#30



 下の梁が裂けて砕けているのが目に入り、エドワードは息を飲んだ。
 橋桁が何もしていないのに壊れ始めている。
 どういう事なのか判った。鉄道の重みに耐えられず崩壊が始まったのだ。
 見た目に橋は壊れている様子も爆発された様子もなかった。なのに崩壊し始めている。
 錬金術なのかもしれない。柱や梁を脆い素材に変える。もしくは鉄柱の中をスカスカの空洞にする。見た目は変わらなくても、中身はハリボテだ。
 軍人達は爆弾の有無や破壊の箇所を調べても、見た目に変化のない鉄橋などは詳しく調べなかったのだろう。
 陸橋を支える支柱や梁の主要な部分を全て脆い素材に変えてしまえば、通過する列車の重みで橋は自壊する。普段よりも乗車率が上がり、車体の総重量は増している。車両が全て橋の上に乗ってしまえば、橋は重さを支えきれず、何もしなくても砕けて落ちる。
 エドワードが止めた為に列車は半分しか橋に掛かっていなかった。だからすぐには崩落しない。
 だが過重は徐々に橋を圧迫し始め……そして。
 一ケ所が壊れ始めれば、あとは連鎖だ。脆くなった梁は次々に壊れ始める。
 先頭車両
は鉄の固まりの蒸気機関車と、大量の石炭と、満タンの給水車。
 そんな重たい物を支える力は今の橋桁にはない。
 下方から砕け続ける陸橋。支えを失い、たわむ線路。
 鉄が崩壊する音が下から聞こえてくる悪夢。……いや、現実だ。

 エドワードは必死にレールにしがみついた。
 車輪が外れて横倒しになる蒸気機関車が目に入った。連動して倒れる客車。
 上がる悲鳴。叫び。
 スローモーションのように列車が重みで先頭から落ちていくさまを目にした時。
 エドワードは咄嗟に両手を合わせた。

 橋は……脆く造り変えられている。材料が足りない。土台を支えるモノが必要だ。どうすればいい?
 空いた空間から下に見えるもの。流れる河と、木々と、崖。落ちる汽車と自分。もう間に合わない。

 ……ンなわけねえっ!
 コンチクショウ! 死んでたまるかっ!
 リバウンドなんて知った事か!

 落ちていくモノを上に持ち上げるのは無理だ。重すぎる。ならばそれ以上落ちなければいい。
 両手を、崩れ続けている線路につけた。
 錬成の光が上から真下に一直線に走る。

 ミシミシミシガラガラ。
 ありえない音が下から持ち上がってきた。
「クソッタレッ!」
 エドワードは叫ぶ。
 倒れる身体が、土台に身体が支えられた。
 落下が止まった。揺れも止まる。
 力つきてエドワードはその場に転がった。
 ハアハアと息を乱して上を見る。空は青かった。
 どうなったのか判らない。だが破壊音と落下が感じられないので、一応助かったらしい。
 自分は何をしたのだ?
 どうにか首を動かして足元を見ると、汽車が横倒しになっているのが見える。玩具みたいだ。
 汽車が倒れた衝撃で怪我人が出たかもしれない。けれど列車ごと落ちて即死するよりはマシだろう。

 畜生。身体が動かない。力量以上の錬成を行ったせいだ。それに九歳の身体は、まだ錬金術を使いこなせていない。身体と中身の力量が違うので、精神と肉体が不具合を起こしている。
 頭がクラクラした。無茶をし過ぎた。
「でもまあ……」助かったのだからいいか。
 エドワードは空を見ながら思った。

「なんだ、こりゃ」
「一体何が起こったんだ?」
「見ろ!」
「うわっ!」
「これは?」
「凄いっ!」
 何が凄いんだかオレにも教えてくれと、自分のした事を見たくなったが身体が動かないので、誰か来てくれないかと思った。あーもー空が青い。
 人の声と様々な音。
 なんか安心したら眠くなってきた。というより疲れすぎて、もう駄目。貧血を起こして視界が回る。

「……大丈夫か?」
 しばらくして上から声が降ってきた。
 聞き慣れたムカツク声に、目を開ける。
 逆光で顔が影になっていたが誰だか判った。
「うわ………童顔。…若っ」
「誰が童顔だ」
 エドワードは安堵する自分に気が付いて顔を顰める。
「アンタかよ……」
「キミは……何者だ? キミがこの崩落を止めたんだろう? キミの足元から錬成の光が見えた」
「うん。……そっか、見てたんだ」
「キミは錬金術師か。素晴らしかった。キミは沢山の人間の命を救った」
「天才だからな」
「エドッ!」
 ハボック准尉の声がした。遅いよ。
「ハボック! 貴様何してる!」
「ゲッ! 中佐、何でいるんスか!」
 どうでもいいから起こしてくれ。身体が動かないんだ。
「じゃあ……キミがエドワード・エルリックか?」
 驚愕の顔に溜飲が下がる。
「初めまして。……こんな格好でだけど容赦しろよ。リバウンドで身体が動かない」
「キミは……何者だ?」
「錬金術師だよ。……宜しく、ロイ・マスタング中佐」

 ロイ・マスタングは奇蹟の錬成を行った年若き錬金術師を見下ろした。
 崖の土を盛り上げ、崩壊する橋を支えた錬成は見事だった。
 ロイが気が付いた時には、もうソレは始まっていた。
 目の前で砕けた陸橋。線路が歪んでたわみ、レールから外れた先頭車両が、崖下にずり落ちていく。
 誰もが次に起こる悲劇を予想して硬直した。
 落ちる! どうにもできない。
 悪夢のような一瞬が目に入った時。
 光が走った。
 目を凝らす。一番前に誰かいた。小さくてよく見えない。光が一番下に届いた後。柱の崩壊が止まった。
 ガラガラと幅数十メートルの岩が盛り上がり、線路の下に届いたのだ。落ちる筈の列車と線路は盛り上がった岩に支えられ、止まった。そうして子供が一人その場に倒れた。
 誰もがそれを見て固まっていた。現実の事とは思えなかった。誰もが言葉を失っていた。
 一瞬後。ロイは走った。何が起こったのか判らなかったが、自分の目で確かめなければと思った。背後で「危険です」という声が聞こえたが、構わなかった。一番危険な場所にいた子供が倒れているのだ。
 その子の側に立ち、目が合った瞬間、この子だ、と思った。根拠はないがこの子が崩落を止めたのだと判った。金色の瞳の中に太陽が見えた。
 声を掛けると子供は笑って、ついで顔を顰めた。
 何がそんなに可笑しいのだろう。
 安堵するような、苦笑するような表情だった。
 状況を把握していない顔ではない。全てを判っている顔だった。一仕事やりおえた充足感と清々しさがあった。
 どうして、誰だ? と思った。
「エドッ!」部下の声が聞こえた。
 そうか。と思った。この子がそうなのか。
 自称天才の子供はロイを見てクスリと笑った。空の青を映したような笑みだった。
「キミは……何者だ?」
 どう見ても子供だが、目の前に起きた事は奇蹟だった。子供は奇蹟の具現だ。
「エドワード。キミは本当に何者なんだ?」
 問わずにはいられない。
 エドワードは焔を宿した目でロイを見上げて言った。
「オレは……鋼の錬金術師だ」
「鋼の……錬金術師」
 具現の名前が判った。
 やっと子供の形が見えたと思った。
 背後で驚愕する軍人達とロイ・マスタングのしたたかな笑みを見て、エドワードはロイに真直ぐ手を伸ばした。







    モラトリアム/春の章・終わり ----夏の章に続く

 








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