善悪の彼岸(紫氷)
サンプル




□ドシリアス紫氷
□パねえR18。…てか、徹頭徹尾、無理矢理。半分以上がそういうシーン
□むっくん→室ちん(執着、でもそれが愛だとは気付いてない面倒臭いお子様、でも下半身はもう大人だよ!)
□むくわれない想いにむっくんヤンデレ化
□ラスボス赤司様、むっくんに助言
□実は続く?





■sample・01■

「アツシ。ベッドに横になりな」
「……ん」
 氷室にマッサージをしてもらい、紫原は痛みの引いた足に久々に心地よい眠気を感じてけだるげに返した。
 ベッドに横になると、氷室も一緒にベッドに上がり、紫原の手や足の関節を撫でた。
「……どうだい? 痛みは減った?」
「…もちいいー」
「そうか。……そのまま寝てな」
「……うん」
 紫原は心地良さにうっとりと目を閉じて、与えられる緩やかな慰撫に身を預けた。
 氷室は紫原に甘かった。
 こんな風に口の中で角砂糖を溶かすがごとく甘く絡めるように心地良さをくれるのだ。

 留学生の劉曰く「氷室ってなんか変アル。ゲイじゃねえのにゲイゲイしいアル。つか、まんま世話焼きの姉さん女房ね。キメーアル」と高校生男子にはまったくそぐわぬ比喩で氷室を表現したが、周囲はそれに対し、ああと素直に納得したから余計におかしかった。

「アツシ、寝ちゃったの?」
「…………って……ねー」
 半ば意識を睡眠にもっていかれた紫原は、こんな事ならもっと早く氷室に言えば良かったと思った。
 ずっと続いていた痛みが緩やかに下る安堵感に、意識が弛緩していくのが分かる。
 男に身体を擦られて気持ち良くて寝てしまうなんてまったくおかしな事だ。しかし氷室という人間を知るとまったくおかしいと思わないから、おかしい。
 美しい世話焼き男は、紫原が背後から抱きついても仕方がないと嗜め、苦笑一つで紫原を許してしまう。他の人間がやればやんわりと、だが揺るがない力で拒絶するのに紫原にはどこまでも甘い。
 許されているという受容の空気に紫原は浸っていた。
 紫原の身体を撫でる手はどこまでも優しい。
 そうやってもっと触れて欲しいと口の中で言ったが、眠すぎてそれは声にならなかった。
 




 ふと目が覚めた。唐突な覚醒の後、状況を思い出す。紫原は目を開けて枕元の時計で時間を確かめた。あれから数時間が経過していた。
 電気がつけっぱなしだ。いつのまにか熟睡していたらしい。そのまま朝をむかえなかったのは電気がつけっぱなしなのと、肌寒さで目が覚めたのだ。
 なぜ電気がついているのかと氷室を探すと、ちゃっかり同じベッドで隣に寝ているではないか。
「……室ちん?」
 氷室もあのまま眠ってしまったらしい。
 紫原のマッサージをしているうちに疲れて、ちょっと横になろうゴロリ、アツシ暖かい……熟睡、という流れだろうと想像できた。
 毎日ハードな練習をして体力を削っている。夜十時をすぎれば皆瞼が重くなる。
 ベッドを半分占領されて紫原は困る。
 特注のベッドも大柄な男二人が乗れば途端に窮屈だ。
「……室ちん、自分のベッドに戻ってよ」
 紫原が言っても氷室が起きる気配はない。
 無理矢理起こすかベッドから蹴り出すという手もあるが、優しく紫原を癒してくれた相手を蹴り出すというのは、いくらなんでもできない。
 これが福井や劉なら「邪魔」の一言で蹴り出すのだが、氷室にそれはしたくなかった。
 紫原の腕力なら抱き上げて隣のベッドに放り投げる事も可能だが、寝起きの脱力感で動くのも億劫で、結局電気だけ消してベッドに戻る。どうにか掛け布団を氷室の下から引きずり出して上にかけ、ぬくまった所でやがてくるだろう睡魔を待つ。が、一向におとずれないので少し苛ついた。
 一度起きてしまったので脳が覚醒したのか。
 いや違う。すぐ隣にいる人間のせいだ。
 他人の気配が強過ぎて眠れない。
 身体を反転させ、向合った。すぐ近くにある顔。薄暗い中でも氷室の顔がなぜかくっきり見えた。
 至近距離でも堪えられる整った造形……美しさ。
 男性特有の体臭もなく、シャワーを浴びただけの氷室からは特有のフレグランスの香りがした。帰国子女の氷室は大勢での風呂は苦手のようで、部活後のシャワーだけで済ます事が多い。

