魔法使いの弟子
(空折)






■sample/01■

「ファイヤーくん、ありがとう。君の気遣いは嬉しい、そして嬉しい。……実は女性に振られてしまったんだ。心ならずも泣かせてしまった。……だから少し落ち込んでいる。わたしは悪い男だ、バッドマンだ」
「……えええええええええっ? ちょっ、ちょっとスカイハイ! あんた彼女いたの? 振られたってどういう事よっ!」




 少し離れた所では、二人のだだ漏れた会話を聞いていた同僚達が溜息と共に突っ込んでいた。
「……誰かあいつに女性とのつき合い方教えてやれよ。普通知ってなきゃいけない事、ずっぽり抜け落ちてるぜ。天然すぎんだろスカイハイ」
「そこがスカイハイのいい所じゃない。……でも確かに天然ボケきついよね。ボクがあんな事言われたらショックで殴ちゃうかも」
「確かに。女心全然分ってない。分ろうともしないところが駄目よね。誠実って時に残酷」
「し、師匠は悪気はないんですよ、悪気は。……ただちょっと素直すぎるというか情緒が小学生なだけで…」
「悪気がないからタチ悪いんだろうが折紙。小学生って、今の小学生の方がよっぽどしっかりしてる気がするぞ。二十五歳過ぎてまだ小学生かよ、中二病にまで行き着いてないのかよっ…」
 アントニオ、パオリン、カリーナ、イワン、虎徹は顔を合わせて、大事な同輩の失敗を呆れながら憂いる。
 つっこみ所が多過ぎて逆につっこみ辛い。
 ハンサムで努力家で善良で天然なヒーローの王様を皆が愛していた。
 相談役のネイサンも天然攻撃を炸裂させるキースにかける言葉が見つからない。
 狡い男なら叱咤するし、弱腰なら尻を蹴っとばせばいいが、善良前提の天然相手だ。一概に「あんたが悪いわ」と言えない。
 キースの失敗はすべてその『善良な人格の半分は優しさと天然でできています』から生じたものだ。下手に下世話な知恵をつけて、希有な輝きを欠いても困る。
 キースはこの性格だからキングたりえるのだ。
「ねえキース。それで彼女とは駄目になっちゃったのね。泣かれてフェイドアウトしたの? 彼女を傷つけてしまった事を後悔しているのね」
「勿論だ、女性を泣かせたのだ。わたしは悪だ。反省している、とても反省している」
 キースは肩を落としてしょんぼりしている。
 ああショボンハイだと皆が思った。
「可哀想でござる師匠……」
 弟子のイワンはスカイハイ贔屓だ。落ち込むスカイハイに何と言って元気づけようか悩む。
 しかし女子高生は冷静で評価が厳しい。
「ちょっと、可哀想なのは天然のキースに振り回された彼女でしょう? そうやってスカイハイを甘やかさない! 天然だからって許されない事があるわよ。子供じゃないんだからっ」
「ボクはどっちもどっちだと思うな。スカイハイはちゃんとお断りしたんでしょ。友達からなんて嘘言った彼女も悪いよ」
 どちらかというとホァンの方が公正だ。
「ホァン。こういう場合は女じゃなく男が悪いの。それが相場よ」
 カリーナは主張する。女心を傷つける男は理由がどうあれ悪なのだ。
「恋愛の相場なんてボク分んないよ」
 ホァンは口を尖らせる。
 運悪く女性を傷つけてしまったスカイハイにネイサンは仕方がないわねと慰める。
「スカイハイは恋愛小学一年生だものね。……今度からは誰かと恋愛ざたになったらワタシに教えなさい。ちゃんとアドバイスしてあげるから。あんたにスマートな交際ができるとは思えない」
