愛い恋人を作って平穏に暮すんだ。
 料理が旨くて眉毛の薄い碧の目じゃない娘と幸せになるんだ、貧相な眉毛野郎の事なんて忘れて周囲に幸せをアピールするんだ、初恋がイギリスなんてカワイソーというフランスとスペインのニヤニヤ笑いが悔しいからなんかじゃないんだからなっ。……と本気で思っていた。
 このままじゃ鈍感なイギリス人に襲いかかりそうだったからじゃないよ絶対、そんな事したらヒーローの名折れだからじゃないんだぞ絶対に!
 そう。オレがイギリスを諦めて距離を置こうと決心した時にイギリスがイタリアに捕まったんだ。イギリスが敵の捕虜になってしまった。
 始め、聞いた時に嘘だと思った。枢軸側のこちらを混乱させる為の情報戦だと。
 だってイタリアだよ? ドイツならともかくイギリスがイタリアなんかに捕まるわけがない。
 イギリスの姿を見ただけで速攻逃げ出すイタリアだよ? 白旗を力の限り振って降参するイタリアだよ?
 貧相だけど喧嘩番長のイギリスがイタリアの捕虜になるわけないと思っていたら………イタリアの作った落とし穴にハマったのがオチだなんて……あんまりだ。
 イタリアだけなら逃げられるのに、ドイツにも見張られているので逃げだせないらしい。
 …という情報をフランスに聞いて真っ青になった。
 フランスは悠長に構えていたけど、イタリアはともかくドイツはドSだって噂だ。イギリスがどんな目にあっているか分ったものじゃない。あんな事やこんな事や口ではとても言い表せない事をされているかもしれないっていうのに! 悠長になんかしてられない! 
 可哀想な同盟国を助けに行くのもヒーローの役目だよね! ……というわけでイギリスを助けに行ったら……当のイギリスは普段見た事ないようなお洒落をしてイタリア娘を口説いてた。
 この人、本当にどうにかしてやろうかと殺意と性欲が湧いたよ!
 イギリスが言うには「イタリア人に変装して逃げてる途中だったんだ、イタリア人だったら美人はみんな口説くんだこれは偽装の一種なんだ」なんて言ってたけど、嘘に決まってる。人が死ぬほど心配してたのにこっちの気持ちも知らないで!
 頭にきたからイギリスなんか飛行機にぶら下げて帰ってきたよ。死ぬ死ぬ本当に死ぬとかぎゃーぎゃー騒いでいたけど、死んでないからノープロブレム。
 騒ぎのせいでイギリスを諦めようと一大決心した心がどっかに行っちゃったじゃないか!
 オレの見てないところであの人が酷い目に合うなんて我慢できない。せめて戦争が終るまでは側で見守ろうと思った。オレって健気だよね!
(健気……ですか? アメリカさんが? いけ図々し……げふんげふんアメリカさんが言うとなんか別の言葉に聞こえますねえ)
(顔色が悪いよ日本。お兄さんはアメリカを健気だと思うな、あの眉毛を二百年諦められないんだから健気を通り越して哀れだと思うよ……って、ぶたないでええええええっ)
 そんな感じで、オレがイギリスをふっきろうと決意するたび、イギリスはオレを翻弄した。
 一緒に遭難した時は本気で犯罪者になるかと思ったよ、二人きりで南国で遭難なんて青い珊瑚礁だよ、完全なフラグだよ。
 ……どうしてあの時押し倒しておかなかったんだろうオレ。勿体ない事をした。隣で無防備に眠るイギリスに完全寝不足だよ。賠償を請求するよ。
 でも。今度こそイギリスを諦めるんだ、幸せになるんだと決心した。今度の決意は揺るがないんだぞ!
 どうして今だって? 分るだろう?
 オレはそれなりにもてる。格好良さ抜群のオレがモテないわけがない。いつだって女の子がキャーキャー寄ってくる。だってオレはヒーローだからね!