「……室ちん」
 顔を近付けるとスースーと気の抜けるような呼吸の音が聞こえる。
 黄瀬が黄色い薔薇ならば、氷室は白百合だった。
 色がないのに存在感があって、圧倒的なのにどこか清楚で人の気を引く色気がある。むしり取りたくなるような不完全さと、手にするのが躊躇われるような清廉さ。矛盾を孕んだ歪な存在感までもが魅力で、厄介だ。
 そっと顔を近付ける。唇が触れ合うギリギリまで近付けて、離れる。
 唇を触れ合わせたいという過度の欲求と戦うのは難しかった。触れればきっと柔らかく、まるで赤児の肌のようだろう。冷たく見えて熱い人だ。その熱であっというまに紫原を溶かしてしまうに違い無い。
 紫原は無防備な氷室には触れられない。
 一旦触れればタガが外れるのは分っている。
 紫原は自分の中の獣が檻から出せと暴れているのが分かる。鎖はまだ強いが、日に日に勢いは強くなっている。
 このままでは持たないかもしれないと、絶望的な気持ちになった。
 獣を開放すれば終わるだろう。何もかも。我慢などいらなくなる。
 すべてを、目の前の彼を無くすだろうから。
 我慢なんて殆どした事がなかった。
 欲しいモノを欲しいと望み、嫌なものは排除した。
 だから知らなかった。本当に欲しい物の手に入れ方を。
 赤司なら方法を知っているかもしれない。しかし。
 赤司に吐露すればやはり全てが終わる気がした。
 完璧な彼は紫原の望みを叶える方法を知っているかもしれない。
 それは紫原の為になっても氷室の為にはならないだろう。
 紫原は氷室を損いたくはなかった。目の前の歪んだ醜い内面を持つ餓えた鬼のような白百合を大事に思っているのだ。
 ……男なのに。
 異性だったら問題はもっと簡単だった。
 同性という壁に隔てられ、紫原は手に届く果実に触れる事もできない。
 無防備な姿を見るだけでキリキリと胸が締め付けられる。けれどこの人は紫原と同じ男なのだ。
「室ちん…」
「……no,Taiga……I'll fine my baske and return……」
 小さく漏れた声に心臓が嫌な音を立てる。
 氷室が何と言ったのか意味は分からない。
 分かるのは『タイガ』…と優しく囁かれた声だけ。
 握った拳をその場に叩き付けたい気持ちを抑えたのは、自制ではなく目の前の人が大事だったからだ。
 紫原の事をどう思っていようと、優しく慰撫した手だけは本物だった。愛とは言葉ではなく体現だと思う。紫原を厭いながらもその手はどこまでも優しくて紫原は泣きたくなる。
 紫原は氷室を起こさないようにずりずりと身体を寄せ、身体を丸めてぴったりと頭を胸の位置につけた。
 人の熱と心臓が動く音がした。
 そっと髪が撫でられる。ビクッと身体が震えた。
 起こしてしまったのかと思ったが、無意識のようだ。紫原の髪に絡んだ指が力なくそのままの形で止まる。
「室ちん。……オレはタイガじゃなくて、アツシだよ。あいつの名前なんか呼ぶな」
「……nu fu? ……Atushi? ……good boy I love my sweet……」
 甘ったるい響きに満足して、紫原はようやく心を落着かせ、目を閉じた。
 身体の痛みは消えたが、逆に心の痛みが浮き彫りになった。
「痛いよ室ちん……なんとかして……」
 呟いた言葉は乾いた空気の中に消えた。
 紫原の欲しいものはごく単純なものだ。
 今の氷室のように。あの優しい声で無意識に名前を読んで欲しい。大我なんて名前ではなく「アツシ」と呼ばれたらどんなに胸が暖かくなるだろう。
 けれど氷室はそんな風には呼ばない。氷室の英語の中に出てくる名前はタイガやアレックスやマイケルやジェイクといった、知らない名前ばかりだ。
 夢の中でアメリカでの過去を楽しんでいるのだろうか。
 日本の夢は見ないのだろうか。氷室は日本での生活を楽しいものだとは思っていないのだろうか。高校はバスケをする為だけの場所なのだろうか。
 だから寝言で読んでくれないのか。
 初めて会った時から。
 氷室の中には紫原に対する憎しみがあった。
 紫原個人というより、自分が与えられなかったバスケの才能に嫉妬して焦がれて憎んでいた。
 優しい瞳の中に濁った憎悪が垣間見えて気持ちが悪くて仕方がなかった。
 なのに氷室を蔑めなかったのは彼の姿勢が本当に綺麗だったからだ。
 欲しいものに全力で手を伸ばして己を鍛えあげる氷室は自分に何一つ言い訳しなかった。力不足を才能のせいにしなかった。足りないものを全て努力で埋めようとした。
 才能のない者を嫌う紫原だが、氷室に才能がないとは思わなかった。
 なのに氷室は紫原を憎むのだ。紫原の持つ才能を羨んで、それを大事にしない紫原を憎んだ。
 紫原の胸はギシギシと痛む。氷室を前にすると痛くて仕方が無い。
 でも紫原が憎まれている限り、氷室は紫原の一番近くにいてくれるのだ。
 矛盾だった。
 紫原は美しい同性の先輩に自分でも知らぬうちに絡めとられていた。もっとも氷室にそんなつもりは毛頭なかったが。