「ありがとうファイヤーくん。……いいんだ。わたしは誰ともつき合うつもりはないから」
「そんな事言わないの。公園のカチューシャの君とは縁がなかったかもしれないけれど、きっとまた誰かに恋する時がくるわ。そうしたら今度はちゃんとうまくいくように手を貸してあげる。だから元気を出して」
「ファイヤーくんは優しいな。しかし本当にいいんだ。わたしはあと五年は誰ともつきあうつもりがないから」
「五年? ……随分長いわね。それにリアルに具体的数字。……なあに? 会社から恋愛禁止令でも出たの? そういう契約更新でもした?」
「いや。自分で決めた事だ。会社は関係ない、そして関係ないんだ」
「じゃあどうして五年もひとりぼっち? 恋愛絶ちする理由があるんでしょ? 誰かに操立てでもしてるの? 願かけ?」
「いいや。違うんだ」
 キースは顔をあげて少し照れたように笑った。
 少し恥ずかしそうな様子にネイサンは「教えてよ。知りたいわ」と言った。
 他人の事に首を突っ込まない大人のネイサンだが、心は乙女だ。スカイハイほどの男が恋愛絶ちをしている理由を知りたくないわけがない。
 片恋に終わってしまった赤いカチューシャの少女が未だに忘れられないのだろうか、しかし五年という具体的に数字はなんだろう意味があるのだろうかと好奇心がうずうず刺激される。
「……言うのは少し恥ずかしいのだが」
「なあに? わたしたちの仲じゃない、恥ずかしがる事なんて何もないわよ。わたしが口が固いの知ってるでしょ、秘密絶対厳守よ」
 だだ漏れ会話に厳守する秘密などあったものではないが、それを気にしないのが天然だ。
「実は…」
 キースは気恥ずかしそうに言った。
「わたしは……魔法使いを目指しているんだ、憧れている」
「……あんたはすでに風の魔術師でしょ?」
「それは通称やあだ名であって職業でも技能でもない。わたしは魔法使いになりたいんだ」
「……んん?」
 ネイサンは首を傾げた。魔術師も魔法使いも似たり寄ったりだ。詳細は違うだろうが認識にたいして差はない。
「魔法使いって魔術師とどう違うの?」
「全然違う、そして違う。魔術師はあだ名だ。わたしは魔法が使いたい、そして使えるようになりたい」
「……新しいネクストの能力が欲しいって事? 風使い以外の?」
「ネクストは超能力だろう? わたしは魔法使いになりたいんだ、そしてなりたい」
 力説するキースにネイサンは意味が分らないという顔だ。
 周囲で聞いてる面々も分らず首を傾げる。
 ここにいるのは全員ヒーロー、特殊能力者だ。
 魔法使いというのなら折紙サイクロンが一番近いかもしれない。物や人にそっくりに擬態できる能力は自然を操る力よりある意味特殊だ。超能力というより魔法に近い。
「スカイハイ、言ってる意味がよく分らないわ。魔法使いと三十歳まで誰ともつき合わない事の接点て何?」
 ネイサンの言葉にイワンは思わず「あっ…」と言った。
「もしかしてアレの事だったり…」イワンは呟く。
「え、なになに、知ってるなら言いなさいよ折紙」
 カリーナがすかさずイワンを締め上げる。
「く、苦しいカリーナ……話すから放して。…………たぶん、三十歳過ぎても童貞の男は魔法使いになれるって……いう……都市、伝説…ぅ…?」
 イワンの声が尻窄みになり、辺に氷のような沈黙が広がった。
 後に全員がブルーローズの作る氷より冷たかったと語ったという。






