モラトリアム
第四幕


第三章

#21



「犯人達は始めから取り引きするつもりはなかったのか?」
「それは判りませんが、准将以下が司令部に帰るとエリシア嬢が見付かったとの連絡が入りました。エリシアちゃんは乳母車に乗せられ、セントラル広場の中心で眠っていたそうです。巡回中の憲兵が見つけました」
「セントラル広場? なんでそんな所に?」
「判りませんが、犯人がその場所に捨てていったと見ていいでしょう」
「目撃者は?」
「何人か。犯人か判りませんが、トレンチコートを着て帽子を被った人間が乳母車を押して来たのを見ています。姿からいって女性らしい感じはするけれど、顔は見ていないという事です。目撃者の身許は確認してあります」
「エリシアを犯人達が捨てていったという事か」
「はい。乳母車の中に犯人からの手紙が入ってました」
「手紙?」
「はい。内容の写しがあります。
『そちらが取り引きに応じなかった事は遺憾である。子供の命を蔑ろにした軍のやり方には失望させられた。しかし今回は軍の間抜けな姿を見られた事で由としよう。コックローチホイホイの虫のごとき姿には和みすら感じた。……だが次はない。次に攫う人間は返さない。その事を覚えておけ。我々は次回もまた『蒼い貴婦人』を希望する。淑女も幼い子供の為なら喜んで身を捧げるだろう。次は誰の子供が攫われるか、期待して待っていろ。すぐに連絡する』……だそうです」
 ロスの読み上げた内容にヒューズは判らないという顔をする。
「蒼い貴婦人ってなんだ?」
「ブルーダイヤモンドの事です。『蒼い貴婦人』という名前がついています」
「御大層な名前だな」
「銀行の貸し金庫の中にあるくらいですから」
「中佐の子供ごときじゃ金庫の中から出せないって?」
 ヒューズの尖った声にロスはなだめるように言った。
「独断で決めたのはロックハート准将です。……今回の失態で大総統のお怒りをかったので、捜査本部から外されるかもしれません。准将は『犯人達は始めから取り引きするつもりはなく、軍をコケにするのが目的だった』と抗弁していますが」
「他の人間の見解は? ロス少尉はどう思った?」
 ロスはしばし考えた。
「私は現場に出ておりませんでした。グレイシアさんについていたので。……考えを述べてもよろしいなら私見を述べます。確かに倉庫にあった仕掛けの事を考えると軍を翻弄する事が目的だったと考えられます。軍を足留めする為とはいえ、あれでは取り引きも何もないですから。……しかし取り引きするつもりがなければ、犯人は危険をおかしてまでわざわざ現場には行かない。犯人達は軍人達のごく近くにいたのです。数多の軍人達に気がつかれずに通信機を壊し、車をパンクさせました。見付かる可能性の方が大きかったはずです。一瞬煙幕で視界が遮られたとはいえ、ありえない失態です」
「確かにな……」
 ヒューズも考え込んだ。単純な誘拐かと思ったが、犯人達はやる事がいちいち手がこんでいる。……とはいっても内容はかなり子供じみている。まるで子供の悪戯だ。しかし功を上げているのも本当だ。
 誘拐犯は今までにないタイプだ。どのカテゴリーにも入らない。軍をからかう目的の愉快犯に近いが、ちゃんと身代金は奪っている。
 どこか緊張感に欠けている。大胆かつ適当で金銭に執着していない。
 そういえば四回目の誘拐の時もあっさり諦めた。
 しかし一方で的確に動き無駄がない。うまく軍を動かして主導権を握っている。だから十回も軍と対峙しながら影も掴ませない。
 犯人達は相当頭が良い。
「とにかくエリシアが無事で良かった……」
 ヒューズが今考えるのはその事だけだ。
「はい。エリシアちゃんに怪我はありませんでした。今まで誘拐された子供同様、無傷で帰されました」
「なあ、エリシア。昨日、パトリシアちゃんのおうちにいた時の事を覚えているか?」
 ヒューズがなるべくいつもどおりの優しい声で尋ねると、エリシアは「えーとぉ…」とたどたどしい声で話し始めた。
「パティちゃんとケーキをたべたあと、いっしょにおにんぎょうで遊んでたの」
「その後は何の遊びで遊んだんだ? かくれんぼか? それともお絵書きか?」
「ううん。…………えっとね、おにんぎょうがあるいてきたの。そうしてエリシアといっしょにあそびましょうっていったの」
「はあ。お人形がか……。ええと歩いてきたのか?」
「うん」
「どこから?」
「わかんない」
「お人形が遊びましょうって言ったのか?」
「うん。エリシアのことしってたの。いっしょにあそびたいっていったの」