■sample・02■(Akashi)



 部屋は静かだった。
 同室の人間は外に出ていて好都合だった。
 機械に記憶させてある番号を呼び出す。
 数コール後、繋がる。
「……敦かい。どうしたんだい?」
 挨拶もなく電話の向こう側から面白そうな声が聞こえる。
「赤ちん…オレ…」
「WC以来だね。元気かい?」
「……ん、まあまあだけど。赤ちんは?」
「僕はいつもどうりだよ。……それで? 電話の目的は? ただ意味もなくかけてきたわけじゃないんだろ? ……ねえ敦?」
 からかうような軽快さに見透かされていると思った。赤司の声にはいつも不思議な響きがある。不快ではない。こういう赤司だから依存している。
「…………オレ、どうしていいか分かんなくて……教えてほしく赤ちんに電話したんだ」
「ああ」
 感歎を音にしたらきっとこんな雨垂れのような音がするのだろう。あまりに自然だ。
「……アツシは僕に何をして欲しいの?」
「……心の中のザワザワを取り除きたい…」
「へえ。心がザワザワするの? いつから?」
「WCから後……ずっと」
「そう…なんだ。それで?」
「どうしたらいい? 胸の中がゴチャゴチャになって落着かない。赤ちんならどうしたらいいか知ってるんでしょう?」
 フッと電話の向こうで息を吐く音が聞こえた。笑ったらしい。何が可笑しいのだろう。赤司はいつも赤司にしか見えない未来を見て笑う。嘲笑ではなく、道端に小さな花を見つけたような他愛無さで。
「……僕にそれを聞くのかい? 敦はもう知ってるんだろう、その理由を。解決方法を知りたいのかい? ……本当は、僕に聞かなくても知ってるんじゃないのかい敦?」
 追求の声は柔らかい刃だ。
 さあ、さらけ出せ、と言っている。
「………………室ちんが…………」
「氷室さんが?」
「室ちんが…………オレ、室ちんの事を考えると。胸が……痛くて…………ムカムカする」
「……ほら。ちゃんと分ってるじゃないか敦」
「……どうしたらムカムカしなくなる、赤ちん?」
「心の中の澱を取り除きたいの?」
「うん。だから電話したの。赤ちんなら知ってると思って。どうにかしてよ」
「……分ったよ敦。手を貸してやろう」
 赤司の明朗な快諾に紫原はホッとした。
 やはり赤司は頼りになる。自分の中のわけの分からないモヤモヤでさえ赤司にはお見通しなのだ。
 電話越しの声に安堵する。
「手を貸すのはいいが………敦」
「何、赤ちん?」
「おまえの行動はおまえの責の下にある。結果どうなろうと誰かのせいにしてはいけないよ。とくに『室ちん』のせいにしてはね。それは彼のせいではないのだから」
「意味分からないんだけど?」