■sample/02■

「そんな事あるわけない、ありえないでござる! スカイハイ殿に失礼です、そして無礼です!」と散々自己否定を晒すイワンだ。
「先輩。信じたくない気持ちは分りますが、スカイハイさんの態度から察するに間違いありません。あれは恋する男の浮かれきった弛んだ顔です。ずっと先輩の前ではそうでしたよ? 気付かない先輩って本当に天然だな、さすがは似たもの師弟だと思ってたんです」
 バーナビーのやれやれという顔。
 ネイサンは「キースちゃんたら浮かれて足が宙に浮いてたわよ。ふたこと目には『イワンくんが喜んでくれた、一生懸命なイワンくんが可愛いそして可愛い、イワンくんと遊びに行く約束をした、イワンくんがイワンくんが…』ってエンドレス。誰だって気付くわよ。ハンサムの言うとおり、恋に溺れただらしない顔全開でイワンくんの名前連発だからさすがに気付くわあ」
「そ、それは……初めてできた弟子が嬉しいだけじゃないか?」
 キースが同性愛者だと思いたくない虎徹がつっこむ。
「バカねえ。弟子をあんな目で見ないわよ。スカイハイも所詮一匹の牡だってこと。草食系だと思ってたのにとんだ隠れ肉食だったんだもの。男は狼だって本当よね。ああ恐い」
 あんな目ってどんな目? おじさん知りたくないなあと虎徹がぶるぶると怯む。
 スカイハイが折紙サイクロンをロックオンだなんて考えたくないと、固定概念に凝り固まった一児のオヤジは思う。
「そうですねえ。僕も何度背筋が寒い思いをしたことか。先輩と喋っていると視線の重圧に負けそうでした。自覚もしていない男に嫉妬されるのは理不尽なので負けませんが。先輩のことは好きですが、あくまで仲間としての清らかな友情です。自分が先輩を狙ってるからってこっちもそうだと思われるのは不愉快です」
「あらあらキースちゃんと挑発しちゃ駄目じゃないハンサムったら。薮を突ついたら蛇が出てきちゃうわよ」
 ネイサンがおほほと笑う。
 虎徹はとても笑えない。
 イワンはすでに石になってる。
 アントニオは戦線離脱だ。
 カリーナはホァンとお茶してる。
 バーナビーは何故か好戦的。
「ボクをスカイハイさんが、ありえないありえないありえないありえない……」
 呪文のように呟くイワンの背に、ようやく事実を認識した虎徹が慰めるように手を置いた。
「……うん、なんだな……。よくあること……じゃないけど……よくないことだけど………ありえなさすぎるけど………それが事実なら…………よく考えて…………ええと…………ごめんなさいするしかない、か? ……だよね? だって男同士だしな? …………え、なんでバカって言われなくちゃならないのバニーちゃん? 黙ってろって酷い! 黙らないと靴食わせるってネイサン?なんで? あさっての忠告するな? どの辺があさって? とんちんかんな忠告? え、そうなの? おじさん空気読めてない? KY? KOF野郎? ……ってなに? Fは何を指すの? え、フラグクラッシャー? キング・オブ・フラグクラッシュ? おじさんだってフラグの意味くらい分りますっ。分ってるならなぜフラグを折る? ……え、折ってないよ? 今度はMKY?まるで空気読めないおじさん? マダオ? まるで駄目なオヤジ? なんでそんな酷い事ばかり言われなくちゃならないんだよ! ………酷いのは状況を把握しようとしない鈍感なオレ? ……ネイサンまで同意? マジ酷っ!」
 マジ泣きしそうな虎徹だったが、本当に泣きたいのは誰だろう。
 鈍感通り越して迷惑オヤジと化した男を相棒に持っている将来有望青年か、それとも尊敬する師匠にうっかり惚れられてそれを同僚から指摘されたネガティブ系真面目少年か、自覚していない恋心を相手にバラされた魔法使い志望の天然天使か。
「気の毒なのは折紙だよな?」
 アントニオの指摘にカリーナとホァンは「そう?」とつれない返事をした。