 でもオレは自国民に不誠実はできないから特定の女の子と遊んだりはしなかった。
 誰かを選ぼうと思うたびに太い眉毛がチラついたからじゃないんだからなっ。
 今度こそイギリスを諦めるんだ。ジェニーと幸せになるんだ。
 ジェニーっていうのはオレの新しい恋人候補だ。オレだってイギリス以外の女の子を好きになる。
 彼女は理想のアメリカ娘を体現したような女の子だった。美人でキュートで愛らしい。ブロンドにブルーの瞳、Tシャツの布地を押し上げる豊満なバストと明朗な性格と白い歯。
 オレを本気で好きだと言った。オレが誰を好きでも諦めないと真剣な目で言われた時に、胸が高鳴った。
 ああ、オレはこの娘を好きになると分った。
 でも……イギリスがいた。オレの長きに渡る初恋の相手。悪夢のような片思い。
 ケリをつけなければ未練を引き摺ってしまう。
 ジェニーにはちゃんと未練を断ち切ってくるから待っていてくれと言った。
 健気なジェニーはオレを抱き締めて「待ってるわアルフレッド。あなたを愛してる」と言った。
 ああオレは幸せだと思ったよ。やっぱり男はこうでなくちゃ。腕の中にすっぽりと入る華奢な女の子は最高だ。……イギリスも貧相だから腕の中に入っちゃうけど。
 実らない初恋に疲れて身近な幸せを手にしたかったオレは、未練を断ち切ろうとイギリスの家に行った。不在だと出鼻が挫かれてしまうのでアポをとって訪問したら本気で驚かれた。失礼な。
 イギリスの家を訪ねるたびに焦げくさいのはどうしてだろう。
 ボヤじゃなく料理しただけだっていうのが物悲しい。テーブルの上に山積みになった真っ黒い塊はもしかしなくてもスコーンだよね。スコーンて黄色っぽいお菓子なのに……皿の上は黒一色。
「ちょ、ちょうどオヤツを作った所だったんだ。おおおお前の為なんかじゃないんだからな。し、仕方がないからちょっとだけなら分けてやるぞ」とバレバレのアピールがさらに悲しい。
「いらないよ。そんな炭の塊。オレをガンにするつもりかい訴えるよ」と言ったらこっちの良心をチクチク刺すような顔をされた。
 ……君本当に千年生きてる男かい?
 知り合いを泣かせるのはヒーローのする事じゃないから仕方なく食べてあげたよ。相変わらずジャリジャリゴリゴリしてたよ。……そんなに不味くはなかったけど。
 ……イギリスを諦めたらこの味ともお別れかもしれない。
 ……いや、イギリスの事だからどんなに邪険にしようと手作りお菓子を持ってくるだろう。だってイギリスの作ったお菓子を食べられるのはオレだけだからねっ!
(……アメリカさん、意図的にシーランド君を外しましたね……)

「今日はどうしたんだ。お前が事前に連絡してくるなんて珍しいじゃないか。雪でも降るのかと思ったぜ」
「失礼だな。用があるから来たんだよ。別に来たくてきたわけじゃないんだからね。自意識過剰だなイギリスは」
「う、うるさい! 用ってなんだ? オレに頼みでもあるのか? 薔薇でも分けて欲しいのか?」
 ウキウキという音がしそうなほど浮かれているこの人に「しばらく会いたくない。恋人ができたから。邪魔しないでくれよ君みたいな知り合いがいたら恥ずかしいからね。個人的な用事だったら会いに来るな」…なんて言ったら、完全に泣くだろう。
 これじゃあ完全にオレが悪だ。ヒーローのとる態度じゃないよ。
 オレがどうイギリスを遠ざけようか思案していると、イギリスがモジモジと身体をくねらせてオレを見ていた。
 男のするポーズじゃない、他の男がやったらカマ臭くて気持ち悪いだけだよ、でもオレの目には可愛く映るんだから末期だ、早くイギリスから離れなくちゃ。
 今日のイギリスは特別可愛く見える。やめて欲しいホントに。
「ア、アメリカ……あの……」
「なんだい、イギリス」
「や、やっぱりいい。……アメリカの用事を聞いてから話す……」
「何かオレに話があるのかい? もったいぶらずにさっさと言うんだぞ。スコーンのお代りならいらないからね」
「そうじゃなくて………。オレ、ずっとアメリカに言いたい事があって」
「奇遇だね。オレも言いたい事があったんだよ」
「じゃ、じゃあやっぱりお前の話を聞いてから……」
「いいから。さっさと話しなよ。もたもたしてたら日が暮れるだろ。帰りのフライトがなくなっちゃうよ」
