モラトリアム
第四幕


第一章

#02



「……ってグレイシアが言ってよ〜。もー可愛いったらないよな、うちの奥さん。それに輪を掛けて可愛いのが愛しのエリシアちゃんでな。この前公園に一緒に散歩に出掛けたらなー…」
「ヒューズッ! いい加減にしろ。軍の回線を使って惚気るんじゃない。私は忙しいのだ。いい加減電話を切らせろ」
 ロイは我慢できずに一気に怒鳴った。
 だが相手は家族愛では誰にも負けないヒューズで、ロイの苛つきなどそよ風程度にしか感じていない。
「いいじゃねえか。一般回線だと電話代が掛かるんだよ。こうしてオマエに可愛い可愛いオレの妻子達の事を話すのはやっぱり直通電話(無料)じゃねえとな」
 チュッチュッと聞こえる音はヒューズが写真にキスをしている音だろう。
 ロイのこめかみに血管が浮き上がる。
「中央は目の回るような忙しさの筈だぞ。なんで情報部のオマエがそんなに暇そうなんだ」
「そりゃあ、愛の力ってやつだ」
「阿呆。愛では腹も膨れんし仕事も終わらん。愛で仕事が回れば私なんかとっくに終わっている。キサマの部下が背後で泣いているのが見えるぞ。残業を部下に押し付けるな」
「オレの愛はロイとは違って重いのさ。オレみたいに本物の愛があれば仕事だってへっちゃらであっというまに終る。家族の為なら苦労なんか感じないぜ。愛は何者にも勝る。どんな苦労だろうとグレイシアとエリシアの前では喜びに変わるんだぜ。だからオマエも早く結婚しろ」
「ぬかせ。私までヒューズのようになったら『うざい、死んでください』と中尉に撃たれてしまう。……いい加減私を仕事に戻らせろ」
「ロイ。いつからそんな仕事熱心になったんだ? できる限りサボろうと余計な努力をする可愛いオマエは何処に行った?」
「中尉の銃口の前には努力も裸足で逃げ出すさ。私の事を思いやるなら電話を切って仕事に戻れ」
「えー、もっとエリシアちゃんの事を話したいのにー」
 男が語尾を伸ばすなとロイは親友のわざとらしさにうんざりする。
「これ以上何を話す気だ」
「そりゃあもう、この山程溢れるエリシアちゃんの魅力について語り合おうじゃないか」
「語っているのは一方的にオマエの方だろ、ヒューズ」
「まあまあ。ロイも結婚したらオレの気持ちが判るぞ。気立てのいい女性を紹介してやろう。おまえもそろそろいい年なんだし、身を固めてオレみたいな幸せな家庭を築け」
「美しい女性なら東部にも沢山いる。余計なお世話だ」
「余計なお世話じゃなくて、親友の友情さ。愛の不足した可哀想なロイに温かい家庭のありがたみを教えてやる。マイホームパパの幸せを分かち合おうじゃないか」
「ありがた迷惑という言葉を知っているか?」
「知らん」
 きっぱりと言い切るヒューズと背後からの剣呑な空気に、ロイは何があろうとあと一分で電話を切ろうと決意した。
「ヒューズ、話が家族自慢以外にないなら切るからな。私を貴様の私用電話に付き合わせるな。こっちは本当に多忙なんだ」
「あっははは。ロイちゃんは都合の良い時だけ仕事熱心になるな。…………じゃあ仕事の話だ。……国家錬金術師連続殺人事件の話は聞いているか?」
 うって変わったヒューズの真面目な声に、ロイもスッと気を引き締める。
「ああ。その話なら鋼のから聞いた。こちらに情報が来るのが遅れたのは、やはり箝口令がしかれていたからか?」
「そうだ。国家錬金術師を対象にした連続殺人犯に関して、いまだ小さな情報すら入ってこない。人間兵器をあっさり殺るなんてどんなバケモノなんだか。上層部はピリピリしている。この事が外に漏れれば軍の恥だからな。今こっちは空気悪いぜー。大金と特権が与えられた国家錬金術師達があっさり殺されて犯人の手掛かりもないなんて、軍の面目は丸つぶれだ。しかも学者だけじゃなく、格闘技に精通した軍人も例外なく殺されているんだから尚更悪い」
「犯人は相当の使い手という事か。聞いた話では死体はかなり破損しているという事だが、道具はなんだ? 銃、それともナイフか? 爆発物?」
「まだ確定できないでいる。爆発物でも使ったのか、皆一様に内側から破壊されている。けど火薬の匂いがない。普通の爆弾じゃねえ感じだ。つまり手口は不明。ただ抵抗の跡が少ない所を見ると一瞬で殺された事が判る。相当の手だれだというのは間違いないぞ。おかげで中央にいる国家錬金術師達は震え上がっている。好戦的なのはグランのおっさんくらいだぜ」
「バスク・グラン准将か。……彼と犯人がぶつかってくれれば何か判るかもしれんな。犯人に同情するよ。あのオヤジは格闘技の達人だ」
「はは、そうかもな。そううまくいけばいいがな。……国家錬金術師殺害はセントラルが中心だからそっちはまだ安全だろうが、気をつけろよ。いつ犯人が東部に流れていくか判らないし、焔の錬金術師の名は売れているからな。格好の標的だ」
「ああ、充分気をつけるさ。まだ死ぬわけにはいかないからな。……だが軍内部で情報が切断されているのは困るな。国家錬金術師殺害をセントラルだけの情報として隠蔽するなど、何かあってからでは遅いというのに。対応が後手に回っては犯人に逃げる時間を与えるだけだ。上層部は他都市の国家錬金術師はどうでもいいと思っているのか」
 憤慨するロイにヒューズも苦い声で言う。