■sample/03■

 イワンは真剣な面持ちで言った。
「キースさん。あなたをがっかりさせるのは不本意なんですが、過ちを信じているあなたを見るのが辛いので本当の事を言います。……男は童貞だろうが非童貞だろうがいくつになっても魔法使いになんかなれません。キースさんの信じている事は都市伝説です。つまりでまかせです」
「……え?」
「ネクストでもない限り、この世界に魔法使いは存在しません」
「でも……しかし……わたしはちゃんとネットで調べたんだ、そして調べた」
「ガセです。もしくは情報自体が誤りです。セックスと魔法に因果関係も接点もありません。童貞男の都合のいい夢ある解釈であって真実ではありません。だから………後生大事に童貞を貫くのは時間の無駄です。魔法使いはいません、なれません」
 みるみるキースが青ざめるのを見てイワンの胸はキュウキュウ締め付けられた。
 猫の首に鈴をつける役なんて酷い。そんな事したくないのに。
「イ、イワンくん、本当なのかい? 男は童貞だと魔法使いになれるんじゃないのかい?」
「そんな事例、今まで聞いた事ありません。世には童貞が溢れてますが彼らが魔法使いになったという噂を知っていますか? 実際に魔法使いに会った事ありますか?ないでしょう? 童貞が魔法使いになるなんて事ないんです」
「魔法使いはこの世界にいられないから、魔法使いになった人間は全員魔法の国へ修行に行くのだと聞いた。魔法使いは正体がバレないように普通の人間のフリをして身を守っているらしい」
 小学生の発言なら微笑ましいが、二十代半ばの男が言うとどうしてこうも痛々しいのだろう。
「誰がそんなでまかせを言ったのか知れませんが、真っ赤な嘘です。キースさんは誤った情報を真実と思い込んでるだけです。目をさまして下さい」
「……そんな」
 キースはイワンの言った事が本当らしいと知ると、あからさまにしょげてガッカリした。肩が落ちている。
 今日一日で沢山ショボンハイを見たぞ、とイワンは思ったがちっとも萌えない。
 キースががっかりするのは辛い。真実など教えたくなかったが魔法使い説を信じるキースは痛いし、外に知られるのも恐い。
 格好悪いスカイハイなど一般人は知らなくていいのだ。スカイハイの素顔は仲間のヒーローだけが知っていればいい。
 顔をあげたキースは落着かず案じるような顔のイワンに言った。
「わざわざわたしに真実を教えにきてくてたんだね、イワンくんは。……心配させたね」
「い、いいえ、別に…」
 訪問目的を見抜かれてイワンは狼狽える。
 そんな事ありませんと否定した所でキースはすぐに見抜くだろう。
「イワンくんは優しい。……しかしちょっぴり……かなりわたしはショックだ、そしてショックだ。魔法使いになれないわたし…」
 あからさまに落ち込むスカイハイに、イワンは(ああああ、だから言いたくなかったんだー、なんて言って慰めりゃいいの、分らないよ…助けてヒーロー)と心の中で右往左往オロオロした。
「キ…キースさん。そんなにがっかりしないで下さい。スカイハイさんはすでに風の魔術師じゃありませんか。それだけで凄い事なんですから。風の魔術師、最高に格好良いじゃないですか、わー……」
「そ、そんなに格好良いかい? そ、そうかな?」
「はい、そりゃあもう最高に! 風の魔術師は素敵です! 大好きです!」
 スカイ拝なイワンは自信満々に言い切った。
 スカイハイが最高でないわけがない。彼はキングでイワンのヒーローだ。
 イワンに褒められたキースは落ち込んだのが嘘のように崩れた顔でニッコニコ顔になる。キャッシュだあからさまだ。
(わー、スカイハイさん凄い喜んでるよ……でもどうして?)
 惚れた相手に褒められればテンション上がるのは当然だが、それに思い当たらないのがイワンだ。
「あ、あの……。だから魔法使いになれないのが分ったんですから……誰ともつき合わないのは止めにして………好きな人ができたなら、その人とおつき合いして下さい。キースさんもてるんですから勿体無いですよ。……童貞なんて(小声)」
「そうだね。誰か好きな人ができたら……また恋をしたら考えよう。今のところ好きな人はいないからね」 「そ、そうですよね。キースさんがボクを好きなわけないんだし」
「……は?」
「ネイサンさん達が言ってたんです。キースさんの好きなのはボク、イワン・カレリンだけど、その事に全然気付いてないからいいかげん自覚させてこいって……」
 イワンが冗談きついですよねえ、と笑って同意を求めると、キースが固まっていた。
 笑顔で凍りつくキース・グッドマン。これはこれで珍しいが。
 イワンはちょっぴり焦る。
「……あの? 冗談ですよ? あの人達冗談きついというか笑えないジョークですよね。……つまらない事聞かせてしまったすいません」
「……わ、わたしが、イワンくんを、好き?」
「だから、ネイサンさん達のジョークですよ。……ドラゴンキッドやブルーローズやバーナビーさんまで同じ事言うんですから、キースさんを何だと思ってるんでしょうね。ボク達をからかって遊んでいるんでしょうか。ジョークにセンスがなさすぎですよね?」
 同意を求めるイワンに、キースはホームセンターで迷子になった子供のように右見て左見て途方に暮れて、上見て下見て途方にくれて、イワンの顔を見て真っ赤になった。なんか可愛い。
 狼狽える、という単語がぴったりなキースの態度にイワンは「そそそそんなにあからさまに気にしないでくだせえ」とこちらも慌てる。
 スカイハイをこんなに慌てさせるなんて! 自分は何て事言ったんだろう。
 イワンこそ小ネズミのようにクルクル回って右往左往したかったがキースの自宅でネズミに変化して回転するわけにもいかず、慌ててフォローする。
「い、いやですよね。ボクなんかに恋してるなんて誤解されるのは。キースさんはゲイじゃないんだし…」 「恋! わたしがイワンくんに恋!」
 大声にイワンはさらに焦る。
 なんだろう、このいたたまれない空気。気温が上昇している気がする。
「いやだから。そういう誤解を受けてるなんて酷いって話です。ボクが明日きっちり皆に誤解を解いてまわりますから、キースさんは安心して下さい。キースさんの優しさを恋だと決めつめるなんて皆の目は節穴すぎます。キースさんに失礼です」
「わ、わたしはイワンくんに恋していたのか?」
「だからそれは誤解なんです! みんなの勘違いです。キースさん優しいし天然だから誤解されやすいんですよ。みんなにはちゃんと言ってきかせますから、そんなに焦らなくても大丈夫です」
 安心させるようにイワンは微笑んでキースの手に自分の掌をそっと重ねた。
 自分からキースに触れるなんて無礼というかおこがましいのでそっと触るだけだ。
 スキンシップ好きのキースだからこれくらいしても怒らないだろうと、ドキドキしながらキースをなだめる為だなんて自分に言い訳して触れる。
 イワンに手を重ねられたキースはヤケドしたみたいにビクッと跳ねて更に赤くなった。