「え、泊まっていかないのか?」
「仕事があるし、帰るよ」
「そ、そうか……。仕事があるんじゃ仕方がないよな。忙しいのに会いに来てくれて嬉しいよ」
 普段、会いに来てくれて嬉しいなんて本音言わないくせに、どうして聞きたくない時に言ってくれるんだろう。これがフラグクラッシャーってやつか。
 ……なんてオレは、フラグクラッシャーキング・イギリスを舐めていた。大なめだった。
 顔を赤くして青くなったイギリスに、この人大丈夫だろうかと思わず心配してたら、イギリスが、一大決心したかのようにオレに言ったんだ。
 モジモジクネクネ。
 なんか気持ちが悪いんだぞ。
 何をそんなに照れてるんだろう。
「き、気持ち悪いと思うだろうし、絶対駄目だと思うから……今までバレないようにしてきたけどいい加減限界だし我慢できなくて……つまり……オレは………ずっとアメリカが…………すすすすす、好き、だったんだ。…………あ、兄としての気持ちもある。それは揺るがない。でも………れ、恋愛って意味で……お前の事が、す、好きだ。……気持ち悪いだろう、信じられないかもしれない。…………わ、悪い。お前を不快にさせるつもりじゃないんだ。…………悪い、本当に……。あ、諦めようと思って。だから………しばらく会いに来ないでくれ。プライベートで会うと………諦められないんだ。お前が好きで好きで好きで……気持ちが抑えられない。なるべく早く諦めるようするから……。ごめん、気持ち悪い話を聞かせて。お前はストレートなのに。…………ごめん」
 オレの手からスコーンがコロコロ転がり落ちた。
 オレの耳は今なにを聞いた?
 思わずクロスを捲ってテーブルの下を覗いた。……下にフランスがいないかと。
 ドッキリじゃない?
「……君は…………ゲイ、なの?」
「違う! オレは真性の女好きだ、でっかいおっぱい大好きだ!」
「知ってるよ、君の悪趣味は。堂々とエロ本見てたからね……」
 てんぱりながらボロボロ泣いてオレを好きだって謝るこの人の気持ちをどうして疑えるだろう。これはオレが言いたくても言えなかった言葉だ。
 抱き締める以外、何ができる。
 ええい、ドッキリだとしても構うものかっ!
「あの……アメリカ?」
「うるさい。ちょっと黙ってて」
「…………アメリカ? 気持ち悪くないのか? ど、同情してるのか? 優しいなアメリカは」
「うるさい! 黙れ!」
 怒鳴ると腕の中のイギリスが震えた。オレを怒らせたと思ったらしい。
 ああ怒ってるよ、激怒だよ。人が今度こそ諦めようとしたその時に言わなくてもいいじゃないか!
 オレが好きだって? 恋愛感情の意味でだって?
 ……ふざけてる!
 でもふざけているのはイギリスを抱き締めているオレ自身だ。
 イギリスを諦めるんだろ、ジェニーと幸せになるんだろ、女の子を泣かせるなんてヒーローのする事じゃないぞ。
 なのに。
 腕の中には震えるイギリスの身体。夢に見たシチュエーション。
(据え膳食べないのは男じゃありませんよアメリカさん)
 日本の囁きが聞こえたからじゃないんだからな、ちょっと混乱してるだけなんだからなっ。
「……アメリカ?」
 オレの機嫌を損ねないようにおずおずと声を出すイギリスの唇を塞ぐ以外の選択肢はなかった。
 二百年の片思いは伊達じゃない。というか辛抱たまらん。若者の性欲舐めるなあああああああっ!
 というわけでオレはヒーローを廃業してダークヒーローになる事にした。
 ジェニーの泣き顔も後のごたごたも明後日に放り出して、衝動に任せた。
 だって……我慢できるかあああああっ!

 うん、オレはフラグクラッシャー舐めてた。
 オレが「イギリスを諦めて新しい恋に生きる」というフラグをイギリスはボキッと折ってくれた。
 幸せだからいいけど。
 頼むからこれ以上のフラグは折らないで欲しい。
 フラグが折られるのが恐いので、いまだにオレはイギリスに「愛してる」と言っていない。
 狡い男と責めないでくれ、本当に恐いんだ。
 本当に幸せだからね。この幸せを持続させるために、イギリスがフラグクラッシャーの汚名を返上するまで狡い男でいさせてもらう。
 イギリスの泣き顔も可愛いしね。