「いずれ分かる。……そうだな。僕から敦に贈り物をあげよう。それをどう使うかはおまえ次第だ。健闘を祈ろう。敦が欲しいものを手に入れられるように」
「……欲しいものなんてないんだけど。…おかし?」
「欲しいものは………『室ちん』だろう敦。間違えてはいけないよ?」
「え……別に。オレ……室ちんなんて欲しくねえし。ただ胸のムカムカをとりたいだけで」
「嘘はいけないよ敦。おまえは『室ちん』が欲しいんだ。だから僕に方法を聞きたいんだよね?」
「え……違う……」
「違わない。よく考えてごらん。よく考えて、欲しいものが何なのか分ったらもう一度僕に電話をかけろ。僕はいつだって敦の味方だから」
「うん。赤ちんは絶対だもんね」
「そう、僕は絶対だ。だから間違えない。じゃあ敦。ちゃんと考えるんだよ」
 赤司との通話を切って、紫原は変なのと思った。
 この胸のムカムカとどうにかして欲しくて赤司に縋ってみたら、氷室の名前があがった。紫原の不調の原因は氷室だ。すぐに言い当てられてびっくりした。
 赤司には何が見えているのだろう。
 赤司はいつも間違えない。 
 赤司は紫原の不調の原因が氷室にあると言った。
 ああまったく厄介な人間だと思った。氷室と知り合ってから紫原は振り回されてばかりいる気がする。
「どういうこと。室ちん?」
 一つ年上の厄介な先輩を思い浮かべるまでもなく、同室の彼が部屋に入ってくる。
「あれ? アツシ誰かと電話してたの?」
「んーー。室ちんには関係ないし」
「そうだね。オレには関係ないね」
 そういう氷室も他の誰かと電話していたのだろう。携帯を持って出ていって一時間が経っていた。誰と会話していたのだろう。家族だったらいい。だけれど。
 氷室の喉元を飾るチェーン。繋がった指輪が鈍く光っている。それはもはや氷室の一部のようで、紫原は忌々しくてたまらない。
 それ外してよ。嫌いだよ。
 その言葉を何度飲み込んだ事か。
 氷室の事は嫌いではないが、指輪を大事にしている氷室の事は大嫌いだった。
 ああそうだね。ムカムカの原因は室ちんだ。
 やっぱり赤ちんは正しい。
 紫原はきっと赤司があの指輪の消去法を教えてくれるのだと思った。
 氷室のような美しい人間にあんな安っぽい指輪は似合わない。
 似合うのは……氷柱からしたたる氷水のような泪だけだ。
『気が変になるぜ』
 声が耳の奥の残っている。
 あんな声で責められたのは初めてだった。
 うん。よく分かるよ。気が変になりそうだ。室ちんを見ていると。
 紫原は指輪を捻り潰したい気持ちを気付かせないように表情を隠すと「あのねー、室ちん。冬休みの事なんだけど…」と心の汚濁を隠して氷室に話し掛けた。
 目の前の人を蜘蛛の糸に絡め取るべく。
 赤ちんに電話しなくちゃと思った。