あなたと私の生存戦略(空折)
■sample/01■
「折角の休日だから外に出かけたいね。……どこか行きたい場所はあるかい?」
キースはバケットを齧りながらぼろぼろとパン屑を落としながらニコニコと聞いてくる。
子供みたいだなあとイワンは思うが、本当に子供だったらイワンはこんなに混乱していない。
完璧でない素顔のキースが可愛いとイワンは思う。
キースはいつも楽しそうだが朝食のテーブルではとくに笑顔が眩しい。
理由を想像すると「朝食が美味しいから、天気がいいから、休日でのんびりできるから、目の前に恋人のイワンがいて幸せだから」……という所だろう。
イワンが目の前にいるという事実がキースを幸福にしている、らしい。イワンはまだ信じられない。
恋人と愛しあった翌日に一緒に食べる朝食は美味しいに決っている……という所かもしれない。
聞けば想像に違わない答が返ってくるだろうから、イワンはあえて聞かない。
キースの口から聞いてしまえば威力百倍だ。
拙者なんかがキースさんの幸せに貢献してるなんて光栄でござる、なんて折紙サイクロン口調でテンパってしまうに違いない。
恋人同士になってもイワンの性格は変わらない。
そしてキースも変わらず天使のままだった。……ベッド以外は。
イワンはキースの男の顔なんて知りたくなかったし、天使のままでいて欲しかったが、今更だった。
特別な人しか見られないキースの顔を知っているのだから光栄に思わなければならないのかもしれないが、あんまり思えないでいる。というかあの時の顔は恥ずかしすぎて朝日の中では思い出したくない。自分の痴態まで思い出されるから相乗効果で羞恥倍増だ。
「天気が良いのでジョンを連れていける場所がいいですね。シュテルン湾の方の公園はどうですか? あそこのオープンカフェは犬用のメニューがありますし」
「それはグッドな提案だイワン君。素晴らしいよ。さあおでかけだ、そしておでかけだジョン」
ヴォン、とジョンがキースの声に応えるように吼えた。
「ブログのチェックをやってから出たいのでパソコンお借りします」
「いいよ、いつでも使っていいんだよ。許可はいらない。いつでも使ってくれたまえ。仕事用の資料にはロックがかけてあるから遠慮はいらないよ」
恋人であっても、恋人だからこそ一線を保持しなければいけないのが大人のルールだ。互いに違う社に所属しているのだから、仕事には触れないのが当然だ。
「はい。ありがとうございます」
礼儀正しいイワンを好ましく思うと同時にもっと甘えてくれてもいいのに、なんてキースが考えているなんてイワンは知らない。
イワンは実は「一度戻って自室でブログのチェックをしてから出かけたい」と言おうと思ったが、言わなかったのは、キースが「それじゃあわたしもイワン君のおうちについていく」と言い出しかねないのでやめたのだ。
キースにイワンと距離をとるという選択肢はない。
普段一緒にいられない分、プライベートで足りないスキンシップを補うという恋人がいる男としてはごくまっとうな思考でイワンを縛ろうとする。
ごく一般的とは言い難い奥手なイワンは、キースとの距離がいまいち掴めないので、相手のペースに流されないだけで精一杯だ。
イワンだって一緒にいたいが……身体を重ねた朝はどういう顔をしていいのか判らないのだ。
距離を置きたいのはキースを疎んじてではなく自分の中の気持ちの整理をしたいからだ。抱かれると頭の中がグチャグチャになってしまう。
「じゃあ今日はおでかけだね、デートだね」
「はい。二人で……じゃなくみんなでゆっくりしましょう」
■sample/02■
朝起きたら裸で、知らない部屋でシーツにくるまっている、なんてシチュエーションはTVの中だけだと思っていたイワンは、自分がその立場になって始めて「一夜のアヤマチ」という単語の重大さを知った。
というか……ありえない場所の痛みに呻いてシーツを握り絞めて「これは夢でござる夢でござる」と呟いた。呟くしかなかった。喉が枯れて声がうまく出てこなかった。
裸、ベッド、知らない場所、尻の痛み。
導き出される答は考えたくもない最悪のファイナルアンサー。
自分が男と。女性ともまだなのに!
お尻が最初だなんて!
なんという悲劇!