「エリシア。お人形は普通喋らないよ?」
「しゃべるおにんぎょうもあるよ。ミレーヌちゃんとか」
「ミレーヌちゃんは声の出る仕掛けのあるお人形だよ。……って事は人形に仕掛けがあったのか? ……なあエリシア。そのお人形はどのくらいの大きさだった?」
「……このくらい?」
 エリシアの広げた手の大きさは二、三十センチ程度か。
「クマのタンタンくらい?」
「うん。おんなじくらいだったよ」
 最近エリシアのお気に入りの白いクマのぬいぐるみと同じくらいだと聞いて、ヒューズはそんな事があるのかと思った。
「エリシアは犯人の姿を見ていないのか」
「そうみたいです。幸いというか残念ながらというか、今回も情報はゼロです。聞いてもエリシアちゃんは同じ事を繰り返すだけです。……子供だから妄想と夢がごっちゃになって区別がつかないのだろうと思うのですが」
 ロスがそう言った。
 ヒューズは娘の頭を撫でながら言った。
「エリシア。……お人形さんはひとりじゃ歩けないんだよ? 誰か一緒にいたんじゃないのかい?」
「いないよーだれも。ブラハだけだよ」
「ぶらは……ってなんだ?」
「おにんぎょうさんのなまえだよ。かわいーなまえでしょ?」
 首をかしげる娘は写真に写したいほど愛らしかったが、ヒューズはただ首を傾げるばかりだ。
「エリシアちゃん。そのお人形は二本足だったのかな? それとも四本足?」
「?」
「パパやエリシアみたいに足だけで歩いていたのかな?それとも犬やネコさんみたいに手も使っていたのかい?」
 判りやすい説明にエリシアはVサインを出した。
「に……ほんのあしだよ。エリシアみたいにテコテコってあるいてた」
「そっかあ……。じゃあそのお人形は男の子だったのかな、それとも女の子だったのかな? それともクマさんとかウサギさんだったのかな?」
「おんなのこ。ピンクのドレスをきてたの。きんぱつでくるくるおひめさまなの。かわいーの」
「そーお姫さまなのか」
 一生懸命話す娘をいじらしいと思うのだが、話の内容はさっぱり要領を得ない。
 笑顔のままロスを振り向く。
「『ブラハ』という約三十センチ程度の女の子人形がエリシアと会ったって?」
「エリシアちゃんの証言が正しければそういう事になりますが」
「報告書にとても書けないぞ」
「一つ気になる事が」
「なんだ?」
「今まで誘拐された子も人形に誘われてついて行ったと証言しています。歩いている人形についていったらいつのまにか人形の国に来ていたと。子供が夢でも見たのではないかと思われていましたが」
「……なんだそれは」
「さあ。私にも判りかねます。だけれど子供の多くがそう言うのには何か訳があるのでしょう」
「どんな訳だ?」
「判りません。暗示をかけられたか、それとも監禁されていた部屋に人形が置いてあったとか、人に動かされたマリオネットを見てすっかりそう思い込んでしまったのかそれとも……」
「それとも?」
「エリシアちゃんの言う事が全て正しくて、何かの仕掛けがされて自動的に動く人形がいるとか」
「どんな仕掛けだ。オモチャ屋で買えるような単純な仕掛けでは無理があるぞ」
「可能性を言ってみただけです。本気で信じてはいません」
「そうだな。可能性をできる限りあげてみるしかないか。……今での事件を洗い直してみよう」
 ヒューズは眼光を鋭くして呟いた。
 エリシアがふぁーと大きな欠伸をした。
「エリシアちゃん、眠いのかい? おうちに帰っておねんねする?」
「パパといっしょにかえる」
「パパはまだお仕事があるんだ」
「やーパパとがいいのぉ」
 舌ったらずの声にねだられてはヒューズも弱い。
 仕事は山積みだし今回の件もすぐにでも調べたいし家族サービスしている場合ではないのだが、娘が怖い目にあったのだから一日くらいは側にいてやりたい。グレイシアも昨日は生きた心地がしなかっただろう。慰めてやりたい。
 なぜこんな時に側にいてやれなかったのかとヒューズは悔やんだ。
「ここはいいので中佐はお帰り下さい」
 ヒューズの心情を察してロスが申し出る。
「悪ぃな、少尉」
「いいえ。今日は家族サービスしてあげて下さい」
 ヒューズは妻と娘を抱いて、今日だけは家族の事だけを考えようと思った。
 しかし今日が終わったら。
 絶対に犯人を捕まえる。何としても捕え、償わさせる。
 命より大事なものに手を出された男の肚は煮えたぎっていた。







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