「今のところ国家錬金術師が殺されているのはセントラルだけだからな。犯人がこっちにいる限り、他の都市への影響は少ない、それより外に失態を知られたくない。……というのが上層部の意見だ。……まあ、確かに殺人犯がセントラルにいるのは間違いないんだし、東部にいるオマエさんや他の場所にいる国家錬金術師達にわざわざ知らせなくても…と考える気持ちは判らなくもないが、そりゃうまくない。何かあってからじゃ遅い。……情報は送ってやるからロイは大人しくしてろよ。今オマエさんが目立った行動をとれば犯人の目を引く。自分から標的になる事はない」
「判ってるさ、ヒューズ。しかし上層部は呑気なものだな。軍人が何人も殺されているというのに、メンツの方が大事か」
「いつもの事さ。どこか他人事なんだろうよ。高官が無差別に狙われているなら警戒もするが、狙われているのは国家錬金術師達だけだからな。国家錬金術師でない普通の軍人は犯人逮捕に燃えていても殺される恐れは薄いから、警戒心も薄い。そこが緊張感を削いでいる原因だな。それにもう一つの事件の方に皆集中しているし。皆そっちの件に関心が傾いてる」
「……例の誘拐事件か」
「ああ。今まで起こった誘拐は合計で九件だ。ちょっとありえない数字だな。身代金目的の連続誘拐はあっても二、三回が限度だ。長く続けりゃ必ずボロが出るからな。こんな回数はありえないぞ。ここまで事件を起こせば多少は相手の情報が入ってきそうなものだが、なぜか犯人の情報は欠片さえ漏れてこない。完璧な完全犯罪だ。犯人はかなり慎重に動いている。それこそ針の落ちる音さえ漏らさないくらいに。ここまで頭が切れて理性的な犯罪者が今まで表に出てこなかったんだから、裏の世界は奥が深い」
「その話は聞いている。誘拐場所がセントラルに絞られているからこちらは蚊帳の外だが、情報は集めている。九回も身代金の引き渡しがありながら一度も犯人の姿を捕えられないとはどういう事だ? 腑甲斐無いにもほどがある。そっちの担当者はよっぽど間抜けなんだな。九度も犯人に裏をかかれるとは。ありえん数字だ」
「それを言ってくれるな。最初、犯人逮捕を直接指揮したのはコルテス将軍閣下だぜ。孫娘を誘拐されて怒髪天つき激とばしすぎて失敗した。頭に血が昇り過ぎて冷静さを失ったゆえの失態だが、犯人達が一枚も二枚も上手だったってのもある。 連続の失敗の責任問われて
大総統から誘拐犯捜索の指揮権を取り上げられた。三回目の誘拐の捜査チームの担当者はバークレー少将だ。無害そうな顔してるが、内側の冷静さ冷徹さでは定評がある。コルテス将軍のような失敗はしないと誰もが思っていたが、犯人達の方が上手だった。しいていた配備網をかいくぐって身代金は奪われた。もっとも取られたのは現金じゃなく、黄金五キロ分だ。札束よりよっぽど運びやすいしさばきやすい。今頃はどっかの工場で姿を変えちまって原形留めていないだろう」
 ロイは怪訝な顔をした。
「軍を相手取った誘拐にしては身代金の額が半端だな。将軍の孫とかならもっと金額が上でもおかしくない。誘拐の回数を減らして一回の取り引きで大金を奪う方が危険は少ないだろうに」
「確かにそう考えるのが普通だ。回数を重ねればそれだけ危険度は増すからな。だが発想を逆転すればそうとも言えない。一回の要求金額が少ないから身代金の用意はすぐにできる。それこそ銀行で十分で引き出せる金額だ。犯人から身代金受け渡しを『今から三十分後だ』と指示されても、難しいと一蹴できない。普通なら大金を用意するのに時間が掛かると言って交渉を引き延ばせるが、金額が少ないからそれが使えない。最初の脅迫電話を受けてから三十分で身代金引き渡しでは、ろくな準備もできずに現場に向う事になる。なんとか現場に部下を配備させても電話一本で場所を変えられるし、行動力でも頭脳でも相手の方が上手だ」
「一番最初の連絡から三十分で身代金引き渡し? いくらなんでも早すぎないか?」
 さすがのロイも予想外のスピードに呆れた。今までにそんな例は一度もない。
「聞いてないのか? いきなり中央司令部に電話が掛かってきて『アレッキオ・コラン准将の娘、ジェイミー・コランを誘拐したから三十分後に身代金としてインゴット五キロ分を持ってドワーズ大橋の上に来い』とだけ言って電話は切れる。または『コルテス将軍令嬢キャロラインを預かっている。引き換え代金として中央銀行に保管されているイエローダイヤを封筒に入れ、今から三十分以内に西方司令部宛にして発送しろ』とか指示が入る。三十分しか時間がないからこちらはほとんど何もできない。当然配備は穴だらけ」
「しかし郵送なら追跡できるだろう」
「それが何時のまにか封筒の中身が入れ代わっていたんだ。封筒は厳重な警戒態勢の中で運ばれた。だが西方司令部についた封筒を開けると中身はただの石ころに代わっていた。途中どうやって入れ代わったのかまったく判らない。関わった軍人、配達人すべてを調べたが疑わしい点は何も出てこなかった」
「三十分では無理だと言い切れば良かったのでは?」
「四度目の誘拐でそうしたら……」
「まさか人質が殺された?」







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