……もしかして犯罪の被害者になったのだろうか? ヒーローなのに。
あまりにありえない展開だ。
しかし最悪といってしまえばそれは微妙に違う、かもしれない。そこまで底辺ではない……と思いたい。
場末の安モーテルのベッドでSMまがいの被害者状態で起床、に比べれば清潔なシーツの上、身体も尻以外は異常はなく(喉が少し痛い……空気が乾燥しているのだろうか)そう酷い事はされている様子はない。
酷い事の定義がセックスの有り無しならやっぱり最低ラインに觝触しているかもしれないが、どう考えても強姦ではない。ということは合意の上で突っ込まれたという事だからイワンは被害者にはなりえず、尻の痛み以外のアレコレに被害者意識を持ってはいけないという事だ。
だって合意の上でしたのだったら、被害者意識を持つのは間違っている。
イワンの数少ない性知識でも判る常識だ。
という事はイワンは誘われて見知らぬ男との情事を快諾したのだろうか。考えたくもない想像だ。
裸でベッドにいるという点で、相手は異性であって欲しかった。事故のような情事であっても、事故だからこそ後悔は少ない方がいい。
初めてで同性……というのはハードルが高すぎる。というかハードルではなく、もはや旧ソ連時代のベルリンの壁。越えられない。徒手空拳でチョモランマ登山に挑戦するようなものだ。
イワンはそろそろと身体を起こして周囲の状況を確認する。やっぱり身体が軋む。
相手に見つからないうちに逃げたいと思ったが、相手の顔を確認しなければ後々まで疑心暗鬼にとりつかれる事間違いなしだ。
自室ではない、という事はホテルか……と思いきやそうでもないらしい。
どこかで見たような記憶がある部屋のインテリア。
なんだか嫌な予感一杯だ。
もしかして知り合いの部屋だろうか。
だとしたら相手はイワンの顔見知りかもしれない。というか……その可能性大。
だって人見知りのイワンが知らない男とベッドを共にするとはとても思えない。
なら相手は知り合いしかない。
としたら、相手は……誰だ?
昨日何があったのかと、イワンは数時間前の行動を必死に思い返す。
昨日はヘリペリ本社に顔を出した後、トレーニングしにジャスティスタワーに寄った。トレーニングルームでばったりキースと一緒になり、夕食に誘われイタリアンの店でピザをたらふく食い(キースが奢ってくれたイワンは一応遠慮した)キースに誘われるまま彼の家に遊びに行った。そしてキースが夜のパトロールに出てる間、ジョンの相手をしながらブログのチェックをして………それから。
イワンはじょじょの青ざめる。
さっきとは違う危機感に心まで青く染まる。
思い出す記憶に別の意味で焦燥した。
……で、寝て起きたら…………裸で…………事後だった。あんまりだ。
これはキースばかりが悪いのではない。…と思う。
キースは意識にない人間を襲うような下種ではないから、きっとキースはイワンに許可を求めたに違いない。
そしてイワンは泥酔して適当に「いいですよー」とでも軽く返答したのだろう。酔っ払いの言葉に責任はないが、結果を被るのは自分だ。
それからキースの勢いに押されていつのまにか恋人同士だ。イワンには考える暇もない余裕もない。
自分に問いたい。何故だ? 翌朝、呆然とベッドで目覚めたイワンは、自分の状態を知り、居場所から相手を知った。告白も思い出した。
痛む身体をなんとか起こして、服を身につけてキッチンにいるキースを見つける。
なんと声をかけていいか判らなかったが、イワンに気付いたキースがそれはそれは晴々とした笑顔で「おはよう、そしておはよう。最高の朝だねイワン君。……いやダーリン」と愛と幸福の絶頂を見せつけたのでイワンはその輝きにくらくらして考えていた事がポーンと抜け頭が真っ白になって気付いたら朝食のテーブルでオレンジジュースをすすっていた。
テーブルには珍しく幾種類かのパンが並んでいる。
バターの香り高いクロワッサンの生地をぼろぼろ零しながら「あ、美味しい」と無意識に言えばキースもとろけそうな顔で言った。
「いつも買うパン屋の人が勧めてくれたんだよ。最高の焼きあがりだからって。わたしはしっかりしたバケットの方が好きだけど、イワン君が喜ぶのを見たくて君の為に買ってきたんだ」
「……ありがとうございます」
おしつけがましい言葉もキースがいえば優しい愛の響きに聞こえるから善良ハンサムは得だ。
イワンはボーっとキースの愛に当てられながら思考を放棄して(何も考えたくなかった)……流された。
無理矢理されたのではないから、なんでしたのか尋ねるなんて野暮だ。
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